番外編① 弟子たちの遊戯
「どーしたの?君、今日はやけに機嫌が悪いね」
バサっと音を立て置かれた書類の束。王都から届けられた書類を卓の上にやや乱暴な仕草で置いた弟子その1に向かって、師匠は見ていた書から顔を上げて声をかけた。
「どーしたもこーしたもねーっすわ!」
すると不機嫌さを隠しもせずに弟子その1は声を荒げた。普段、飄々とした態度の中にも冷静さを見せる弟子その1なのだが、今日は珍しく自分の憤りを表に出していた。
そんな弟子その1に苦笑しつつも、師匠は読んでいた書から完全に目線を上げて弟子その1の機嫌がこれ程までに降下した理由を尋ねた。だが、それは聞いてはいけない類の質問である事がその後直ぐに判明した。
「一体、何があったの?」
「……。あの姉貴がとうとうキレたんですよ」
「えッ……⁉︎」
弟子その1から齎された事実に、師匠は持っていた書をドサリと執務机に落とした。
「もう何ヶ月、アーリアが帰って来てないと思うんスか?四カ月っすよ、四ヶ月!そりゃあ、姉貴じゃなくてもキレるっすわ!」
弟子その1の言う『姉貴』とはアーリアと弟子その1の姉弟子に当たる。また同じ遺伝情報を持つ『姉』とも呼べる存在であった。
彼らはその特殊な出生から生い立ちに於いて、お互いを掛け替えのない兄妹、或いは姉妹だと思っている。末っ子に当たるアーリアに対して弟子その1と姉弟子の二人は、シスコンと呼べるレベルの愛情を持って接しているのだ。特に姉弟子はアーリアを目の中に入れても痛くない程に可愛がっているのは、ここでは周知の事実だった。
そのアーリアがトアル事情によりエステル帝国へ赴いてかは早四カ月。いや、もうすぐ五カ月になるか。その間、彼ら兄妹は強制的に互いへの接触を断たれた事になる。重度のシスコン姉弟子からすれば『アーリア不足に陥っている』という深刻な事態なのだ。
「そうだねぇ……」
師匠は笑みを貼り付けながら、その事を鑑みてその目を若干遠くした。
だがその反応が気に入らなかったのだろう。弟子その1は師匠の態度に噛み付いたのだ。
「師匠は呑気っすよね〜。アレっすか?単身エステルに転移でアーリアに会ってきたからっすか?」
「えっと〜その〜〜……」
「いーっすよね?ほんっと師匠のそーゆートコ、ズルイっすわ!」
弟子その1はジト目で師匠を睨め据えてくる。口調が棒読みの上、嫉妬を隠そうともしない。その裏から恨みと憎しみが見え隠れする。ドス黒い感情を隠しもせず八つ当たりしてくる。その態度に流石の師匠も思わずといった体で弟子その1に謝っていた。
「その、さ……ゴメンね?」
「どーせなら俺らも連れて行ってくれたら良かったっすのに!」
「いや、その、あれはさっ。ちょっと行ってパッと定期検査して直ぐに帰ってくるつもりだったからね……」
「それでも!俺も一緒について行きたかったっす〜〜‼︎ 」
アーリアの瞳は『精霊の瞳』と呼ばれる魔宝石から削り出され、魔術を付与させた魔宝具だ。その為、定期的に検査の必要があるのだ。
『精霊の瞳』は精霊を引き寄せやすい。それもそのはず。精霊女王が次代の女王に生を引き継ぎ、この世から消えるその時に遺す宝石ーー世界を見通す双玉だからだ。それは元来、人間の身には余る代物。だからこそ、それを身につけるアーリアには定期的な点検が必要不可欠であった。
師匠とてアーリアがそんなに長い間、エステルに拘束されるとは思っていなかった。そう楽観的に考えていたのだ。
よくよく考えて見れば、エステル帝国の皇太子の手助けと言うのならば、その期間は明確に定まっていない。それこそ何年もの間、拘束される恐れも十分考えられるものだった。
しかし師匠とすれば、アーリアをそのような長期間、エステル帝国に置いておくつもりはなかったのだ。
アーリアが自主的にエステル帝国へ赴いた訳ではないのだ。強制的、無理矢理、不可抗力、政治的要因……その他諸々の事情で帝国に連行され、そのまま滞在せざるを得なかったに過ぎない。
もしこれがアーリアの意思であったのならば、師匠とて何も言う事はなかっただろう。
ーアーリアが自ら、エステル帝国に残りたいと言うのならば……ー
そうアーリアが願うのなら、師匠は愛娘の気持ちを優先しただろう。
アーリアは師匠にとって可愛い愛娘だが、師匠は何と言っても彼女の保護者なのだ。愛娘の気持ちを一番に想うのは親として当然であろう。
「姉貴なんてアーリア成分足り無さ過ぎて、ちょーーイライラしてるっすよ?」
「……そんなに?」
「この間なんて、藁人形に釘打ち付けてたっす」
「何それ、怖い!」
ーそれにさ。『アーリア成分』って何?ー
弟子その1の言わんとする事がわからなくもない師匠は、思わず心の中でツッコミを入れた。そして姉弟子がアーリアに逢えないイライラ、その鬱憤を晴らす為に行っているという行為に、顔を痙攣らせた。
弟子その1は卓の上の書類を用途ごとに手早く分けながらも、その表情は険しい。しかし、師匠の質問には律儀に答えた。
「トアル国に伝わる古代の『呪い』らしいっすよ」
「ひいっ」
弟子その1から齎された情報に『やはりロクデモナイモノだったか』と、師匠はドン引きした。
弟子その1は師匠の引き具合ーーじっさい身体を捩って椅子ごと仰け反っているーーが分かっているくせに、更なる追加情報をプラスしてきた。ここまで来ると仕返しか嫌がらせだろう。
「なんでも藁で人形を作って、その中に呪いたい相手の爪か髪の毛かを入れるそうっす。そんでもって、その人形の身体に五寸釘を打ち付けると、相手を呪えるそうで……」
「……嫌に具体的に知ってるね、君?」
「姉貴から一個お裾分けに貰ったっすから、俺」
ーコトンー
「ひいっ」
掌に余る大きさのソレは使用済み藁人形であった。藁で編まれた人形に、五寸釘が何本もぶっ刺さっている。
師匠は椅子から立ち上がると、窓際まで退いた。
「ああ、大丈夫っすよ。中に何にも入れてないっすから」
「じゃぁ、なんでこんな状態に……」
「アハハ!ただの気晴らしっすよ〜!」
「そ、そう?」
「ほんっとに俺もエステルに連れて行って欲しかったっすわ。そしたら爪か髪の毛かを手に入れられたのに……」
弟子その1が『誰の』爪か髪の毛かを手に入れたがっていたのかなど愚問であった。
弟子その1の表情には影があり、口調は明るいテンションから暗いテンションへと急下降していった。そして最後には聞こえないくらい低い声音で呪いのような言葉が呟かれた。
師匠は心底『弟子たちをエステルへ連れて行かなくて良かった』と思った。
だがそこで、ハタっと師匠はアルコトに思い至った。ーーいや、思い至ってしまった。
「……ちょっと待って。最近夜中にコーン、コーンって外から聞こえていた音って……」
師匠の疑問の声に、弟子その1の唇が弧を描く。
「……。さぁ、何のことっすか?」
ゾクリと寒気が走り、急に胸の辺りがツキンと痛くなる。師匠は弟子その1の爽やかな笑顔に目が離せなくなった。
弟子その1はニッコリと笑って師匠を見つめてくる。しかし、その目からドギツイ狂気が滲み出している事を師匠は見逃さなかった。
「さ、最近、私の部屋掃除してくれたのって……?」
「俺じゃないっすよ」
サーーと血の気が引いていく。師匠は顔を真っ青にし、そして慌てふためきながら弟子その1に命令を出した。
「ちょ、ちょっと、あの娘を呼び出して!今すぐに!謝る、謝るからさっ!」
しかし弟子その1は両手を上げてハハンと鼻を鳴らした。
「なーに言ってるんすか?姉貴は師匠のお使いで王都に行ってるっすよ?ーー仕事押し付けたの、師匠でしょ?」
「ひいっ」
師匠は自分の仕事の肩代わりに、姉弟子が王都に赴いている事を思い出し、背筋を凍らせた。人付き合いの苦手な師匠は、何かと姉弟子を重用しているのだ。勿論、弟子その1も。
「……師匠、どこへ?」
「謝りに行ってくるッ」
アーリアがエステル帝国での滞在を余儀なくされたのは、決して師匠の所為ではない。だが、師匠は《転移》魔術を行使できる為、望めばいつでもアーリアに逢える環境にあった。
弟子その1と姉弟子はその事を知っている。だがそれを師匠に強請る事はない。何故ならば、それがアーリアの為にならない事を分かっているからだ。
だからと言って、師匠が弟子その1と姉弟子の気持ちを蔑ろにして良い理由にはならない。
彼ら3兄弟は我儘を言わない。その言動こそ過激な時があるが、それ以外は従順で大人しい。清く正しく生きているとも言える。それは生まれた環境、育った環境が基盤になっていた。
だからこそ、師匠にはそんな子どもたちの気持ちを汲んでやる必要があるのだった。
「っ!なら、俺も行くっス!」
ローブを翻した師匠に弟子その1は追随した。その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。師匠がアーリアだけでなく自分たち姉弟の事も見て考えてくれていると分かって。そこに愛情を感じて……
「いいけどさ、君も一緒に謝ってよね⁉︎」
「え〜〜嫌っすよ〜〜。俺はもう充分っ八つ当たりされた後っすからね!」
「そんなこと言わないでさぁ!」
「え〜〜!どーしよっかなぁ……」
扉の向こうへと、焦る師匠と楽しげな弟子その1の声が遠ざかっていった。
残された部屋ーーその卓の上にアーリア帰還の報があった事に気づくのは、彼らが姉弟子と共に王都から帰った後になる。
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番外編①弟子たちの遊戯をお送りしました。
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