隷属の呪
「……これはどういう事だ?」
その男は金糸で刺繍された黒のローブを身に纏い、そのローブより濃い漆黒の髪から鋭い瞳を光らせた。
「申し訳ございません!」
獣人たちのまとめ役の一人が上半身を直角に曲げて謝罪する。その姿に不快感を隠しもせず、男ーバルドはその獣人を無視した。
ここは首都オーセンより北東にある大森林の奥。近くにはビルム湖という淡水の湖と湖畔には小さな街があり、首都オーセンの貴族たちの避暑地として、別荘が建てられている。その別荘地からみて湖を隔てて向かい側にあるのがここだ。避暑地ブームに便乗したが、こちら側は街から遠いのもあり、流行らず廃れた。館が数多く建っているが、どれも無人になっている。
その一つの屋敷を占拠して使用されていたのだが、屋敷の半地下にあるその部屋はもぬけの殻。
バルドは部屋ー牢の中を一瞥すると、何かを見つけて中へと入った。
左手の備え付けの木の長椅子。
バルドはその上に何かを見つけて、それを拾い上げる。
「……白き髪……」
それは白金に光る一筋の長い髪。
バルドがあの男の屋敷で会った女魔導士。その髪と酷似している。
「……く…くくくく……」
頭を下げていた獣人は、その深い笑い声聞いて、身体をビクつかせた。
ー本当にあの魔女はここに捕まっていたらしい……!ー
バルドは獣人たちをーいやもっと正確に言えば、自分以外の存在をもー信用も信頼もしていない。獣人はバルドにとってただの『駒』だ。使いたい時に適当に選んで使い、使えないなら捨てる。気まぐれに補充し、死んだら新しいモノと交換する。
ただそれだけのモノ。
だから彼は獣人に行動させてはいたが、期待はそれほどしていなかった。
「白い髪の女を捕獲した」と連絡は受けたが、それが自分が探している女だとは限らない。白い髪はこの大陸の中では珍しい髪色だが、全くいない訳でもない。
『白い髪の女』だけしか情報はなく、しかも本人の姿を見ていた者は獣人たちの中で数人しかいなかったのだから、全くの別人を捕獲したとて不思議はなかった。
だが、バルドはその一筋の長い髪を見て、確信した。
「本当に捕まえてはいたらしいな……」
髪には魔力が宿る。
力の強い術者なら尚更、その髪は多量な魔力を蓄積させる。
魔導士ならば、更に別格だ。
だから、術者は無闇に髪をいじる事はしない。素の髪色を別の色に染めるなど、以ての外だ。白い髪は目立つ髪色だが、かの魔女が染めてまで逃亡しよう、とはならなかったのはその為だろう。
抜け落ちただろうその白い髪には、まだ魔力が多少宿っていた。
指先に仄かに感じる魔力。それはあの屋敷で会ったあの魔女のものだった。
「……今回の責任者は、お前だったな?」
「は!」
熊の体躯を持つ獣人は頭を下げたまま答える。
「では死ね」
「ーーーー!!」
熊の獣人はバルドの言葉に身体をバネのように起こした。
その瞬間、獣人は仰け反るように身体をビクビクバタつかせ、そのままどっと地面へ崩れ落ちた。
その様子を見ていた他の獣人たちの表情が恐怖で滲む。
バルドは手も使わず屈強そうな獣人の男を一瞬で殺した。その獣人と同じ末路を自分たちにも待っているのかと思うと、恐怖で体が震えた。自分たちの命はこの男の掌の上にあるのだ。
バルドが信用も信頼もしていない獣人たちを好き勝手に文句も言わせず使役できるのは、何も、統率力などではない。恐怖で獣人たちの心を従わせているだけだった。
バルドは死んだ獣人などには目もくれずに、その獣人の横を通り過ぎると、玄関前の広間へと向かった。そこには2.30人もの獣人たちが集まっている。
その前で一方的に命令を下した。
「ー白き髪の魔女を生かして捕獲せよ。そして、俺の前に連れてこいー」
バルドの声に反応して、獣人たちの脳内に声がこだまし、精神が波打ち、身体を太い鎖でジワジワと縛られたかのような痛みが全身を覆い突き抜ける。獣人たちはその苦痛に膝を降り、割れるような頭の痛みに、身体を身悶えさせた。
バルドはその様子に全く関心を示されず、手の内にある白い髪ー魔女を思ってくつくつと笑い続けた。
※※※※※※※※※※
身体を突き抜ける突然の痛み、身体を締め付ける圧力にジークフリードは椅子から落ちるように床へ膝をついた。
頭に響くのはあの男ーバルドの声。
『ー白き髪の魔女を生かして捕獲せよ。そして、俺の前に連れてこいー』
割れるような頭の痛みに頭を抱える。
冷や汗が首から背中へと流れていく。
『ジークさん⁉︎』
頭の片隅に、手を離したはずのアーリアの声が聞こえたような気がした。
その突然のジークフリードの異変に、アーリアも立ち上がり、ジークフリードに駆け寄ろうとした。
「ま、待て……‼︎く……くる、な……!頭の中に声が……。お前を……つか、まえ……」
ジークフリードはアーリアを手で制する。
アーリアは魔力を身体に巡らせると、ジークフリードを凝視した。ジークフリードの身体を金の呪文の鎖が締め付けているのが分かる。その鎖の一端が空に伸び、そこからドス黒い魔力が流れて来ていた。
魔術《隷属》。使役した者を強制的に使役する禁呪。
(っ……何とかしなきゃ……!)
《隷属》は相手の意思に関係なく相手の意思を支配し従わせる魔術だ。その非人道的で危険な術の為、禁呪とされている術の一つだ。そのような人の道に外れた術を複数使用するあの男は、人を人とも思っていないのだろう。
アーリアは怒りで奥歯を噛み締めた。
自然と胸に掛けた蒼い宝玉を左手で握りしめていた。それはひんやりとして冷たかったが、ジワジワと熱を帯び出した。
アーリアはハッとして魔宝具を見た。
師匠に貰った『痴漢撃退!』の魔宝具。
その効果は “身につけた者を全ての危険から守る” という、とんでもないモノだ。その範囲は敵意を向ける相手からの『邪な気持ち』『理不尽な暴力』。
(それならきっと……!)
アーリアは丸テーブルの上に置いておいた水筒を掴んで、キャップを外すと、中身をジークフリードに振りかけた。
中の水がジークフリードの頭の上から降りかかる。水がジークフリードに触れた瞬間、ジュッという音が挙がり、空気に触れてキラキラと蒸発した。
水筒の中身は水。でも、ただの水じゃない。水筒に取り付けられた魔宝具によって清められ、即席の『聖水』になっている。聖なる水は邪悪なモノを清める力がある。
アーリアはジークフリードに駆け寄り、思いきってその濡れた頭をアーリアの胸に包み込むように抱きついた。
その瞬間、パチンッという音とともに、翠の光がアーリアを中心に溢れ出し、部屋全体へその光が広がった。
(やっぱり!この魔宝具には魔術にもその効果を発現する!)
アーリアが術の流れとジークフリードの間に立ちはだかることによって、ジークフリードに流れてきていた呪いの魔力や脅威を、魔宝具がアーリアにも悪意あり、と受け取ったのだ。そして魔宝具の力が発動して、その呪術の流れを一時的だが遮断させることができた。
魔宝具は物理的なものだけでなく、魔術による脅威にもその効果が発揮された。
(……師匠!この魔宝具、スゴすぎます!!)
アーリアは抱き込んでいたジークフリードの頬を両手で挟むと、瞳を覗きこんだ。ジークフリードの瞳が宙を泳ぎ定まらない。《隷属》を強制中断されたことによる精神の混乱が見られた。
「アーリア……?」
『ジークさん。私の身体を支えておいてくださいね』
アーリアは一方的に言い放つと返事も聞かずにそのまま目を閉じる。そしてジークフリードの額に自分の額をくっつけた。
ジークフリードに魔力を流しながら、ジークフリードの精神世界へと侵入する。一度道が出来ていた為か、スルリと入り込むことができた。
白い空間にアーリアはフワリと降り立った。
上空には光る金の呪文の鎖。それがその空間の中心にある支柱に巻きついている。様々な呪文の構成が円を作り、それが重なり合っている。まるで毒蛇のようだ。その最上部から呪文の鎖が伸びている。
支柱はジークフリードの芯ー魂ーだ。
相手を強制的に獣人にした挙句、《隷属》してその行動まで思うままに操る。同じ人間に対してこのように身勝手な術を行使できてしまう、あの男ーバルド。同じ術士として嫌悪感と憤りが胸を占める。
ジークフリードが受けた人を獣人に変える禁呪は、術者が術を掛けた時点で術者の手を離れているはず。呪いとは本来、効率の悪い術だ。相手を呪っている間、術者は術を掛けっぱなしにしなければならず、常に魔力を流し続けなければならない。そんなことは人間の魔力量からしても無理で、しかもその呪いを複数に掛けっぱなしにすることなどナンセンスだった。それが、可能になっているということは、その呪いに必要な魔力を術者ではなく、被害者本人から摂取しているのだろう。
なんて悪どいやり方だ。
そしてその上、二つ目の禁呪《隷属》。
これも一度掛けたら解けるまで有効なのか、術者からの要望を叶えたことで無効になるのかなど判らないが、術の性質上その効果を継続することは難しいはずである。
一時的でも術を無効してしまえば、後はなんとかなるはずだった。
精神世界に一人立つと、アーリアは両手を広げた。呪文の構成が円となり、アーリアの周りを巡りだす。魔力が身体から溢れ出す。
「ー其は導きであり癒しであるー《癒しの光》」
暖かな翠の光が辺りを満たす。
術の効果を確かなものにするために、力ある言葉の前に構成をとなる言葉を詠唱した。ここは現実世界ではない。しかも他人の精神の中での魔術使用だ。普通は行うことのない場所であること、万が一が起こってはいけないことを考慮して、アーリアは慎重になった。
「ー籠はその身を優しく包み込むー《光の壁》」
魔力が光となりアーリアの足元から、光の糸が複雑に編まれていくように空間全体に広がり、ジークフリードの芯を優しく包み込んだ。
暫くこの状態をつづけていれば、禁呪への影響も、受けにくくなるだろう。
アーリアはゆっくりと目を閉じて、《光の壁》へ魔力を流し続けた。そうしていると、耐え難い怒りが心の奥底からふつふつと溢れてくる。
自分自身の不甲斐なさ。
禁呪を多発する非人道的な男へ対する怒り。
様々な感情を内包しながら、アーリアは静かに怒りに震えた。そして、キラキラと翠の暖かな光に包まれながら、アーリアの中に奮い立つ想いが芽生えた。
『私は……あの男を絶対に許さない!』
アーリアが現実世界へと戻ると、ジークフリードが心配そうに見下ろしていた。
禍々しい魔力もジークフリードを縛る隷属の鎖も静かに消えて、室内には静寂が戻っていた。
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