舞踏会4
「これは我が領内で収穫された葡萄から作られたワインですの。皆さま、いかがですか?」
リアナはそう言うと、側に控えた従者に持たせた酒瓶から赤く芳醇な香りたつ液体をグラスへと注がせた。とくとくという音と共にふんわりと香りが広がっていく。グラスの中にまるで大輪の薔薇が咲いたかのように美しい。
「まぁ、素敵な色合いですわね」
「素晴らしい香りです」
リアナの元に集まった貴族たちは配られたグラスを手に、その色と香りを楽しんだ。
「さぁ、乾杯しましょう」
リアナにそう促されて、貴族たちはグラスを目の高さへ掲げた。
「今宵の出会いに」
「精霊の加護に」
「今日という良き日に」
「赤い薔薇の香りに」
「リアナ様の美しさに」
各々が言の葉を口に乗せてからグラスを高々に掲げると、リアナが最後に「乾杯」と声を掛けた。それを合図に皆はグラスへと口をつけた。
「ああ、なんいう芳醇な味わいか」
「さすがルスティル公爵領の葡萄ですね?香り高い」
「舌触りもいいですわ」
「取り寄せたいくらいだ」
「リアナ様が品種改良を手掛けられたと言うのは本当ですか?」
「それは素晴らしい!」
「リアナ様は本当に精霊に愛されしお方ですね」
貴族たちは次々と世辞を口にする。ややオーバーな程の身振り手振りで、リアナとルスティル公爵を褒め称えていく。
リアナはその様子に満足そうに頷いた。リアナの中の優越感が高まっていくのを感じた。
その時、リアナに一人の令嬢の姿が目に入った。リアナの取り巻きの一人ではないその令嬢は、他の令嬢たちと話には加わっているものの、一向にワインへと口をつける気配はない。訝しんだリアナはその令嬢へと歩み寄り、直接声をかけた。
「楽しんでいらっしゃいます?ええっと、貴女は確かライバート子爵家の……」
「あっ、リアナ様!私はライバート子爵家のマリアと申します」
「そう。マリアさん、我が家のワインはお口に合いまして?」
「はい。とても美味しいです……」
「その割に一口も飲んでらっしゃらないようですが?」
「ーー!」
マリアは肩を震えさせた。その目を大きく開いて、驚愕を表している。リアナはマリアのその様子に気づいていながらも、更に彼女を追い込んでいく。
「あら?本当に飲んでらっしゃらなかったのですか?」
「いぇ、そのような……」
「そのように怯えて。貴女は何か、私に含む様な事でもございますの?」
「滅相もございません!」
「では、何故?」
「……私、お酒が飲めないのです……」
マリアはリアナに責められて顔を俯かせ、恥じ入るように身体を小さくさせる。
「まぁまぁ、そのようなコトを仰って!初めから私の酒など飲めぬと仰られてもよろしくてよ?」
「いいえ!決してそのような事はございませーーきゃっ!」
マリアが弁明しようと前のめりになったとき、誰かがマリアの背を押した。背を押されたマリアはリアナの方へとたたらを踏んだ。その瞬間、マリアの手の中のグラスからその中身がリアナに向かって飛び散ったのだ。
赤い薔薇のような液体は、リアナのドレスに染みを作った。
それを見たマリアの顔がみるみる蒼白になっていく。逆にリアナの顔は赤く変色していった。
「無礼者!」
ーガチャンー
リアナは怒りのままに手の中のグラスをマリアの足元へと叩きつけた。中身がマリアのドレスの裾を汚す。マリアはその事に驚き慄いたが、自分の置かれた状況を思い出し、リアナへと謝罪を開始した。
「も、申し訳ございません‼︎」
「謝ってタダで済むと思っているの⁉︎」
「そのような事は……!」
「私にこのような恥をかかせて、アナタ何様のつもりなの⁉︎ 子爵家ごときが公爵家に楯突くつまりなのかしら?」
「め、滅相もございません!」
マリアはリアナの言葉に更に顔を青くさせた。リアナはこの事をマリア個人だけでなく、ライバート子爵家の問題にすると言っているのだ。公爵家に睨まれた子爵家など一貫の終わり。このままでは家が傾くのは秒読みであった。
「リアナ様、どうかお許しください!」
「許せるとお思いなの?この仕打ちを……!」
「……っ」
リアナは鬼のような形相でマリアを攻め立てる。リアナの怒りは治る事を知らなかった。
この仮面舞踏会の主催者として、リアナはとびっきり豪華な衣装で舞踏会に臨んでいたのだ。リアナは公爵令嬢という肩書きの他に、エステルで最も皇太子妃に相応しい令嬢という肩書きを持っているのだ。帝宮から声がかかれば、今日明日にでも参る準備が整っている。
未来の皇太子の正妃ともなろう者が、自分の主催した舞踏会にて醜態を晒す事など、あってはならない。
「……あぁ、アナタ。確か、アリア姫を『精霊女王のようだ』と絶賛していたわね?もしかしてアナタはアリア姫の差し金なのかしら……?」
リアナから齎された仰天発言にマリアは飛び上がり、弁明に取り掛かった。公爵家ばかりか王族・皇族にまで飛び火しては、自分の身一つではとても収まりが効かないではないか、と。
「そのような事実はございません!確かにアリア姫は精霊女王のような美しさですが、それは私個人の……きゃっ!」
ーパンッ!ー
リアナは振り上げた手を挙げたまま、倒れたマリアを血走る目で見下ろした。
「私の前で、よくもぬけぬけとそのような事を言えましたわね⁉︎」
マリアは叩かれた頬に手を当てて、膝をついた床からリアナを見上げた。そして、自分は何をどう弁明しようと、リアナの怒りは収まらないのだと知った。
「何なの?その目は。ーーああ、そうね?貴女の言う『精霊女王』とやらに聞いてみましょうか?」
リアナはそう言うと大広間の端、バルコニーの前で佇むアリア姫に目線を送った。その目から獲物を見つけた肉食獣のような凶悪さを感じ、マリアは恐怖に口を開閉させた。
※※※※※※※※※※
「あらあら、お取り込み中でしたかしら?アリア様」
青年紳士を伴って現れたアリア姫(=アーリア)を見たリアナは、その瞳をギラつかせてを睨め据えた。
アリア姫を呼びつけたのはリアナの方であるのに、その態度は尊大極まりなかった。本来ならば王族であるアリア姫を格下である公爵令嬢が呼びつけるなど、大問題である。にも関わらずこのような態度を取るリアナは、アリア姫の事を本当に『蛮族の国の田舎者』だと思っている証拠であろう。
「ユークリウス殿下という婚約者がありながら、感心しませんわね?」
リアナはアリア姫をエスコートしてきた青年紳士を見るとまず一言、叱責してきた。
リアナの引き連れている見目麗しい貴族令息たちはどうなのか、と反論したい衝動を抑えて、アーリア(=アリア姫)はリアナに満面の笑みを向けた。
「リアナ様、ありがとうございます。この方がなかなか私を離してくださらなかったので、助かりましたわ」
まさかアリア姫に礼を言われるとは思っていなかったリアナは、方眉をピクリと動かした後「そう」と呟いた。そして次にこう切り出した。
「ですがアリア様、貴女は皇太子妃となられるお方なのでしょう?貞操観念が疑われる行動は感心しませんわね」
「ええ。私も同感ですわ。リアナ様からこのお方に、そこの所をよく言って聞かせて貰えませんか?」
「なッーー私は貴女の事を言って……」
「ん?何……?私のコトをやり玉に挙げるつもりですか?」
青年紳士ーーエバンス(偽名)が面白そうにアーリアと、そしてリアナを交互に見遣った。口元を吊り上げて笑んではいるが、その目は笑っているようには見えない。しかし、アーリアは気にせずにエバンス(偽名)を責めるように口を尖らせた。
「だって、私の貞操観念が疑われかけているのは、エバンス様の所為ですもの」
「何とも釣れないコトを言いますね。一夜限りの逢瀬を楽しむ事こそが、仮面舞踏会の良いトコロでは?」
ツンと怒るアーリアに対してエバンス(偽名)は気分を悪くしたりはしなかった。寧ろそんなアリア姫の表情を、エバンス(偽名)は蕩けそうな瞳で見つめてきた。そして徐にアリア姫の手を取った。まるで愛おしい恋人にするように。
「あーー貴方は、何をお考えですの⁉︎」
そんなエバンス(偽名)に怒りを表に出したのはアーリア(=アリア姫)ではなく、リアナの方だった。リアナの怒りの沸点は、一連の出来事により低くなっていたのだ。
「何をって……?美しい女性を愛でているだけだよ」
「ッ⁉︎」
「そんな事より、君は何故、アリア姫をここへ呼んだのです?用がないのなら、私はアリア姫とダンスにでも行こうと思うのだけど……」
エバンス(偽名)は有力貴族の令嬢リアナになど、何の興味もないようだった。それはその口調からも分かった。一見、丁寧に思える口調だが、リアナに対しての敬意などカケラもないのだ。
エバンス(偽名)はリアナに呼びつけられたアリア姫について来たに過ぎないのだ。用があるのはアリア姫であってリアナではない事は誰の目にもわかった。
「〜〜っ!そ、そうでしたわ!……アリア様。私、先ほどライバート子爵家の令嬢マリアさんにワインをかけられてしまいましたの!彼女、貴女の信奉者ですのよ?貴女が彼女を嗾けて、私を陥れようとしたのではありませんこと?」
「…………」
リアナはラチのいかぬエバンス(偽名)との対立を避けるようにアリア姫に向き直ると、まくし立てるように一気に言い放った。そしてそのままアリア姫に対してドヤ顔を見せた。
アーリア(=アリア姫)はリアナの言わんとすることを理解するのに、瞬き5つ分は必要だった。ドヤ顔のリアナとリアナの前で顔を覆いながら咽び泣いているマリアとを交互に見やってから、アーリアはマリアを見下ろした。
「ライバート子爵家のご令嬢、マリア様?」
「アリア姫、貴女はその令嬢と知り合いですか?」
エバンス(偽名)に聞かれてアーリアはもう一度マリアを見た。マリアはアーリアからの視線を感じて涙に濡れる顔をそっと上げた。
マリアは清楚系の顔つきで、おっとりとした瞳が可愛らしい少女だ。アーリアよりも年下だろいか。容姿にはまだ幼い印象が残る。しかし……
「いいえ。申し訳ございませんが、マリア様とはこれまで、お会いした事はございません」
「嘘よっ!彼女は貴女を『精霊女王のように美しい』と私の前で褒めちぎったのよ……!」
「リアナ様!私はアリア様とは面識がございませんと何度も申しました!あれは私の個人的な意見でしかございませんっ」
涙を流しながらマリアはリアナに訴えた。その必死な様子に、これまでもマリアがリアナに何度も謝罪し、訴え、懇願したのだと知れた。
「五月蝿いわね!貴女の意見は聞いていないのよ!」
リアナの鋭い視線を浴びてマリアは肩を震えさせた。
アーリアは嘆息する訳にもあからさまに面倒な雰囲気を出す訳にもいかず、チラリとエバンス(偽名)の顔を見た。エバンス(偽名)はアーリアと違いあからさまに面倒だと言わん態度を前面に出していた。それに対して、アーリアは素直に羨ましいと思ってしまった。
「さあ、どうしてくださるの⁉︎ アリア様」
『さあ』と言われてもどうしようも出来ない。アーリアには関わりのない事だ。
そのような事、リアナの取り巻きの貴族令嬢・令息たちも、遠巻きに眺めている観客たちも理解しているに違いない。だが、それを面と向かってリアナに言える者が大広間には居そうになかった。
「……そもそも何故、彼女は貴女にワインをかける事になったのです?」
どのように言葉を返そうか考えていた間に、エバンス(偽名)が面倒臭そうにマリアを指差しながらリアナに事情を聞いた。
第三者からの問いが意外だったのだろう。リアナは少し考えた後、素直に答えてくれた。
「彼女が私のワインを『飲めない』と仰ったのよ」
リアナの言い分にマリアが何かを弁明しようとしたが、それをエバンス(偽名)は手で制した。
アーリアにもマリアが何を言おうとしたのかが分かった。マリアは本当に『飲めなかった』のだ。それは好き嫌いではなく、身体が酒成分を受け付けないのだろう。
しかし夜会において自分より目上の者から勧められた酒を飲まない事は、どのような理由があろうとあってはならないのだ。飲めなくても口に含むくらいはしなければならない。
この点において軍杯はリアナに上がった。先に失礼を働いたのはマリアだったのだから。そしてマリアは何らかの事情でワインをリアナにかけてしまった。
マリアの様子から不可抗力の何かがあったのだろう。だが、それもここに至っては関係はない。全面的にマリアが悪いと言えよう。リアナがアリア姫さえ巻き込まなければ……。
「事情は大体分かりました。ですが、マリア様と私には関わりなどございません」
「だからそれが嘘だと……」
「そう言うのならリアナ嬢、君がその証拠を出さなければならないのではないか?」
証拠のない叱責を受けそうになったアーリア(=アリア姫)を庇ったのはエバンス(偽名)だった。今にも掴みかからんとするリアナからアーリアを守るように、エバンス(偽名)はアーリアの半歩前に身体を出した。
リアナは思わぬ伏兵に身体をたじろがせた。エバンスと名乗る青年紳士から、得体も知れぬ威圧感を感じたのだ。
リアナはエバンスがどこの家の誰かなのか分からなかった。初めはどこぞの下級貴族の三男坊か何かだろうと見下していたリアナも、彼のその隙の無い身のこなしから高位貴族の可能性を考えた。ーーが、しかしエステルの高位貴族ならば全ての者の顔と名を覚えている。それなのにリアナには青年紳士の事が思い当たらなかった。それが不思議であり不気味であった。しかも、エバンスと対峙するとまるで狐に化かされたような気持ちになるのだ。
「証拠だよ。証拠。君は証拠もないのにアリア姫をこんな所へ呼びつけ、叱責しているのか?」
「それは……」
エバンス(偽名)の正論はリアナを押し黙らせるには十分な威力を発揮した。エバンス(偽名)に踏み込まれた半歩分を後退ると、リアナは困惑したように自分の側にずっと佇んでいた父ルスティル公爵の顔を不安そうに見上げた。
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舞踏会4をお送りしました。
怒りの沸点の低いリアナ嬢に対してマリア嬢がやらかしました。そしてリアナ嬢もアリア姫に対してやらかしました。
そしてここに来て正体不明偽名エバンスによる援護射撃。彼の意図は……?
次話も是非ご覧ください!