番外編② 理想の騎士
「ーーお慕いしております」
冬の午後の麗らかな日。
頬をほんのりと赤く染めた娘は青年騎士の琥珀色の瞳を見つめながら、心にある淡い想いを伝えた。
「リュゼ様、私とお付き合いしてくださいませんか?」
しかし、青年騎士ーーリュゼは娘の言葉に小さな驚きさえ見せなかった。仕事中である為なのか、その真面目な表情と態度を崩さぬまま、そして貴族令嬢である娘に頭を下げる事もないままに、己の意思をはっきりと告げた。
「申し訳ございません。私には姫の護衛という任務がございますので」
リュゼの言葉を受けた娘はその小さな瞳に涙を滲ませると、頭を一つ下げて立ち去っていった。
※※※※※※※※※※
「リュゼってモテるのね?」
「ぶっ⁉︎」
アーリアからの不意の一言に思わぬ衝撃を受け、リュゼはモロに噴き出していた。気管支に入った唾に激しく噎せながらもどうにか体裁を整えたリュゼは、主をジト目で見下ろした。
アーリアは何故そこまでリュゼが驚き慌てたのかも分からぬまま、手にしたカップを卓に置くと、白いハンカチをリュゼに手渡した。リュゼはアーリアからハンカチを受けとると、口元を……というよりも額の汗を拭った。
「え……と。その、どこで……?」
「どこって、昼間に帝宮で?」
「見てたの⁉︎」
「うん」
リュゼはどこか気まずそうな雰囲気を漂わせて目を泳がせた。
それはアーリアとリュゼがシスティナへの帰国が決まるまでの間の出来事。この日もリュゼはアーリアの警護の為、帝宮内のある部屋の前に張り付いていた。そこへどこからか現れた宮廷侍女がリュゼの元へと近づいて、徐に告白し出したのだ。名も知らぬ宮廷侍女からの告白をリュゼは慈悲もなく一刀の下に断った。
アーリアは丁度その現場ーーリュゼが宮廷侍女に告白されていたーーに出くわし、フィーネと共に柱の影に隠れて観察していたのだった。
「可愛い娘だったね?」
「……」
アーリアの悪気のない言葉にリュゼの目が半眼になった。
アーリアとフィーネが『その時、侍女は見た!』ごっこをしながら観察した宮廷侍女は、茶色いフワフワとした髪と同色の瞳がくりくりとした愛らしい娘だった。年はアーリアとそう変わらなかったのではないだろうか。
「そもそも、僕は彼女が何処の誰かも知らな……」
「ミドス子爵家のシーナ嬢。お年は18。趣味は手芸でございますわ、リュゼ様」
「……」
「フィーネって本当に凄いね!」
リュゼの言葉をフィーネが捕捉した。フィーネはこの帝宮で働く職員のほぼ全てを把握しているのだ。しかも爵位、経歴、趣味から人間関係に至るまでその者の経歴全てを。それにアーリアは素直に驚いて見せたが、フィーネにとってそれが『皇太子殿下の侍女』として求められる当然の能力だったのだ。
フィーネはアーリアの拍手を受け取ると頭を軽く下げた。
「帝宮はある意味『婚活の場』でございますからね?」
帝宮で働く侍女は男爵家や子爵家など低位の貴族令嬢が多い。令嬢たちは帝宮で働く傍ら、将来の伴侶となる結婚相手を探すのだそうだ。帝宮で働く騎士は貴族子弟ばかり、しかもエリートが多いので結婚相手として申し分ないのだ。またそれは令嬢たちに限った事ではなく、子息たちも同じであった。
「侍女ばかりでなく、騎士たちも同じですわ。家を新たに興す事になる次男以降の子息たちは、より良い繋がりを求めて相手方の家へ婿入りする事も少なくございませんのよ?」
「成る程!貴族社会は家の存続ありきの結婚が当然だから、だね?」
「ええ。帝宮で働く騎士は近衛ですから将来性もあって、年頃の令嬢からは大人気なのですわ」
アーリアはフィーネの言葉に一頻り頷いていた。
貴族社会の婚姻制度は平民のソレとは全く異なる。平民同士なら恋愛結婚も多く選択の幅も広い。しかし貴族同士ではその狭い範囲で自分の身分に合った結婚相手を探さねばならないのだ。しかも結婚は『家』の為であって、決して自分の為ではない。稀に恋愛結婚の末に婚姻という場合もあるが、そもそも『恋愛するに値する身分が相手に付随しているか』を見極めてからの事になるのだから、素直に『恋愛結婚』と呼べるものか、大変首を傾げる事案である。
「それならさ、僕よりも近衛騎士たちの方が結婚相手に相応しいデショ?」
「何で異国の騎士風情に声をかけるワケ?」と首を傾げるリュゼに、フィーネはフフフと楽しげに笑った。その笑い方は双子の弟ヒースと大変似通っていた。
「そうですわねぇ。近衛は騎士の中でもエリート。令嬢からすれば喉から手が出るほど魅力的な者たちですわ」
「ほら、やっぱり!」
「ですが……世の中、上手く行かないものですのよ」
「……?フィーネ、それは何故なの?」
フィーネはアーリアの問いににっこりと笑って口元に手を当てた。
「近衛騎士の中には一般的な騎士とは異なる、ある『特殊なタイプ』が存在するのですわ」
近衛騎士は騎士中の騎士。エステル帝国に於いては帝王と帝室、そして国の為に忠義を尽くす者たちの軍団だ。
第1から13まである近衛騎士団に属する近衛騎士には二種類の騎士が存在すると言われる。帝国ーー国に仕える者と、皇族の誰かを『生涯の主』と定めて仕える者とだ。前者は貴族令嬢の結婚相手に相応しい。しかし後者はそうとも言い難いのだ。
「……え?どちらも帝国の為に忠義を尽くす騎士なのだから、帝国の貴族令嬢からすれば『理想の結婚相手』になる筈じゃないの?」
「フフフ。いいえ、アーリア様。それが違いますの。主を定めた騎士は、主の為となる事以外には全く食指が動かないのですよ?」
「ねぇ?」とフィーネは意味深な笑みをリュゼに向けた。リュゼはフィーネからの笑みを受けて苦笑いを浮かべると、小さく肩を竦めた。アーリアはそんな二人のやり取りに首を傾げるのみだ。
「そんな近衛騎士を置いて、今はリュゼ様が一番人気なのですわ」
「それが僕にはサッパリ分からないね」
異国の騎士より自国の騎士の方が良いに決まっている。そう言うリュゼにフィーネは益々笑みを深めた。
「リュゼ様の言い分は最もですわ。嗚呼、誤解なさらないでくださいまし。私はリュゼ様のお気持ちを十分理解しております。けれども今この帝宮に於いてリュゼ様はーーいいえ、『システィナの姫を守る唯一の騎士』はトクベツな存在なのです」
「トクベツ……?」
フフフと笑うフィーネの笑みがーーその瞳の光に『怒気』を帯びている事に、アーリアはこの時始めて気がついた。
「令嬢の中には『夢』と『現実』を混同する者がいるようなのです……」
『姫を守る唯一の騎士』。それは夢見る令嬢にとって『物語』の中の騎士ような存在。祖国の為、主の為に一人、敵国で主を守るその姿に胸をときめかせる令嬢が後を絶たないという。
自分もそんな風に守って貰いたい!と夢見る令嬢、システィナ国に認められた優秀な騎士と繋がりを持ちたいと下心を持つ令嬢。そんなどうしようもない理由から護衛騎士をアリア姫からーーアーリアから引き離そうとする令嬢たち。その者たちを、皇太子殿下への揺るぎない忠誠心を持つフィーネは許せる筈もなかった。
笑顔の背景に猛吹雪。
これ以降、フィーネはこの件を深く語らなかった。
しかしこの後、アーリアとフィーネは更なる事態に直面する事になる。
※※※
「リュゼ様を解放して頂けませんか?」
「貴女の人生にリュゼ様を巻き込み、剰え捕らえるおつもりですの⁉︎」
皇后陛下と側妃殿下とのお茶会に参加した後、その帰り道でアーリアは『トアル令嬢たち』に囲まれていた。
皇后陛下の在わす宮ーー後宮は男子禁制であり、勿論、男性騎士が入る事は許されず、この空間を守るのは女性騎士のみであった。アリア姫の護衛騎士であってもそれは同じ扱いであり、リュゼはこの先ーー後宮の入り口で待機している事になったのだ。
フィーネは鋭い視線で令嬢たちを牽制したが、それでも令嬢たちは怯む事は愚か、易々と立ち去る事はなかった。
侍女が主人を差し置いて話す事はならない。その事をフィーネの教育に於いて教えられているアーリアは、内心そっとため息を吐いてから、令嬢たちに向き直った。
「リュゼが私を守っているのは、それが彼の『仕事』だからですよ?」
リュゼはシスティナ国の宰相から依頼され、『仕事』として『東の塔の魔女』を守っている。それがシスティナから示された表向きの理由だ。エステル帝国に来てからは『アリア姫を守る唯一の護衛騎士』という役回りを演じている。しかし、それもシスティナ国から命じられた『仕事』だ。そこにリュゼの個人的感情があろうと無かろうと、その事実は変わりがない。
だが、そんなアーリアの言葉に令嬢たちは逆上した。
「〜〜白々しい!あんなに優しく見つめられておいてっ……!」
「彼はシスティナ国宰相からの命を受けています」
「っ!姫がリュゼ様の任を解けば宜しいのではなくって⁉︎」
「私にその権限はございません」
リュゼがアーリアを守っているのは、アーリアがシスティナの東の守りを担うからこそ、護衛騎士がつけられたに過ぎない。アーリアが『東の塔の魔女』でなければ、リュゼはアーリアの護衛騎士になどならなかっただろう。それがアーリアの中の認識だった。
しかし夢見る令嬢たちからすれば、そのような事実は関係がないのだ。アーリアが語る真実は令嬢たちの苛立ちを更に深める事になったのは言うまでもない。
『麗しの騎士に一途に守られたい!』と渇望し、護衛騎士に憧れを抱く令嬢からすれば、アーリアはリュゼを独占する『悪女』であり、『自己中心的思考』の持ち主であるのだ。そして更には、システィナ国のエリート騎士リュゼを獲る上での最大の障害であったのだ。
「なんて身勝手なのかしら?ユークリウス殿下という婚約者だけに飽き足らず、リュゼ様をもその手の内に仕舞い込もうとするなんて……!」
「恥知らずな!私は姫が近衛騎士にも色目を使ってるとお聞きしましたわ!」
「まぁっ!殿下の騎士をも私利私欲で扱うなんてっ……!」
「はしたない!姫には貞操観念がないのかしら!」
令嬢たちの呆れた物言いには、さすがのアーリアも困惑しだした。色目など使った事もないーーと言うより、色目の使い方も知らないアーリアにとって、言いがかりも甚だしい。それどころか……
「私への侮辱はいくらでも聞きしましょう。ですが、リュゼや近衛騎士に対しての侮辱は控えて頂けませんか?」
アーリアは冷ややかな瞳で令嬢たちを見定めた。先ほどまでの社交辞令的な表情を一変させて、視線で刺し殺せそうな程鋭利な表情だ。
令嬢たちの言い分には当の護衛騎士や近衛騎士に対しての侮辱とも取れる言葉が含まれていたのだ。『己が主からの命を果たせぬ愚か者だ』と、令嬢たちが言ったも同然なのだ。
「なーー⁉︎」
「なんですって⁉︎」
令嬢たちは己の言った言葉の意味を正確に理解できてはいないのだろう。ただただアリア姫からの反論に怒りを持っただけのようだった。
「……貴女たちのような者にリュゼはあげられません。彼は私の騎士です」
「「ーー!」」
普段温和な雰囲気を漂わせたアリア姫からは想像もつかぬほどの怜悧な表情に、令嬢たちは驚愕を露わにした。
アーリアはリュゼを独占する気はない。リュゼ本人がアーリアの側にいる事がイヤになったのならば、いつでもその任を解くつもりだった。勿論、手続きを踏んでの事にはなるだろうが。
リュゼにはリュゼの人生があり、その人生はアーリアが勝手に左右できるモノではない。リュゼの精神も肉体も生命も……その全てがリュゼの物なのだから。
だがアーリアは、このようにリュゼの意思を尊重する事なく、それどころか自国の皇太子ユークリウス殿下の政策ーー延いては国の政策を推し量る事もなく、己が欲望の為に『アリア姫』を『護衛騎士』から引き離そうとする令嬢たちに、リュゼをくれてやる気は無かった。それに加えてアーリアが一番腹を立てていた事は、令嬢たちのこれまでの言葉にリュゼ自身の『想い』を慮る気持ちがこれっぽっちもなかった事だ。
「ハハハハ!姫は本当に嬉しい事を言ってくださる」
笑い声はアーリアの正面、令嬢たちの背後からかけられた。令嬢たちが慌てて振り向けば、そこには黒い騎士服を纏った青年騎士の姿があるではないか。
「リュゼ様……!」
「どう、して……」
令嬢たちは驚愕し、口元と手先をワナワナと震わせた。
「姫の帰りが遅いのでね……」
リュゼの背後には側妃付きの女性騎士の姿が。
後宮の廊下で突然繰り広げられた一幕に女性騎士は己が主へと繋ぎを取ったのだと分かった。更には、側妃の指示によって例外として姫の護衛騎士を案内して来たのだ、と。
「貴女たちは何か誤解をなさっておいでのようですね?」
リュゼは令嬢たちとアリア姫との間に立つと、笑みを浮かべたまま令嬢たちに優しく語りかけた。
「な……何を、でございますの?」
「アリア姫はリュゼ様の自由を束縛なさっておいででしょう?ですから、私たちは……っ!」
令嬢たちの反論はリュゼの嘲笑によって停止させられた。
リュゼの口元は微笑んでいるがその瞳は決して笑ってはいない。その事に令嬢たちはやっと気づいたのだ。
「アリア姫が僕を捕らえているんじゃない。僕が姫に囚われているんだよ?」
リュゼはそう言うと徐にアーリアの足元に跪いて、彼女の手を取った。そしてアーリアの手の甲にそっと唇を落とした。
「「ーー⁉︎」」
リュゼはアーリアの手に唇を落としたまま、その視線だけを令嬢たちに向けたのだ。
「僕を好きに扱って良いのは姫だけ。ーーそれにね、僕の心はもうココにはないんだよ。全部、姫にあげてしまったからね」
ーだからアーリア。僕が君から離れて行くことがないってコト、もうそろそろ理解してよねー
リュゼは『愛しい者』を見つめるように熱い視線をアーリアに向けた。
アーリアはリュゼの甘い視線を受けて顔が火照っていくのが分かったが、令嬢たちの手前、必死に平静を装っていた。
そんなアーリアも可愛いとでも言いたげにリュゼはニッコリ微笑むと、もうその琥珀色の瞳に令嬢たちを写す事はなかった。
令嬢たちはその様子を目にして勝算がないと知るや力なく項垂れ、素直に女性騎士たちに連行されて行ったのだった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、大変嬉しいです!!励みになります!
番外編② 理想の騎士 をお送りしました!
リュゼが異国エステルでモテモテです。
『唯一の騎士』『愛される姫』という物語要素溢れる出来事に、娯楽が少ない生活を送る貴族令嬢たちの妄想は大爆発のようです。しかし、唯一の主を持つフィーネからすれば『夢見るお馬鹿』の一言に尽きるようで。
好きな娘から他の女の子の事を語られてしまったリュゼ。リュゼのアーリアへの攻防はシスティナへ帰国しても続きそうです。
次話も是非ご覧ください!