近衛騎士ジークフリード
※システィナ帰国編※
ジークフリードは近衛騎士という立場の手前、国王や王族と最も近い距離にその身を置く。その為、重要書類が常に目に触れやすい場所にある。そして最新情報が真っ先に耳に出来る位置にいた。それは近衛騎士という存在が、それ程までに国王や王族方、高官に信頼されているとも言えるのだ。だから、近衛騎士はその信頼に値する存在になる事が求められる。その為、身体能力や優れた技能は勿論の事だが、知性、理性、判断能力、そして確かな道徳観念が必要であった。
求められる能力の中でも一際重要な能力は『守る』為の能力だ。要人を肉体的にも精神的にも守る事。それが何より難しい事を、ジークフリードは痛感していた。
また近衛騎士は、ただ従順な姿勢で仕事に従事する事だけを求められている訳ではない。規則を遵守する事は勿論なのだが、時には柔軟な思考を持って物事に対処・対応できる事が求められるのだ。
主を守る事は、主の従僕になる事と同意ではない。主が誤った道を行く時があればその身を呈して過ちを糺すこと。それもまた、近衛騎士に課せられた使命であり忠誠心なのだ。
今はまだ、そこまでの使命を果たす事ができない未熟者だと、自身を評価しているジークフリードだが、ゆくゆくはウィリアム殿下からの信頼を勝ち得、アルヴァンド公爵家の男として恥じぬ騎士になりたい。そう、ジークフリードは自分の騎士としての在り方、未来の展望を胸に抱いていた。そして、その未来の為に日々の鍛錬を行い、冷静な判断能力を培う努力をしていた。
その日、ジークフリードは早朝からウィリアム殿下の警護にあたっていた。
ウィリアム殿下は毎日、王太子執務室にて側近から一日の予定を聞く事から仕事をスタートする。
「ーー今日の予定は?」
「今朝方、アルヴァンド宰相閣下から予定変更が通達されました。予定していた会議は午後からに変更です」
ウィリアム殿下の問いに殿下の側近が手元のファイルを開いて答えた。
予定の変更は決定事項。それに対して王太子だとて否を唱える事はできない。変更の通達についてもウィリアム殿下は一瞬、眉を動かしただけだった。
「……何があった?」
ウィリアム殿下は側近に問いかけた。
「アリア姫が昨晩、お倒れになりました」
「なに⁉︎」
ウィリアム殿下の普段動かない表情が大きく揺れた。
側近の言う『アリア姫』とは、ウィリアム殿下の妹姫ーー偽装工作としてシスティナの姫となり、エステル帝国皇太子の婚約者として昨日まで、皇太子の下にあった姫であった。かく言うウィリアム殿下自らがエステル帝国に赴き、不当な扱いにあったアリア姫について抗議を行い、更にはシスティナ国からの要望を伝えて、一旦、アリア姫を自国へと連れ帰ったのだ。
エステル帝国より帰国したアリア姫。彼女の正体がシスティナの東の魔女アーリアと知る者は、その誰もが彼女に尊敬の念を持つ。それはアーリアがエステル帝国に捕らえられて尚、システィナの為に尽力を尽くしたからであった。
システィナ国が国を挙げて偽装工作に励んだ結果、一魔導士であったアーリアは『システィナ国、国王夫妻の養女』という仮の身分を持つ、稀な民間人となった。
仮の身分であろうと、ウィリアム殿下にとってアリア姫は可愛い妹。ウィリアム殿下はアリア姫ーーアーリアを実の妹のように思っていた。
そのアーリアが倒れたと聞いては、さすがのウィリアム殿下も動揺せざるを得なかった。
「原因は?」
「医師の話では『心的疲労』ではないか、と」
アーリアが倒れたと聞いて、王太子の近衛として侍るジークフリードは内心ウィリアム殿下よりも動揺し、居ても立っても居られない気分であった。
しかし、それを表に出す事はあってはならない。
現在、ジークフリードはウィリアム殿下の護衛中だからだ。一騎士が主を放って勝手な行動をするなど、許される事ではない。それが例え、大切に想う者の大事であったとしても。
「帝国では敵中にあって、自身を守れるのは自分の他に護衛騎士が一人だけという状況。相当、気を張る状況だった事でしょう。帰国直後にその気が緩んでしまったのも、致し方ないかと……」
「そうだな。暗殺者の手は絶えなかったと聞く。女同士のイザコザを始め、帝宮を取り巻く環境。気を抜くと容易く殺されてしまう状況では、ゆっくり睡眠も取れなかったはずだ」
側近の言葉にウィリアム殿下は同調した。
敵国の手に渡るように裏から手を引いたのはウィリアム殿下だ。いくらシスティナ国の為の策略だったとはいえ、一つも罪悪感がない訳ではない。エステル帝国のユークリウス殿下の下で保護を頼んであったとしても、その実、囮 兼 駒扱い。事情を知る者・知らぬ者、その双方から様々な理由でつけ狙われたのだと聞いていた。普通の姫だったならば到底、絶えられぬ状況であっただろう。
アーリアが前宰相サリアン公爵とやり合う現場を見て『採用』を決めたウィリアム殿下としては、齎された結果は素晴らしく満足のいくものだが、当の本人は苦労の連続だった事は想像に難くない。
「うむ。アリアは成人したとはいえ、うら若い乙女だからなぁ……」
「その乙女に無理難題押し付けたのは何処のどなたですか?」
ウィリアム殿下の言葉に側近が眼鏡を押し上げながらジト目で呟いた。
「仕方なかろう。結果、エステル帝国との関係を改善できるに至ったのだ。尊い犠牲といえよう?」
「私が姫と同じ扱いを受けたならば、貴方を嫌いになっている事でしょうね?平手や魔術行使くらいは甘んじて受けてはいかがですか?」
しれっと言い放つ側近の言葉は氷のように冷たい。だが、ウィリアム殿下には『妹に嫌われる可能性』の方が重要だったようで、側近の冷たい態度など気にもならないようだった。
「なに⁉︎ アリアに嫌われてしまうと言うのか⁉︎」
「その可能性もなきにしもあらず、なのでは?」
「平手は兎も角、魔術行使などされればこの城は簡単に吹き飛ぶ」
「少女を囮に使うだけでも下衆……こほん、問題ですが、姫は魔導士なのですよ?かの『漆黒の魔導士』殿に師事する魔導士ならば、城の崩壊などたやすい事でしょう。手を出してはならぬ相手に手を出したのですから、それこそ致し方ない事かと」
自分の主を下衆と言い切る側近。そのあまりの暴言に、聞いていた近衛騎士ジークフリードの方が内心ハラハラとした。
「……ラルフ。お前、少しは俺を庇おうと思わんのか?」
「いいえ。まったく。これっぽっちも。城一つで収まるのなら安いものです。因みにその予算も想定済みですので、ご安心ください」
ラルフは万一、城が破壊された場合の改修工事の予算見積もりが組まれた書類を、ウィリアム殿下に手渡した。
「……因みに俺の身の心配は?」
「していません」
「なにぃ⁉︎」
「きっと大丈夫ですよ。殿下は丈夫な身体をなさってますし。それに……」
「あ……ああ。アリアは優しいからな。きっと死ぬような目に遭わされても、本当に死ぬ事はないだろう」
「そう言うことです」
アーリアはエステル帝国では皇太子ユークリウス殿下親友の婚約者に身をやつしていたが、そこで引き起こされた数多の事件に於いて、その加害者を死に貶めてはいない。ただ、その身にかかる火の粉を払っただけに過ぎないのだ。中には殺したいほどの腹立たしい馬鹿者もいただろうが、アーリアは感情に任せて武力行使した事はないと聞く。
その事をユークリウス殿下から聞いたウィリアム殿下は、その身にシスティナ国の未来を背よった姫として、アーリアは立場に合った対応を取る事ができる者と知り、内心、ほくそ笑んだものだ。
ー実に頼もしい妹だー
……と。
ただの魔導士から使える駒に化けたアーリアに対して、ウィリアム殿下はうっそりと微笑んだ。
「殿下、なにイヤラシイ顔をしているんですか?」
側近ラルフがため息と共に放った言葉に、流石のウィリアム殿下も半ギレになった。これでも国民からは『絵本の中の王子様』で通っているというのに。
「イヤラシイとはなんだ⁉︎ 一国の王太子に向かって酷い言い草だな?オイ」
「獲物を囲い込む時のような目をなさっておいででしたよ?」
「ふんっ。仕方なかろう。良い物件を見つけてしまったのだから」
「確かに。帝国に差し出すには惜しい人材ですね」
「ユリウスには悪いが、簡単に渡してやる訳にはいかん。あれは私の『可愛い妹』なのでな」
エステル帝国の経済が立ち直り、国政がまともに機能するまでの間、と銘打って、ユークリウス殿下とアリア姫との婚約を凍結し、姫を一時帰国させたウィリアム殿下。だが、ウィリアム殿下はここに来て、アリア姫をーーアーリアをエステルに戻してやるつもりは、ほぼほぼなかった。
「悪い友人を持ったユークリウス殿下には同情致しますよ、本当に」
「ハハハ!惚れた弱みで強くも出られん男の遠吠えなど、怖くはないがなッ」
その言葉に『呆れた!』とも言わん表情で、ラルフは「殿下は初恋もまだでしょーが。どの口が……」などとぶつぶつ零している。苛立ちを覚えるとズレてもいない眼鏡を直したがるのがラルフのクセだ。
「よし、ラルフ。妹の見舞いに行くぞ」
「そう仰ると思いました。こちらです」
側近はウィリアム殿下を先導するように先を歩き出した。ウィリアム殿下を守る近衛騎士はその二人を警護するように前後左右に囲み、移動を開始した。
アーリアが休んでいるのは医務室ではなく、ウィリアム殿下が用意した客室だった。王宮内でも王族の住まう宮殿に近い場所に、その客室はあった。
ウィリアム殿下がこの場所に客室を設けた理由は、アーリアを『アリア姫』と扱う為の措置であった。国内に於ける偽装工作の為、アーリアの身柄を王宮が預かる事になったウィリアム殿下は、様々な事情を考慮し、数ある客室からこの場所が選んだのだ。
アーリアの後見を務めるウィリアム殿下には、『アリア姫』に反感を持つ貴族たち、取り込もうとする貴族たちからアーリアを守る義務があったのだ。何より、この客室は王族の住まいとも近く、信頼ある近衛からの警護も手厚く受けられるのだ。
ジークフリードがウィリアム殿下の前方を歩き、安全を確保する。王族には危険がつきもので、どこで政敵が現れるかも知れない。また、政敵が狂気にかられて突然、襲い掛からないとも限らないのだ。
ウィリアム殿下一行がアーリアの休んでいる客室の前まで行くと、部屋の中からから一人の青年騎士が血相を変えて飛び出してきた。なんと、それはジークフリードのよく知る男だった。
「リュゼ⁉︎」
飛び出して来たリュゼからウィリアム殿下を庇うように立ちはだかると、ジークフリードは抗議の声を上げた。ここは王城。政治の中枢、王宮。突発的な事態でもない限り、騎士が足早に駆けて良い場所ではない。
「ーー! 申し訳ございません」
リュゼは誰に衝突する所だったのかを瞬時に理解すると、ウィリアム殿下に向かって膝をついた。
「お前はアーリアの専属護衛だな。リュゼとか言ったか?……どうした、そのように慌てて」
ウィリアム殿下はアーリアの護衛騎士の名をしっかりと覚えていた。
「は。それがアーリアが……アリア姫が部屋から消えてしまわれて……」
「は……?消えた?」
「『消えた』と言うか『攫われた』と言うか……」
「攫われた⁉︎ それは一大事ではないか!」
いつものような余裕が全くないリュゼのその要領を得ない言葉は、聞く者の気持ちまで乱した。
「どう言うことだ、リュゼ?」
本当ならこんな場所で立ち往生する筈でなかったリュゼは、この押し問答さえ億劫といった雰囲気で、奥歯を噛み締めている。
「……。……。これをご覧ください」
リュゼは胸から一枚の用紙を取り出した。それをまずジークフリードが検閲する。ジークフリードはそこに書かれた内容と差出人の名に顔を顰めた。
ジークフリードはアーリアが倒れたと聞いて以降ずっと気が気ではなく、内心苛立ってさえいた気持ちが、用紙に書かれた内容を読んだ瞬間にスウッと落ち着いてーーいや、落ち込んでいくのが手に取るように分かった。
「ジーク、見せろ!」
ウィリアム殿下はジークフリードのその表情に怪訝な顔になり、遂にはジークフリードの手から用紙を奪い取った。
『アーリア殿は預かった。大切ならば探し出してみせよ。ーールイス』
「「……」」
この達筆な字には見覚えがある。この差出人の名にも。瞳を細めて微妙な表情をしたウィリアム殿下と側近ラルフは、同時に詰めていた息を吐き出した。
「成る程。会議が午後に流れた理由はこれか」
「当人たちが居なければ、会議などできよう筈がございませんからね」
システィナ国の宰相アルヴァンド公爵ルイスがアーリアを連れ出した。文面と状況からそう判断した二人には焦る様子は微塵もない。
「アルヴァンド宰相殿が連れ出されたのならば、アーリア殿のお身体も大丈夫なのでしょう」
「そうだな。宰相殿は紳士だからな。女性に無体は働かぬ」
「今頃、麗しい女性と楽しい時間を過ごしておいででしょう」
ラルフの言葉にジークフリードは勿論、リュゼの表情は曇っていった。ジークフリードの眉間には深い溝が何本も生まれ、リュゼは俯いて歯を噛み締めながらその拳を強く握りしめている。
「殿下、アーリアを探しに行っても構いませんか?」
「勿論だ。お前の大切な主なのだ。早く探し出してやると良い」
「はっ」
リュゼはもう一度ウィリアム殿下に深く頭を下げると、その場から足早に立ち去って行った。
リュゼの立ち居振る舞いはジークフリードの知る姿とは異なり、近衛騎士とも劣らぬ騎士の所作だった。それを何処で誰の為に身につけたのかなど、考えずとも分かる事だった。
ーもう馬鹿猫とは、呼べないなー
自分を守る近衛騎士の硬い表情から何かを読み取ったウィリアム殿下は、ジークフリードの背にポツリと声をかけた。
「ジーク。お前は行かなくても良いのか?」
リュゼの走り去った扉の前で、ジークフリードは背後から掛けられた言葉に虚を突かれたように振り返った。麗しの王太子殿下は、いつになく渋い表情をしていた。
確かに叶う事ならば自分もアーリアの元へ駆けつけたい。形を構わぬリュゼの背中に羨ましさを感じた。しかし、自分は現在『仕事中』であり、王太子殿下をお守りするという大切な任務を途中で放り出す事など、ジークフリードには出来はしなかった。
ー俺は近衛騎士として我が主に、国に尽くしたいのだー
ウィリアム殿下の言葉にジークフリードは小さく頭を振り、殿下の蒼い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、私は殿下の騎士です」
「……そうか。では帰るぞ」
ジークフリードの意思を受け取ったウィリアム殿下は微笑むと、颯爽とその身を翻した。
「はい。殿下」
ジークフリードは先を行くウィリアム殿下に追随すると、再び、警護の任に当たった。
未来を見据え未来へ向かう、システィナ国次期国王、王太子ウィリアム殿下。
ジークフリード・フォン・アルヴァンドは国王と王家の盾にして劔、アルヴァンド公爵家の一員として、近衛騎士の地位を賜った騎士として、ウィリアム殿下を何者からとお守りする事こそが、ジークフリードに課せられた使命であり、剣に誓った忠誠であった。
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システィナ帰国編『近衛騎士ジークフリード』をお送りしました。
ジークフリードがシスティナの騎士に復帰してから約半年。王太子殿下を守護する立場にまでになりました。元々、王太子殿下とは交流もあり信頼関係もあった為、本人の努力もあって内部昇進した模様です。ですが、本人はブランクを気にして、まだ分不相応だと思っています。
元来なら真面目なジークフリード。仕事を疎かにできない気質が、アーリアとの仲を遠ざけいます。今後、どのようにアプローチしていくのでしょうか?
次話も是非ご覧ください!