帝国の未来3 謝罪
「これはどういう事か、ユークリウス殿下!」
システィナ国より王太子ウィリアム殿下がエステル帝国へと来訪したのは、飛竜の騒動から数えて約1ヶ月後の事だった。その来訪目的はシスティナ国からエステル帝国への抗議であった。
「我が国の姫に対しこのような扱い、無礼にも程がある!」
大広間に於いてウィリアム殿下は帝国の皇太子と国の上層部に当たる貴族官僚に向かって怒りも露わに声を荒げた。
「それとも何か⁉︎ 小国の姫なれば、どのような扱いをしても良いとのお考えか⁉︎」
ウィリアム殿下の怒気はまるで湯気が身体から立つようであった。その迫力と威圧に、貴族官僚の中には顔を青くする者まで現れた。
「女同士の諍いまでは理解を示そう。しかし、夜会での毒殺未遂は断じて容認できぬ!まして、まだ皇太子殿下と婚約しただけの状態の姫を竜の暴れる大山へ調査に向かわせるなどッ……‼︎ 」
ウィリアム殿下の怒気、その威圧の篭った言葉の数々に、当初は反論を覚えた貴族官僚も押し黙るしかなかった。
エステル帝国に於けるアリア姫への対応、これまで起こった事件の数々を知ったシスティナ国は、それまでの弱腰姿勢を一変させ、ついに抗議に打って出たのだ。しかしそれは考える迄もなく、システィナ国からすれば当然の怒りではあった。
アリア姫はシスティナ国、国王夫妻の養女。養女であったとしても礫とした王族の一員である。その姫を執拗に追い詰めようとした公爵令嬢や毒殺を諮ろうとした公爵は勿論、アリア姫が魔導士と知って体良く利用しようとした貴族、政治家、官僚、そしてその事態を防げなかった婚約者ユークリウス殿下に対して、システィナの憤りは最もなこと。
いくら親善目的の婚姻、実質的には人質であっても、守られなければならない人権や王族としての尊厳と言うものがある。
それもアリア姫がユークリウス殿下と婚姻を結び、正式にエステル帝国の皇太子妃であったならば、まだ良かっただろう。しかし、アリア姫はまだ婚約者という立場であり、その所属は未だシスティナ国にあるのだ。
ウィリアム殿下としては可愛い妹がそのように酷い扱いを受けていると知るやいなや、抗議をする為に直接エステル帝国へ来た事は、兄としてーー王太子として当たり前であった。
「貴殿のーーシスティナのお怒りは最もなこと」
ウィリアム殿下の抗議を受けて、ユークリウス殿下は静かに言葉を発した。
「私自身、彼女をーーアリア姫を守ると言っておきながら、実際にはこのような現状。誠に申し訳なく思う」
「アリアはユークリウス殿下ーー君の婚約者だろう?未来の皇太子妃ならば、私はアリアを君の身の内でしっかりと守って頂きたかった……!」
「何もかも仰る通りだ」
ユークリウス殿下は大帝国の皇太子。従来の帝国ならばシスティナなど小国の叱責など聞き入れる事などせず、軽く受け流していた事だろう。しかしこの度に於いて、ユークリウス殿下はウィリアム殿下の叱責を甘んじて受けていた。それどころか頭を深く下げて、『悪いのは全て自分だ』と言わんばかりの姿勢を見せていたのだ。
「帝国にも一言、申し上げたい。アリアはエステルへただ一人の護衛しかつけられぬ状態で来訪した。そのアリアをまるでエステルの駒のように扱うとはどのような要件あっての事か⁉︎ アリアは一個人では魔導士なれど、その前に一国の姫だである!その事を帝国はお忘れか⁉︎ 」
青竜の生態調査。それはユークリウス殿下の指揮の下に発動した計画ではあったが、最終的な判を押したのは皇帝陛下であった。いくらエヴィウス殿下の提案であったとしても、ユークリウス殿下の反対を押し切ってまで承認を求め、アリア姫を大山に追いやったのは議会。議会の承認と皇帝陛下の了承なくして、あのような横暴は罷り通らないのだ。
国内で厳密な情報統制が引かれていたにも関わらず、隣国システィナに情報は流れた。アリア姫のーー延いてはシスティナ国の王族を貶める数々の暴言・謀略に、システィナ国が国として抗議を行うのは当然の権利であった。
また、アリア姫の情報を耳にした国王夫妻は勿論の事、兄であるウィリアム殿下も驚愕と困惑、そして悲愴感に襲われたのは人間として、家族として当たり前の感情であろう。
「ウィリアム殿下。アリア姫へ対しての数々の愚行、その全てに対して帝国は謝罪する」
この事態を受けて頭を下げたのは皇帝陛下であった。皇帝陛下は玉座より立ち上がると階を下りウィリアム殿下の正面に立つと、冠を抱くその頭を深く下げたのだ。
一国の代表として抗議に来た次期システィナ国王ウィリアム。王太子ウィリアム殿下に対等に話す事が許された者はこの帝国に於いてただ一人、皇帝陛下のみだ。
しかしその皇帝陛下の対応に周囲は一時騒然となり、その後、誰もが口を噤んだ。
大帝国エステルが心の中で小国と侮っていたシスティナ国に対して頭を下げたのだ。これまで弱者に対して決して腰を折る事のなかったエステル帝国の在り方。それが覆るーー歴史の変わる瞬間であった。
「どうか、その怒りを収めて頂きたい」
玉座から降りた皇帝陛下は自らの言の葉を用いて謝罪を行った。その事実にウィリアム殿下は強い高揚感を覚えた。
しかし、エステルの貴族官僚たちは驚愕と屈辱を露わにした。自分たちの不始末の結果、皇帝陛下に責任を取らせた挙げ句に頭まで下げさせてしまったのだから。
「エステル帝国からの謝罪、しかと受け取りました」
ウィリアム殿下は皇帝陛下からの謝罪を受け、そう宣言した。そして更にこう続けた。
「但し、私はこれまでのようにエステル帝国を信頼する事はできません。我が妹を一旦、自国へ連れ帰らせて頂きたく思います」
ウィリアム殿下の強い意志が滲むその宣言に、貴族官僚たちは息を飲んだ。それはアリア姫の婚約者であるユークリウス殿下も同じだった。
ユークリウス殿下はきつく口を閉じ、握り拳を握った。その表情には強い悲しみ、そして苦悩が見えた。
「ユークリウス殿下ーーいやユリウス。君には申し訳なく思う。だが、これは我が国の決定なのだ」
ユークリウス殿下は胸の痛みを圧えるように胸の前で手を握ると、ようやっと言葉を舌に乗せた。悔しさに唇を噛み締め、何か強い感情を耐えるようにその瞳を伏せる。
「……ああ、分かっている。その決定に理解を示そう」
ウィリアム殿下はユークリウス殿下に歩み寄ると、その肩にそっと手を置いた。
「なぁに、アリアとの婚約を解消しろと言っている訳ではない。互いの国の情勢が落ち着き、然るべき時が来たら、またアリアを迎えに来て欲しい」
ウィリアム殿下の哀愁を帯びた表情に、友であるユークリウス殿下を想う気持ちが溢れていた。
「ーー感謝を。ウィリアム、信じては貰えぬかも知ないだろうが、アリアは私にとって大切な姫なのだ」
「ユリウス、君の言葉を信じよう。そう言って貰えると、アリアの兄としても嬉しいよ」
そう言って二人は肩を抱き合った。
そこには麗しき友情の心が溢れていた。
※※※※※※※※※※
「ーーと言うわけで。アーリア、お前をシスティナへ帰せる事になった」
窓の外には雪がちらついている。窓の向こう側、皇太子宮の庭園は一面の銀世界だ。今はもう、美しい薔薇の園は雪に閉ざされていた。
「は、はぁ……?」
アーリアは呼び出された先、ユークリウス殿下の執務室に入ってすぐそこに、システィナ国の王太子ウィリアム殿下の姿を見つけて目を見張り、更にユークリウス殿下から齎された言葉に困惑を隠せずにいた。そんなアーリアにユークリウス殿下は眉根を寄せて聞いてくる。
「何だ?嬉しくないのか?」
「いえ、大変嬉しいのですが……。なんですか?この三文芝居」
アーリアは思わず本音を口にしていた。
皇太子と王太子の手前、このような発言は不敬極まりないのだが、二人の殿下はアーリアの態度に対してとやかく言う事はなかった。
「いや〜〜実に涙を誘う一幕だったぞ?なんせ、意図せずも咽び泣いている貴族までいたくらいだ。俺の、いや俺たちの芝居もなかなかのモノだろう?」
「なっ?」とユークリウス殿下が目線を遣ると、そこには爽やか笑顔のウィリアム殿下の姿が。
ウィリアム殿下はアーリアに歩みを進めると、アーリアの手を取り、熱〜〜い視線を向けた。
「長らく待たせたな?妹よ」
「……。……ウィリアム兄さま。ご尽力をありがとうございました」
「うむ!」
アーリアからの『兄さま』呼びにウィリアム殿下は実にイイ笑顔だ。
普段、無表情を通り越して不機嫌にすら見えるウィリアム殿下は、どうにも近寄り難い雰囲気がある。システィナ王宮では一部貴族から気難しい王子とさえ思われている程だ。無論、公の場では爽やかな営業 微笑を浮かべるのは基本仕様であり、国民からは『笑顔がステキな王子様』と呼ばれ、年頃の女性からは憧れの的ではある。
だが、ウィリアム殿下は王宮や政治機関に於いてはその営業仕様を必要がない限り表には出すこ事はない。ウィリアム殿下は超のつく現実主義者。叶わない夢は見ず、意味のない事柄には力を入れない殺伐とした思考の持ち主だ。必要がないと分かると極端な程、無駄を削減していく傾向がある。
それが、今はどうだ……?
笑顔全開。好意全開。愛情全開。
妹姫アーリアに対して蕩けそうな笑みを向けるウィリアム殿下はまるで普段とは別人のようだ。
「……。ウィリアム、お前、変わったな……」
「何だ、その顔は?俺の何処が変わったと言うのだ?」
「ああ、自覚はないのか……」
「4ヶ月もの間、帝国で我が国の為に尽力した妹に対して労いの言葉を掛けるのは、兄として当然ではないか?」
ウィリアム殿下もユークリウス殿下と同じく実力主義者。今に満足せず、向上心を持ち、常に努力する者を好む。ウィリアム殿下は国の為に己を犠牲にしてでも尽くしたアーリアの姿勢を、大変好ましく思っていた。実際にはアーリアはシスティナの為ではなく、凡そ自分自身と護衛騎士リュゼの命の為に行動していたのだが、第三者から見ればそれはどちらでも同じこと。極論、結果さえ良ければ『どちらでも良い』のだ。
国の為ならば、一個人の人権など些末な事と割り切る典型的政治脳の青年二人に、アーリアは溜め息さえ出す事を諦めた。
イイ笑顔のウィリアム殿下に対し、ユークリウス殿下は「兄としてねぇ……」と呟くと、呆れ顔で机に肘をついた。
「それに何と言っても、こうして国としての面目が立った事は大変喜ばしい」
「互いに、な……」
アリア姫へ対しての粗悪対応から『システィナ国』が侮辱を受けたとのエステル帝国へ抗議。それを受けたエステル帝国はシスティナ国へ謝罪した。それによりアリア姫を手元に戻せる事になった。
エステル帝国は誘拐したシスティナ国の魔女をシスティナ国からの国賓として対応。一応の礼儀を通した。抗議に対しては皇帝陛下に頭を下げさせる事で一連の事件に幕引きを可能とした。そして穏便にシスティナ国の魔女を自国へ返す機会を得た。
この謝罪に於いて、お互いの国に大きなメリットが生まれた。
システィナ国はエステル帝国から『塔』の魔女を取り返す事に成功し、尚且つ戦争を回避できた。
エステル帝国はシスティナ国に頭を下げる事で敵対を回避し、災害で不足した食料品をシスティナから輸入する話し合いの機会を設ける事ができた。
「このまま停戦まで漕ぎ着けたいものだ」
「同意だ」
ウィリアム殿下とユークリウス殿下はお互い満足そうに頷き合う。
ウィリアム殿下は徐にアーリアに向き直ると笑みを消し、頭をスッと下げた。
「アリア……いや、アーリア殿。この度の事、本当に申し訳なかった」
「ーー⁉︎ ウィリアム殿下、頭をお上げください」
「そうはいかん。これはケジメだ」
ウィリアム殿下の謝罪に困惑するアーリアは、ユークリウス殿下に助けを求めた。ユークリウス殿下はアーリアの視線を受けて立ち上がると、アーリアの正面へと歩みを進めた。そしてユークリウス殿下もウィリアム殿下同様にアーリアに対して徐に頭を下げたのだ。
「システィナの魔女アーリア殿。私からも謝罪をさせてくれ。すまなかった」
ウィリアム殿下だけでなく、ユークリウス殿下にも頭を下げられたアーリアは狼狽えた。
高貴な身分の者が下々の者に対し、頭を下げる事はまずない。王族、皇族といった者たちは尽くされて当然の権力を持っているからだ。たとえ彼らのほうが加害者であっても、被害者である者を慮る必要はない。それが絶対的な『身分制度』というものなのだ。
アーリアは魔導士といえどただの民間人だ。平民でしかない。そのアーリアが王族、皇族、貴族からどのような扱いを受けようとも、身分の差によって彼らに文句を言う権利は勿論なく、謝罪を受けられる事など有り得ないのだ。
「お二人とも、頭をお上げください!」
その事実をこの世界の常識だと認識しているアーリアにとって、この状況は居心地の良いものではなかった。しかも超現実主義者であり、目的の為ならどんな策略でも使う皇太子と王太子が頭を下げているのだ。謝罪を素直に受け取るには無理があり、何か裏があると勘ぐってしまうのは仕方のない事だった。
何時までも頭を上げぬ二人の姿にアーリアは困り果て、情けなく叫んだ。ウィリアム殿下とユークリウス殿下は泣きそうなアーリアの声を聞いて、擡げていた頭をゆっくりと上げた。
それにホッとしたのも束の間、側に控えていたリュゼが疑問を口にした。
「因みにコレは『何に』対しての謝罪なのですか?」
一応、敬語を使ってはいるが、主たちの会話に護衛が割って入る事はご法度。
そのような事は当然、理解しているリュゼだが、それを押してでも聞かざるを得なかった。それはアーリアを守る護衛騎士としての務めでもあったのだ。
リュゼからの鋭い視線を受けて口を開いたのはユークリウス殿下であった。
「アーリアがエステル帝国へと攫われてきた事に対してだ」
アーリアはユークリウス殿下の言葉に眉を潜ませた。どう言う意味かを考え出したアーリアを他所に、リュゼの表情は益々、険しさを増していく。
「あぁ、そう。やっぱ、そういうコトなのね……」
「……⁉︎ それって……まさか……」
得心がいったという顔をするリュゼにアーリアはハクハクと口を開け、困惑の声を上げた。
「全ては初めから仕込まれていた。そういうコトですよね?殿下」
この『殿下』はユークリウス殿下とウィリアム殿下、どちらの者にも対応していた。現にリュゼはユークリウス殿下とウィリアム殿下、その両方に目線を走らせている。
リュゼの挑発的な目線を受け、ユークリウス殿下とウィリアム殿下は真面目な顔を一変させた。なんと口角を吊り上げたのだ。
何もかもを見通す笑顔と威圧的な瞳。それは正に王者の名に相応しい佇まいと言えよう。
「ああ。お前の言う通りだ、リュゼ」
「アーリアがエステル帝国に来ることになった事件は、我々二人が意図して起こしたのだから」
それはアーリアにとって衝撃的な事実だった。
目を見開くアーリアに対し、ユークリウス殿下とウィリアム殿下の二人はそれすらも想定内と言わんばかりの表情をしている。
「そして、この結末も我々二人が望んだものだ」
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帝国の未来3をお送りしました。
ユークリウス殿下とウィリアム殿下の、二人の告白は次話に続きます。
次話も是非、ご覧ください!