大山と精霊8 大山調査
大山にほど近い国境の街レイカル。そこはまさに軍事都市であった。
大山を挟んで南側はシスティナだ。エステル帝国とシスティナ国とは現在長期に渡る停戦中。十年前に両国は休戦条約を結び、以来、国同士の交流が増え貿易も行なっている。表向き良好な関係が築かれつつある両国であったが、十年経った今も終戦とはなっていないのは現実問題、そこに至るまでの課題が山積みだからだ。
つまり二国間は戦争状態が継続してい状態にある。その為、両国は軍事境界線でもある大山を挟んで睨み合いを行なっているのが現状だった。
レイカルの街には軍事施設が点在している。エステルの一般騎士である青騎士団の一団も駐屯し、飛竜を駆り戦う騎士団『空挺部隊』の大規模な基地が常設されている。街の周りを堅牢な石の壁が取り囲み、街中は迷路のように入り組んでいて、そこは如何にもな城塞都市と化していた。
昨晩、レイカルへ到着したエヴィウス殿下率いる調査隊は一晩の休息の後、早朝より領主の館、その会議室へ集まっていた。
調査隊の目的は『大山に住まう青竜の生態調査』だ。システィナから齎された情報の裏付けでもあった。
当初、システィナからの情報には信憑性があまりなく、調査もあっさりと終わる予定だった。その為、環境省の長である環境尚書は信頼できる近衛騎士を大山へ派遣し、単身で青竜の生態を確認させた。しかしそこで予想外の事態が起きている事が発覚する。大山に住まう青竜が『同族喰い』をしていたのだ。
報告を受けた皇太子ユークリウス殿下はこの異常事態に対し危機感を覚えた。そして更なる調査を環境省に命じた。またその事態のマズさに、より確実な情報を得る為、より確実な判断を下す為に自身の目での確認を欲した。しかしそれは彼の立場が許さなかった。その為にユークリウス殿下の代理として派遣に赴く事を、エヴィウス殿下自ら手を挙げられたのだった。
「ーーという訳で、アリア姫はここでお留守番してね?」
「……えっ⁉︎ 」
調査隊により大山への青竜調査の段取りを話し合っていた環境省の職員と騎士たち。その話の最後にエヴィウス殿下はアリア姫(=アーリア)に向けて笑顔で宣った。
「留守番ですか……?」
「そう。お留守番」
「ここまで来て留守番ですか?」
「そう」
じゃあ何故連れて来られたのか?とアーリアの脳内には疑問符が大量発生したのは言うまでもない。
まさかあの夜会の為に連れて来られたのか⁉︎ と昨晩の夜会を思い出して、アーリアは更に怪訝な表情を表に出した。
その疑問符だらけのアーリアにエヴィウス殿下は苦笑した。
理由を話す気のないエヴィウス殿下に代わり、エヴィウス殿下の隣席にいた環境省の職員が律儀に説明をしてくれた。
「アリア姫を雪の積もる大山、その山中にお連れする訳には参りません。ですので、まず我々だけで調査を行い、その後アリア姫のご意見を頂きたく存じます」
アリア姫はシスティナ国の姫、王族だ。王族の姫は戦時中でもない限り荒事には関わる事などない。『箱入り』とは良い表現ではあるが、真実は『世間知らず』という言葉に尽きる。
その世間知らずの姫を雪山になど連れてはいけぬ。『アリア姫』とは、周囲よりそのような評価を受けているのだと悟った。
「足手まとい、ですか?」
アリア姫から齎された呟きに、環境省の職員の表情が揺れた。
「そうは申してはおりません。しかし、姫はユークリウス殿下の婚約者であられますので……」
「怪我でも負われては困る、と」
「……ええ」
アリア姫の先々を見通した言葉に、環境省の職員は一瞬たじろいだ。冷や汗交じりに眼鏡を上げる。
「そうですか……。私の覚悟がその程度だと思われたのですね……」
アリア姫から冷え冷えとした空気が流れ始めた。口元こそ笑みを浮かべているがその瞳は静かな怒りに満ち、少しずつ威圧が込められていく。
「私に『大山の調査に同行せよ』と命じられたのは皇帝陛下です。そして調査の指揮を執られているのはユークリウス殿下、そして代行であるエヴィウス殿下です。私は王族として、ユークリウス殿下の婚約者として、そして皇帝陛下より命を賜った者として、大山の調査に加わりたく思います」
アーリアは笑顔を崩さぬまま、その場にいる調査隊のメンバーに向けて言い放った。アリア姫の口から出た思わぬ言葉に、環境省の職員は押し黙り、騎士たちは厳しい姿勢を崩しはしなかった。
「それに皇帝陛下の命を受けたにも関わらず何もせずおめおめと帰るなど、私にはできません。ユークリウス殿下の顔に泥を塗る事になりますもの」
目をそらさずに言い切れば、環境省職員の一人はアリア姫の魔力による威圧に押されたように目を逸らした。
緊迫した雰囲気の中であってもただ一人、エヴィウス殿下だけは普段と同じ笑みを崩さずにアリア姫の顔を見届めていた。
「姫はそう言ってるけど、君たちはどうなの?」
エヴィウス殿下の言葉に環境省職員ではなく、向かいの『空挺部隊』隊長が口を開けた。
「アリア姫、雪山は女性の足では困難な道なのですよ。それに我々が赴く竜の巣には青竜の群れがいる。そして報告通りなら青竜は普段より凶暴化していると思われる。そのような場所であってもまだ、アリア姫は『参加する』と言えるのですか?」
隊長は脅すような口調でアリア姫に迫った。ガタイの良い鳩胸や上腕二頭筋に力がこもり、話すたびに筋肉を震わせた。しかしアーリアはそのような事で臆したりなどしなかった。
「では、私からもお聞ききしたいのですが、貴方たちはもし凶暴化した青竜が襲い掛かって来る事があれば、どうなさいますか?」
「勿論、対処致します」
「対処、とは?」
「武器と魔法を駆使し、青竜を追い払います」
「追い払うのみですか?己や仲間の命ーーエヴィウス殿下の命が危機に晒された時でも、貴方はそうなさるのですか?」
鸚鵡返しのようなやり取りにとうとう隊長は声を荒げて身を乗り出した。
「何が仰りたい……⁉︎ 」
「貴方たちは青竜を『殺せますか』?」
「ーー!」
エステル帝国は精霊国家だ。国民の誰もが精霊を信仰している。そして精霊の化身であるとも言われる竜もまた、精霊と同じように神聖な命だと崇めている。だから例え青竜によって命の危機に陥る事があっても、青竜の命を絶つ事ができないであろう。
アーリアはその意味を込めて、隊長に再度問いかけた。
「貴方たちエステル帝国の国民は信仰により青竜を殺す事はできない。違いますか?」
隊長はアリア姫の言葉に身震いした。
アーリア(=アリア姫)は隊長から視線を外さずに、更に話を続けた。
「ーーですが実際に青竜と対峙すれば、そのように悠長なことは言ってはおれないでしょう。青竜には人間の善悪など関係がないですからね」
「貴女ならどうなさるのか⁉︎ 私どもよりよっぽどひ弱に見える貴女に、何ができるのかッ」
隊長の嫌味と怒気の含んだ言葉にアーリアではなく、アリア姫の護衛として背後に控えていたリュゼの気配が少し動いた。
「殺しますよ」
「なーー⁉︎ 」
「何を驚く事があるんですか?当然でしょう?私は竜よりも自分の命の方が大切ですから。勿論仲間の命も」
アーリアの答えに部屋に集まっていた調査隊の顔色が変わった。特に『世間知らずの箱入り』だと馬鹿にしていた面子の顔色は青から赤に、そして赤から青に忙しなく転じた。
そんな中であっても笑みを絶やさず、不敵な表情を見せていたエヴィウス殿下は、堪らずといった風に笑い出した。
「あははは!さすがシスティナの姫だ」
「笑い事ですか、エヴィウス殿下っ!」
「笑い事だよ。君たちはアリア姫をタダのお飾りの姫だと思ってたんでしょう?だけど彼女はシスティナの姫なんだよ。これくらいの事でビビってたら、単身敵国に嫁になんて来れないよね?」
嫁に来たくて来た訳ではないが、とアーリアは嘆息した。この面子にそれを愚痴っても仕方がない、とアーリアは小さく首を振った。
「エヴィウス殿下、お聞きしたい事があるのですが?」
「なんだい?」
「この国で青竜ーー竜族を殺す事は禁じられていますか?」
宗教上の理由から竜族の殺害が禁じられていたならば、アーリアは引かねばならなかった。もし、アーリアが竜を殺す事で何らかの罪に問われる事態になるならば話が変わってくるのだ。
「いいや、禁じらてはいないよ。竜族を殺しても罪には問われない」
「安心しました。殿下、お答え頂きありがとうございました」
エヴィウス殿下の答えにアーリアはホッと胸を撫で下ろした。
「それで、君たちはどうするの?もう私たちの負けだと思うけど……」
エヴィウス殿下が首を潜めると、隊長を中心とした騎士たちは厳つい顔に笑みを浮かべ始めた。
「ええ。我々の負けです。アリア姫、貴女の同行を許可しましょう」
それまでの印象を払拭させた隊長の雰囲気と言葉に、アーリアは嗚呼と言葉をこぼした。自分は初めから試されていたのだと知ったのだ。
「……これって、初めから仕組まれていました?」
「さて、何のことでしょうか?我々騎士が王族を謀るような真似など、できる訳がございませんでしょう?」
「そうですか……。では、改めてよろしくお願い致します」
アーリアはあっさりと頭を下げた。
「あの、それでですね。もう少し青竜へよ対処方について詰めておきたいのですが……」
「そうだね。それに隊の編成も決めなきゃならない」
エヴィウス殿下の号令で、話し合いは再開した。
先ほどのやり取りにより、武官である『空挺部隊』の騎士たちは概ね、アリア姫に対して含む所はないようだったが、文官である環境省職員は少し面白くはなさそうな表情だった。しかし彼らも帝宮で働く官吏の一員。表立って文句を言ってくる事はなかった。
隊の編成に於いては、調査隊は三つの班に分ける事となった。
第一班は地上から竜の巣を目指す。
第二番は上空から竜の巣を目指す。
第三班はレイカルの街で待機し、第一第二の連絡と補助を行う。
第一班は環境省職員を中心に編成し、第二班は空挺部隊を中心に編成がなされた。アリア姫とエヴィウス殿下は第二班に組み込まれた。
今回の調査隊の任務は、事前報告の確認と青竜の生態の変化、その原因の究明であった。
それから2日後。快晴の空の下、調査隊の任務は開始された。
青竜が住まう大山へと向け調査隊は一度、麓の村まで飛竜に乗って向かった。そこで第一班の地上組と第二班の空組とに分かれるのだ。
第一班は青竜の巣のみを目的地に定め、ひたすらに足を進める。地上には青竜の他、魔物に遭遇する可能性がある。その為、地上戦を得意とする青騎士から護衛がついた。
第二班は青竜の巣へ向かいつつ、大山を空から調査する。地上組よりも体力的に楽な任務だが、青竜やワイバーンといった他の竜族に出くわす可能性もある。
どちらの班も調査不可能な危険な状況だと判断したならば、すぐさま相手の班に連絡を取りつつ退却する事が許されていた。調査とは一回だけで終わらず、何らかの答えが出るまで数日から数週間かかるとされた。
アーリアはエヴィウス殿下の飛竜に乗って、雪に包まれた大山を上空より眺めていた。上空からならば何もかもが見通せるだろうとは思っていたならば、大間違いであった。真っ白に積もった雪に隠れた山肌に於いて、小さな動物や魔物、穴倉に隠れた竜などを見つける事は容易ではなかったのだ。
「動物は……さすがにいませんね?」
「冬眠の季節だからね。魔物も同じだよ。アレらも動物と同じように冬眠するモノもいるんだ」
「そうなんですか?」
命の成り立ちの違う魔物であっても、生物と同じような仕組みで生きている魔物の存在。その事にアーリアは不思議な気持ちになった。
「エヴィウス殿下」
「エバンスって呼んでよ、アリア」
「……。エバンス、昼間にも天川が見えるのですね?」
アーリアは天空を指差した。そこには蜃気楼のように揺らめく帯が、大山の頂きを横断して南北に貫いている。日中に見るそれはまるで虹の雲のようだ。
アーリアの問いにエヴィウス殿下は天空を見上げると、柳眉を潜ませ口を噤んだ。
「それに、なんだか精霊濃度が高い気がします。ーーリュゼ〜〜!そちらは大丈夫〜〜?」
背後を飛ぶカイトの飛竜に同乗するリュゼへと、アーリアは声を張り上げた。
「大丈夫だから姫は前を見てっ!」
リュゼはエステル帝国に来て以来、精霊濃度に当てられた事はない。自分を鈍感だと評価していたが、これほどまでの濃度では、そうもいかないかもしれなかった。一応、ヒースより精霊避けの護符を預かっては来ていたが、アーリアはリュゼの体調が急に心配になったのだ。
リュゼとしては飛竜の上で振り返るアーリアの方が心配であった。運動神経が死んでいるアーリアなら、いつ飛竜から転げ落ちてもおかしくはないと本気で思っているのだ。
アーリアはリュゼのオーケーサインを目にすると顔の向きを戻した。その時、いつになく険しい表情をしたエヴィウス殿下の顔を目に留めた。
「エバンス……?」
「雲行きが怪しいかもしれない……」
エヴィウス殿下はそう呟いて、空と地とを交互に目線を巡らせた。
「雲行き?」
空を見上げたがそこは晴天の冬空だ。雲一つない空にはただ一つ、天川のみが揺蕩っている。
エヴィウス殿下は手綱を取ると空中を急ぎ足で駆った。促されるように飛竜は一声鳴くと、山肌を擦るようにして上昇した。
その時、背後から大きな気配が爆発的に膨れ上がった。
ーギャアゥアアアアアー
けたたましい悲鳴のようなその咆哮はアーリアの鼓膜と心臓を激しく揺すぶった。
お読みくださり、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価等、大変嬉しいです!ありがとうございます!
大山と精霊8をお送りしました。
アーリアが大山行きに拘ったのは、ユークリウス殿下の評価と、レイカル領主の介入を心配しての事です。
エヴィウス殿下の思惑は分からずも、実際にエヴィウス殿下の存在がアリア姫の盾になっている事は事実。アーリアはちゃっかりエヴィウス殿下を盾にしています。(←リュゼの入れ知恵です)
次話もどうぞご覧ください!