※裏舞台12※ 二人の宰相1
「嗚呼、貴殿か。久しいな……?」
開かれた扉から差し込む光に目を細めていた男は、そこから入ってきた人物が見知った者と分かり、嘲笑と共に声を掛けた。その声音は存外明るい。とても幽閉されている身分の者から発せられたとは思えなかった。
「サリアン公爵殿、ここでの生活はどうか?息災になさっておいでだろうか?」
「……この状況で『息災か』などと聞かれるとは思っておらなんだわ。アルヴァンド公爵、貴殿の呑気さは相変わらずであるな……」
アルヴァンド公爵ーーシスティナ国現宰相は、元宰相サリアン公爵と対面していた。
サリアン公爵は現システィナ国王から王座を簒奪を目論むが失策し、捕らえられた後にこの離宮へ幽閉されていたのだ。
彼がその起こした罪により直ちに処刑とならなかったのは、故にシスティナ国が法治国家だからだ。
サリアン公爵の起こした策謀が多岐に渡る物であった為、その全貌の洗い出しや共犯者の捕獲などに時間がかかっていたという事情もある。流石、システィナ国の元宰相と言うべき男。大貴族でもあったサリアン公爵の策は緻密なものであった。最終的に現行犯で捕らえられたサリアン公爵であったが、練られた策略には未だ多くの謎が残されている。その全てが解かれるまで、彼を安易に処罰を下す事などできない。残された者が罪を被らさない為、そして、未だ見ぬ犯罪を未然に防ぐ為でもあった。
「呑気とは……?」
「ふんっ、貴殿は自覚がないのか……」
部屋に入ってきたアルヴァンド公爵はサリアン公爵の座る椅子の向かいまで歩みを進めた。
サリアン公爵は手足や身体を拘束されてい訳ではなく、ただ広い部屋の中央にある応接セットーーその一つの椅子に座している。彼は犯罪者であるがその身分は公爵。牢ではなく離宮に幽閉されている事からも、反逆者として捕らえらて尚、彼の権威が地に堕ちていないと知れるものであった。サリアン公爵はシスティナ国に於いて未だに大きな影響を与えているのだ。
「座ってもよろしいか?」
「……構わぬよ」
離宮の住人となり早くも三カ月。その間、サリアン公爵は大人しく虜囚となっていた。決して反抗的な態度は見せず、大貴族としての威厳を保っている。
「貴殿は若い時からそうだな?」
「と言いますと?」
「思慮深く見えて強引なところが昔から変わらぬ。……尋ねる前に座るなら、尋ねる意味がなかろう?」
そう言われてから気づいたアルヴァンド公爵は、ハハハと乾いた笑いを口から漏らした。
アルヴァンド公爵とサリアン公爵は同年代という事もあり、互いに若い頃から見知っている。アルヴァンド公爵よりサリアン公爵の方が年上という事もあり、友と呼べる間柄ではなかったが、それでも同じ公爵位を持つ者として意識し合ってきた。
アルヴァンド公爵が王宮で勤めるようになってからこれまで、サリアン公爵と同じ部署になる事はなかった。しかし、事あるごとに国の政策について話し合ってきた。そこには好敵手というよりは、同じ国を守る『同志』としての気持ちがあったように思う。
親しい間柄ではない。しかし、深く知らぬ仲でもない。
このように路は別たれてしまったが、そうでもなければアルヴァンド公爵は未だサリアン公爵を良き先輩として見ていただろう。
「サリアン公爵殿にそのように思われているなど、知りませんでしたよ」
「……。貴殿は芯が強い。だが昔から少し抜けたところがあった。そこが良いと女性たちにはウケておったではないか」
「はぁ……」
「儂の妻も、若い頃は貴殿のファンであったそうだ」
「それは……」
「夜会ともなれば、貴殿目当ての令嬢で群がっておったな……。妻もその一人だった」
「アハハ」
「愛想ばかり振りまきよって!貴殿、もしや未だにモテておるのか?」
「……」
乾いた笑顔のまま押し黙ったアルヴァンド公爵に、サリアン公爵は鼻息荒く鳴らした。
アルヴァンド公爵はサリアン公爵と話す内に、若い頃に戻ったような感覚に陥った。今の二人は壮年であるが、気持ちは二十代だ。このような話題で責めらるとは思っていなかったアルヴァンド公爵は、自分から訪れたにも関わらず、今すぐ退出したい気持ちになった。
「まぁ良い。ーーして、貴殿は何用があってこのような処まで参られた?アルヴァンド宰相閣下」
サリアン公爵の纏う空気が変わった。
アルヴァンド公爵はその空気に久しく感じていなかった緊張感を味わった。サリアン公爵の目は鋭くアルヴァンド公爵に突き刺さる。その目は全てを見通しているようだ。
「エステル帝国について、少々、お聞きしたい事がございましてね。元宰相殿」
アルヴァンド公爵から「エステル帝国」と聞いた瞬間に、サリアン公爵はニヤリと笑った。
「北の塔、シルヴィア嬢でも落とされたか?」
「……」
サリアン公爵の言葉は的を得ていた。
アルヴァンド公爵は表情を動かす事はなかったが、それでもサリアン公爵には何もかもが分かられているようであった。
サリアン公爵は脚を組み替えると、笑みを浮かべたまま話を続けた。
「あの令嬢の瞳は、危険な色を孕んでおったからのぉ……」
「彼女を『北の塔の魔女』に推したのはサリアン公爵、貴方だと聞きました」
「そう。儂だ」
「普通なら『塔の魔女』就任には何かと時間がかかるところ、貴方は僅か数日でシルヴィア嬢に話をつけたとか?」
「『北の塔の魔女になれば、ナイトハルト殿下のお心がそなたに向くだろう』と言ったら一発であったわ」
「やはり知っておいでで……!」
ナイトハルト殿下に懸想するシルヴィアの心を操って、彼女を『北の塔の魔女』にと推し進めたのは、サリアン元宰相であった。
「当たり前であろう。見ておれば誰でも分かるわ!ーーだが、シルヴィア嬢がナイトハルト殿下の妃となるのは叶わぬ夢。それをシルヴィア嬢も薄々気づいておったのだろう」
シルヴィアの出自はハーバート公爵家だ。そこはナイトハルト殿下の母ーー王妃の生家でもある。ナイトハルト殿下とシルヴィアとは従姉弟同士であったのだ。
彼らでは血が近すぎるのだ。それに同じ公爵家から二代続けて姫を貰う事は、政略上、あり得なかった。
しかしそれで諦められるシルヴィアではなかった。彼女のナイトハルト殿下に対する執愛は強い。それをサリアン公爵は知っていた。
「当時、シルヴィア嬢は社交界に於いて少々やっかいな立ち位置におってな。……アルヴァンド公爵、貴殿は本当に気づいておらなんだのか?」
「いやぁ、アハハハハ……」
「全く、そなたら親子は!」
サリアン公爵は今度こそ憤慨した。
アルヴァンド公爵ルイスはその甘いマスクから老若問わずにモテる。それは彼の息子たちも同じくしている。そしてアルヴァンド公爵ルイスの娘リィディエンヌも彼の遺伝子を濃く継いでいた。
リィディエンヌは社交界にデビューしたその夜会にて、第三王子リヒトに見初められたのだ。彼女に首っ丈になってしまったリヒト殿下は、他の令嬢には見向きもしなくなった。
元々、リヒト殿下に己の娘を充てがおうと画策していたサリアン公爵は、思わぬ伏兵に、強硬策を取らねばならなくなってしまったのだ。
アルヴァンド公爵ルイスを筆頭にアルヴァンド公爵家の者たちは皆、質実剛健、勤勉で努力家だ。さすがシスティナ王家の盾と剣、と誰もが褒め讃える。
だが、彼らアルヴァンドには欠点があった。善人すぎるのだ。無意識のタラシはこの際無視するとして、政治の世界で善人とは美点にはなり得ない。
サリアン公爵からすれば大変苛立たしい者たち、それがアルヴァンドの名を持つ者たちであった。サリアン公爵がどれほど緻密な策謀を企てようとも、彼らアルヴァンドはそれを無意識に破ってくるのだ。無造作に。無作為に。それはもう簡単に。
なのに、アルヴァンド公爵家の者たちには罪悪感などカケラもない。彼らからすれば無意識に悪を打ち破っただけなのだから。
だが、緻密な計画を練っていた方からすれば「何でこーなった?」と頭を抱える事態になる。サリアン公爵にとって、これほどの天敵はなかった。
「まぁ、それも終わったコトよ。ーーシルヴィア嬢はナイトハルト殿下に相応しいとされる令嬢を片っ端からハメておった。ある者はあらぬ噂を流され、ある者は暴漢に襲われ……。彼女の手は儂の娘たちにまで伸びておったのよ……」
「なんと……」
「有り体に言おう。シルヴィア嬢は邪魔だった。だから儂は一計を案じシルヴィア嬢を『塔』へ飛ばした」
「成る程。そのような事が……」
アルヴァンド公爵が当時サリアン公爵が行った策略を聞き感心していると、それを語ったサリアンが急に怒鳴りだした。
「儂の言う事を軽々しく鵜呑みにするヤツがあるかッ!貴殿は甘すぎる!儂は王座簒奪を試みた犯罪者と言うことを忘れたのか⁉︎」
「しかし、真実でありましょう?サリアン公爵」
「……何故そう思う?」
「サリアン公爵殿、貴方は長年に渡りシスティナ王家に仕える官僚でありました。宰相としておられた時に行われた政策は、今もこの国に根付き正常に機能している。特に対エステル対策では、不可侵条約を締結するに至ったのは全て、貴方の尽力の賜物だ」
サリアン公爵が政の世界でその地位を宰相位にまで上り詰めたのは、単に血筋や家格が良かったからではない。サリアン公爵は誠の忠誠心を国に捧げた。事実、努力によって手にした地位に他ならない。
サリアン公爵が宰相位にあった十年の間に行われた政策は未だ正常に機能している。システィナ国は外海とつながる貿易国家。繋がる国は数多く、入り込む民族も多岐に渡る。自然、起こる問題も多いのだ。その問題に対して細々と法を整備してきたのが、このサリアン公爵なのだ。
「貴方の官僚としての働きは蛮行を働いたからといって消えるものではない。貴方は真に忠義ある政治家であった。その矜持はシスティナ国随一だ。そうでなければ宰相など勤まらぬでしょう」
確かにサリアン公爵は大罪を犯した。国王陛下を弑逆し、王座を獲得するといった大それたものだった。しかしだからといって、彼の成した偉業が消えてなくなる訳ではない。
「私が宰相位を戴いた今だからこそ、貴方の想いがよく分かるのです。政治は正論だけでは行えぬ、と」
アルヴァンド公爵はサリアン公爵の跡を継いで宰相となった。同じ宰相位となったからこそ、その苦労がやっと理解できたのだ。サリアン公爵の残した形跡を辿る毎に、アルヴァンド公爵は己の未熟さを思い知る毎日を過ごしてきた。それほど先達は偉大であった。
サリアン公爵家の者たちは、外部からの弾圧に文句も言わず、粛々と処刑の時を待っている。そこに一代で成ったサリアン公爵家の矜持を感じた。
「そう、政は善行のみでは成り立たぬよ」
それまで黙っていたサリアンが重い口を開いた。
「システィナは業が深い。エステルに比べればまだまだ新興国家。しかもシスティナは多民族から成る。数多の争いを経て、国家はその名を変え、長を変えて、『今』があるのだ」
名をシスティナ国と改めてから350年。今でこそ安定して魔導士を輩出できるようになったが、魔術の発展の歴史の中で、国は幾度となく滅亡を繰り返してきた。エステル帝国から『蛮族の国』と呼ばれるだけの愚行があるのだ。
「『塔』システム。これも前時代の副産物よ」
吐き捨てるように言ったサリアン公爵の顔は暗い。心底『塔』を嫌悪している事が見て取れた。
システィナ国は東西南北に『塔』を建て、魔導士に《結界》を施させる事で、外部からの侵略を防いでいる。『塔』のおかげで国の平和は保たれているが、『塔』の所為で争いが生まれてもいる。
「私はようやっと、貴方のやって来られた苦労を理解し始めている。貴方にとっては滑稽な事だろう?」
「ふんっ。開始早々から泣き言かアルヴァンド公爵?向いておらぬと思うのならサッサと辞める事だな。迷惑だ」
迷惑だと言うサリアン公爵の言葉に、アルヴァンド公爵は胸を熱くした。サリアン公爵はやる気のない政治家など『国の』迷惑だと言ったのだ。この言葉にはサリアン公爵が犯罪者として囚われて尚、システィナの官僚としての矜持を保っているのだと知れた。
「……何を笑っておる?」
「ハハハ。いやはや申し訳ない。しかし、私は嬉しいのですよ。貴方が未だに官吏としての矜持を失わずにおられた事が」
「何をバカな!儂は既に過去の亡霊よ。生者である貴殿がこの国の未来を見据えられよ」
それは先輩政治家から後輩への激励の言葉。アルヴァンド公爵はそっぽ向いたサリアン公爵の横顔をとっくり見つめると、深く頭を下げた。
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裏舞台12 二人の宰相1です。
アルヴァンド公爵は謀反を起こしたサリアン公爵に対して憤りを持っていました。しかしそれはサリアン公爵が認めるにたる人物だったからです。
次話も是非ご覧ください。