番外編⑤ 若木
真冬の空の下であっても燦々と陽の光が降り注ぐのは、広い帝国であってもここだけだろう。
「「リュシュタール様、これでいいですか?」」
声変わり目前の男の子の声。二人の天使の声が凛と禁苑内に響いた。
顔を上げた瓜二つの顔を持つ天使たちは、それぞれ全く違う表情を浮かべていた。一人は天真爛漫な笑みを、一人は温和な笑みを。しかし、二人の瞳に浮かぶ好奇心旺盛な光は同じ色であり、二人とも視線の先にいる青年への深い尊敬の念を隠そうとはしていなかった。
「ああ。それで良い」
天使たちの声に応えたのは天上の美の神イーネスにも遜色ない程の美貌の持ち主であった。
滑らかな白皙の肌に黄緑掛かった艶やかは金の髪、黄金の瞳からは多量の魔力が溢れ輝く。女と見紛うほど中性的な面立ちの美青年の耳は長く尖っている。
エルフのリュシュタールはその瞳に聖母のような柔らかな笑みを浮かべて、二人の天使たちにアドバイスを行う。
「こうして精霊の力を借りて水を生み出して、一日に一度雨を降らせてごらん。光を取り入れる事も忘れずに」
リュシュタールは手をかざし、水の精霊を操ると霧のような雨を降らせた。霧雨が肌に当たる様は心地が良い。リュシュタールはその金の瞳をスッと細めた。
上空からは暖かな日差しが降り注ぎ、春の陽気のような爽やかな風がそよぐ。
「これは『生命の木』から生まれた若木。厳密には精霊女王の揺り籠とは呼べぬが、それでもそれに遜色ない力があろう」
「はい。精霊の気を感じます」
「はい。精霊の息吹を感じます」
「一度は枯れた『生命の木』だが、そこから生まれたこの若木はこれから緩やかに成長し、またこの国を潤すだろう。ほんに、精霊女王も太っ腹なことを!其方らエステルの子は精霊に愛されておるなぁ……」
リュシュタールはどこか呆れた顔をして精霊女王が飛び立って行った空を見上げた。
精霊女王がこれ程固執し愛した民は、この帝国をおいて他に類を見ないだろう。
精霊は世界に力を満たし、愛を捧ぐ。
神の代理。神の御使。天上の神に代わり地上を潤す力の化身。精霊ーー妖精。
精霊には善悪がなく、あるのは『愛』のみ。それは精霊女王も同じ。だが、精霊とは本来、自分勝手なもの。愛を捧ぐ相手に相応しき者に対しては無限の愛を与えたがる。それが帝王ギルバートであったり、他の誰かであったりするのだ。
それは確かに『選ばれし者』と言えなくもない。ただ、選ばれた者が精霊の愛を受け入れられる者ならば良い。しかし、そのような力が必要でないと感じる者に対しては、要らぬお節介のように感じるだろうう。一方的な愛など、重いだけだ。
「俺は嬉しいです」
「リュシュタール様、僕も……!」
リュシュタールを見上げ満面の笑みを浮かべる二人の子どもに、リュシュタールは満足そうに頷く。そして二人の頭にそっと手を置くと、幼子にするように撫でた。
もうすぐ12歳になる二人を幼子のように扱うリュシュタール。だが、エルフにとっては人間など誰もが幼子に値する。それなりのプライドを持つ皇子たちも、リュシュタールにかかってはそのプライドも燻る事すらない。精霊の化身たる妖精ーーその最たるエルフに頭を撫でられるという行為は、エステルの民であればそれだけで胸に幸せな気持ちが広がるものなのだ。
「そうかそうか。そなたらの健やかな成長こそが、エステルの未来。輝かしい未来を作るも、気に入らぬと滅ぼすも、そなたら次第よ」
生と死は巡るモノ。生まれたモノは必ず死をーー滅びを迎える。それを受け入れる事も、生まれたモノの宿命。
そう続けるリュシュタールの言葉を二人の天使たちはいつになく真面目な表情で頷いた。
「ーーそんな所におらぬと、こちらにおいで」
「「ーーえ?」」
リュシュタールが不意に上げた声に、双子の兄弟はリュシュタールの視線の先に顔を向けた。
禁苑の入り口から入って少しの場所にその人物はいた。
薄銀色に輝く髪、花菖蒲のような輝きを持つ瞳。その長身の美丈夫は足音も立てぬ軽やかな足取りを持って、庭園の中を歩いてくる。青年の周りには様々な精霊が舞い飛んでいる。
「エヴィウス兄さま!」
「エヴィウス兄上!」
「「どうしてこちらへ?」」
双子の兄弟はリュシュタールの元を離れ青年ーーエヴィウス殿下の元へと駆けた。エヴィウス殿下は左右の天使たちの肩を優しく抱いた。
「キリュース、ラティールだけリュシュタール様とお話しするなんて、ズルイじゃないか?」
「それもそうだね!」
「それもそうだ!」
双玉が輝く。二人の少年ーーキリュース殿下とラティール殿下は輝かしい表情でエヴィウス殿下を見上げた。
「リュシュタール様、ご機嫌麗しゅうございます。弟たちのお相手をしていただいて、ありがとうございます」
エヴィウス殿下はリュシュタールの前に跪くと、リュシュタールの手を恭しく抱くようにしてから額に押し当てた。
「うむ。そなたの弟たちはほんに愛らしい。私の方がこの子らに相手をしてもらっているのだよ」
そう言ってリュシュタールは手をスウッと掲げた。リュシュタールの手の動きに合わせて風の精霊が禁苑を駆け抜けていく。
「エヴィ兄さま。僕たち、若木のお世話を任せてもらったんだよ!」
「兄上、これから俺たちがこの若木を育てていくよ」
立ち上がったエヴィウス殿下に、双子の弟殿下たちは興奮して話しかけた。
「よろしく頼むよ。帝国の宝ーー私の可愛い弟たち」
そう言うエヴィウス殿下は淡く微笑んだ。そして、そっと弟殿下たちの肩に手を置こうとした時……
「ーーだからもう、エヴィ兄上は我慢しなくていいんだ!」
「エヴィ兄さま。兄さまだけがこの帝室の闇を全て背負う事はないんです」
「ーーっ!」
双子の天使からの突然の告白に、エヴィウス殿下は瞼を押し開け、更に瞳を大きく見開いた。
二人の殿下たちはエヴィウス殿下の左右の手をぎゅっと握り締めた。
「知ってるんだ。エヴィ兄上が陛下をーー精霊に魅せられた者たちを抑えてくれていたこと」
「僕たちは子どもで、これまで兄さまたちの役には立てなかったけど、これからは僕たちも兄さまたちと一緒に帝国を支えていきます!」
「お前たち……」
それだけを呟くのがやっとの事であった。見る見るうちにエヴィウス殿下の顔がグシャリと歪んだ。悲しみと喜びと後悔が入り混じったようなその表情に、キリュース殿下とラティール殿下の顔もくしゃりと歪んだ。
「ーーだ、そうだ?エヴィウス」
そこで更なる声ーー虚空から掛けられた青年の声。それは三人の皇子たちのすぐ側から齎された。
耳なじみの良い美声に聞き覚えのある三人は、弾かれたように首を巡らした。
すると、空間の一部が蜃気楼のように揺らぎ、虹色の幕が風に押し上げられると、そこから一人の青年が姿を現した。
「ユリウス兄上!」
「どこから……」
「いつから……」
「ハハッ!俺は天才だからな?」
三人の殿下たちが驚愕な表情を見せる中、ユリウス兄上と呼ばれた青年はフフンと得意げに鼻を鳴らした。
「ふふふ。随分前からそこで眺めておったよ。そなたらの兄は悪戯が得意じゃのう」
リュシュタールはユリウスーーユークリウス殿下の存在に気づいていて好きにさせていたのだ。誰にも見せた事のないような優しい顔をして、弟たちを眺めていたユークリウス殿下を。
「エヴィウス。お前に陛下をーー帝室を任せきりにした俺が言えたことじゃないが、これからは俺がその重みを共に背負おう」
「ユリウス兄上!それでは……」
ユークリウス殿下の言葉にエヴィウス殿下は焦りの表情を見せた。これから帝位を引き継ぎ皇帝となるユークリウス殿下のその背に巨大な責任が押しかかる。その上、千年に渡る帝室の闇ーーその重みを背負うという事は、ユークリウス殿下の生命を縮め兼ねない事なのだ。
だが当の皇太子殿下はその顔にニヒルな笑みを浮かべて、こう言い放った。
「大丈夫だ。これからはお前たち三人も俺と共に帝国を支えてくれるのだろう?」
ユークリウス殿下はそう言って右腕には双子の天使を、左腕にはすぐ下の弟を抱いた。
「勿論だよ、兄上!」
「勿論です、兄さま!」
「ええ。勿論ですよ、ユリウス兄上」
三人三様の笑みがその麗しい顔に花を咲かせた。兄殿下も可愛い弟たちの笑みにつられたように笑った。
「……ほんに、帝国の宝たちは愛らしいのぉ。その魂の輝きが精霊を惹き寄せるのだろう」
リュシュタールは我が子を見守るような瞳で、四人の皇子たちを見つめた。禁苑に集う精霊たちも、そんな麗しの青年たちに惹き寄せられていく。
「精霊女王の愛したお子たち。私もそなたらを愛そう」
ー帝国の宝たちに精霊の愛をー
選別とばかりにリュシュタールは魔法を行使した。リュシュタールが左手を大きく掲げると、光と水と風の精霊が『生命の木』の若木を中心に空へと舞い上がった。すると、陽の光が燦々と差し込む禁苑の天井部分に大きな虹の橋がかかったのだ。
それはいつか、システィナの姫が夜会にて見せた風景とそっくり同じ魔法であった。
ホゥ、と誰のものとも分からぬ溜息が溢れ落ちる。
「人間とはほんに、不自由な生き物であるのぉ。自由に愛を語らう事すら、できぬのだから……」
そう呟くとリュシュタールは空気に溶けるように禁苑から姿を消した。
四人の皇子たちは天井に架かる橋を暫くの間、呆然と見つめたまま動く事はなかった。
皇子たちがリュシュタールの存在がそこにないと気づいたのは、もう少し後になってのことだ。
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番外編⑤ 若木 をお送りしました。
これにてエステル帝国編を閉じます。
エステル帝国の皇子たちを見守ってくださり、ありがとうございました!
これから第3部がはじまります。
次話も是非、ご覧ください!