信頼と愛と無関心と
※(リュゼ視点)
『信頼』は愛とある程度の無関心でできている。僕はそう思う。
「何やってんの?」
僕の質問にアーリアはうーんと首を傾げ、言葉に疑問符を付けてで答えてきた。
「実験⁇ 」
「何の?」
「《転送》の」
「《転送》って物や人を送るアレ?」
「そ。ソレ」
《転送》とはモノをコッチからアッチへ送る魔術らしい。アーリアの魔術等級が上がった為、使えるようになった魔術だそうだけど『なかなか自分の思い通りに使えない』とエステルに来る前に言っていた気がする。
アーリアは机の上に羽ペンを一本置くと、それに向かって手をかざした。すると魔術方陣が手の前に浮き上がった。
「《転送》」
アーリアの放った力ある言葉の後に、目の前にあった羽ペンがフッとその姿を消し、次の瞬間にはいくらか離れたテーブルの端に現れた。
「……それで?」
「うーん。やっぱり目印がハッキリしてないとダメなのかな?」
アーリアは頭を捻ると、何やらぶつぶつと考え出した。
「誰かに手伝って……。いやいや。コレはそう簡単に他人には見せたくないし……」
奥の手は重要だ。アーリアが魔導士と知るユークリウス殿下やヒースにでも、彼女の力を全て曝け出すなんてナンセンスだ。僕もそう。奥の手は隠しておくのが常套手段。
以前、ユークリウス殿下たちにアーリアの攻撃魔術を披露させたけど、あれはパフォーマンスだ。彼らの目を誤魔化し惹きつける為の。魔術た多岐に渡る。それこそがシスティナに於いて魔法よりも魔術が重要視される所以だと思う。
「そう言えばさ、今日はユリウス殿下もヒースさんも一度も顔を見せに来ないよね?いつもなら用がなくても来るのに……」
「ンー、ソーダネー」
「ん……?リュゼ、なんか怒ってる?」
「ソンナコトナイヨ」
「そう?具合が悪かったら、気にせずに休んでね?」
「ありがとう。子猫ちゃんは優しいね〜〜」
僕は心配顔で下から覗き込んで来るアーリアの頭にポンっと手を置くと、ナデナデと小動物にするような手つきで撫でた。アーリアは訳が分からずキョトンとした顔で小首を傾げている。
そう、僕は今日は朝から機嫌がよろしくない。だけどそれは決してアーリアの所為じゃない。それもこれも全部、あのヤローの所為だ。
ーあのヤローッどーしてくれよーか!ー
昨晩アリア姫の婚約者ーーつまりアーリアの仮の婚約者ユークリウス殿下がアーリアの寝室に忍び込み、あまつさえ寝台に潜り込みやがったのだ。
護衛騎士の務めは日中だけじゃない。むしろ夜間の方が重要だ。どこぞの馬鹿がアリア姫の操を傷つけようと、賊を送り込んで来やがるんだ。
それも今までに一回や二回ではない。それをアーリアの知らない所で成敗するのが僕の仕事だ。当然毎晩、アーリアの寝室の周辺警護をしている。
昨晩はその賊の対処に追われて、アーリアの寝室への警備が疎かになった。ユークリウス殿下はその隙をついて現れたらしい。
アーリアの寝室で物音を感じて駆けつけてみると、そこにはアーリアの眠る寝台に横たわるユークリウス殿下の姿があるじゃないか。しかも殿下はアーリアを抱きしめたまま幸せそうな顔をして眠ってやがるときた。
これには流石の僕もブチギレた!
ーいい加減にしやがれっ。お前は仮の旦那(未満)だろうが!!ー
アーリアの役割は『ユークリウス殿下の婚約者』であり仕事は『囮』だ。そして『婚約者』とは職務内容の一つだ。
アーリアにそれ以上の役割を求めるのはルール違反じゃねぇのか。そんなに女が欲しけりゃ、どんだけでも好きに娶ればいいだろーが。お前にはその権力があるだろう⁉︎
腹わたが煮えくり返るとはこの事だろうか。僕の中から有りっ丈の文句が溢れ出た。ついこの間、皇太子殿下の事を『嫌いじゃない』と思った瞬間があったが、即刻取り下げだ。
僕はその勢いでユークリウス殿下を叩き起こし、寝台から引きずり降ろした。
ー不敬罪なんて知ったことか!ー
どうやらユークリウス殿下は酒に酔った挙句にアーリアの元へ転がり込んで来たようで、その後すぐに殿下を迎えに来たヒースさんによって問答無用で引き摺られていった。
ヒースさんの綺麗な顔にはいつもの営業微笑ではなく、迫力満点なドス黒い笑みが浮かべ、更には頬と眉を引きつらせていた。
一瞬しか目は合わなかったが、どうやらヒースさんには僕の気持ちが察してもらえたようだった。今後、僕のした事を咎められる事にまずないだろう。
現に今日一日、ユークリウス殿下はアーリアへ顔を見せに来ない。きっとヒースさんにこっ酷く叱られているハズだ。ザマーミロ。
ー僕でさえ、子猫ちゃんを抱きしめて眠った事なんてないのにっ……!ー
柔らかくてすべすべのお肌に触れて眠れたら、きっと夢見心地だろう。
エロくない雄なんてこの世には存在しない。それに女の子が思っている程、男は紳士なんかじゃない。
いいじゃないか。健全な男子たる者、タノシイ想像やイヤラシイ妄想くらいはするだろう?
僕はアーリアのーーアリア姫の護衛騎士だ。この国ではそれ以上でもそれ以下でもない。そんな事は分かってる。
でも、どうしようもなく遣る瀬無い時があるんだ。
この三カ月。僕はアーリアに近づいたと思う。それは物理的な距離ではなく、心がだ。
追われる側と追う側だった時とは違う護衛と擁護者という立場は、僕の心をユラユラと揺れ動かした。
それは良い意味であり、悪い意味でもある。けど、今の立場を僕は気に入っている。
捕まえたくないけど、捕まえなくてはならなかったあの時。アレはアレで楽しかった。でも今の方がずっといい。
帝国ではアーリアの護衛騎士は僕一人きり。彼女を何者からも守ってあげなくちゃならない。そんな僕の立場って、とっても役得だろう?
でもアーリアは頼らないんだ。僕をーー人間を。
側に居れば居る程、僕とアーリアの溝がハッキリと見えてくる。
アーリアは『僕』を尊重してくれる。僕の心を、気持ちを、立場を……。決して僕の中に踏み込もうとしない。
でも逆にそれは、僕をアーリアの中に踏み込ませない為の布石だったんだ。
アーリアは己の心に他人が入り込む事を良しとしないんだ。
怖いんだろう。人間が。
いつ裏切られるとも限らないから。
アーリアは生まれた瞬間に人間に裏切られたから。
信じられないんだろう。
ーあの師匠以外は……ー
そんなアーリアがあの星空の下で、僕を頼ってきたんだ。『勝手に何処かに行ってしまわないで』って。それってつまり『自分の側に居て欲しい』ってコトでしょ?だから、僕は本心からこう言ったんだ。
『子猫ちゃんに黙って出ていったりしないよ』
『子猫ちゃんの側にいるよ?君は僕のトクベツだからね。……君が僕の本当の姿を知って嫌いになっても、離してあげないから』
……ってね。これは紛れもなく僕の本心だ。君は僕のトクベツなんだ。君以上に僕の心を騒つかせる存在なんて、いないんだよ。
初めは気まぐれから護衛の仕事も引き受けたけど、今は護衛なんて言い訳さ。建前なんだよ。君の側に居る為の。
アーリアは僕のこんな気持ちには気づかないだろうな。気づいたらどうするのかな。
でも、最近ではアーリアにも少しずつ心境の変化はあるみたい。僕を頼ってくれる時があるんだ。意識的にしろ無意識にしろ、その変化は大歓迎だ。
ー子猫ちゃんはもっと僕を頼っていいんだよー
そう、何時もの笑みを顔に貼り付けたままボンヤリしていたら、アーリアが僕の服の袖を引いてお願いをしてきた。その仕草がちょっと幼い感じだが可愛い。
「リュゼ、ちょっとそこに立ってくれる?」
「ん?どこに?」
「窓際に」
「えーと、この辺かな?」
「そうそう。ちょっとジッとしていてね?ーーあ、掌を上にしていて欲しいんだけど」
「こうかな?」
「そうそう。そのままね!」
僕は窓際に立って掌を上に向けた。アーリアはというと、逆に壁際まで下がった。
「えっと……これでいいかな?」
アーリアは徐に左耳からイヤリングを外した。赤い小さな石のついたイヤリングだ。それを右手に握るとアーリアは一言呟いた。
「《転送》」
「ーーおおっ⁉︎ 」
コロンと僕の掌の上にイヤリングが現れた。びっくりして思わず声を上げてしまった。
「凄いじゃない!」
「ありがとう。……でも、まだそういう小さな物しか送った事はないの。この魔術の応用が《転移》なんだけどね……」
「ん……どーしたの?」
「まだ人を送るのは怖くて。失敗とかしたら大惨事でしょ?」
アーリアの眉根がヘニョと下がった。
魔術はイメージの産物。どうやらこの《転送》にもそれが適用されるそうで、行った事ある場所や見知った人の所に物や人を送る魔術らしい。その応用が《転移》。転移は人や物を行き来させる事ができる。
《転送》は一方的に送りつける魔術のため、術者本人の移動ができない。しかし《転移》は術者本人も移動が可能だ。
確かに魔術の奥義っぽい雰囲気がする。
アーリアは人間ーーつまり生物を送る事を怖がっているようだ。そりゃそうだ。人間を送った末に怪我でもされたら大惨事。送る場所のイメージが未熟な段階は使うのを控えた方がいいだろう。
「でもさ〜〜。子猫ちゃんがこの魔術を練習してるって事は、使いたいからでしょ?明確に言うなら『使わなければならない時の為に極めておきたい』かな?」
「……。何でリュゼには分かっちゃうの?」
「フッフーン!子猫ちゃんのコトなら全部お見通しダヨ」
はぁーとアーリアは感嘆の声を上げた。
そりゃ分かるよ。今まで何度《転移》が使えたら良いなって場面があったんだ。特に、アーリアがエステル帝国に囚われて来た時なんかは。
でも、《転移》は等級10の魔導士のみが扱える事の可能な魔術。奥義。奥の手。反則技だ。
誰にでも《転移》が使えたら、この世は犯罪者だらけになってしまう。
それに等級10の魔導士なんて、システィナでも5指に入る大魔導士だ。滅多にお目にかかれない。いくら便利な魔術であったとしても、いくら使いたいと願っても、決して使うことのできない魔術なんだ。
でもさ、そんな術を扱える可能性があるのなら、試す価値はあるよね?
「試してみなよ」
「ーーえ?」
「だから試すの。使い熟したいんでしょ?その術」
「うん。でも……」
「迷ってないでさ。人間を送ってみなよ。僕をさ」
「ーー!」
僕は僕の顔を指差してニッコリと笑った。逆にアーリアは驚いたみたいで、目を大きく開いている。
「でも、危険かもしれないんだよ?」
「大丈夫大丈夫!子猫ちゃんは失敗しないよ」
「怖く、ないの?」
「ぜーんぜん。だって子猫ちゃんは失敗なんてしないからね!」
これは確信だ。アーリアは失敗なんてしない。彼女はこう見えて優秀な魔導士。努力家で才能があって、それでいて大魔導士な師匠の弟子なんだから。
「僕をココから子猫ちゃんのトコロまで送ってよ。それなら距離も近いし、怖くないでしょ?」
「っ……!う、うん……」
怖がっているのはアーリアの方。
僕に怪我をさせたくないと思ってる。だから今まで僕に協力を求められなかったんだろう。
ー僕のコト、ちょっとはトクベツだと思ってくれてるのかな?ー
「大丈夫!僕は子猫ちゃんを信頼してるからねっ」
『信頼』ってさ、相手を想いやる気持ちーー『愛』とある程度の『無関心』で出来てると思うんだよね。本当に大切なヒトには、たまに無関心でいてあげるのも『愛』なんじゃないかな?
ー僕が『愛』を語るなんて、びっくりだ。明日は雨が降るカモねー
「わ、私も……!私もリュゼを信頼してるよっ」
暫くの間、神妙な顔つきで黙っていたアーリアが声を振り絞るようにして僕に訴えた。小さな手をギュッと握りしめて。
僕はアーリアの言葉に嗚呼、と天を仰ぎたくなった。
「ありがとう子猫ちゃん」
だから僕の特上の笑顔をアーリアに見せた。
「それなら大丈夫だね?お互いに信頼してるんだからさ」
「そ、だね……。うん」
「じゃあ、僕を子猫ちゃんのトコロへ跳ばして?」
僕はそう言って再度、窓際まで下がった。アーリアは僕の念押しの言葉に頷くと壁際まで移動する。そして一度目を閉じて意識を集中し始めた。するとアーリアの魔力が高なりだして、髪がフワリと揺らめきだした。
アーリアは瞼を開いてその美しく輝く瞳でスッと僕をーー僕の瞳を覗き込んできた。僕はウンと笑顔で頷く。
アーリアの唇が小さく動く。
「《転送》」
フワリと身体が浮く感覚がして、次の瞬間には僕の目の前にアーリアの姿があった。アーリアの煌めく虹色の瞳が僕を見つめていた。
「ほらね?子猫ちゃんは失敗なんてしないでしょ?」
僕はアーリアをフンワリと抱きしめた。アーリアの頭を僕の胸に押し付けて、背中に回した手でグッとその身体を引き寄せた。
薔薇のような柔らかな香りが鼻を擽り、甘い痺れが僕の全身を包み込む。
「リュゼ……?」
僕はアーリアの身体の温もりを感じて、心が満たされるのが分かった。
ー嗚呼、君はやっぱり僕のトクベツだよー
あんなヤツになんて渡すものか。君を守るのは僕なんだから。
「リュゼ……苦しい……」
「ああ、ごめん!嬉しくってさ」
アーリアの柔らかさと温もりを堪能していた僕は、アーリアの訴えを聞いて手の力を緩めた。プハッとアーリアは息をして、僕を見上げててきた。
「リュゼ。どっこも身体、痛くない?」
「大丈夫だよ」
「良かった……」
ホッと息を吐くアーリア。緊張で張り詰めていた空気を抜くように、アーリアの肩が安堵したように下がった。
「そうだ、コレ」
「えっ!あの、その、自分でできるよ?」
「いーの、いーの」
僕はアーリアの左耳に手を添えて、持っていたイヤリングをはめ直した。柔らかくてヒンヤリとする耳たぶ。そこに赤い石のイヤリングを嵌めると、とっくりと眺めた。
「よく似合ってるよ、そのイヤリング」
「ありがとう」
「気に入ってるの?ソレ」
「うん。初めて身内以外の人から貰った物だから」
「そっ」
キラキラと輝く珊瑚のイヤリング。それは僕がある海の街であげた宝石。
「じゃあさ、また僕から贈らせてよ?」
僕はそうアーリアの耳元で囁くとそのまま小さなその耳に唇を落とした。
するとアーリアの顔と耳が一瞬で茹で蛸みたいに真っ赤になってしまった。
なんて初心で可愛いんだろう。
ーもう、君を離してなんてあげられないよ?僕はしつこいんだ。覚悟してね?僕の姫ー
僕の闇を君が知っても、もう絶対に離してなんてあげない。離れてなんてあげられない。君は僕のトクベツ。
だから……
ー早く僕を君のトクベツにしてよー
お読み頂きまして、ありがとうございます!
ブックマーク登録、感想、評価など、大変嬉しいです‼︎
ありがとうございます!
信頼と愛と無関心と をお送りしました。
前話からの続きとなってます。
リュゼ視点でお送りしました!
ユリウス殿下がアーリアを囮以上に想うようになっているコトに、リュゼは気づいています。気づいてはいても越えられない身分差にヤキモキしています。
ヒースは護衛対象のユリウス殿下に撒かれた挙句、夜中に淑女の部屋に忍び込んだ殿下に対して、色々(意訳)思うところがあるようです。
次話も是非ご覧ください!