帰国の魔女と王様
※帰国編※
「よくぞ戻られた。姫よ」
光の差し込む大広間。天井から降り注ぐ陽に照らされたステンドグラス。静寂の中、国王陛下の威厳に満ちた声は水面の波紋のように広がっていく。
「国の為とはいえ、アリア姫には異国にて大変な苦労をかけた。だが、その甲斐あって、我が国システィナと隣国エステルとの関係が改善され、長きに渡る休戦状態から停戦となる運びに相成った」
エステル帝国より自国システィナへと帰国の途についたアーリアは、王太子ウィリアム殿下の案内を受けて国王陛下の待つ大広間へと足を運んでいた。そこには国王陛下を始め、王子たち、宰相閣下、主たる大臣たちが集まっていた。
すぐに事態を察したアーリアは、伴った護衛騎士リュゼと共に膝を折った。
そして国王陛下から『アリア姫』という言葉に、アーリアはこれも『仕事』の内ーー『システィナのアリア姫』を周知させる為のパフォーマンスである事を読み取った。
「姫の働きに、心よりの感謝を」
国王陛下からの謝辞を受け、アーリアは頭の先から足の先まで身体の神経を研ぎ澄ませ、優雅に頭を下げた。
「有難く存じます。些少の身でありますれば、陛下より直々にお言葉を賜りましたこと、嬉しく存じます」
フワリと揺れた金の髪は王家の色。王族にも劣らぬ礼儀作法ーーその返礼に、大臣たちはこぞって眼を見張った。
この大広間に集まる大臣たちは国の上層部を預かる貴族たち。その為、『アリア姫』の正体は勿論、システィナとエステルとの間に起こった事件を詳細に知る者たちばかりなのだ。
『システィナの姫アリアがエステル帝国の皇太子と婚約したのだが、エステル帝国の内政不安の為に一旦帰国』
というのが表向きのシナリオ。それを裏付ける為の芝居を行う事を、当のアーリアには伝えられていなかった。だが、アーリアは見事にその役をこなして見せたのだ。
『東の塔』を預かる魔導士といえど、年若い娘ーーそれも民間にしか過ぎないアーリアの機転と実力にはどの大臣たちも驚愕し、その目を見張ってしまったのは仕方ない事だった。かく言う、この芝居を始めた国王陛下自身でさえも、アーリアの行った所作には「うむ」と言って黙ったままなのである。
「ーーアハハハハ!だから言ったでしょう?我が妹は優秀だと」
突然の笑い声はウィリアム殿下のものだった。ウィリアム殿下は国王に一礼すると大広間の中央へ進み出て、跪いたアーリアの手を取って立ち上がらせた。
「あぁ、これは失礼。ーーですが全ては杞憂なのですよ。アリアはこの状況を瞬時に把握し、全てを受け入れているのですから!」
ウィリアム殿下はまるで、自分のお気に入りの玩具ーー優秀な部下を見せびらかすように、アーリアの手を持って声高らかに言った。
「うむ、その様だな。そなたが『妹』と認めている事からも、それが分かるというもの」
王太子ウィリアム殿下ーーつまりシスティナの次期国王が認めた存在。その意味を履き違える者などこの場にはいなかった。
「試す様な真似をした事、お詫び申し上げる」
国王陛下の隣にあった宰相アルヴァンドは下段へ降りると、アーリアの前に膝を折った。すると大広間の周囲にあった大臣たちが、アルヴァンド宰相閣下に続く様に一斉に膝を折ったのだ。
「我が国はエステル帝国との和平を望む事ができた。それは『アリア姫』の働きによる所が大きい。私はシスティナ国の大臣を代表し、貴殿にお礼申し上げる」
アーリアはその光景に頭が痛くなる思いだった。アーリアは一民間人なのだ。国の大臣たちに頭を下げられる立場にない。困惑しつつ視線をウィリアム殿下に投げかけると、ウィリアム殿下はドヤ顔でこの事態をーーアーリアの功績を自分の事の様に嬉しがり、大きな態度をしているではないか。
「……頭をお上げください」
困り果てたアーリアの声にアルヴァンド宰相は下げていた頭を上げた。アルヴァンド宰相から見たアーリアは、大変、微妙な表情を浮かべていた。
ー口癖は『帰りたい』だったか?ー
『憂いを帯びた表情』とは良く言ったものだ。少なからず交流があるアルヴァンド宰相閣下からすれば、今のアーリアはどうも『お腹が痛そうな』表情に見えるのた。
ー後で文句の一つも言われそうだなー
「皆様からのお気持ち、確かにお受け取りしました。しかしこれ以上の謝辞は遠慮願います」
アーリアからの返礼を受け、大臣たちは立ち上がった。
アーリアの身は一民間人だが、その一方では『東の塔』を守る魔導士でもある。アーリアの身を守る事は国に課せられた責務。この場にいる大臣ーー貴族官僚たちはそれを蔑ろにし、貴女を危険に晒したのだ。それは国の落ち度だと言えた。
しかし、それが事実だとしても王宮がーー国が軽々と自分たちのミスを認める訳にはいかない。しかも、そのミスは王太子によって誘導された状況だったのだから尚更だ。
事実がどうであろうと、国としては望ましい結果に『事実』を捏造し、都合の良い方へと導かねばならない。それがアルヴァンド宰相閣下に課せられた『真の責務』であったのだ。
そのような事情は一民間人には理解されにくい。ーーいや、それどころか反感を買う類のものだ。
さぞアーリアは宰相の言葉に不快感を得ただろう。そう思ったアルヴァンド宰相閣下だったが、自分の目をジッと見つめるアーリアはふと、その顔に笑みを浮かべたのだ。さも『全て分かっている』とでも言いたげに。
「私からも皆様に感謝を申し上げます。皆様から暖かなご支援を賜りまして、ありがとうございまました。お陰でエステルでは恙無く生活する事ができました」
アーリアはそう言って頭を下げた。それにはアルヴァンド宰相閣下も息を飲んだ。
何故ならばこの謝辞は、アーリアからの『これで痛み分けにしましょう』との申し出だったからだ。アーリアは王宮に対して責任追及と賠償などを要求できる立場にありながら『双方貸し借りなし』という結果を選んだのだ。しかも……
「このように自分自身の身も守れぬ若輩者です。以降の采配、如何様にもお決めください」
『東の塔』の管理の任を解かれる事も辞さない。そのように読み取れるアーリアの言葉に、アルヴァンド宰相閣下は目を見開いた。ざわりと大広間に騒めきが起こるのも無理のない事だった。だが一方、注目を浴びたアーリアの表情は予想とは違い晴れやかで、その目は『王宮からの沙汰を受け入れる』と語っていた。
アーリアは帰国を前にリュゼと話し合って、自分たちに待ち受ける様々な状況を想定していた。それは勿論、アーリアが『東の塔の魔女』の任を解かれるというパターンもだ。
話し合いの中で、リュゼはアーリアの護衛の任が外れても、これまでと同じようにアーリアを守り共をすると言ってくれた。その言葉にアーリアは抑えきれぬ程の熱い感情を持った。だが、アーリアはその感情ーー想いに蓋をした。それは偏に、『リュゼの人生を縛りたくない』という願いからだった。
「それは……」
確かにアーリアが『東の塔の魔女』になった経緯は他に例がない。また、『東の塔』に《結界》を構築し管理する魔導士には貴族を当てるべきだ、との声も王宮からは上がっている。しかし今現在、『東の塔』にあれほど強固な《結界》を施せる魔導士は数少なく、また、王宮魔導士であっても『東の塔』へ代わりに行くと言う者が出ない。何故ならば、東西南北の『塔』を治める事は軍事の一旦を掌握する事にも繋がるものであり、それは王宮内の勢力図に大きな影響を持つからであった。その為、『塔の魔女』の任命には政治的な要素が多く絡まり、昨今では大変ナイーブな問題となっていたのだ。
「ではその采配、王太子たる私が受け持とう!」
誰もが固唾を飲んで佇む中で声を上げたのは、やはり王太子ウィリアム殿下であった。ウィリアム殿下は自信に満ちた笑顔でアーリアの両肩に手を置いた。緊張で先ほどから微かに震えていたアーリアは、ウィリアム殿下の手にビクリと身体を震わせた。しかも「心配するな。とって食いはしない」と耳元で囁かれてしまったアーリアは、内心ひぃっと悲鳴を上げた。
ーその笑顔に覚えがありますー
アーリアを安心させるどころか、傷に塩を塗るようなウィリアム殿下の笑み。エステルの皇太子ユークリウス殿下がアーリアに向けてきた笑顔とソックリなソレに、アーリアは背にぞくりと寒気を感じた。やはり『如何様にも云々〜』などと言わない方が良かったのではと考えた矢先、アーリアの肩を掴むウィリアム殿下の力が強くなった。チラリと背後を見やるとニッコリ微笑む麗しのウィリアム殿下と目が合ってしまい、アーリアは即座に顔をそらせた。
ー余計な事は言わなくて良いんだよー
互いに念話している訳でもないのに、アーリアはウィリアム殿下が触れている肩から、殿下の言葉が流れてくるような錯覚を起こした。
国王陛下は一連の言葉を『聞かなかったフリ』で通す事にしたらしい。泳がせていた目線を戻し、わざとらしい咳をすると、次のように続けたのだ。
「……では、エステルでの報告は明日以降に聞くことにしよう」
「私もそれが宜しいかと考えます。アリアも帰国早々、このような場に呼ばれて疲れているはず」
「そ、そうだな。では、本日はゆるりと休むが良い」
そう締めくくると、アーリアをウィリアム殿下共々大広間から追い出した。
※※※
アーリアの背を押して大広間から追い出したウィリアム殿下は、大広間の扉が閉まると同時に大きな溜息を吐いた。そしてアーリアを伴って大広間からある程度離れると、浮かべていた爽やかな笑顔を消して「あの狸どもめが」と悪態をつき始めた。
「あの、ウィリアム殿下……。私がその……余計な事を?」
「ーーん?いや、大丈夫だろう。君の発言は予測していたものだ」
「そうなんですか⁉︎」
「君の想いはある程度、ユリウスからも話を聞いていたのでね」
ウィリアム殿下は「怖がらせてしまって、すまないな」と言うと、まるで本当の妹にするようにアーリアの頭を優しく撫でた。
ユークリウス殿下とウィリアム殿下とは互いの身が隣国にあっても話が通じ合っている。アーリアがエステルでどのように生活していたか、何を考えていたか等、ユークリウス殿下はウィリアム殿下に報告していても不思議はない。
成る程と呟くアーリアを遮るように、背後から新たな声がかけられてきた。
「ーー兄上が憤りを覚えておられるのは、貴女の発言からではないよ」
「あ……ナイトハルト殿下!」
それは『北の塔』で別れたきりのナイトハルト殿下だった。ナイトハルト殿下は相変わらず煌びやで麗しく、美術館の絵画から飛び出した天使のような麗しさであった。
「貴女の元気そうな顔を見れて、嬉しく思うよ」
「ご心配を、おかけしました」
頭を下げて謝罪しようとしたアーリアをナイトハルト殿下は制した。そればかりか、アーリアの両手を取ってその胸に押し抱くと、そこへ額を押し付けたのだ。
「嗚呼、良かった。本当に……!貴女が生きてエステルへ保護されたと聞いてからも、貴女の顔を見るまでは心配でならなかった……!」
「ナイトハルト殿下……」
「あの時私がもう少し早く、シルヴィアの異変に気づいていれば……」
「それは……!殿下、お気になさらないでください」
アーリアは自分の鈍さが招いた結果がここまで大事になるとは、あの時は全く頭になかったのだ。それどころかエステルに囚われた直後は自分の心配ーーどちらかと言えばリュゼの心配ばかりで、システィナの心配も、況してはナイトハルト殿下の心配などしていなかった。
ナイトハルト殿下は「ごめんなさい」と頭を下げるアーリアの頬を掬うように上向かせると、今度は愛おしそうに頬に指を這わせた。
「貴女が謝る事は何もない」
「……はい」
アーリアはナイトハルト殿下の美しい顔を眺めている途中で「あっ!」と声をあげた。アーリアはリュゼに目配らせすると、リュゼは頷いてすぐ様、予め用意しておいた包みを持ってきてくれた。
「ナイトハルト殿下、これを……」
「これは?」
ナイトハルト殿下は瞬きを何度か繰り返した。そして、何故かどことなく照れ臭そうなアーリアから包みを受け取ると、そろそろと開けた。包みの中には美しい糸で編まれた一枚のストールが入っていた。淡い色の糸を使い幾何学模様が描かれたストールは、アーリアがナイトハルト殿下の為に選んだものだった。
「あの時、お借りしたストールは流されてしまったので……」
「あぁ……」
「よろしければお使いください」
『北の塔』訪問の祭、寒さに震えていたアーリアに、ナイトハルト殿下は自分の首に巻いていたストールを貸した。だがそのストールはアーリアがシルヴィアによって『北の塔』から突き落とされ、川に流された時に失くしてしまったのだ。
アーリアはそれがずっと心の片隅に燻っていたのだ。だからアリア姫の帰国が決まった時、アーリアはナイトハルト殿下に渡すストールを選ぶ事にした。
自分の婚約者から滅多に『お願い』や『おねだり』をされないユークリウス殿下は、アーリアが『商人を呼びたい』と言った事に嬉しがり、嬉々として皇太子宮に商人を呼んだ。
しかしそこでユークリウス殿下は、婚約者にではなく『他所の男』への贈り物を選ぶというアーリアの姿を目の当たりにした。
「なにぃ!男物を選んでいるが、それは俺の物を選んでいるのではないのか⁉︎」
「……え?違いますよ?」
「ーー⁉︎」
「では誰のモノを選んでいる⁈」
「ナイトハルト殿下へ贈る物ですよ?アレ?言っていませんでした?」
「ッーー⁉︎」
このような遣り取りの後アーリアは「ユリウス殿下にも選んで差し上げてください」と言うヒースからの言葉を受けて、ユークリウス殿下への贈り物も選んだ日の事は記憶に新しい。
「お気に召すかは、分からないのですがーーっ⁉︎」
誰かに贈り物をするのは師匠や兄弟子たちの誕生日以来であったアーリアは、頬をほんのり染めながらそう言うと、ナイトハルト殿下が突然アーリアを抱きしめてきたのだ。
「ありがとう、アーリア殿。大切にするよ」
ナイトハルト殿下はアーリアをその胸に抱き締めると、アーリアの首に顔を埋めて何度も礼を言った。
アーリアは『天使か美の神か⁉︎』と謳い讃えられるシスティナ国第二王子からの抱擁に、トキメキよりも緊張して身体を強張らせるのだった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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第3部 第1話をお送りしました。
システィナへ無事帰国!
しかし、アーリアに待ち受けていた現実は厳しく、なかなか普通の生活には戻れない模様です。
アーリアの事を一番、心配していたのはやはりナイトハルト殿下でした。命の恩人であるアーリアが目の前で突き落とされてから数ヶ月、精神が休まる日がなかった模様。兄王子とは違い繊細ですね。
新しく第3部には突入しましたが、暫くはシスティナ帰国編になるかと思います。
どうぞ気長に、暖かくお付き合いして頂ければ幸いです。
次話、リュゼが……⁉︎
是非、ご覧ください。