図書棟の天使たち3
ー禁苑ー
そこは一握りの皇族のみに許されし花の御園。
一面に射し込む陽射しは暖かく、花園には蝶や蜂、天道虫などの小さな虫、栗鼠や鳥などの小動物、花や草木、風の精霊や水の精霊など様々な精霊たちが舞い踊る地上の楽園。その中央には清涼な水を湛えた泉。その中心に聳え立つ巨木。巨木から悠々と伸びる数多くの枝木。青々と繁る葉。サワサワと音をたてて囁き合う。一度息を吸い込めば、新鮮な空気が鼻から胸へ、全身へと行き渡る。
「凄い……」
惚けたまま巨木を見上げていたアーリアは、目と口を大きく開けて感嘆した。そして馬鹿みたいに『凄い』を連呼した。
空気が違う。
瑞々しい葉からパチパチと雨粒のように清涼な空気が生み出され、排出しているのだ。その空気がこの禁苑全体を満たしている。吸い込むだけで身体の中が浄化されていく。そのような感触さえするのだ。
アーリアは聳え立つ木を見上げ、もう何度目とも分からない感嘆の溜め息を吐いた。清涼な空間に感動に打ち震えた。しかし、側にいるキールとラースはそのような様子は一切なく、その表情すら変えずに淡々としている。
「普通の人間はこの空間に長くいるとキツイかもな……。シエル、お前は大丈夫か?」
「え……?はい。今のところは大丈夫です」
「本当に?シエルは護符を身につけてるの?」
「ええ。この薔薇がそうです」
この場所は精霊の濃度が極度に高い。キールとラースはアーリアが精霊酔いを起こさないか心配してくれているのだろう。
アーリアは頭を横に振ると、金の髪を彩る薔薇の髪飾りをキールとラースに見せた。
「見事な細工だな?」
「見事な細工ですね?」
「ありがとうございます」
「「それなら安心だ」」
アーリアはキールとラースの言葉に小さく頷いた。リュシュタールから賜った薔薇の花は咲いたばかりのような瑞々しい様を保っている。この薔薇のおかげで、アーリアはエステル帝国に於いても健やかに過ごすことができていた。
ーポタ……ポタタ……ー
『生命の木』の葉から落ちる露が、泉へと落ちて軽やかな音を立てている。
「これが『生命の木』……?」
「そうだ、この木が『生命の木』だ」
「精霊女王のーー生命の揺籠です」
キールとラースの言葉にアーリアは、天まで届くかのような巨木を見上げた。
このように巨大な木が帝宮の中心に位置するなど、誰が想像できたというのだろうか。外部から帝宮を見た時、このように美しい『生命の木』を見る事は叶わないのだ。結界魔法で覆われた禁苑。ここは別空間といっても過言ではない。
アーリアはこの空間と似た空間を知っていた。エルフ族であるリュシュタールの住まう庭園だ。あの庭園とこの禁苑は大変似通った空気を持っていた。
「女王……精霊の女王がここに、エステル帝国にいたのね……?」
「ああ、この木がその証拠だ」
「初代皇帝ーー帝王ギルバートがエステル帝国を建国した際、確かに精霊の女王はここに存在していたのですよ」
精霊の女王の加護。彼女は今もエステル帝国を守っている。この木が精霊を惹きつけ、惹き寄せているのだ。そしてエステル帝国の皇族にはかつて精霊の女王が愛した帝王の血が流れている。精霊の女王が愛した人間を、数多の精霊たちも愛するだろう。
「だから『帝王の血』が重要なんですね……?」
「その通りだ。俺たち皇族の中には千年の時を超えて帝王の血が脈々と受け継がれている。滑稽だろ?」
「当時は親近婚も多々あったそうですからね……帝王の血脈を濃いまま保存する為に。本当に滑稽ですよ」
キールとラースは忌々しげに呟いた。表情は朗らかだが、その目は全く笑ってはいなかった。
この禁苑へと足を踏み入れる為の鍵、それは『帝王の血を持つ者』だ。それも帝王に近しい血を持たねばならない。キールとラースは帝王の血を、それも濃い血を有している証拠であった。
アーリアはその事実をキールとラースから言われた訳ではないが、キールとラースの言葉からその事実を推し量る事ができた。
「だが、この血は……この帝王の血は、この帝国には必要なんだ」
「だからこの国は精霊から逃れる事はできません」
「「俺たち(僕たち)はここへ来る度に、それを思い知らされる」」
アーリアはキールとラースの独白を聞きながら、黙ってもう一度『精霊の木』を見上げた。木には様々な精霊が飛び交い、睦み合っている。絵本で見た天上の国のように美しい光景だ。だが、それがこのように地上にーー帝宮の中央部に存在するのは、確かに異様な事かも知れない。
「エステル帝国は精霊と共に始まった」
「精霊と共に生き、精霊と共に死ぬ。それはこの国の民の諚です」
アーリアは二人の天使たちの言葉に疑問を覚えた。それを知らず声に出していた。
「……でも、私にはそれは異常に思えます。『精霊には善悪はない』ーー私にそう教えてくださった方がいます。確かに初代皇帝は精霊の女王と愛し合っていたのかもしれません。でもそれは彼個人の事情でしょ?それによって千年経った今も、彼の子孫たちが精霊に振り回されて生きるのは、可笑しい事ではないでしょえか?」
アーリアの裏表のない言葉にキールとラースは唾を飲み込んだ。このように直接、エステル帝国の帝室の歴史、皇族の生き様を否定するような事を言われた事などなかったのだ。アーリアの言い分は如何にも不敬であり、エステル帝国の皇族としては当然受け入れ難いものだった。だが、その言葉は口にしなかっただけで、キールもラースもずっと考えてきた事だった。
「だって精霊女王はそんな事は望んでいない……。彼女は……貴女は誰?」
「「シエル……⁉︎」」
『精霊の木』を見上げて持論を展開するアーリア。そのアーリアを信じられない者を見る目で見ていたキールとラースは、アーリアの様子が途中から変化した事に気づいた。アーリアの瞳が光を浴びて輝き出したのだ。
「貴女は誰?」と呟いたきり木を見上げて微動だにしないアーリアに、キールとラースは焦りを感じた。とても普通の様子ではない。
「キール!シエルの瞳が……⁉︎」
「ああ、分かっている!」
キールはラースの言葉に頷くとアーリアの正面に回り、その肩を掴んで揺すぶった。アーリアは何故か瞳からポロポロと涙を流している。どれだけキールに揺すぶられても、アーリアは放心したまま反応がない。
「シエル、シエル!ッーー!アリア‼︎」
「ーーーー⁉︎ キール、くん?」
何度かキールに名を呼ばれたアーリアは、キールの声に意識を取り戻した。だがその瞬間、ぐにゃりと地面が揺れたように感じたアーリアは、その場に膝から崩れそうになった。
「おいッ!」
地面に倒れそうになったアーリアをキールの腕が支えた。
「ごめん、なさい。何だか目眩が酷くて……」
「キール、一旦ここから出ましょう」
「分かった」
キールはラースの言葉に了解を示すと、アーリアの腰に腕を回して身体を支えて歩き出した。ラースは反対側からアーリア腰に腕を回し、アーリアの手を取って導き歩く。
本来ならば自分たちのどちらかがアーリアを横抱きにして運ぶのが理想なのだが、アーリアをその手に抱き上げる程の腕力がない自分たちが情けなく感じた。
「チッ!ぜってー大きくなってやる!」
「同感です」
そうしてキールとラースは禁苑からアリア姫を連れ出した。そこに待ち受ける人物がいるとも知らず……。
※※※※※※※※※※
「お帰りなさい、とでも言おうか?姫、そして紳士たち」
「ーー⁉︎」
禁苑を出たアーリアたちを待ちぶせていたのは、アーリアの護衛騎士リュゼであった。
リュゼの顔にはイイ笑顔がピッタリとくっついているが、その目は全く笑っていない。怒髪天のついた状態と言える。
アーリアはハラハラと涙を流しながらリュゼの顔を見上げ、そして直ぐに目を逸らした。
「……何、泣いてんのさ?誰に泣かされたの……?もしかして君たち……」
「誤解だ!」
「誤解です!」
「これはその……」
「あのこれは……」
焦って弁明しようとするキールとラースに対してリュゼは嘆息すると、懐からハンカチを取り出してアーリアの顔の涙を優しく拭った。
「リュゼ、その……ごめん」
「ん〜〜?何が『ごめん』なのかな?」
アーリアは戦々恐々の体でリュゼに謝罪した。アーリアの瞳から溢れる涙を拭っているリュゼの顔は相変わらず笑顔のままだ。だがその背景は猛吹雪。温度差に身体がブルリと震える。
リュゼの様子に冷や汗を流したアーリアは、思いっ切り頭を下げて謝罪した。
「相談もなく急に居なくなってしまって、ごめんなさい!」
「全くだよっ!どーなってるのかなぁ?貴女の頭の中は⁉︎」
リュゼはそう言うとアーリアの額にデコピンした。アーリアは「痛っ」と言って額を押さえた。
リュゼはアーリアに用心深さと警戒心を養ってくれと強く思っていた。アーリアは迂闊に人間を信用し過ぎる傾向があるからだ。
だが、逆に人間に興味がないからかもしれないとも思う。『信用する・しない』ではなく『興味がある・ない』なのではないかと。更に言えば、アーリアは自分自身に価値を見出していないからではないかと。だから自分の身を優先して考えないのではないだろうか。
この考えはリュゼがアーリアに出会った当初から無意識に感じ取れた感覚だった。
アーリアの自分に対しての関心のなさは、リュゼの自分に対しての価値観と似通う点があったからだ。
ー自分に対しての関心が極端に薄いー
それは自尊心がないのとは意味が違う。彼女の中の『生と死』との感覚が曖昧なのだ。アーリアの生み出された過程が多大なる影響を与えているのだろう。そうリュゼには判断できた。
「急に居なくなったら心配するでしょ?何処かに行くなら事前に必ず僕に伝えてくれなきゃ!」
「ごめんなさい!」
「全く、姫はほんとーに迂闊過ぎるよ!彼らが子どもだからって油断し過ぎだからね!」
リュゼは不敬にも見知らぬキールとラースを指差した。キールとラースは『如何にも良いところのお坊っちゃん』という出で立ちだ。貴族子弟か皇族かもしれない。だが、リュゼにはそのような身分からくる不敬など関係がなかった。
他人の主を無断で連れ出したのは彼らの方なのだ。
護衛騎士としてはそんな暴挙、黙って見過ごす訳にはいかない。怒らずにはおれないではないか。
「シエル……いやアリア姫、彼は貴女の騎士か?」
キールの問いに、リュゼはキールとラースの前に跪いて自己紹介した。
「リュゼと申します。アリア姫の護衛騎士ですよ」
「俺はキールと言う」
「僕はラースと言います」
「リュゼ殿、すまない。姫は俺たちが勝手に連れ出した」
「リュゼ殿、ごめんなさい。姫は僕たちが勝手に連れ出しました」
キールとラースは揃って頭を下げる。
「「全ての咎は私たちにある」」
リュゼは立ち上がるとキールとラースの言葉に首を振った。
「いいえ、咎はアリア姫に。我が姫は奔放な所がございます故、きっちり言って聞かせます」
「そうか……」
「そうですか……」
「ですが、貴方たちにも一言だけ申し上げましょう」
リュゼは二人の天使のような少年に大変イイ笑顔を向けた。それに二人はビクリと肩を震わせた。
リュゼはキールとラース、二人の顔の間に口元を寄せると、彼らにだけ聞こえるように小さく囁いた。
「勝手な行動は謹んで頂きたい。彼女は私の大切な姫です。それに私は貴方たちの護衛騎士ほど甘くはございませんよ、殿下方」
「「ーーーー⁉︎」」
リュゼの言葉にキールとラースはその場から飛び退いていた。
「お前⁉︎」
「貴方は⁉︎」
キールは歯をギリッと噛み締め、ラースは唇の端を噛み締めて、リュゼを見上げた。初めから只者ではないとは分かっていた。何せ、この場所ーー禁苑への入り口まで彼らを追いかけて来られた護衛騎士は今まで誰一人として存在しないのだ。それをアリア姫(=アーリア)の護衛騎士はキッチリと追いかけて来た。
この禁苑は皇族の中でも限られた者しかその存在すら秘匿される場所だ。入り口に辿り着くまでも複雑なルートと仕掛けを突破しなければならないのだ。そこにこの護衛騎士は誰にも案内されずに一人で来た。それだけでもこの騎士がどれほど優秀か知れると言う事だ。
それに加え、このアリア姫の護衛騎士は自分たちの正体を掴んでいる。
自分たちはアリア姫にさえ本名を明かしていないのに、である。勿論2人はこの護衛騎士とも初対面だった。
「外で貴方たちの護衛騎士が困っておりましたよ。戻って差し上げてくださいませんか?」
リュゼににこやかに伝えられたキールとラースは人生で初めて、衝撃的な敗北感を味わった。たかが護衛騎士。そう思って油断していたのだ。
リュゼはアリア姫と同じく他国の人間だ。この国の情勢にも疎いはず。そう無意識に思い込んでいたのさかも知れなかった。
「あ、ああ。そうしよう」
「え、ええ。そうします」
「それが宜しいかと。次回、アリア姫と遊ばれる際は必ず私に一言申し付けてくださいね?」
リュゼの忠告にキールとラースは完敗の体で了承した。
「キールくん、ラースくん。今日はありがとう。また、色々教えてね?」
アーリアはハンカチで瞳を抑えたまま、去っていく双子の天使たちに手を振った。
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励みになります!
図書棟の天使たち3をお送りしました。
エステル帝国の最深部には隠された禁苑が。そこはキールとラースの遊び場の1つです。彼らの護衛騎士(28歳独身)は日々振り回されて心休まる時がありません。(常備薬は胃薬です。)
次話も是非ご覧ください!