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魔宝石物語  作者: かうる
幕間2《番外編》
175/491

番外編③ 皇太子殿下の片腕

 

『団長、そちらへ向かいました!』

「第三班は警戒を継続。第二班はこちらへ追い込め」

『了解』


 部下からの連絡を受け、即座にヒースは指示を飛ばす。

 使われているのはシスティナ産の魔宝具。耳飾りを模したソレには魔術《鳥》が込められている。先日、システィナへと帰国した姫が製作したものだ。自分の言葉を相手に届けるという代物で、この魔宝具の登場は部隊の連携をスムーズにした。

 比較的、システィナの魔宝具に対して耐性のある近衛第8騎士団であったが、当初はこの魔宝具の性能と使い勝手の良さに騎士たちも驚いていた。


 ーチャリ……ー


 ヒースは左腕嵌る金属製の腕輪に目を落とした。それはシスティナへ帰った魔女姫より帰国直前に渡された魔宝具であった。



 ※※※※※※※※※※



「侯爵令嬢、ですか?」

「ええ。ライニー侯爵の姪にあたるご令嬢です」

「その令嬢が何でまたヒースさんに?」

「侯爵令嬢は殿下との面会を求めておられるのですが、殿下はそのご令嬢とお会いになる事はございませんので」

「ーーああ、もう断り済みなワケね?」


 ヒースから齎された言葉にリュゼが半眼になった。


「侯爵家はユークリウス殿下との面会を無理矢理ねじ込んできました」

「……その時点で、諦めた方が良かったのにねぇ」

「それで、ヒースさんが代わりにご令嬢とお会いになるんですね?」

「ええまぁ。……私を介してユークリウス殿下と何とかお会いしようという魂胆なのでしょうが……」

「あぁ、『皇太子殿下の妃候補』ですか……?」


 アーリアも遠い目になった。

 エステル帝国一モテる男、皇太子ユークリウス殿下。彼の妃という立場を狙う令嬢は国内だけには留まらない。況してや自国の令嬢からすれば喉から手が出るほどのベストポジションだ。

 侯爵令嬢はユークリウス殿下との面会ーー所謂『お見合い』を申し込んだ。だがユークリウス殿下にはその気はなく、侯爵家側に丁寧な『お断り』を入れた。しかし、それに侯爵家側は納得を示さなかった。

 それ程までに『皇太子の妃』というのは魅力的なのだ。


「こちらから打診した事はございませんので、完全にあちらの妄想ではありますが。……恐らくそれが狙いかと」


 ユークリウス殿下の婚約者がシスティナへ一時帰国するという噂を嗅ぎつけ、機会チャンスを待っていた令嬢たちが早々に動き出した。

 ただ、エステル国内の騒動が片付かない間、ユークリウス殿下は妃を娶る事はないと断言している。その為、今、令嬢たちーーいや、貴族が事を起こすのは得策ではない。もし時勢くうきも読めず事を起こせば、当の皇太子殿下に「このクソ忙しい時期に!」とキレられた挙句、敵認定されてしまう可能性の方が高いだろう。


「エステルって、妄想癖のある方が多いですね」

「……」

「アハハハハ!姫、ソレを言ったらダメだよ〜〜」

「あ、すみません!つい本音が……」

「構いません。私もそう思いますので」


 ヒースはその立場上、大っぴらに思った事を口に出すなどできはしない。

 アーリアは信仰の違いではないかと考えた。エステル帝国は精霊をーー特別な血を持つ人間にしか見えない精霊を信仰する者が多いからではないか。言い方が悪いが、お花畑メルヘン思考な者が多いのでは、と。

 それに対してシスティナ国民はどちらかと言えば現実的思考な者が多い。魔法が浸透しない理由はそこにあるのではないだろうか。


「それでヒースさん。私は何をすれば良いですか?」

「手伝ってくださるので?」

「ええ。帰国は決まりましたが『アリア姫』の役割は未だ継続中ですよ?」

「だよね〜〜。どーもこの役割、簡単に解放してもらえないみたいだし。……あーあ、システィナに帰国したら『ハイお終い』ってなるかと思ってたのにね、ひーめ?」


 リュゼの言葉にアーリアは首を竦めて苦笑した。

 ユークリウス殿下の婚約者として大々的にお披露目までしたシスティナ国の姫アリア。システィナでは国を挙げて偽装工作まで行った結果、帰国した後もその裏付けや情報の擦り合わせが行われるそうなのだ。ウィリアム殿下の話では、アーリアはアリア姫としてシスティナ国内で周知される事となるらしい。


 そう簡単にお役御免となりそうにない現実に、アーリアも溜息しか出ない。

 システィナ国に帰国して早々にアリア姫を病死(意訳)とはできまい。時期的に怪しすぎる。ユークリウス殿下が皇帝陛下として即位すれば、アリア姫の存在を誤魔化す事も可能なのだが、今の段階では無理だ。

 アーリアはもう暫く『アリア姫』という役割に従事せねばならない事を、渋々受け入れた。諦めとも言うが。


「ヒースさんの敵はユリウス殿下の敵でしょう?ユリウス殿下の敵はシスティナの敵です」


 元々、ヒースはアーリアにこのような雑務を頼むつもりはなかったのたが、アーリアからの申し出は大変、有り難かった。


「……では、お願いできますか?」

「ええ!」


 笑顔で返事をしたアーリアに、ヒースは実に爽やかな笑みを浮かべた。

 しかしアーリアは後に、ヒースからの頼みを安請け合いした事を後悔する事になる。



 ※※※



ーーそこは帝宮内の談話室サロンの一つ。そこから軽やかな笑い声が漏れ聞こえる。


「……まぁヒース様、口がお上手ですこと……!」


 うふふと微笑むご令嬢を前に、ヒースは柔らかな笑みを浮かべている。完璧な営業微笑スマイルだ。

 ラグト侯爵令嬢サラ。ブライス宰相閣下陣営の一人、ライニー侯爵の姪。歳は17と聞くが、その厚手の化粧と香水とで二十歳以上に見えた。十代と思えぬ豊満な肉体を持ち、胸を強調する衣装ドレスで目線を誘う。背は女性にしては高い方だが、男ーー近衛騎士ともなるヒースから見れば小柄だ。見上げてくる目線は上目遣いで、可愛らしく強請ねだるような視線は充分、男の庇護欲を誘うものだろう。


 ーええ、普通ならばね……ー


 甘ったるい匂いの充満する部屋。紅茶と花の匂い。鼻をつく白粉、そして香水の香り。不快に感じるのは自分一人なのだろうか。

 ヒースは内心、嘆息しながら部屋を見渡した。談話室サロンの中にはサラ嬢とヒース、そしてサラ嬢が連れてきた侍女が一人。


「……それでヒース様。ユークリウス殿下とはお会いする事はできますの?」

「申し訳ございません。殿下は何分なにぶん、多忙でありますので……」


 甘ったるい声にヒースは不快感を表に出さずに苦笑するに留めた。


「そうですのね。残念ですわ……」


 サラ嬢は頬に手を当てて、憂いを帯びた表情でホウと溜息を吐いた。


「そういう事情ですので、私もそろそろ仕事に戻らせて頂きますね?」


 申し訳ございません、とヒースは席を立とうとしたが、その時……


「お待ちになってくださいっ」


 サラ嬢はヒースの腕にそっと手をかけた。


「……まだ、何か?」


 サラ嬢は椅子から立ち上がると、ヒースの片腕に自分の腕を絡めるように捕らえた。そして豊満な胸をヒースの腕に押し付けた。胸の谷間を強調したドレス。サラ嬢が動く度にドレスから甘ったるい匂いが立ち昇る。

 ヒースは顔を背けたい衝動を堪え、困ったように微笑んだ。


「まだ、よろしいではありませんか?ヒース様」

「いえ。私には……」

「よろしいでしょう?ユークリウス殿下は私との時間をお過ごしにならないのですから、ヒース様が殿下の代わりに私と過ごしてくださっても」

「……」


 確かにユークリウス殿下の代わりにヒースはサラ嬢の元へ寄越された。

 ユークリウス殿下の片腕であるヒースがサラ嬢の元へ謝罪に訪れる事は、殿下にできる最大の謝罪だ。これでユークリウス殿下のメンツも侯爵家のメンツも立つというもの。

 謝罪は行われた。ヒースにはこれ以上ここにいる理由はない。


「申し訳ございません、サラ嬢。私にも仕事が……」


 そこまで言ってヒースは自分の身体の異変に気付いた。くらりと頭がーー脳が揺れたのだ。次の異変は身体に起こった。何故か意識と反して膝から力が抜けていくではないか。


「これ、は……」


 ヒースは揺れる頭を押さえて膝を床についた。


「ヒースさま、如何されました?」


 サラ嬢はいかにも心配そうな口ぶりで膝をついたヒースへ寄り添った。グイグイと身体をーー胸をヒースに押し付ける度に、不快な香りがヒースの鼻を擽る。


 ー催淫作用のある香水か?ー


 ヒースが談話室を訪れて以来感じていた違和感の正体は、どうやらその類のようだ。紅茶や花、化粧の匂いに香水が紛れ、鼻が馬鹿になっていたらしい。そう冷静に考える事はできても、身体は思うようには動かない。


「まぁ、どうしましょう!具合でも崩されたのかしら?きっとお仕事のし過ぎなのね」


 まるでヒースの身体の心配などしていない明るい声音。サラ嬢はヒースの顔を覗き込むと、意識が朦朧としかけているヒースの顔にそっと両手をかけた。

 いつの間にか談話室からサラ嬢以外の気配はなく、側に控えていた筈の侍女の姿も消えていた。


「ウフフ。さぁさぁ、こちらでお休みになって」


 ヒースの目に写るサラ嬢の顔には、気味の悪い笑みが溢れている。


「大丈夫ですわ。ヒース様は何も心配せずともよろしくてよ。全てわたくしに任せてくださいまし」


 動かない身体に毒づく事もできず、ヒースは顔を歪めた。こんな時まで悪態さえつけない自分の性格が、恨めしくさえ思った。だがその時、転機は清風と共に訪れた。


「《風華》」


 ーザァァァァ……!ー


 凛とした声が談話室サロン内に響き、風が巻き起こる。その風は室内に充満する匂いを吹き飛ばしたのだ。意図的に起こされた暴風はその勢いのまま、窓を内側から外側へと押し開けた。


「『催淫作用のある香で身動きを取れなくする』ですか……?それに無味無臭の睡眠薬でも混ぜました?」

「な⁉︎ 無礼な!」


 サラ嬢の眼前に現れたのは一人の侍女であった。エステル帝宮で働く侍女のお仕着せを着ている。長い黒髪を後ろで一つに束ねた侍女は、堂々とした佇まいでサラ嬢を見下ろしている。


「何者⁉︎ 侍女ごときがわたくし談話室サロンに無断で入ってくるなど、許される事ではありませんわよ!」


 サラ嬢はヒースの腕を離すものかと掴みながら、侍女の行為を叱責する。


「侯爵令嬢ともあろうお方が色仕掛けをするなんて、ねぇ?」

「なーーッ⁉︎」


 侍女はサラ嬢の言葉を無視して談話室サロンに入室し、力なく膝をつくヒースの前まで来ると、徐に膝をついた。


「ヒースさん、大丈夫ですか?」


 侍女はヒースの頬を挟むように両手を当てた。


「ちょっとアナタ!私のヒース様に触らないで頂けるかしら」


 サラ嬢は侍女の手を力一杯は叩き落とした。パシンと乾いた音がして侍女の手はヒースの頬から離れた。

 侍女はヒースの腕を持ち上げて離そうとしないサラ嬢の顔を見上げた。


「……貴女のヒースさんではないですよね?」

「ヒッ……」


 侍女はまるで地を這う蚯蚓ミミズを見るような目でサラ嬢を見ていた。その冷たい視線にサラ嬢は思わずヒースの腕を離して後退った。しかし気の強いサラ嬢は冷たい視線だけでは引き下がらなかった。


「あ、貴女、何様のつもりなの? わたくしにーーいいえ、我が侯爵家に立てつくつもり⁉︎ 私には貴女の無礼な振る舞いを咎め、家を取り潰す事もできるのよッ」


 帝宮で働く侍女・侍従は下級・中級貴族の令嬢や令息が多い。帝宮は花嫁修業の場であったり、上級貴族との繋がりを作る場であったり、婿や嫁を探す場であったりするのだ。しかし、高位貴族である侯爵令嬢ともなると帝宮で働く事はない。

 身分制度に縛られる貴族社会では自然と上の者が下の者を見下す傾向が強く、このように一方的な叱責といった事態が起こりやすい。また、高位貴族が低位貴族を敵視して潰すといった事も実際に起こる現象であり、サラ嬢はその典型的な貴族令嬢であった。


「どうぞ」


 侍女はスッと立ち上がるとヒースを守るようにサラ嬢とヒースとの間に立つ。

 侍女の表情にはサラ嬢からの脅しに対しての悲壮感は全くない。それどころか薔薇のような唇を弧にしたのだ。


「な、にを言って……?」

「ですから、『どうぞ』と……」

「貴女、私の言っている意味が分からないの⁉︎ 貴女の不用意な言葉で貴女の家は潰れ、貴女自身も路頭に迷う事になるのよ?」


 侍女の言葉にサラ嬢は逆上したように叫ぶ。だが言われた侍女は依然、平然とした表情をしている。


「構いません。サラ様は私を貶める為に家を取り潰したいのでしょう?」

「貴女がわたくしの邪魔をするからよっ」

「私が何をしました?談話室サロンの空気を入れ替えただけですよ?」

「断りませず無断で入ってきたでしょう⁉︎」

「ここは帝宮の談話室サロン。しかもこの部屋はサラ様とユークリウス殿下が連盟で借りてらっしゃいます。でしたら、サラ様方の侍女しか入れない筈がないですよね?」

「貴女はユークリウス殿下の侍女だとでも言うの⁉︎ 違うでしょう?」


 ここでサラ様には余裕が生まれた。ユークリウス殿下の侍女はフィーネという貴族令嬢だ。他に年若い侍女はいない。それは調査済みであったのだ。しかもフィーネはユークリウス殿下の側を離れる事がない事も有名な話。令嬢同士の茶会ならまだしも、騎士のヒースに侍女が同伴する事などない。

 サラ嬢の目の前の侍女はどう見てもフィーネではない。ならば、この談話室サロンの主導権はサラ嬢とこの場にいないユークリウス殿下しかいないのだ。


「ええ。私はユークリウス殿下の侍女ではございません」

「ほら!なら……」

「私はヒース様の侍女です」

「ハァ⁉︎」


 近衛騎士に侍女がつくなど聞いたことがない。サラ嬢は鼻で笑うと馬鹿にした表情をして、侍女を指差した。


「貴女馬鹿じゃないの⁉︎ 騎士に侍女なんてつく訳がーー……」


 しかし、サラ嬢のヒステリックな叫びはそれ以上続かなかった。第三者の声がそれを遮ったのだ。


「催淫作用の香で近衛騎士ーーいいえ、ユークリウス殿下の騎士を堕とし、既成事実を作ろうとした」


 柔らかな声音。しかし、何処か冷え冷えとした声音に、サラ嬢は寒気を感じた。


「ヒースさん、もう平気ですか?動けます?」

「ええ。貴女のおかげです」


 これまで侍女の背後で膝をついた状態から動けずにいたヒースが、徐に立ち上がったのだ。足はしっかりと地面を踏みしめ、サラ嬢から見たヒースには覚束ない感じは見受けられなかった。


「なん、で……?こんなに早く解けるはずが……」


 催淫作用の香水と睡眠薬入りの紅茶によって、ヒースの意識は混濁していた。一度体内に取り込まれた成分は、そう簡単に消える訳がない。なのにヒースの表情には正気が戻り切っている。


「私の侍女はとても優秀なのですよ」


 ヒースは黒髪の侍女に蕩けるような笑みを向けた。まるで愛しい者に向けるような笑みを。その社交辞令ではない笑みを見たサラ嬢は唇を噛んだ。


「なんなのよ、貴女アナタ⁉︎」

「ただの雇われ侍女です」

「馬鹿にしてッ!」


 表情も変えぬまま淡々と答える侍女に向かって、サラ嬢は大きく手を振り上げた。その手が侍女の頬に当たる間際ーー


「不甲斐なくも一度目は見過ごしてしまいましたが、二度目は許せません」


 サラ嬢の手は、侍女の前に伸ばされたヒースの腕を打ち付けた。


「アッ……!」

「はい、サラ嬢。これで貴女の容疑は確定しましたね?」

「えっ……?」


 ヒースが何を言っているのか分からなかったのだろう。サラ嬢は振り上げた手を下ろす事もせず、疑問符を頭の上に浮かべた。


「入れ」


 誰に言った言葉なのかヒースがそう一言呟くと、一拍後に談話室サロンの外から複数の足音が響き、三拍後には複数の騎士たちが入室を果たした。


「何なの⁉︎ アナタたち」


 屈強な騎士たちに囲まれたサラ嬢は困惑の金切り声を上げた。


「サラ嬢。貴女には団長ーーいえ、ライツォーネ侯爵子息ヒース殿を暴行した容疑がございます。ご同行頂けますか?」

「なーー!何を証拠に……」

「証拠ならございます」

「お話を別室にてお聞きします。さぁ、こちらへ」

「きゃっ!離してッ、無礼者!」


 「お父様に言いつけてやるわよッ!」という叫び声と共に、サラ嬢は騎士たちに連行されて談話室サロンを出て行った。それを見送ったヒースは、再び足元をフラつかせた。


「あっ、大丈夫ですか⁉︎」


 侍女がヒースのフラつく身体を支え、椅子へと座らせた。


「ええ。貴女のおかげです、アーリア様」


 黒髪の侍女ーーアーリアは苦笑しつつも、顔色の優れぬヒースの顔を覗き込んだ。

 アーリアはサラ嬢と口論に入る前にヒースに《解毒》魔術を施した。しかし、このヒースの様子を見ると、睡眠薬の効力がまだ残っているのかもしれない。


「貴女がサラ嬢から自白を引き出してくださったので、大変助かりました」


 アーリアとサラ嬢の口論は女同士の口喧嘩のようなものだったが、逆上したサラ嬢は実によく喋ってくれた。

 ヒースに毒を盛り既成事実を作ろうとしただけでなく、割って入った侍女を侯爵家の権力を振りかざして叱責した事を含めると、ヒースを堕とす計画はサラ嬢の独断ではなく侯爵家の総意なのだという事が分かるものだった。

 サラ嬢は口論の末に『ヒースに薬を盛った』と自供までしている。別室に待機していた騎士たちにも魔宝具を通して談話室サロン内の状況が伝わっていたのだ。ここまで来ればもう、サラ嬢は言い逃れができないだろう。


「まさか、侍女の真似事をさせられるとは思ってもいませんでした」


 アーリアはヒースの手伝いをするとは言ったが、まさか『アリア姫』の役でないとは思ってもみなかったのだ。


「よくお似合いですよ?」

「……。褒められているのかな?ーーアッ!ヒースさん、血が出てますよ?」


 ヒースの開かれた掌の中には爪が食い込んだ跡があり、そこからは血が滴っていた。それはヒースが催淫作用の香水の効力に抗う為に、自分自身でつけた傷だった。


「あぁ、これは……」

「《癒しの風》」


 アーリアは血に汚れてしまう事も厭わずヒースの両手を取ると、迷わずに回復魔術を施す。

 暖かな光に包まれたヒースは、自分を癒すアーリアの姿をうっとりと見つめた。


 ーああ、貴女は本当に……ー


「ヒースさん、他に痛いところや苦しいところはありませんか?」


 傷が治ったのを確かめると、アーリアはハンカチでヒースの掌を拭きながらヒースの顔を見上げた。

 椅子に座っているヒースと立っているアーリアの背が然程変わらない為、アーリアが屈むと必然的にヒースを見上げる事になるのだ。


「……胸が苦しいです」

「ーーえ?」


 座った状態のヒースがアーリアに肩に頭を擡げたかと思うと、ヒースはアーリアの腰を素早く攫っていた。アーリアの顔はヒースの胸に押し付けられる形になる。


「あ、あの……ヒースさん?」

「胸が苦しいのです。……ですから、もう少しこのままでいてもよろしいですか?」


 ヒースはアーリアの耳元でそう囁いた。耳心地のよいヒースの声音に、アーリアの背には甘い痺れが駆け抜けていった。


「だ、大丈夫ですか?もう一度、回復魔術を……」

「アーリア、もう黙って」

「ひぁ……んっ……」


 ヒースの柔らかな唇がアーリアの耳たぶに触れ、アーリアは思わず変な声を上げてしまった。ヒースはそれにクスリと笑うと、一層、アーリアを抱き込む腕に力を込めた。


「もう少しだけ、少しだけで構いませんので……」


 ー貴女の時間を私にくださいー


 もう暫くすれば室内の様子を見に、護衛騎士のリュゼがこの部屋を訪れるだろう。アーリアは皇太子宮に帰ればユークリウス殿下の婚約者アリア姫にならねばならない。そうなれば、ヒースがアーリアを独り占めする時間は一刻もない。

 そして、もう間も無くシスティナへ帰国するアーリアとは、滅多に会えなくなるのだ。


「これが最後ですから……」


 決して実る事のない『想い』に蓋をするには、アーリアへの想いは強すぎた。


 ー貴女をここに留める事ができたなら……ー


 しかしそれは不可能ないこと。


 そう思いながら、ヒースはアーリアの暖かな温もりをその身に刻んだ。



 ※※※※※※※※※※



「団長、来ます!」

「各自対応せよ」


 ヒースは端的に指示を出すと、自らも剣を抜いた。


『団長、敵は毒を所持している可能性があります。ご注意を』

「問題ない」


 左腕に嵌る魔宝具マジックアイテムに魔力を流す。

 それはシスティナの魔女の置き土産。《万能結界》《解毒》《回復》と三種類の魔術が込められたスグレモノ。《解毒》に至っては術を改良した魔女の渾身の魔術が込められているという。この魔宝具に解けない毒はない。


「全く。貴女は優秀な魔女姫ですよ……」


 ー帰ってからも私をこのように守ってくださるのですから……ー


 ヒースは敵に対峙するには不謹慎な笑みを浮かべた。そして愛しい姫を思い浮かべると、左腕に嵌る腕輪に唇を落とした。


 ー遠く離れていても貴女を想う気持ちは、簡単に消えそうにありませんねー


 

お読み頂きまして、ありがとうございます!

ブックマーク登録、感想、評価など、大変嬉しいです!!ありがとうございます!


番外編③ 皇太子殿下の片腕 をお送りしました!

ユークリウス殿下の右腕と呼ばれる近衛騎士ヒースを主役とした回でした。彼の隠した想いは姫に届く事なく心に秘めたままです。


次話も是非、ご覧ください!



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