帝都混乱3
エステル帝国は精霊を神と崇める『宗教国家』だ。教会では精霊女王を象った石像や四大精霊を幾何学模様で表した図など、偶像崇拝を是としている。教会の教皇の座は皇帝が兼務され、国家の長はエステル帝国皇帝だと臣下に知らしめていた。
宗教で治めているエステル帝国は、教えによって統治を図っていた。帝宮を中心に権力のピラミッドを形成し、秩序の維持を行なっている。
階級制度によって統治しているのはシスティナ国だ。身分制度、そして法律によって国民を律している。
英雄によっての統治しているのは軍事国家ライザタニア。ライザタニア国では優れた人間が民を導いているという。
精霊こそが尊いとするエステル帝国。
法律こそが尊いとするシスティナ国。
武力こそが尊いとするライザタニア国。
三国は相違点は異なる歴史の集まり。
このように信じる価値観、崇めるべきモノが違う故に互いの思想感を『相容れぬもの』と拒絶し、争いになるのは、多様な人間と多様な文化の集まる人間社会に於いて、諚の様なものかも知れない。
※※※※※※※※※※
ードォン……ー
外部から齎される騒音そして振動は、帝宮の隠されし禁苑にも少なからず影響を与えていた。
「父上、聞こえますか?この音が」
「何が起こっている?ーーいや、何を起こしたのだ?ユークリウス」
それまで無表情を貫いていた皇帝陛下の眉根がかすかに動いた。その眉は怪訝な表情を作り、その瞳は皇太子を見定める。
「私がこの事態を引き起こしたのではありません。皇帝陛下、貴方が引き起こしたのです」
「何を……?」
ユークリウス殿下の言葉に皇帝陛下は不信感を露わにした。
「お聞きになっておられますよね?大山に住まう竜族が暴走している、と。」
「それが?」
「竜族の暴走。その原因が何にあるか、陛下はもうお気づきでしょう?」
「……」
帝王ギルバートの生まれ変わり、帝王の再来とも言われる帝国随一の力をーー『精霊に愛されし血』を持つ皇帝陛下。皇帝陛下が帝国における精霊濃度の上昇や妖精の気質の変化に気づかぬ筈がないのだ。
「聡い者ならば既に、帝国の変化に気づいているでしょう。我が国の精霊濃度、その密度がいかに濃いかを」
「帝国の精霊濃度が高いのはここに『精霊の木』があるからに他ならぬではないか?」
「ええ。しかし濃すぎるのですよ。我々帝室の者が精霊避けの護符をつけねばならぬほど、この帝宮内の濃度は高い」
産まれ出でてから生涯を帝宮で暮らす皇族にとって、帝宮の精霊濃度の高さは慣れたもの。精霊と共に生まれ、精霊と共に死ぬエステルの皇族。そして高位貴族。自然と精霊の気への耐性は他国の者より強い。しかしそんな皇族、高位貴族が精霊避けの護符をつけねば精霊酔いを起こしてしまうような今の現状は、非常に可笑しい。建国以来の不可思議な現象なのであった。
「精霊に善も悪もございませんよ、陛下。それは言い換えれば、精霊とは人間にとって毒にも薬にもなると言う事ですから」
「だから?」
「それは竜族にも言えるのです。ーー帝宮には飛竜がおります」
「外の騒ぎは飛竜が原因か?」
「ええ。しかし原因は陛下、貴方です。貴方が捕らえて離さぬ『精霊女王』。女王に集まる無増の精霊たち。それらが精霊濃度を高め、また飛竜の暴走に繋がっているのですから」
『生命の木』が騒めき、泉がサワサワと波打つ。精霊たちが泉の周囲に集い、舞い狂う。
「陛下。『精霊女王』を解放して頂きたい」
「それはできぬ。女王のチカラは我が国の繁栄の為に必要だ」
「帝国は女王の力がなくとも立ち行きます。いえ、立ち行かねばならないのです!」
『精霊信仰』をユークリウス殿下の手によって崩させる訳にはいかない。皇帝陛下にはそのような想いがあった。
帝国建国より千年。エステル帝国は常に精霊と共にあった。精霊を信仰し、神の加護を求めた。その人間の想いに呼応するかのように、精霊はエステルの土地を潤した。
だが近年、エステル帝国の精霊濃度が下がり始め、精霊による加護が大幅に低下したのだ。それは作物の実りに直結した。
ユークリウス殿下は精霊の力こそ全てとするエステル帝国のやり方を根本から見直そうとしていた。時代に合わせた生き方を模索し始めたのだ。
しかしユークリウス殿下の行おうとしている政策のいくつかは、『精霊信仰』を瓦解させかねない。根強い精霊への信仰、盲目的な国民たち。
エステルの民はユークリウス殿下を裏切り者と罵るだろう。それ程に帝国の国民は『変化』や『変質』を嫌う気質を持っているのだ。
だからそこ皇帝陛下はもう一度、エステル帝国を精霊の力で繁栄させようと考えたのだ。少なくともユークリウス殿下には皇帝陛下の思惑がそうだと読み取れた。自分の父親は曲がりなりにも千年続いた大帝国の皇帝。皇帝陛下が己の利害のみで事を起こす筈はない、と息子であるユークリウス殿下は確信にも似た想いを持っていた。
「ーー私からもお願い申し上げる、陛下」
親子二人だけの空間に割って入ったのは、意外な人物だった。
「ブライス宰相……どうやってこの場へ…… 」
帝室に連なる者にしか禁苑の扉を開く事ができない。いくら宰相とはいえ、この場に来る事が許される立場ではない。
「「私たちがお連れしました、父上」」
「キリュース、ラティール。お前たち……」
「殿下方に『お願い』されましてね。無碍に断る事などできますまい?」
ブライス宰相閣下の生白い目と乾いた笑顔に対し、キリュース殿下とラティール殿下は大変イイ笑顔だ。どんな風に『命令』したのか気になる所だが、ユークリウス殿下は気づかぬフリをした。
ブライス宰相は笑みを消し、表情を真顔に戻すと皇帝陛下を前に跪き、臣下を代表して奏上申し上げた。
「ーー陛下。帝国は近年、無増の危機に晒されております。昨年の大旱魃、大寒波に続き、今年の豪雨、洪水。竜の暴走……」
国内は食料危機に見舞われ、貴族は領地の経営に奔走。税収の増加。余波は貧困層を直撃。食料調達の為に他国との貿易拡大。ライザタニア国との関係悪化。システィナ国との関係不和。……等々、様々な問題で政治は大荒れだ。更にはここに来て竜族の暴走まで加わった。
「ただ事ではない事態に我々、陛下の忠実な臣下も気づいております」
このような未曾有の自然災害は半生を官僚として過ごして来たブライス宰相閣下としても始めて体験であった。このままでは食料問題による農耕一揆や国内紛争にまで発展しかねないとさえ考えていた。
「ーー嗚呼、ここは素晴らしい。美しい庭園だ。このように秘された場所に『生命の木』が存在していたのですね」
ブライス宰相閣下は眼前に聳え立つ巨木、咲き乱れる花々、清涼なる空気、数多の精霊が語らう地上の庭園を前に感嘆の声を上げた。
本来ならば皇族ーーそれも帝王ギルバートに連なる濃い血を持ち者しか入れぬ禁苑だ。教科や建国記で『生命の木』について学んではいてもその存在を直に見る事は、帝国貴族であっても一生叶わぬ事なのだ。例えそれが大帝国の宰相を務める身であったとしても。
「天の国への入口は槐の木の下に。精霊世界への入口は精霊樹の下に」
ブライス宰相閣下の含みを帯びた呟きに、皇帝陛下はハッと息を飲んだ。
「陛下、事態の収拾を平にお願い申し上げる。これは我々、帝国の官僚ーーいいえ帝国の民一同の想いでもあります」
ブライス宰相閣下は自分の言葉が己個人の意見ではなく、エステル帝国民の総意であると告げた。
「ブライス宰相。お前は皇帝を裏切り、皇太子につくと申すのか?」
「裏切るも何も。私は陛下の忠臣であると共に帝国の忠臣でもあります。帝国がこのまま滅びるのを、私は良しとはできません」
ブライス宰相閣下は『穏健派』。帝国を『精霊信仰』によって統治する事を是とする模範者だ。『精霊信仰』を壊す危害のあるモノを嫌う傾向にあり、ユークリウス殿下が推し進めようとしている『魔宝具』の輸入には反対姿勢を示している。
しかし、ブライス宰相はユークリウス殿下の政策を何が何でも批判したい訳ではないのだ。そして更には、ブライス宰相閣下はユークリウス殿下の前を見据えた姿勢に、一目も二目も置いている一人でもあった。
「帝国は滅びぬ」
「ええ。私も、このまま何もせず滅び行く帝国を眺めている事など、できはしません。ですから陛下ーー父上にこうして直にお願い申し上げているのです」
ユークリウス殿下は強い意志を持って皇帝陛下を見据えた。同じ彩色を持つ親子は真っ向から対面したその時……。
「ーー嗚呼、成る程。そなたら一族の願いは良く分かった。しかし妖精族にはトンと与り知らぬこと。特に今代の精霊女王には関係がないとは思わぬか?」
天上からの御告げかとも思える柔らかな美声が、皇帝陛下と皇太子殿下の耳にはっきり届いた。跪いていたブライス宰相閣下は立ち上がり、皇族二人を庇うように立ちはだかる。
「ーー⁉︎ 」
誰のモノとも知れぬ息を飲む音。何とも言えないぬ緊張感が高まりゆく。
ーさく、さく、さく……ー
雲の上を歩く神か女神のような優雅な足取りでその青年は現れた。
黄緑かがった金の髪に黄金の瞳。天上の神々かと見まごう整った容姿。白く透けるような肌。そして長く尖った耳。
「エルフ族……?何故このような場所に……。それに……」
「……アリア姫……」
エルフ族の青年の後ろから、エヴィウス殿下にエスコートされたアリア姫が現れたのだ。
「私がお連れしました。陛下、兄上」
エステル帝国第二皇子エヴィウス殿下は皇帝陛下の前に一度、頭を垂れ、エルフ族の青年とアリア姫にその場を譲った。
「エヴィウス!そなた……⁉︎ 」
皇帝陛下はここに来て初めて声を荒げた。しかしエヴィウス殿下は皇帝陛下の怒気に首を竦めるだけであった。
「……なぜ、戻った?アリア」
ユークリウス殿下はアーリアをその視界に入れるとその表情を硬くした。次いで出た言葉には苦い物が混じっていた。
ユークリウス殿下はアーリアを責める気持ちでそう言ったのではない事を、アーリア自身はすぐに理解できた。ユークリウス殿下の瞳にはアーリアの身を案じる気持ちが滲み出ていたからだ。
「精霊女王を解放する為に戻りました」
キッパリと言い切るアーリアの言葉にユークリウス殿下は「そうか」と一言だけ返した。
「できれば、このような場にお前を巻き込みたくはなかったのだがな」
ユークリウス殿下の言葉には苦悩と悲哀とが入り混じっていた。
アーリアの身柄をエヴィウス殿下、延いては皇帝陛下が狙っている。その身に流れる精霊を引き寄せる血。『精霊に愛されし者』。『精霊の瞳』を持つアーリアを手に入れる為に。その事をユークリウス殿下は早々に気づいていた。
しかし皇太子を取り巻く情勢が、アーリアを守るに相応しい環境を整え難くしていた。だからこそユークリウス殿下はアーリアを敢えて囮と使ったのだ。
「ユークリウス殿下。勝手をして、申し訳ございません」
「……許す」
ー守りたいのに守ってやれぬのは歯痒いものだな……ー
ユークリウス殿下の眉が歪に歪む。その表情にはアーリアを一個人として大切に想う気持ちが滲んでいた。
精霊女王を解放した結果、国民の拠り所である精霊の加護や恩恵は薄れていく可能性が考えられた。
そんな渦中にシスティナの姫ーーそれも『精霊の瞳』を持つアリア姫がエステル帝国に残ったならば、どうなるだろうか。拠り所を失った帝国民はアリア姫をどのように扱うだろうか。
帝宮に担ぎ上げられ偶像崇拝の的とされるかもしれない。或いは己が物にしようと攫われ、監禁されるかもしれない。
ユークリウス殿下はそれらを考慮し、できる限り、アリア姫に宗教絡みの噂や話を耳に入れてこなかった。そうして置いて、裏ではアーリアの身を狙う宗教団体の策謀を潰していたのだ。
「エヴィウス、いつもすまんな」
「構いません。私は兄上の代理ですから……」
「神党は?」
「今は動いておりません」
エステル帝国内に於ける『精霊信仰』は多数の派閥から成る。聖精神会、神聖精霊党などは特に過激な思想を持ち合わせている宗派だ。精霊魔法こそが神から与えらた力、魔法を扱う者を真の信徒とし、魔法の扱えぬ者は人間ではないと奴隷か家畜のように差別し、迫害しているのだ。
貴族の中にも同じような思想を持つ者、神聖精霊党に属する者は少なからず存在する。中にはアリア姫の拉致を計ろうと行動を起こす者たち、執拗にアリア姫とユークリウス殿下を引き離そうと画策していた者たちもいた。
『精霊信仰』とザックリ一括りに考えていたアーリアにとって『神党』とは馴染みのない言葉であった。
アーリアはユークリウス殿下とエヴィウス殿下の顔を交互に見遣った。するとエヴィウス殿下はアーリアの耳元で囁くように、少しだけ説明してくれた。
「この国には危ない宗教団体が沢山あるんだよ。ほら、レイカル領主がそうさ。彼は君を攫おうとしてただろう?」
「ああ。あの人たちが……?」
「そう。兄上はアリアをご自分で守るおつもりだった。でも、少し計画が狂ってしまったんだよ」
ユークリウス殿下もまさか青竜の暴走がここまで本格化するとは、思っていなかったのだろう。しかもその暴走が飛竜にまで範囲を広がってしまうとは、想像の範囲外だったに違いない。
「私は兄上の代理さ」
本来、大山調査にはユークリウス殿下が来るつもりだったと聞いている。それを止められたが為に、代わりとばかりにエヴィウス殿下が手を挙げた。あの出来事にはこのような思惑があったのだ。
「黙っていてすまなかったな。出来るだけ穏便に済ませたかったのだが……上手くは行かぬものだ」
それだけ言うとユークリウス殿下はエルフ族リュシュタールの前に跪いた。
「エルフ族のお方とお見受けします。私はエステル帝国皇太子ユークリウス」
リュシュタールは物憂げな表情でユークリウス殿下を見下ろす。
「リュシュタールと申す。私は精霊女王を解放する為にこの場に参った」
リュシュタールの言葉に皇帝陛下がたじろぐのが見て取れた。その美しい容貌には暗い影が落ちている。
リュシュタールはスッと黄金の瞳を細めると、まるで唄うように言の葉を紡ぎ出した。
「そなたがエステルの皇帝か?」
「如何にも」
皇帝陛下はリュシュタールの黄金に光る眼光を正面より受け……その大いなる愛をーー慈悲を受け、深紫の瞳を大きく見開いた。
「長き血の連なり。精霊を愛する一族。精霊の血を宿す者。精霊に愛されし者。頂に冠する者よ。精霊女王を解放せよ」
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帝都混乱3をお送りしました。
皇帝陛下と四人の皇子、宰相、エルフ……と揃い踏みです。それぞれが己の役目を果たすべく働いています。
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