※裏舞台15※ 皇帝と皇太子
聳え立つ大木。天井から降り注ぐ陽の光を浴び、葉が青々と輝いている。梢が風に揺れ、青葉がサワサワと音を立てている。大木の根本には清水を湛える泉。その畔に銀の髪をたなびかせた美丈夫が佇んでいた。
「あの者は大山か……?」
「はい。陛下のお命じに応じて」
銀の髪の美丈夫ーー皇帝陛下の言葉にユークリウス殿下はごくあっさりと言葉をかえした。
皇帝アルフレッド陛下とユークリウス殿下の周りには、幾多の精霊が飛び交っている。どの精霊も二人を愛おしそうな表情で見つめ、擦り寄り、愛を語っている。
「陛下……いえ、父上。何をお考えですか?」
精霊たちと愉しげに戯れていた皇帝陛下は息子ユークリウス殿下の言葉に、少々憂鬱そうに身体の向きを変えた。ユークリウス殿下に向き直った皇帝陛下は質問に質問で返した。
「……何とは?」
「国を想っておいでなのですか?」
「勿論だ、我が息子よ。私は国を第一に想っている。精霊と共にある帝国を」
皇帝陛下の瞳は恋する乙女のような煌めきを持っていた。皇帝陛下が『精霊信仰』を誰よりも熱心に取り組んでおられること、精霊に生涯の愛を捧げられていることを、この帝国の国民誰もが知っている。勿論、ユークリウス殿下もだ。皇帝陛下はエステル帝国唯一の教皇。民を導く指導者でもあるのだから。
「精霊には善悪など有りはしませんよ」
ユークリウス殿下は盲目的にまで精霊を信仰する皇帝陛下に対して、過ぎるほど冷めた目線で語った。その目線は冷たく凍った氷柱のように、その切っ先は人を簡単に傷つけてしまうだろう。だが、どれほど威圧のこもった視線を向けられようと、皇帝陛下はそれに何ら臆する事などありはしなかった。
「そうだな。だが、精霊には『愛』がある。精霊が人間に惹かれ、人間は精霊に惹かれる。そこには『愛』があるからであろう?」
「『愛』ですか?」
「そうだ。大いなる愛だ。我らエステル帝国の皇族には、偉大なる帝王ギルバートと聖なる母、精霊女王との血が流れているではないか?」
血で血を洗う大戦の末、エステル帝国を建国した帝王ギルバート。彼は時の精霊女王を味方につけ、多民族入り乱れる大陸を平定した。帝王ギルバートは『精霊に愛されし者』であったそうで、四大精霊はじめ、光、闇、陽、月、星……あらゆる精霊を従え、強大な精霊魔法を駆使したそうだ。また帝王ギルバートと精霊女王とは種族を超えて愛し合ったとされている。その子孫が現皇帝を始めとする帝室ーー皇族たちなのだ。
種を超えた愛ーー更にはその間に子どもを設けるなど眉唾物の逸話だが、ユークリウス殿下にはその法螺話を完全に否定する事が出来なかった。何故ならば、千年前に帝国に存在したとされる精霊女王の遺品の数々がこの帝宮には残されているからだ。そして、その一つ『生命の木』が立つこの空間ーー禁苑に入る為には、帝王ギルバートと精霊女王の血が必要とされている。そこに足を踏み入れる事ができる時点で、ユークリウス殿下には、帝国の様々な逸話を否定する事はできなかったのだ。
「ですが……」
「何だ……?不満でもあるのか?帝国に於いて『精霊に愛されし者』がどれほど価値があるのか、それが分からぬお前ではなかろう?」
「分かっては、おります」
「ーーだから私はあの者を娶るの事を許した。あの者ーー『精霊の瞳』持つ稀なる娘、『精霊に愛されし者』を!」
「やはり、父上は……」
知っておいでだったのですね? と、ユークリウス殿下はそこまでは口にする事はできなかった。
皇帝陛下はアリア姫を本当の姫だとは思ってはいない。ユークリウス殿下はそう確信にも似た思いを持ってはいた。システィナの魔女ーーつまり民間人が『精霊の瞳』を持つ『精霊に愛されし者』だと言う理由だけで皇族との婚姻を許されたというのは、皇帝陛下の思惑あってのことーー例えば後で此方の思惑を潰す上でのミスリードではないのか、とも予測してはいたのだ。
それがまさか本当に『精霊の瞳』を持つ者だから、『精霊に愛されし者』だこらという理由だけだったとは、ユークリウス殿下にも思いもよらなかった。そこまで帝室は、精霊からの恩恵に固執していたのだという信じたくない事実。更には、今初めて皇帝陛下の口から知らされる帝宮の真実という名の闇を目の当たりにして、ユークリウス殿下は眼前が暗くなる思いだった。
「あの者が何処の誰であったとしても、あの特別な瞳の前では些細なこと。帝室は『精霊に愛されし者』を歓迎する」
「それ程までに帝室は……!では何故、エヴィウスを彼女に接触させたのですか⁉︎ 」
「何故とは可笑しな事を言う。あの者を逃さぬ為ではないか。私はあの者を帝室に迎えるのならば、誰が娶っても構わぬと思っているのだから」
「っ……!」
「だが、エヴィウスは己の意思であの者に接触したようだがな。我が最愛の息子ユークリウスよ、あの者が大切ならば己が力を示せばよい」
皇帝殿下は暗にユークリウス殿下に『力なき皇太子になど不要』と告げたのだ。皇太子と名乗るのならば、己が婚約者を守り切れるだけの力を示せ、と。そう現実を突きつけられたユークリウス殿下は唇を噛み、手を強く握りしめた。
「それで……?お前は婚約者の扱いについて抗議しに参ったのか?」
「いいえ。私はエステル帝国の未来についてお話しに参りました」
「ほう……『未来』とはまた大きく出たな?皇太子よ。そなたはこの帝国をどのように導きたいのか?」
皇帝陛下は『ユークリウス』と言う名ではなく『皇太子』と呼んだ。個人ではなく帝国の次期皇帝として問われたユークリウス殿下は、下腹に力を込めた。
「今の帝国では精霊なくしては生きては行けません。私はその在り方を変えたいのです!」
帝国千年の歴史。その在り方を変えたいと言う皇太子に、皇帝陛下は顔色を変える事なく問いを更に重ねた。
「どのようにしてだ?そのような政策、お前は可能だと思うのか?」
「可能にします。精霊魔法のみではなく新たに魔術や魔宝具を取り入れ、国民の生活の足場を固めたいのです。そして……」
ユークリウス殿下が更なる政策構想を口に乗せようとした時、皇帝陛下は徐に手をかざしてユークリウス殿下の言を唐突に打ち切った。
「そうか。どこまで何を企んでいるのかは知らんが、お前の思惑が成功する事はない。帝国は千年という長き年月を精霊と共に歩んできた。それをーーその在り方を変えるなど、出来はしまい」
「ーー何故です⁉︎ 」
皇帝陛下はユークリウス殿下の構想そのものを否定した。それは否定的思考を通り越して絶望的でいて悲観的な迄停滞した思考であった。皇帝殿下の指導者としての姿勢、その言動に対して、ユークリウス殿下は思わず声高に叫んでいた。
「お前は甘く見ている。帝国と精霊との結びつきを。ユークリウス、我が愛しき宝ーーお前の中に流れる血を。お前は産まれた時からこれまで『常に』精霊と共にあったのだ。そんなお前が精霊と離れて生きていけるとでも、本気で思っているのか?」
皇帝陛下を始め、皇族・貴族は息をするかのように魔法をーー精霊を扱っている。
産まれ出た時から側にある隣人。
『精霊がいない生活など想像できるのか?』と皇帝陛下はユークリウス殿下に現実を突きつけた。
ユークリウス殿下は精霊のいない生活など体験した事がない。それに加え、これからも精霊と共にあるという確信すらあるのだ。
勘違いされがちだが、そもそもユークリウス殿下は精霊と魔法を全否定したい訳ではない。エステル帝国に於ける『精霊と人間との在り方』を変えたいのだ。
「ですが、このままでは帝国は間違いなく滅びます!」
「帝国は滅びぬ。精霊がいる限り」
「民は!国民はどうなります……!我が国は皇族・貴族ばかりが優遇され、国民は常におざなりになっております!彼らの生活はーー命はどうなるのですかっ」
「お前は皇族、帝室の一員だ。精霊の加護なき者など帝国の民とは言えぬ」
「ならば何故⁉︎ 何故、他国を征服するのですか⁉︎ 他国に争いを仕掛け、戦争を起こそうとするのですかっ……!」
皇帝陛下の言を鵜呑みにするならば、彼は精霊の加護を受けられない民間人の全てを切って捨てた事になるのだ。ユークリウス殿下はそのような考えに同意する事などできず、堪らず堰を切ったように問いかけた。
国民一人ひとりの生活になど興味がないのならば、何故、他国に侵略を繰り返すのか。侵略した国の在り方を全否定し、全てをエステル帝国に取り込むのならば、自国民となった民間人の生活を帝国が見るのは当然ではないか。民間人の中には精霊を見る事が叶わず、魔法の扱えぬ者も大勢いるのだ。その者たちをどうやって食わせていくのか。エステル帝国にはそのような者たちが既に何万人も溢れかえっているのだ。
だが、皇帝陛下の答えはユークリウス殿下を更に絶望させるものだった。
「帝国を豊かにする為。『精霊信仰』を広める為。精霊から愛を得る為。ーー全ては精霊と共にある帝国の未来の為だ」
「ーーーー!」
ユークリウス殿下は皇帝陛下の言葉に全身を震撼させた。その震えは憤怒によるものなのか屈辱によるものかは、判別がつかないものだった。
「意気がってはいるがユークリウスーー我が最愛よ。お前は帝国の皇太子だ。お前は帝国で誰よりも『精霊信仰』の恩恵を受けている。そのような者が下々の民に対しどのような未来を見せるのか?」
幼子に言い聞かせるような口調で、皇帝陛下は皇太子に向けて静かに語り始めた。
「精霊の加護を受けるお前の言葉に、何人の国民がついて来るというのか……?」
「それは……!」
エステル帝国で一番精霊の加護を受けて育った皇太子ユークリウス殿下。飢える事も寒さに震えてる事もなく育った皇太子。そんな皇子様に誰がついて来ると言うのか。ーーそう問われれば、今のユークリウス殿下に明確な答えを口にすること、明確な言葉を持ち得なかった。
握った拳を震えさせる皇太子の肩に皇帝陛下はそっと手を乗せた。
「ユークリウスよ。お前を慕う精霊たちが集っているのが見えるか?精霊の愛が分かるか?」
ユークリウス殿下と皇帝陛下の周囲に集まる異様な数の精霊たち。火の精霊、水の精霊、風の精霊、土の精霊……自然界のありとあらゆる精霊がこの場に集っているのではないかという錯覚さえ起こしそうなほど、ここは精霊で満ちた地上の楽園であった。
「ユークリウス、お前は特別な人間だ。精霊に愛されし者だ。それに疑問を持つでない……」
暫く俯いて、己の言葉が皇帝陛下に全く伝わらない現実に力なく項垂れていたユークリウス殿下は一度瞑目すると、スッとその瞳を開いて、皇帝陛下の紫瞳を見つめた。
「父上……。精霊は人間の営みや生活など関係がありませんよ。『愛』は……あるのかもしれません。しかし、ただそれだけです。愛で腹は膨れないのですよ……」
『愛ではお腹は膨れない』
これはアーリアの言葉であった。彼女紡がれる言葉は正に『民の言葉』であった。
ユークリウス殿下でも最近忘れがちになるのだが、アーリアは姫ではなく魔導士ーー民間人だ。いくら『精霊の瞳』を持ち『精霊に愛されし者』であっても、システィナに於いてそれを特別視され優遇された事は今までないという。
アーリアは魔導士であり魔宝具職人。システィナでは己の才覚を持って金銭を稼ぎ、地に根ざした生活を行なっていた一民間人にしか過ぎない。
『愛ではお腹は膨れない』とは、何と殺伐とした考えか、と初めて聞いた時はそのような感想を抱いたユークリウス殿下であったが、最近では実にその通りだと認識を改めていた。そしてその事に気付いた時は、自分がまだまだ帝室の考えから脱していないのだと知り、落ち込んだものだった。
ー愛で腹が膨れるのなら、この国の民は誰も飢えてはいまいー
精霊魔法の使えぬ低所得層は奴隷のような扱いを受け、日夜食うや食わずやの生活に追われている。それがこの国の実情なのだ。
千年の間に肥え太った帝国は、土地と国民を持て余している。精霊魔法の扱えぬ民が生きるには大変辛い国なのだ。このまま戦争により占領地を増やして行けば、自ずと立ち行かなくなるのは目に見えている。何とかそれを食い止め、打開策を打ち立てるのが、次代を担うユークリウス殿下の使命であった。
「皇帝陛下、帝国の精霊を解放してください」
ユークリウス殿下は己と同じ色の瞳を食い入るように見つめた。皇帝陛下もまた同じようにユークリウス殿下を見つめ返してきた。
「ならぬ。そのような事をすれば、帝国そのものが崩壊してしまうではないか」
「もう崩壊は始まっています。それを止める事はできません。陛下もーー父上もお気づきでしょう?貴方はこの国の誰よりも精霊についてご存知なのですから」
ここで初めて皇帝陛下の表情に変化が生まれた。能面のようにその美しい相貌を一片も崩さなかった皇帝陛下は、眉と目を潜め、困惑の表情を見せたのだ。その瞳は寂しさに満ちたものだった。
「『生命の木』も鳴いています。もう寿命なのですよ」
「違う!」
「違いません。いくら精霊の力を借りた所で、それは付け焼き刃にしかなりません。父上は……本当は、随分前から分かっておいででしたでしょう?」
『生命の木』。初代皇帝ギルバートが精霊女王と共に苗木から育てたとされる聖なる木だ。精霊の気を豊富に蓄え、放出する大樹。『生命の木』には、神聖な気を求めた精霊が集い、その精霊は国に富をもたらす。
だがその聖樹が朽ち始めている。しかもそれはこの十年、急速に加速していたのだ。一旦朽ち始めた木は精霊の力を持ってしても再生する事はなかった。
当たり前だ。『生命の木』はとうの昔に枯れる運命にあっなのだから。それを無理矢理、繋ぎ留めてきたに過ぎないのだ。
「陛下、もう一度申し上げます。帝国の精霊をーー精霊女王をこの地より解放してください」
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、大変有り難く、毎日拝んでおります!
ありがとうございます!
裏舞台15をお送りしました。
皇帝と皇太子による初めての親子喧嘩です。
ユークリウス殿下は皇帝陛下に反発して反面教師のように育ったと思われます。
外見は兄弟の中で一番似ていますが、中身はまるで違います。
親子喧嘩の終着点はどこにあるのか?
次話も是非ご覧ください!