大山と精霊4 考察と目標
「親善目的としてアリア姫を娶るなら、別に皇太子じゃなくても良いよね?例えば私でもーー」
エヴィウス殿下から醸し出された言葉にアーリアは蒼白になった。言葉も出ないとはこの事か。意識が遠のく気さえした。
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大山の棲まう青竜、その生態調査に赴いた一行は、何度かの休憩を挟んで陽の沈む前に街に降り立った。国の保養施設に一泊し、また明日の朝に出発する予定だとアーリアには伝えられていた。
保養施設は皇族・貴族が利用する為に建てられた高級旅館のようなもので、それは貴族の館のような豪奢な建物だ。また、飛竜が発着できる施設も完備されていた。
地上へ降り立った調査隊一行は、飛竜の世話をする者と、話し合いをする者とに分かれた。
アーリアは話し合いをするグループに混じり、明日以降の行程を聞かされた。明日は大山の麓からほど近い街に到着、明後日にはついに大山へと分け入り調査を行うそうだ。第二皇子が調査隊のメンバーに含まれているのに、随分と強行日程だと思われた。
アーリアは説明を受けた後、すぐに充てがわれた部屋へと案内された。
「へぇ〜〜。そんなコト言われたの?」
「うん……」
アーリアは充てがわれた部屋でリュゼと2人、道中にエヴィウス殿下から齎された話について相談していた。
聞かれたくない話が大半である為に、部屋には防音の結界を施してある。通常の結界では音まで遮断されないので、アーリアが元から構築したのだ。エステル帝国では大変重宝している魔術だった。
「そりゃ、かなり強敵だね?まぁ元々、只者には見えなかったゲドね〜」
リュゼはソファに座り、長い足を組んでいる。とても姫とその護衛には見えないラフな態度だが、アーリアにとってはコレがリュゼとの本来の位置関係の為、気分的には楽だった。
今回の大山行きには侍女は同行していない。飛竜での強行軍なのが理由の一つだと思われた。
しかし本来、生粋の王族の姫ならば身の回りの全てを侍女や行うのが通常。逆に言えば侍女がいないと自分の事すら何もできない姫がいるということ。アーリアは生粋の王族でも姫でもない為、ドレスでも着ない限り侍女が侍る必要はなかった。つまりアーリアにとっては然程も困る状況にはなっていなかった。
だがその事実を鑑みても、アリア姫の同行を決めた高官たちは、姫を駆り出す事で出る弊害を殆ど無視したと言わざるを得ない。アリア姫に恥をかかせたかったのか、それともユークリウス殿下の評価を下げたかったのか迷う状況だ。
アーリアはリュゼにお茶を用意してから向かいのソファに腰を下ろした。
「どうしようか?リュゼ」
「どーもこーもできないでしょ、今の僕たちには。ここは異国。敵国だよ。それは初めから分かっていたコトだよね」
「そう、だね。あーあ、また私の考えが甘かったのかなぁ……」
「う〜〜ん、何とも言えないなぁ。僕にとってもコレはかなり予想外の展開だしさ」
「……うん」
アーリアは甘い。だが、エヴィウス殿下の御出馬はアーリアの甘さに原因があるとは言えなかった。
「そもそもさ。僕たちはユークリウス殿下の思惑さえ分かってないんだよ。その上でアーリアは囮兼駒に使われてる。この時点で全くフェアじゃないよね?」
「だって、ユリウス殿下の賭けの勝利条件が分からないんだもん。だからって、殿下が私たちに説明していない理由を咎められない。殿下がシスティナ国民に内情を漏らせないのも分かるし……」
「そーだねー。ヒースさんもあー見えて切れ者だし。……そう考えるとあの笑顔が怖いよね」
「ホントにね」
アーリアとリュゼの二人は、実のところユークリウス殿下の思惑をキチンと理解して動いている訳ではなかった。ユークリウス殿下はアーリアを囮として使っているが、その結果、殿下が何を得ているのかを知らされていないのだ。加えて、アーリアもその追窮もしていない。彼らからすれば実に有能な駒っぷりを発揮しているといえる。
ユークリウス殿下は当初、現皇帝陛下を追い落とし自分が皇帝となる為の足掛かりとして、アーリアの力を借りたいと言った。そして、現皇帝派の思惑を阻止し、エステルとシスティナとが戦争を引き起こす事態を防ぎたいと。それ故に、システィナ国の力を後ろ盾に借りたいと申し出たのだ。その言葉に嘘はないと思われた。が、しかしそれだけであった。
ユークリウス殿下が皇帝陛下に対抗し得るーーいや、皇帝陛下から政権を奪う、或いは譲り受けるという勝利条件、そこに至るまでの過程を知らされていない。現在までにどれくらいその条件に近づいているかも分からずにいる。
「システィナの姫をエヴィウス殿下が狙ってるんだろうか?でもさ、それって何の為だろうねぇ……?」
リュゼは琥珀の瞳をうっすら開けて思案し始めた。いつも通りの笑みの中にあって、その瞳だけは怪しい光を宿している。
「ユークリウス殿下の弱みを握る為かな?」
「うーん。アーリアを攫って来たのがユークリウス殿下じゃないからね。弱みになるかなぁ?」
「システィナより優位に立つため?」
「元々、優位に立ってるよね?国土も広いし、軍事力もハンパないよ?そもそも国民の総数が違う。数の暴力に出られたらひとたまりもないよ」
「アリア姫を亡き者にするため?」
「システィナがアリア姫の存在を認めた今、アリア姫を殺したら国際問題になっちゃうよ。さすがの宰相閣下もキレると思うなぁ〜」
「普段優しいヒトをキレさせるとヤバイよ〜〜」とリュゼが顔を顰め苦い顔をした。リュゼが親しげに呼ぶ「ルイス」とはアルヴァンド公爵のことだ。ジークフリードの父であり、システィナ国の現宰相閣下でもある。
アルヴァンド公爵は前宰相サリアン公爵を断罪した過去を持つ。普段、温厚で柔和な笑顔が魅力的な紳士だが、時に劣化なごとき表情で怒りを露わにする事がある事をアーリアも知っていた。直近では、サリアン公爵断罪の場で目撃していた。
アルヴァンド公爵ルイスはリュゼと仲が良く、アーリアの事を実の娘のように気にかけてくれている。もしアーリアとリュゼの命が失われたならば、彼はエステル帝国を許さないだろう。それが二人には容易に想像する事が出来てしまった。
「じゃ、じゃあ、何でかな?ーー勿論、アリア姫の身柄がエヴィウス殿下の元に引き渡されたら、私たちは不利だよ?システィナと繋がりを切られちゃうかもしれないし、そもそも偽装工作も難しくなっちゃう……」
「だよね〜〜」
リュゼは湯気の立つティーカップへと手を伸ばす。そして琥珀の液体をゆっくりと口の中に含んだ。帝国特有の薬膳茶だ。少し苦みがあるが身体を温める効果がある。
薬膳茶を飲みながら天井のシャンデリアを眺めていたリュゼは、徐にその糸目をゆっくり開いた。
「んん?システィナとの繋がり……。それだよ!ユークリウス殿下はシスティナの後押しを受けて次期皇帝の座を手にしようとしている。でも、それって可笑しいよね?放っておいても次期皇帝になれるんだよ。それなのにシスティナの後見が必要なんて」
「ユークリウス殿下が皇帝陛下に着く事を拒む勢力がある。それも強大な?」
「そうじゃないかなって。ーーってまぁ、僕の予想でしかないゲド……」
「でも以前、ユリウス殿下は他の兄弟は皇帝の座を狙ってないような口ぶりだったよ?」
「そこが解せないよね〜〜」
ユークリウス殿下の男兄弟は全部で5人。皇太子ユークリウス殿下、第二皇子エヴィウス殿下、第三皇子キリュース殿下、第四皇子ラティール殿下、そして産まれたばかりの第五皇子カミーユ殿下だ。
第五皇子は抜きにしても、第二から第四の皇子たちはユークリウス殿下と対立の姿勢を示していない。そうアーリアはユークリウス殿下本人から聞いていた。第二皇子エヴィウスは政治介入を嫌っているとも。第三、第四皇子はまだ幼く、政治には関わりを持っていない。
そんな中で、ユークリウス殿下の次期皇帝の座が危ぶまれるとは、どういう事なのか。『誰』が『何』の為にユークリウス殿下の未来を阻むというのか。
エステル帝国の情勢を知らぬアーリアとリュゼにはこれ以上の詮索は無理に思えた。単純に情報が少なすぎるのだ。
「やっぱり、戦争を狙ってるのかな……」
「確かに君が殺されたりライザタニアに引き渡されたりすると、システィナにとっては非常〜にマズイよ。でもね、それ以前に今のエステルには戦争する余力はないと思うんだよねぇ〜」
「なんでそんなコト分かるの?」
「ふふーん。僕が従順な護衛騎士に徹してるとでも思ってた?僕の専門は先行偵察、密偵だよ。情報収集は基本デショ?」
「さ、さすがリュゼ!すごいッ!」
「褒めて褒めて、もっと褒めてー」
アーリアはパチパチと手を叩いてリュゼを褒め称えた。褒められたリュゼは満更でもなく、ソファの上で踏ん反りる。
「それで?リュゼは何を知ってるの?」
リュゼはニヤリと笑うと身体を前のめりに屈めた。アーリアもそれに倣ってリュゼに顔を寄せる。
「エステルは今年に入って自然災害が多発しているんだよ。秋には長雨による堤防の決壊ーー洪水によって農作物の被害が多く出たらしい。しかも自然災害は今年に始まったコトじゃないときた。それに加えて青竜の暴走。この事態にエステルの政治家たちは掛り切りみたいだよ?」
「あッ!確かユリウス殿下もヒースさんと一緒に何日も視察に出た事があったね?」
「だからさ、きっと今のエステルは食料危機に陥ってる。壊滅的になった農耕地をどうにかしなきゃならない。ひょっとしたら常備蔵も開けなきゃなんないかもね。んで、そんな時に戦争なんて起こせると思う?」
戦争をするには国が豊かで余力がなければ成り立たない。補給物資の供給が必須なのだ。それがないとどうにも立ち行かない。そもそも、兵士が飢えていては戦いにならない。
「そっか!戦争には食料が大量に必要になるよね?」
「そう。それに人手も。だから今のエステルはシスティナにちょっかいはかけられない」
「それじゃあ私ーー東の魔女が戦争の引金にされなくても済む、のかな?」
「ん〜〜分かんない。だってさ、脅しには十分使えるよね」
「システィナに対してだね?食料寄越せ、とか」
「そ!」
アーリアは自分の置かれた状況のマズさを理解している。しかしそれに対して卑屈になる事はなかった。
「それなら結局の所、エヴィウス殿下の思惑って何なのかな?」
薬膳茶を一口飲んでから、アーリアはそう呟いた。
リュゼは「ああ、それね〜〜」と唸ってから、アーリアの顔をチラ見した。アーリアはリュゼからの視線を受けてキョトンと首をひねった。
「……案外、ホントに子猫ちゃんコトが気に入っちゃったんじゃないの?」
「そ……んな事はないんじゃ……?だって、私には何の価値もないもの。それに何故かエヴィウス殿下には私が姫じゃないってバレちゃってるし。高貴な血が流れてないって知られてる」
皇族・貴族は血統を重んじる。出身出自は勿論、施された教育や価値観、信仰に至るまで、全てが一流でなければならない。
アーリアにはその条件ほとんどが当てはまらない。出身出自は尚のこと、宗教観などは皆無。
だがリュゼが考えた事は別にあったようだ。
「でもさぁ。子猫ちゃんには魔術の他にも魔法の才があるよね?その瞳ーー『精霊の瞳』って言うの?それはこの国では貴重なモノらしいじゃん?」
「……。全然嬉しくない」
「あ、だよね。個人的な価値以前の問題だしね。バルドじゃあるましい、子猫ちゃんの魔宝石を盗ろうなんて…………」
リュゼの中に嫌な予感が生まれた。アーリアもぎくりとして肩をすくめている。
「「まさかねーー?」」
あははははと乾いた笑い。
ここへきて変態魔導士の参戦など洒落にならない。バルドは良くも悪くも自己中のヒト。他人の信念や価値観など全くもって関係も関心もない身勝手中年男。自分の欲望の為ならば老若男女容赦なく手にかけ、財を奪い、その命を弄ぶ事すら厭わない大悪党。要するに罪悪感皆無の自己中魔導士なのだ。
しかし利害関係の一致した者ならば、これほど力強い悪党はいないだろう。バルドを仲間に引き入れたサリアン公爵が策に負けたのは、バルドの性質の理解不足ゆえ。変態魔導士を使いこなせなかったからだ。
バルドに人生を引っ掻き回されたリュゼ、その生まれから道具とされ捨てられたアーリアには、かの魔導士に対して良い感情はない。出来る事ならもう会いたくない。彼にはもう少し地下に引きこもって頂きたいと切実に思っていた。
「でも、油断は禁物だよ。子猫ちゃん」
「うん。分かってる!」
真顔で注意を促すリュゼに、アーリアも真顔で頷いた。
アーリアは服の上から『幸福の鍵』と魔宝具『痴漢撃退!』を握りしめた。それはアーリアの心の拠り所になっていた。
「僕たちの目標は生き残ること。お師匠さんじゃないけど、危なくなったら問答無用一撃必殺だよ」
「うん」
爽やかに言い聞かせてはいるが、一見不穏に思えるリュゼの言葉は全て本心だ。ユークリウス殿下には悪いがリュゼにとって大切なのはアーリアのみ。アーリアの生命さえ無事ならば他はどうでも良いと思っている。アーリアはそれを知ってか知らずか、力強く頷いていた。
「それにね。子猫ちゃん、君に何かあればお師匠さんもお兄さんたちも黙っちゃいないよ」
アーリアは漆黒の髪の師匠と白髪の兄弟子を脳裏に浮かべて、嗚呼と言葉を漏らした。
「あー、それは酷い目にあうね……」
アーリアは兄弟子たちに甘やかされて育った。アーリアには勿論、その自覚があった。そう思う程に兄弟子たちは自分に甘かったのだ。
幼い自分に沢山のお話を読んでくれたこと。美味しいご飯を作ってくれたこと。アーリアの両手を繋いで歩いてくれたこと。アーリアの中には幼い頃の美しい思い出が沢山あった。そして今も彼らはアーリアを見守ってくれている。
「だからさ、僕たちは何があっても二人でシスティナへ帰らなきゃならない」
「それにさ」とリュゼは言葉を区切ってから、アーリアの頬に手を添えた。柔らかな髪、その奥に赤いイヤリングが揺れる。
リュゼは琥珀色の瞳に優しい色を湛えて微笑んだ。
「僕は子猫ちゃんとの生活に、早く戻りたい」
ー早く僕の、僕だけの姫に戻ってー
言いたくても言えない気持ちをぐっと抑えて、リュゼは無防備なアーリアの額に唇を一つ落とした。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、大変嬉しく思います!
ありがとうございます!
大山と精霊4をお送りしました。
バルドの事をアーリアとリュゼは散々扱き下ろしています。仕方ないコトです。
(中年男というフレーズに作者自身の胸が大変痛みました。)
次話も是非ご覧ください!
※今更ですが、なんちゃって政治観や宗教観には目をつぶってお楽しみください。