舞踏会5
エバンスと名乗る青年紳士に『アリア姫がマリア嬢と共謀し、リアナ嬢を陥れたとする証拠を出せ』と正論を突きつけられたリアナは、エバンスの言葉による威圧にたじろいだ。そして救いを求めるように、背後に佇む父ルスティル公爵へと目線を送った。
ルスティル公爵は娘に向けるには冷たすぎる目つきで娘リアナを見た後、その顔に満面の笑顔を浮かべ、仕切り直しとでも言うかのように手を一つ打った。
「お集まりの紳士淑女の皆様。大変お騒がせして申し訳ございません!楽しいひと時に水を差してしまいました事を、お詫び申し上げます」
ルスティル公爵の落ち着いた声音が大広間全体に響き渡った。リアナ嬢とアリア姫との成り行きを見守っていた貴族たちの目線が、一斉にルスティル公爵へと集まっていった。
「これより我が家にある最高級のワインを皆様に振る舞います。もう一度、飲み直そうではございませんか!」
ルスティル公爵の言葉を合図に、控えていたホールスタッフたちが貴族たちにグラスを配って回った。
「お父様ーー⁉︎」
「リアナ。ライバート子爵家とそのお嬢さんには後で話をつけよう」
「で、ですが……」
「ここは社交の場。更には我がルスティル公爵家主催の舞踏会だ。ゲストの皆様をおもてなしする事こそ、我らの務めではないかい?」
「は、はい……」
ルスティル公爵の判断は間違っていない。舞踏会の参加者たちがこの雰囲気のまま解散し其々の家に帰れば、ルスティル公爵家主催の舞踏会で起こった数々の出来事を話し広めるだろう。そして噂は一人歩きをするに違いない。
確かに、娘リアナの方が被害者なのだが、烈火の如き形相でマリア嬢を怒鳴りつける姿は、とても被害者には見えはしなかった。まして目を血走らせて怒るリアナはとても『可憐な令嬢』とは思われてはいまい。また、マリア嬢を陥れる為とはいえアリア姫まで巻き込んだ事は、リアナにとって痛恨のミスだった。
これらを挽回する為には、晩餐会の終わりまでにこの事件を上回る良印象をゲストたちに与えなければならない。そうルスティル公爵は判断した。
リアナにも父ルスティル公爵の言い分が正しい事は充分なほど理解できていた。だが、気持ちの方は頭に追いつかず、そればかりか自分の味方の筈の父に裏切られたような気さえした。
悔しげに唇を噛んで押し黙ったリアナ嬢を見たアーリアは羽扇の中で小さく嘆息すると、羽扇をパチンと畳んでリアナ嬢の前に一歩だけ歩みを進めた。
「リアナ様」
「な、何ですの⁉︎」
「そのお召し物ではお辛いでしょう?」
「なーー!貴女、私を馬鹿にして……」
「動かないでくださいね」
これ以上の言葉の応酬は無用と言わんばかりにアーリアは一方的にそう言い放つと、リアナ嬢に向けて手を突き出した。そして狙いをドレスに定める。
「《洗浄》、《脱水》、《乾燥》」
「ーーーー⁉︎」
これはシスティナ国では一般的な生活魔法だ。各ご家庭では毎日のように使われるソレは実に便利で、使い勝手の良い魔術であった。
これを使えばしつこい油汚れもみるみる落ちるというスグレモノ。世の奥様の味方だとシスティナでは言われている。生活魔法はシスティナでは一般家庭にも広く浸透しているのだ。
淡い輝きを受けて、リアナ嬢のドレスは元通りの美しさを取り戻した。あまりの一瞬の出来事であった為、リアナ嬢はパチパチと目を瞬かせた後、自身のドレスからワイン沁みが消えている事に驚愕の表情を表した。
「なにが……?」
「さぁ、マリア様もお立ちになって」
アーリアはリアナ嬢の追求を無視し、未だに床に膝をついているマリア嬢を立たせた。そしてリアナ嬢にしたようにマリア嬢にも同じ魔術を施した。
後は自分を抜きにして二人で勝手にして欲しい。そう思ったアーリアは、驚くアリア嬢を放置してエバンス(偽名)へと向き直った。
「ご迷惑をおかけしました、エバンス様」
「構わないよ、アリア姫。……それにしても器用な真似をするね。あれは魔術かい?」
「ええ。あれはシスティナで使われている生活魔法……生活魔術です」
エバンス(偽名)はアーリアの魔術に興味を示したようだった。先程までの面倒で堪らないといった表情を一変させ、生き生きとした表情をアーリアへと向けてくる。
「さすがはシスティナの姫ですね?」
「この程度の魔術、システィナでは一般家庭の奥様でも使えますよ」
「そうなのかい?」
「ええーーってエバンス様、いちいち腰を掴まないでくださいませんか?」
「別に良いではないか。君と私の仲だろう?」
「どんな仲ですか⁉︎ また貞操観念を疑われてしまいます!」
アーリアは憤りながらエバンス(偽名)の腕からスルリと抜け出す。するとエバンス(偽名)は自分の腕から抜け出したアーリアの髪を一房掬うと、そこへ唇を落とした。
「何とつれない……」
「お離しください!」
「ハハハ!気の強い感じも実にソソルねぇ?」
「っ……」
エバンス(偽名)の悪戯っ子の様な態度に、男慣れしていないアーリアは簡単に踊らされてしまう。
それにしてもリュゼはどこに行ったのだろうか。アーリアはリュゼの姿を探してキョロキョロと大広間内を見回した時、アーリアの手元にもワインの入ったグラスが配られてしまった。
「ーーさぁ、紳士淑女の皆様、グラスは行き渡りましたか?」
ルスティル公爵の朗々とした声がアーリアの耳にも届いた。ルスティル公爵は手の中のグラスを高く掲げて、声を張り上げた。
「今宵の出会いに感謝を。精霊のご加護に感謝を。ーー乾杯!」
「「「乾杯!」」」
唱和の後、貴族たちはワインの味に舌鼓をうちながらお喋りに興じ始めた。いつの間にか途絶えていた音楽も息を吹き返したかのように流れ出し、大広間は元の賑やかさを取り戻していった。
エバンス(偽名)はアーリアにグラスを傾けると一息でそれを煽った。それに対してアーリアは苦笑で返した。更にアーリアはルスティル公爵からの笑顔を受けてそれに笑顔を返すと、手の中のグラスの中身を見て覚悟を固めた。
「アリア姫……。君、もしかし……」
エバンス(偽名)の声を遮るように、アーリアは『えいっ!』と勢いをつけてグラスを傾けた。ワインの濃厚な風味は口の中で弾けた。同時に喉の奥に焼けるような熱さを感じた。それでもアーリアは我慢してワインを飲みきった瞬間、喉の奥に苦味を感じてコホコホと小さく咳き込んだ。
「あ……アリア姫。君、大丈夫なのか?」
「お、お気になさらず……」
エバンス(偽名)の声音には出会って初めて『人を案じる気持ち』が滲んでいた。アーリアは自分の背に回そうとしたエバンス(偽名)の手を己の手で制すると、羽扇を開いて顔を隠した。
エバンス(偽名)は両眉をピクリと上げると、虚勢をはるアーリアを実に含みのある笑みを浮かべて見つめてきた。アーリアは自分の体調の変化を気取られないようにしたが、エバンス(偽名)からの意味深な視線を受けて、どうやらとっくに分かられているのだと知れた。
一方その頃、ルスティル公爵は娘リアナを放置し、有力貴族たちとワインを片手に、話に花を咲かせていた。しかしその途中、執事から耳打ちを受けた。ルスティル公爵は執事からの報に顔を一瞬曇らせると、目の端にどこぞの青年紳士と談笑するアリア姫を捉え、足の向きを変えた。
「アリア姫、先ほどは我が娘リアナがご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした」
突然、背後から齎されたルスティル公爵の声に、アーリアは自身の意識をエバンス(偽名)からルスティル公爵へと置き換えた。
「お気になさらず……」
「それにしても先ほどのあの魔術!あれほど簡単に汚れたドレスを元通りになさるとは……!」
「あれは大したものでは……」
「さすがは『システィナの魔女』という事ですか?」
「……」
「あぁ、システィナ国や姫に含む所などございませんよ?」
アーリアは仮面の中からルスティル公爵の目を睨め据えた。するとルスティル公爵は仮面の隙間から冷えた狂気を目線に乗せ、アーリアの瞳を見定めてきた。
ルスティル公爵は偽りの笑顔をその顔に乗せると、話題を突然変えてきた。
「アリア姫、先ほどのワインの味はどうでしたか……?」
「大変美味しかったですわ」
「それは良かった!では、こちらもどうでしょう。ええ、これもワインです。ロゼというのですよ。これは赤ワインより苦味も少なく、特に若い女性から人気のあるワインなのですよ」
ルスティル公爵の従者がボトルの封を切ると、新しいグラスに桃色の液体ーーロゼワインを注いだ。そしてそれをアーリアへと手渡した。
アーリアはそれを受け取ってしまった事を後に後悔した。だが、受け取らないという展開が見当たらなかったのだから仕方がない。
アーリアは両足に力を入れて気持ちを引き締めた。油断すると寝てしまいそうになる意識に渇を入れる。
「……美味しそうですわね」
「そうでしょう?我が領地の自慢のワインです。どうぞ、ご賞味ください」
アーリアが再び覚悟を決めてグラスを傾けようとした時、アーリアの手からエバンス(偽名)がひょいっとグラスを取り上げた。
「えっ……」
「これは私が頂こう」
「エバンス様!」
「……貴殿は、エバンス様と仰るのか?アリア姫のお知り合いですか?」
「いいや。私はバルコニーに降り立った美しき精霊に魅入られてしまった哀れな男に過ぎない。今宵の奇跡のような出会を、精霊に感謝しなければいけないね」
詰まる所、エバンスと呼ばれる紳士とアリア姫とは『初対面』で『赤の他人』。エバンス(偽名)の芝居がかったり言動に、ルスティル公爵も対応が追いつかないようであった。やや唇の端を引きつらせて苦笑すると、ルスティル公爵は従者を側に呼んだ。
「エバンス様には新しいグラスを用意させましょう。そちらはアリア姫にお返しください」
「なんだ?コレを私が飲んではいけない理由でもあるのか……?」
「そのような事は、ございませんが……」
「エバンス様は新しいグラスで頂いてください。あと、エバンス様。いちいち引っ付かないでくださいませ」
エバンス(偽名)はアーリアの腰にスルリと腕を絡ませて、アーリアの頭の上からロゼワインの入ったグラスをルスティル公爵へと掲げた。エバンス(偽名)のその口調は、他人に気づかせぬほど少しずつ丁寧さを欠いていき、その言葉には威圧が込められていった。
「では、コレを私が飲んでも良いのだな?」
「そ、それは……」
「良いのだな?ーールスティル公爵家当主ワイルナー」
アーリアは腰に手を回したまま離さぬエバンス(偽名)にキッとキツイ目線を送った。しかし『そんな顔もまた良い』と言いたげに、エバンス(偽名)は好奇に満ちた瞳を優しげに細めると、ルスティル公爵ワイルナーへに対しては鋭い言葉を突きつけた。
ルスティル公爵はエバンス(偽名)の目線を受けて訝しみ、瞬きの後、何かに思い至ったように目を見開いた。
「あっ⁉︎ エ……」
「シッ!私の今宵の名は『エバンス』だよ?」
驚愕し狼狽するルスティル公爵に向かってエバンス(偽名)は自分の唇に人差し指を当てた。そしてルスティル公爵をひと睨みで黙らせた。
「うん。良い香りだ。弾けるような酸味が鼻をくすぐるね?あぁ、でもそこに無粋な匂いが混じっている。これは……」
「おやめくだーーーー」
ルスティル公爵が制止するも聞かず、エバンス(偽名)はグラスに口を付け、ロゼワインを喉に流し込んだ。
ーコクンー
グラスの中のロゼワインを飲み干したエバンス(偽名)は、口元に笑みを浮かべた。
「ああ、爽やかな味わいだ。だがこの喉を刺激するコレはいただけないな。ジキタリス……サフランも入っているのかな……?」
「え……それって毒ーー⁉︎」
アーリアの腰を抱いていたエバンス(偽名)の腕が力なく降ろされていく。
アーリアはエバンス(偽名)の言葉の中に毒の成分となる花の名を聞いて驚きを露わにした。アーリアは振り返ると、顔色悪く膝をついたエバンス(偽名)へと手を差し伸べた。
「ああ。これはキツイね……」
「エバンス様!貴方、これを知っていて……」
「おや。心配してくれるのか?嬉しいね」
「心配していません!呆れているんです!」
「ハハハ……だが、笑ってもいられないか。これはまずい……」
顔を青くし、次第に舌が回らなくなっていくエバンス(偽名)の姿に、アーリアは狼狽した。アーリアはエバンス(偽名)の頬に手を添えながら、狼狽え青ざめているルスティル公爵を見上げた。そして遂にアーリアは自身の護衛騎士の名を呼んだ。
「リュゼ!カイトさん!全て見ていたのでしょう?」
「ーーええ、ばっちり」
飄々とした雰囲気で何処からか現れたリュゼは、カイトを始め近衛第8騎士団の騎士たちを伴ってアーリアの元へ参上した。
これほどの騒動の中、リュゼがアーリアの側にいなかったのには事情があった。
近衛騎士たちはアリア姫を囮にして、ルスティル公爵とリアナ嬢に問題を起こさせようとしていたのだ。ユークリウス殿下の忠実な騎士たちは、ユークリウス殿下も護衛騎士もいないアリア姫を狙う絶好の機会を逃す筈はなく、虎視眈々とその時を待っていたのだ。
想定外だったのはアーリアの側にいるエバンスと名乗る青年紳士の登場。しかし、リュゼには彼の正体を知る近衛騎士から『エバンスの行動を阻害するな』と厳命して、行動にストップをかけた。
アーリアはリュゼが自分の側から離れてからいくら経っても戻って来ない事に、ずっと違和感を持っていた。そして騒動の途中から、これは自分を囮した作戦行動なのだと気づいた。だからルスティル公爵が決定的な犯罪を犯せば、彼らは必ず出てくると思っていたのだ。
「エバンス様、もう、このような無茶はお止めくださいね?」
アーリアはエバンス(偽名)の頬をそっと撫でながら、解毒魔術を施した。柔らかな光に包まれたエバンス(偽名)。彼の顔色が少しずつ赤みを取り戻していく。
「不思議な光だ。まるで君の笑顔のような温もりを感じるよ」
「はぁ……分かりました。無茶を止める気はないんですね?」
アーリアはエバンス(偽名)の言葉を受けて、げっそりとした気持ちで肩を落とした。すると魔術により体調を回復させたエバンス(偽名)は、アーリアの頬をそっと両手で挟んで上向かせた。そして柔らかな微笑みを浮かべながらアーリアの額に口づけを一つ落とした。
「ありがとう精霊の乙女。君に心からの感謝を」
お読み頂きまして、ありがとうござます!
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舞踏会5をお送りしました。
リアナ嬢の失敗に弁解を余儀なくされた父ルスティル公爵。しかし彼は早々にもアリア姫に毒を仕掛けました。それは何故だったのでしょうか……。
次話も是非ご覧ください!