本能と理性の狭間
※システィナ帰国編※
※(リュゼ視点)
システィナ国に帰国したアーリアはエステル帝国での状況と経緯の報告、その他諸々の事情により暫くの間、その身は王宮預かりとなった。それに伴って護衛騎士の僕も同じく、王宮に留まるように通達された。
僕はアーリアを伴って彼女に与えられた部屋へと入るなり部屋の扉を閉め、ついでに鍵をそっとかけた。それは僕がアーリアだけに話したい事があったからだ。その内容は、エステル帝国からシスティナ国へと帰国する間際に起こった、『ある出来事』についての言及だった。
「アーリア」
「……?」
「アーリアはさ、何で殿下を拒めないのかなぁ?」
「えっと……何のこと……?」
僕の言葉を背から受け、アーリアは金の髪を棚引かせながら振り向いた。帰国直後なのでアーリアはエステル帝国の時と同様、スキル《偽装》と《擬装》を使って髪色を金に見えるようにしていたままだった。システィナでも暫くは『アリア姫』を演じなければならないようだ、とアーリアは話していた。彼女の苦難はまだまだ続きそうだ。
ーーそんな事より、今の僕はにはアーリアには問い詰めなきゃならない事があった。
アーリアはというと、僕から何を問われているのかが分からなかったようで小首を傾げている。それは仕方がないかもしれない。
ユークリウス殿下の強引さは常々で、アーリアはエステルでの姫生活や囮 兼 駒活動もーーいや、それどころか彼女の行動全てが殿下の掌の上、思惑通りだったと思われる。元々、策略・謀略・画策ナドに向かないアーリアが、真の策略家であるユークリウス殿下のやる事なす事に拒めないのは、もう今更だった。
でも僕は、今度こそは、あのユークリウス殿下の暴挙に対して堪忍袋の尾が切れていた。それに加えて、ユークリウス殿下からの暴挙を許しただけでなく、まるで、何も無かったかのように振る舞うアーリアの態度にも苛立ちを募らせていた。
そして何より憤りを覚えるのは、何故これほどまで僕が憤りを覚えているのかというその理由を、アーリア当人から全く理解されていないというコト。現にアーリアは僕からの怒気を含む態度を受けてもキョトンと首を傾げるのみで、僕のこの怒りに対する理由には全く考えが及んでいない様子。
ーあぁ全く、イヤになるよ……ー
彼女への気持ちを隠してるーー一部にはバレてるみたいだーー僕の所為でもあるんだけど、アーリアは僕からの発せられる親愛感情の中に『恋愛感情』がある事を、全く理解しようとしないんだからさ。
皇太子殿下に愛を説かれ、挙句にその唇まで奪われておきながら、アーリアはそれをまるで『何ともない』ように振舞っている。何故アーリアがそんなに飄々としていられるのか、僕は本当に理解に苦しむ。
ー僕はアーリアの事で、これほどまでに心を乱されてるっていうのにー
僕の心の中はモヤモヤした想いで渦を巻いている。エステル帝国に於いて『身分制度』という枠組みに縛られ、アーリアを他所の男に譲らねばならなかった僕のこの屈辱、苛立ち、鬱憤はもう限界に達していた。
だから……
この時の僕はその苛立ちを身の内に留める事をせず、アーリアに突きつけてしまったんだ。
「殿下にキスされてたでしょ?」
「……!」
目を見開いて驚くアーリア。
どうやら僕にあの現場を見られていた事を知って、今更ながら羞恥心を持ったのだと分かった。僕からの目線を受けてアーリアの顔がサッと赫らんでいく。そしてアーリアは口元を両手で隠すように押さえながら、困惑気味に僕の顔を見上げてきた。
「……あれって、その、やっぱりキスだったの?」
アーリアはユークリウス殿下から受けた『あの行為』が何であったか再確認するように呟いた。
ー何をバカなコトを言ってるんだ⁉︎ この娘は!ー
思わず怒鳴り散らしたくなるような馬鹿な質問に、僕の口は開いたまま塞がらない。そして次の瞬間には怒りが頭を突き抜けていた。それほどアーリアから発せられた言葉は、僕の心を更に苛立たせる類のものだった。
「ーーはぁ??」
僕の眉根を吊り上げ叫んだ後、思わず「何をバカなことを……⁉︎」と毒づいてしまった。顔から普段の笑みが搔き消え、険しいものになっていくのが自分でも分かった。
だがアーリアの方は至って真面目な疑問だったようで、その態度は全く悪びれていない。それどころか更に信じられないコトを言ってくる始末。
「その……絵本や物語で読んだ事はあったけど経験した事はなかったから。びっくりして……」
アーリアはゴニョゴニョと口籠もり、僕から目を逸らして俯いた。
ー絵本?物語?なんだそりゃ⁇ 本気で言ってるのか⁉︎ー
そりゃあ幼い子どもーー特に女の子は王子様の出てくる絵本に夢中になるってコトは聞いた事があるよ。生憎と僕にはそんなハートフルな幼少期の思い出はないけれど、男の子でも英雄譚に憧れを抱く時期があるって事は知ってる。現に十代始めの頃はやたらカッコイイ決めポーズや決め言葉を叫びたいモノだって、ユーリも言ってた。てか、ユーリはやってた。
だけどさ。アーリアはもう18歳。成人を迎えた立派なレディだよね。
確かにユークリウス殿下は本物の皇子サマだよ。腹黒ドSな性格さえ隠せば『絵本の中の皇子様』な見た目なのも認めよう。だけどさ、物語と現実を混同するってどーなのさ?
僕の心のツッコミは留まる事がなく、際限なく渦巻いて広がっていく。
頬をほんのり赤らめて話すアーリアに僕はほんの数歩で詰め寄ると、真上から見下ろして凄んだ。
「〜〜はぁ⁉︎ ちょっ、ソレ、本気で言ってんの?」
僕の凄みと威圧を受けて、アーリアの肩がビクッと震えた。
「あの、リュゼ……?何か、怒って……る?」
ここに来て漸く、僕が怒ってるって事をアーリアは理解したようだ。
僕にも怒りを露わにした自覚がある。
僕の瞳はこれまでに見た事のない程釣り上がり、声音は低く、眉に皺を寄せた凄い剣幕になっているだろう。
こんな表情を今まで、アーリアに向けた事なんてない。やはりというか、アーリアは僕の中の怒りを察してその瞳に不安の色を滲ませ始めていた。自分の何が僕を怒らせたのかを思案しているのだろうか。その美しい虹色の瞳がユラユラと揺れている。
怯えるアーリアを目にしながら、内心『あーあ』と溜息を吐いた。
僕は自分の中の苛立ちが自分勝手なモノだと言う事を重々承知していた。それでもこの時の僕は、自分の奥底から際限なく生まれるドス黒い感情を抑える事が出来ずにいたんだ。
僕は苛立ちを抑え込めず、威圧に任せてアーリアを壁際まで追い込んだ。アーリアを逃がさぬように左腕をドンッと壁につけ、右手でアーリアの顎から頬に添えてツイと上向かせた。そしてアーリアの瞳を真上から覗き込むと、不安そうな顔のアーリアを無視してそのまま耳元で囁いた。
「アーリアはさ、キスってどういう時にするか、知ってる?」
自分の思った以上に冷たい声が出てしまった。案の定アーリアは肩を震えさせて、表情を固く強張らせている。見て分かる程に動揺し、混乱し、困惑している。
それでも僕は追求の手を弱めなかった。
アーリアは僕からの目線を外そう顔を横向けようとしたが、逆に僕は手の力を込めて彼女を逃しはしなかった。
「……愛情表現の一つだと聞いてるよ。愛する人にキスするんだよね?その、夫婦や恋人や親子や……あとは番とか……?」
アーリアの『キスの定義』についての説明に僕の眉間の皺は増え、益々深まっていく。最後に出た言葉には思わず「番……?」と一瞬首を捻ってしまった。
「ーーで、ソレを子猫ちゃんは恋人でも夫婦でも何でもない殿下にキスされちゃってたよね?……それはなんで?」
「なんでって……言われても……」
どもりながら考え混むアーリアに僕は苛立ち、つい、追求してはならぬ事を聞いてしまった。
「子猫ちゃんはさ、殿下が好きなの?」
聞いてから『しまった!』と思ったが、口から出た言葉は口には戻らない。
アーリアはパタパタと長いまつ毛を揺らしながら何度か瞬きすると、次の瞬間には答えを出した。
「好きだよ」
「ーーッ⁉︎」
アッサリ知らされる事実に、僕は驚愕を通り越して愕然とした。アーリアがユークリウス殿下の事が『好きだ』と、はっきりと口に出して答えたのだ。僕はまさかこうもアッサリ『好き』と答えられるとは思っていなかった。答えるにしても、せめてもう少しぐらい悩んで欲しかった。
僕の脳内に『好きだよ』の言葉が木霊する。
ーああ、気が遠くなるってこういうコトか……ー
心臓がドギマギと不整脈を刻み、油汗がドッと背中を伝う。それでも、ここまで来てスゴスゴと引き下がる訳にはいない。
僕は遠くなる思考を這々の体で手繰り寄せると、腹を括ってアーリアへの詰問を再開させた。
「……じゃあさ。殿下が好きなら、殿下とその……恋人になるの?夫婦になるの?」
僕の言葉にアーリアは両手と首を降って否定を口にした。
「ムリムリ、ならないよ!……なれる訳がないし……」
僕はアーリアからの返答を聞いてあからさまにホッとしてしまった。そしてそんな自分の心の狭さに心底イヤになって舌打ちした。
ーなんて余裕がないんだ!ー
それでも、アーリアがユークリウス殿下と婚姻を望んでいない事が分かり、僕の心の中に小さな希望がーー余裕が生まれた。だからだろう。それまでの気持ちが一気に解放されたように、僕は欲望を解放していた。
僕は胸の奥底から本能が溢れ出す。堰き止めていた理性という名のストッパーが、パチンと外れる音が聞こえた。
「アーリア、君は恋人でもない殿下とキスしたんだよね?ーーじゃあさ、僕とキスしてもいいってコトだよね?」
「……え?どう……ンッ⁉︎」
僕は壁に腕を押し当てたまま、持っていたアーリアの顎を右手でぐっと顔を持ち上げた。そしてそのまま迷わす、アーリアの唇に己の唇を重ねた。
「……っ、んっ……」
僕はアーリアのその柔らかな感触を高ぶる感情のまま貪った。
その小さな唇は甘く瑞々しく、お互いの熱で淡く溶けてしまいそうな錯覚がする。瞳をそっと開くとアーリアの潤んだ瞳と火照った頬が見え、欲情が更に煽られた。
アーリアの小さな抵抗を無視し、少し開いた唇の隙間から舌を差し込んだ。そして舌を絡めて甘い蜜を堪能する。
空気を欲して喘ぐアーリアを無視し、角度を変えて再度その唇を塞ぐ。甘い痺れが全身を駆け抜けるたび、己の中の支配欲が満たされていくのが分かった。
「んんっ……、っは……、ンんっ……」
アーリアの鼻にかかる色気のある吐息、口から洩れ出る声音、甘い蜜の絡まる水音に……理性が本能に押し負けてしまったんだ。ーーそう、頭のどこか片隅の冷静な部分は捉えていた。
でももう、僕はこの唇をーーアーリアを逃がしてやる事はできなかった。
アーリアのか細い腕が宙を掻く。細腕を掴み、もがく身体を抑え込み、細腰に腕を回して、かき抱くように抱き込む。
柔らかな身体は力を込めれば折れそうなほどか弱い。でもその身体を離してやる事などできはしなかった。
ーこの柔らかな温もりを知ってしまった今、手放す事などもう、できそうもない……ー
甘い口づけ、甘い痺れに翻弄された時間はどれくらいだっただろうか。
僕がアーリアの唇をやっと離した時、アーリアの身体は力なくその場に崩れ落ちた。細く白い腕には、僕が握りしめた手の跡がくっきりと残っている。
顔を覗くとアーリアはこれ以上なく顔を赤らめさせていて、瞳には大粒の涙を溜めていた。その涙は次第にポロポロと溢れ出し、頬を伝い、膝へ床へと落ちて行く。
アーリアのそのあまりの様子に、僕はやっと理性と正気とを取り戻した。
声もなく涙を流すアーリアの前にしゃがみこむと、震える背にそっと手を回した。「ごめん」と謝る僕の言葉に、アーリアが頷き返す事はなかった。僕はそれも当然だと受け止めた。
当たり前だ。僕はアーリアの意思を無視して、身勝手な欲をぶつけてしまったのだから。
ーこれじゃ、ユークリウス殿下より酷いじゃないかー
それでも僕はアーリアに謝り続けた。アーリアの身体の震えが止まるまで、その背を撫で続けた。
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システィナ帰国編②『本能と理性の狭間 』をお送りしました。
とうとうリュゼの理性が切れました。エステルで、かなり鬱憤が溜まっていたようです。
この後、二人の関係はどのように変わって行くのでしょうか?
次話も是非、ご覧ください!