別離は甘い痺れと苦い想いとを伴って
陽の差し込む玉座の間。そこではシスティナ国の姫アリアが王太子ウィリアムを伴って、皇帝陛下へと別離の挨拶を行なっていた。
皇太子ユークリウス殿下から課せられた仕事ーー玉座を得る為の手伝いをするーーを終えた今、アーリアにはエステル帝国に滞在する理由がなくなっていた。皇太子殿下の婚約者『システィナのアリア姫』はお役御免となったのだ。
しかし、仮にもユークリウス殿下の婚約者と公に認められたアリア姫(=アーリア)をそう簡単に自国へ帰す事などできない。
そこで、エステル帝国の皇太子ユークリウス殿下とシスティナ国の王太子ウィリアム殿下は一計を巡らせた。
『エステル帝国の帝宮の情勢が安定するまでアリア姫をシスティナへと戻す』
エステル帝国はシスティナ国からの叱責を受け、アリア姫をシスティナ国へ帰す事に承諾。二人の殿下の尽力によってアーリアは漸く、システィナ国へと帰る日を迎えたのだった。
皇帝陛下は階の先、玉座からアーリアをーーその虹色に輝く瞳を見るなり、何故か目を潤ませていた。アーリアはその事に気づきはしたが、どれだけ怪訝に思えども顔にも口にも出す事はできはしなかった。側に控える皇后陛下はそんな皇帝陛下をバッサリ無視し、素敵な笑みを浮かべながら和かに手を振っていた。
その一段下には皇太子ユークリウス殿下、第二皇子エヴィウス殿下、第三皇子キリュース殿下、第四皇子ラティール殿下の四人の皇子が揃い踏みしており、それぞれが似合いの笑みを浮かべながらアリア姫に別離と再会の言葉を交わした。
この日に至るまでにアーリアはエステルでお世話になった人たちに対して、一人ひとりお礼を言って回った。
特に皇太子宮の侍女、従者、職員、そして近衛第8騎士団の騎士たちに対しては、感謝の言葉が尽きなかった。
アーリアとの別れに近衛騎士たちの中には漢泣きする者まで現れた。その筆頭は言わずもがな近衛騎士カイトだった。カイトはアーリアに抱きつくと「俺の嫁になってくれ!」と叫び、即座にリュゼに蹴られていた。
逆に、第8以外の近衛騎士から礼を言われた事あった。それは飛竜騒動の折にアーリアによって助けられた騎士たちであったり、キリュース殿下、ラティール殿下を護衛を担当する護衛騎士であったりした。
皇太子宮に於いて日々の暮らしの中で一番世話になったフィーネに対して、多大なる感謝を伝えた。これまでアーリアが『アリア姫』として体裁を取って来られたのは、偏にフィーネの鬼教育の賜物だったのだ。そして皇太子殿下に於いて毒殺の心配がなかった事も、アーリアの生存を上げる大きな要因だった。
アリア姫の侍女フィーネはアーリアの手を握りしめて瞳を潤ませていた。フィーネはアリア姫の侍女を務めた期間、アリア姫への誹謗中傷の言葉を決して皇太子宮に入れなかった大変優秀な侍女であった。
「寂しくなりますわ、アーリア様」
「長い間、ありがとう。フィーネ」
「礼など……!私は侍女として当然の事をしたまでですわ」
「私が皇太子宮で快適に過ごせて来られたのは、フィーネのおかげだよ。本当にありがとう」
アーリアの所作はフィーネが仕込んだものだが、それを必死に身につけたのはアーリアの努力の結果だった。フィーネは望んだ結果を出す為に努力するアーリアの姿が好きだった。『アリア姫の侍女』は当初、主より指示された仕事だったが、今では損得なしに手助けしたいと思う程だったのだ。
「きっとユリウス殿下がお迎えに上がりますからね。それまで私はここでアーリア様をお待ちしますわ」
「うーん、それはどうかな?ユリウスにはーー次期皇帝陛下になられるユリウス殿下には相応しい令嬢が来られるから、きっともう私の出番は来ないよ」
「いいえ!アーリア様よりユークリウス殿下の妃に相応しいご令嬢などおりませんわ!」
「ありがとう、フィーネ。社交辞令でも嬉しい」
「もうっ!アーリア様。社交辞令ではありませんのに……っ!」
その遣り取りはもうすっかり『姫と姫に仕える侍女』のソレであった。もう二人は『姫』と『侍女』の間柄ではなくなるが、二人の間に生まれた絆は国を別たれた後も消える事はないだろう。
そして、アリア姫の身の安全を影より守ってくれた近衛第8騎士団と、団長のヒースに対して、アーリアは深々と頭を下げた。近衛第8騎士団はアーリアを昼夜問わず護衛してくれたのだ。特に夜間警備に於いては、暗殺者の手からアーリアを守ってくれていた。
ヒースはその虹色の瞳をとっくり見つめた。いつも真っ直ぐ視線を合わせて話すアーリアの姿勢を好ましく思っていたのだ。
ヒースはアーリアから見つめられて、自分の瞳の中にアーリアの瞳を閉じ込めるように、静かに見つめ返した。
「アーリア様。長らくうちの殿下たちがお世話になりました」
「それは私の言葉です、ヒースさん。私の方がヒースさんを初めとした近衛の皆様には沢山お世話になったのですから。勿論、私の護衛をお命じになられた殿下にも……」
「いえいえ。ユリウス殿下はああ見えて粗忽な所がございます。婚約者の役をするに当たってアーリア様には、色々と迷惑をかけたのではないかと……」
「大丈夫です。ユリウス殿下はああ見えて優しい方です。いつも私を案じてくださいました。それは私も同じーーいいえ、同じと言っては失礼ですね。私の方が粗忽者ですから。なにせ私には魔術と魔宝具を造ることしか、取り柄がありませんから」
ヒースにアリア姫の護衛を指示されたのは主ユークリウス殿下であった。しかし、主の『偽の婚約者』であり『囮 兼 駒』をユークリウス殿下の都合上、義務的に守っているのではなく、今では自らの意思で守って差し上げたいと思うようになっていた。
アーリアの『護衛騎士と共に何としてでも生き残らなければ』という願い、どれだけ利用されようがユークリウス殿下の期待を裏切る事なく、見事、『精霊女王』解放を遂げた精神、全ての経緯とそこに至るアーリアの努力を、ヒースは一個人として尊敬していたのだ。
「いいえ。貴女はしかと『アリア姫』でございましたよ?それは常に帝宮に身を置く私から見てもそう思えるほどに……」
「ありがとうございます。ヒースさんにそう言って貰えて本当に嬉しいです」
恥ずかしげにはにかむアーリアにヒースは優しい微笑を浮かべると徐にアーリアの前に跪き、アーリアの白く滑らかな手を取った。そして、その指先に唇を這わすと、手の甲にそっと口づけを落とした。それはまるで愛しい『姫』に忠誠を誓う『騎士』の一幕であった。
※※※
皇太子宮に於いてお世話になった人たちに挨拶をした後、最後にアーリアはユークリウス殿下を訪ねた。
「アーリア。それで……その……帰るのか?システィナへ」
「はい」
ここまで話すのにユークリウス殿下の言い回しは実に回りくどく、その目線は何時もの殿下らしくなく定まらず泳いでいた。だが、アーリアの迷いない返答を聞くとユークリウス殿下は一瞬押し黙ってから椅子から立ち上がり、ツカツカとアーリアの前へ足を進めた。そしてアーリアの手を取り、自分の胸に押し抱いた。
「アーリア、このままエステルに残って俺の妃になってはくれないか?」
「えっ……?それ、は……」
「勿論、『偽りの妃』ではなく『真の妃』としてだ」
ユークリウス殿下の『願い』ーーその『想い』は、アーリアにとって予想外のものだった。
ーユリウスは私を揶揄っているの……?ー
そう思うほどに、アーリアはユークリウス殿下の発言の真意を図れずにいた。
ユークリウス殿下はこれまで、アーリアの事を『システィナ国の姫アリア』という役割や駒以上に扱った事などない。そうアーリアは思っていたし、実際にアーリアの扱いはそうだった。
アーリアは『アリア姫』として皇太子ユークリウス殿下に仕える形で彼の掌の上で囮役を演じた。それはとても客人対応だったとは思えぬ程の扱き使い振りであったし、アーリアの立ち位置はユークリウス殿下の臣下のようであったのだ。何故ならばユークリウス殿下が事あるごとに口にした『俺の嫁』発言には、真実味などありはしなかったのだ。少なくともアーリアにはそう感じてきたし、そう思ってきた。
だから事ここに来て、ユークリウス殿下がアーリアを『本物の妃に迎えたい』と口にした言葉が『真実』なのか『虚偽』なのか、それが直ぐに判断できずにいたのだ。
アーリアを真摯に見つめるユークリウス殿下の瞳。アーリアはユークリウス殿下の美しい紫の瞳を見つめながら考えあぐねていた。しかし、ユークリウス殿下から齎された言葉がどのような思惑からの言葉であっても、アーリアの答えは『一つ』しかなかった。
アーリアは唇を噛み固く掌を握った。
何かを振り切るように……。
「私はユリウスのーーユークリウス殿下の妃にはなれません」
「身分の事を言うのなら、それは些細な事だ」
「身分ではありません……」
「では、お前がシスティナの『塔の魔女』だからか?それならば……」
「いいえ!……いいえ、私が……っ!」
ユークリウス殿下の熱く真摯な眼差しに、アーリアは遂に声を荒げ首を横に振った。
「私が普通の人間ではないからです。……殿下は、それをご存知でしょう?」
アーリアはエステル帝国との別れの最後まで言うつもりのなかった真実を、話した。次いで、この秘密をユークリウス殿下が気づいているという事実を、自身が気づき知っているという事を晒したのだ。
『北の塔』の魔女シルヴィアの思惑に嵌り、エステルの騎士により捕らえられ、帝宮の牢へと運び込まれたアーリアに対して『治療魔法』を施したのはユークリウス殿下だ。エステル帝国随一と噂されるユークリウス殿下の『治癒魔法』。ユークリウス殿下はアーリアに治癒を施した時、アーリアの身体が普通の人間のソレとに僅かな『違い』がある事に気づいたのではないだろうか。アーリアはそのように判断していた。
アーリアは創造主により造られし人造人間だ。人間の遺伝子を使って造られたヒトだとしても、人間と全く同一の肉体を持っているとはアーリア自身には断言できない。生殖器官こそあれど、人間のように子どもを成せるとは限らないのだ。
エステル帝国の皇帝は血を残さねばならない。正統の血を。帝室の血を。帝王ギルバートと精霊女王の血を。そこにアーリアのような人間モドキの血を混ぜる事など、あってはならない。
ユークリウス殿下の正妃は『偽りの姫』には務まらない。だからこそ、アーリアがユークリウス殿下にどれだけ乞われてもーー自身の心がどれだけ揺れようとも、一切心を靡かせてはならなかった。
しかしそんなアーリアの葛藤を知ってか知らずか、ユークリウス殿下はアーリアの手を引くと、強引にその腕の中に抱きしめたのだ。
「ユリウス……⁉︎」
「アーリア、俺はお前を愛している」
ユークリウス殿下は胸の中に抱き込んだアーリアの耳元で『愛している』と囁いた。
アーリアは信じられない想いでそれを聞いた。そして、困惑のままユークリウス殿下の胸を強く押した。しかし、ユークリウス殿下はアーリアからの抵抗を軽く押さえると、更に深く抱き込んだのだ。
「ユーーユリウス⁉︎ 何を言って……!私は……」
混乱や困惑がアーリアの胸を圧迫する。いつもなら赤面するような場面であったが、この時のアーリアは顔を蒼白にして小刻みに震えだしたのだ。
ユークリウス殿下は震えるアーリアを宥めるように身体を抱き締めるが、決してアーリアを解き放つ事はなかった。
「分かっている」
ユークリウス殿下は繰り返し「分かっている」とアーリアの耳元で囁いた。それはアーリアに言い聞かせるようでいて殿下自身に言い聞かせているようであった。
アーリアはユークリウス殿下に抱きすくめられ、身動きする事はおろか声さえ出す事が叶わなかった。
その内、耳元で囁かれるユークリウス殿下の艶やかな声音とその温かな吐息に、身体全体に甘い痺れが走り始めた。心臓が早鐘のように打ち付けられ、顔が火照っていった。こみ上げてくる様々な『想い』で胸が熱くなり、鼻がツンと痛くなった。
アーリアはユークリウス殿下の想いが嬉しくない訳ではなかったのだ。自分の事を人間と違うと知っても受け入れてくれるーーそれどころか『愛している』と胸の内を伝えてくれるユークリウス殿下の温かな『想い』に、アーリアは気を抜けば涙が出そうになるのをじっと耐えた。
「これから俺が他の妃を娶ったとしても、俺の心はお前のモノだ」
ユークリウスは愛おしそうにアーリアの頭に額に髪に、何度も唇を落とした。淡雪のように溶けて消えてしまいそうなアーリアをこの場に留めるように優しく抱き締めながら……。
心がーーこの『想い』が届くように、『愛』が届くように……。
ユークリウス殿下はアーリアが自分に対して『特別な想い』を持っていない事に気付いていた。それどころか、アーリアは誰に対しても『特別な想い』を抱く事がないという事も。アーリアは無意識の内にそういう感情を抱く事に拒否感を持ち、淡い気持ちが芽生えそうになればすぐさま蓋をし、そのまま見ないフリをしているのだ、と。
あれほど大切に想っているであろうリュゼに対しても、それは同じようであった。
ー全く、俺もアイツも報われんな……ー
同族嫌悪にも似た想いをユークリウス殿下はリュゼに対して持っていた。
同じ女を愛した男として。
「アーリア、お前を愛している。何時迄も。何処にいても」
「覚えておいてくれ」そう言うと、ユークリウス殿下はそっと口づけを落とした。アーリアのその柔らかな唇に。自分の胸から溢れる『想い』を乗せて。
身体を痺れさすほどの甘い口づけ。アーリアはユークリウス殿下に唇を塞がれて、思わずその瞳を閉じていた。目眩がするほど熱い感情に翻弄され、息もできず喘いだ。アーリアはその長くはない時をユークリウス殿下に身体を預ける事しかできなかった。
「お前の席は開けておく」
銀髪を煌めかせた北国の皇子からの甘く柔らかな口づけに、アーリアは顔を赤くして腰を抜かしてしまった。床に滑り落ちたアーリアを、ユークリウス殿下はその腰に片腕を回して支えながら愛を込めて囁いた。
「お前は俺の妃となる女だ、アーリア」
ユークリウス殿下はニヒルな笑みを浮かべながら、力強く言い放った。アーリアは赤面しながら呆然とその顔を見上げた。まるで王冠のような銀の髪を煌めかせた精霊の国の皇子を……。
皇子の名はユークリウス。千年の歴史を持つエステル帝国の皇太子にして、第58代皇帝となる男。ユークリウス殿下は『精霊信仰国家』であるエステル帝国に『魔宝具』を取り入れる事で国民の生活を安定させ、帝国の更なる進化と発展を遂げるきっかけを作った偉大なる帝王として歴史に名を残すことになる。
※※※※※※※※※※
「良いのですか?」
ヒースの呟きとも呼べる問いに、リュゼは擡げていた身体を起こした。
「……ん?何のコト?」
うすらトボケるリュゼに対して、ヒースは真顔でもう一度問い質した。
「良いのですか?貴方は彼女の『護衛騎士』なんですよね……?」
ヒースは何時もの物腰柔らかな姿勢と微笑を消してリュゼに向き直った。リュゼの方も護衛騎士としての仮面を脱ぎ捨て、何時もの胡散臭い笑みをその顔に載せていた。しかし……
「……。僕は諦めるなんて言ってないよ。今は、今だけは譲ってあげてんのっ!」
その胡散臭い笑みにはハッキリとした怒気と、ある人物への殺意が滲み出ていた。リュゼは拳をギリギリと握り、コメカミには青筋を浮かべていた。
ー相手が皇族じゃなければ、とっくに殴ってるー
それを確認したヒースは大きく嘆息し高い天井を見上げた。ヒースも隣室で繰り広げられている甘いラブロマンスに魅入る事が苦痛でならなかったのだ。
「私なら愛する者を他に譲る事など、できはしませんよ」
「はぁ……」と溜息を漏らすヒースの顔には何時もの余裕はない。どこか憂いを帯びたその横顔に、リュゼはハッと鼻を鳴らした。
「とか言っちゃって!ヒースさんも譲ってあげてんじゃん」
「……。何の事でしょうか?」
リュゼの鋭いツッコミにヒースはサッと表情と姿勢を戻すと、先ほどのリュゼと同じようにうすらトボケた。
リュゼとヒースはお互い顔を見合わせると、ハハハと乾いた笑い声を上げた。
「お互い、苦労しますね……」
「本当にねぇ……」
そして溜息と共に互いを慰め合う。
護衛騎士根性と言うものだろうか。
お互いの一番は主であり、それ以上でも以下でもないのだ。特に物心つく前から主従関係であったユークリウス殿下とヒースとでは、その『想い』は誰よりも強いのだった。
「貴方たちとひと時でも『仲間』であれたこと、嬉しく思います」
ヒースはいつもの穏やかな笑みを浮かべると、リュゼに向かって手を突き出した。
「こちらこそ!初めに捕まったのがヒースさんで良かった」
リュゼはヒースの手を取ると固い握手を交わした。最後は笑顔で別れを言うのが一番良い。
リュゼの言葉は嘘偽りのない感謝の言葉であった。
※※※※※※※※※※
単身エステル帝国へ赴いたウィリアム殿下は、エステルからの正式な謝罪と、捕らえられ保護されていた『東の塔の魔女』を連れ帰ったのが数日前。
それ以来『東の塔の魔女』はシスティナ王宮にて一時預かりとなっていた。『システィナ国の姫アリア』は偽装工作のものであったが、今やそれがシスティナ国内、そしてエステル帝国内では『事実』となっているのだ。その為、国内での偽装工作を念入りに行う必要があったのだ。
帰国したウィリアム殿下を始め、システィナ国の主だった貴族たちは事後処理に追われる日々が続いていた。
「……この度の騒動に於いて、エステル帝国より謝罪状が届いております」
アルヴァンド宰相閣下から齎された言葉と書状に、国王陛下は少しばかり目を見開いた。
「ほう。エステル帝国皇帝からか。ウィリアムもなかなかやるではないか」
「はい。やや無茶な計画であったと言わざるを得ませんが……」
ウィリアム殿下の独断による計画は、エステル帝国皇太子ユークリウス殿下と共に練られたものであった。その事を知った国王陛下は天を仰いだ。
ー我が子ながらヤルではないかー
……と。親バカと思われようが、それが国王陛下の素直な気持ちだった。
国を騙し、国王を騙し、最後には勝利を収めたのだ。そして、囚われの身であった東の魔女を見事自国に連れ帰った。いくら独断であったとはいえ、ウィリアム殿下を責める事などはシスティナの誰にもできはしなかった。
「しかし……」
このようにエステル帝国よりシスティナ国へ『謝罪の書状』を送ってくることは、外交面ではまだまだエステルが上手だと証明するものだった。
そう思う気持ちはアルヴァンド宰相閣下も同じだった。
一度くらいの謝罪で屈する大帝国ではない。エステル帝国には大国としての誇りと矜持がある、この書状はそう示されたようであった。
「それと陛下……」
「まだ何かあるのか?」
『気分でも悪いのか』と問いたいほど、アルヴァンド宰相閣下の顔色は随分と土気色だった。
「……。ユークリウス殿下が正式にアリア姫をーー東の魔女アーリア殿を妃に迎えたいと仰っておられます。その申し出が綴られた書状が此方でございます」
「なんっ……⁉︎ 」
国王陛下は噎せるように言葉を詰まらせた。
アルヴァンド宰相閣下より手渡されたその申し出を綴られた書状はなんと、エステル帝国より正式な申し出であった。国から申し出ーー要請となると、システィナには拒否権がほぼ無いと言える。
しかし、システィナはエステルに馬鹿素直に塔の魔女を差し出す訳にもいかないのが現状。ーーというより、魔女の師匠が怖くて誰もそんな事を言い出せない可能性が大だ。誰が生贄になどなりたいものか。死ぬより恐ろしい未来が待っているに違いないのだから……!
「拒否権などないではないか⁉︎」
普段、どんな案件でもその顔色を滅多に変える事のない国王陛下が狼狽える姿に、アルヴァンド宰相閣下は何とも言えない表情でコメカミを押さえた。
「……ですが、あちらも強要はできぬようです」
「……は?」
「殿下は『無理やり寄越せとは言えない』とも仰っておられますから」
「……どういう事だ?ウィリアム」
訳がわからないと言いたげに、国王陛下はエステルの事情に一番通じているであろうウィリアム殿下に問い質した。ウィリアム殿下とユークリウス殿下とは国を超えて『良き友人関係』を築いているのだ。
「ユリウスはシスティナの魔女の恐ろしさを、身に染みて知ってしまったのでは?」
「アーリア殿はエステルで何をしてきたのだ⁉︎」
アーリアは青竜討伐を経て飛竜捕獲に際し、魔術の複数行使を行なった。それはエステル帝国にシスティナ国の魔導士の有能さと恐怖を植え付けるのに、充分な効果を齎した。
またユークリウス殿下は個人的にアーリアから拘束魔術を受けた事のある身。
主従関係も解消し、一魔導士に戻ったアーリアの手綱を取る権利はユークリウス殿下にはもうない。下手をすれば、怒らせた挙句にキレられて魔術行使されかねない。だとすれば後は裸一貫、ユークリウス殿下は自分の持てる『想い』だけで勝負するしかないのであった。
「あと惚れた弱みでしょう。『強く出れない』と言っていましたからね」
『特権で無理やり妃に迎えようものなら、本気でアーリアに嫌われてしまう』、『そう考えると強くも出れない』と言うのが、ユークリウス殿下の裏表ない本音だと、ウィリアム殿下は語った。
「だから『前向きに検討されたし』としか言えなかったのでしょう。我が友人ながら何とヘタレな‼︎」
「「…………」」
不甲斐ない友人に憤るウィリアム殿下。しかし、それはこれまで本気で惚れた女がいないウィリアム殿下だからこそ言える言葉であった。
しかし、国王陛下もアルヴァンド公爵も、これまでの人生を振り返れば女性関係には少々どころか思い当たる節が多すぎて、何とも言えない表情でおし黙るしかなかった。
「女性を怒らせると怖いからなぁ……」
「で、ございますね……」
国王陛下の妻ーーつまり王妃殿下がキレて実家に報復したのだ。
シルヴィアを諌め切れなかったハーバート公爵家。シルヴィアの暴挙は国際問題に発展し、危うくシスティナはエステルとの戦争になる所だったのだ。その事に王妃殿下はいたく胸を痛められた。また犠牲になった東の魔女にも詫びられていた。
アルヴァンド宰相閣下は、亡くなった嫁がアルヴァンド公爵の女関係でキレて屋敷を半壊にしたことを思い出していた。また、最近では愛娘リディエンヌが第3王子リヒト殿下と共に、東の魔女を貶めた貴族の炙り出しに精を出していた。
火がついたアルヴァンド公爵家の者を止める事はできない。どうやら、リディエンヌにはアルヴァンド公爵家の血が濃く流れていたようで、リヒト殿下という後援者を得てその活動の幅を広げ、精力的に悪徳貴族を滅多斬りにーー狩り出しているのだ。
システィナ国は他国に比べて大きく女性の活躍が認められた国である。それはリディエンヌのような若き実力者を産むに至っている。
「ならば、この件はウィリアムに任せれば良いのではないか?」
「それがよろしいかと。ユークリウス殿下とご友人だと仰られるのならば、ウィリアム殿下にこそ一肌脱いで頂きましょう!」
汚いオトナたちはこの難しい問題をウィリアム殿下一人に押し付けた。
「陛……父上!それに宰相閣下も⁉︎ 私一人にこのような酷な任務を……!」
いきなり無理難題を押し付けられて焦るウィリアム殿下。政治脳であるウィリアム殿下にとって恋愛事は範囲外。初恋もまだな24歳。
「一度はアーリア殿の兄を名乗ったお前だ。兄として最後まで面倒を見るのが筋ではないか?」
ドヤ顔で申し付ける国王陛下に、ウィリアム殿下も『可愛い妹の為ならば』と、涙を飲んで引き受けた。
しかしその後、エステル帝国より第二皇子エヴィウス殿下からアーリアへの求婚の書状が、ブライス宰相閣下からアーリアをブライス公爵家に養女縁組の書状が送ってくる事となる。
その書状に頭痛を覚えつつも国王陛下を始め、アルヴァンド宰相閣下、ウィリアム殿下はその対処に追われる事となる。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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第二部最終話をお送りしました。
ユークリウス殿下の想いとアーリアの想いが交錯する別れの一幕。それぞれの『想い』を内包しながらエステル帝国での騒動も終幕します。
次話は番外編。
エステル帝国での話やシスティナ国へ帰国して以降の話です。個人個人がピックアップされた話、次へ繋がる話もあります。よろしければ是非ご覧ください!