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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と北国の皇子
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舞踏会3

 ルスティル公爵令嬢リアナはその光景を目の当たりにし、唇を噛んだ。


『なんなのよ、アレは⁉︎』


 リアナは新しい羽扇を取り落としそうになりながら、目の前に広がる光景を信じられない思いで見遣った。


 リアナが休憩室から大広間に戻ると、ダンスホールの中央に人だかりができていた。その中心になっていた人物は、皇太子ユークリウス殿下の婚約者アリア姫と見覚えのない青年紳士だった。

 アリア姫とその青年紳士のワルツを踊る姿は華麗で、会場に集った参加者たちの目を釘付けにしていたのだ。

 アリア姫がターンを決める度にドレスの裾がフワリと揺れ、その細い足が露わになり、観客のーー特に男性の心をざわつかせた。細いピンヒールでも乱れる事のない軽やかなステップに、彼女可憐さが際立って見えた。


「まるで精霊女王のようね……」


 そう誰かの言ったその言葉に、リアナは益々その目を強張らせた。瞳にはジワジワと熱がこもり怒気が宿っていく。


 主役であるリアナが会場に戻って来たと言うのに、誰も、リアナを見ることはなかったのだ。いつも群がってくる令嬢たちや下級貴族の子息たちも、リアナの帰りに喜びを見せる訳でもなく、皆、一様にその視線をダンスホールへと向けているのだ。


 リアナは突然、どこかに一人で放り出されたかのような錯覚を覚えた。世界に自分一人だけが取り残されたような孤独感が胸を圧迫した。リアナはそのような思いを、今迄の人生で一度も味わった事はなかった。


『ーーなんなの⁉︎こんなの認められないわ!認める訳にはいかないのよ!この国で(わたくし)以上に目を集める存在など、許せるはずないじゃないっ。だって私は公爵令嬢なのよ!エステルに於いて貴族の頂点に座しているの。私以上の令嬢など居ないでしょう⁉︎』


 貴族の頂点ーー公爵。ルスティル公爵家は数ある公爵家の中でも、由緒ある血筋を誇っている。皇族とも近しく、帝宮に於いても大きな発言力を持っている。

 そしてリアナはルスティル公爵令嬢なのだ。


『……お父様は(わたくし)がこのエステルで一番の令嬢だと仰ったのよ。皇太子殿下の正妃になるのは私を置いて他にはいない、と!なのに何故なの⁉︎ユークリウス殿下は帝国内で妃を求めず、野蛮なシスティナから姫をーーそれも姫とは名ばかりの田舎娘を娶ろうなんて、どうかなさっているわ!そんなに『精霊の瞳』が素晴らしいと言うの⁉︎エステルでは貴族以上ならば誰しも精霊に愛される存在でしょう?システィナから姫を貰う必要などないじゃない!』


 由緒あるルスティル公爵家の血には精霊を引き寄せる血を持っている。リアナ自身、精霊に愛される血の持ち主で、魔法も扱う事のできる魔法士である。特に火の精霊が特性に合っているようで、リアナの周りには火の精霊が多く飛び交っていた。

 リアナは物心つく以前より父ルスティル公爵に『お前こそが皇太子殿下の正妃に相応しい』と言われて育ってきた。その為の英才教育を受けてきたのだ。

 エステル帝国にはリアナの他に公爵令嬢と呼ばれる令嬢が存在するが、リアナは自分こそが皇太子殿下の正妃に一番相応しいのだと、疑った事はなかったのだ。

 リアナは皇太子妃になる為だけに、年頃の娘にも関わらず婚約者を持たず、ずっとユークリウス殿下だけに恋い焦がれてきたのだ。ユークリウス殿下の妃になるその日が来ることを夢見てきたのだ。それを『精霊の瞳』を持つという理由だけで、余所者が自分の地位を盗もうとしている。そのような事、許せるはずもなかった。


『……そう。そうよ。きっとそう!あの魔女姫は『精霊の瞳』を使ってユークリウス殿下を誑かしたのよ!そう。きっとそうに決まっているわっ!いえ、そうしか考えられないっ。でなければあんなぽっと出の姫が皇太子の正妃になどに迎えられる筈がないもの‼︎ユークリウス殿下はあの魔女に悪い魔法をかけられているのよっ‼︎』


 アリア姫は己の持つ『精霊の瞳』を使ってユークリウス殿下を誑かし、その想いを操っている。そう考えれば筋が通るような気がした。数多の精霊を従えられる精霊瞳。そのチカラを使えば、人間(ヒト)の心さえ容易に操れるに違いない。


 リアナは憤怒で燃える目でダンスを終えたアリア姫とそのペアの青年紳士を見続けた。心の中に煮えたぎるアリア姫への思いが、殺意が吹き出しそうなほど燃え滾り、身体中が火照ってゆく。リアナは気を抜くと発狂しそうなほどの熱い心を、手の中の羽扇をきつく握り締めることでぐっと抑えた。


 リアナのその様子に気づいたのだろう。

 リアナをエスコートしていたルスティル公爵は、娘リアナの背をそっと撫でた。そしてその耳元で小さく囁いた。


「我慢などしなくていい。お前のその想いは間違ってはいない。間違っているのはユークリウス殿下、そしてアリア姫なのだから」


 悪魔の囁きとも呼べるその声はリアナの怒りと屈辱を正当化し、胸に燃え滾る呪いのような憤怒の炎を肯定し、定着させた。リアナは父親に自分の心をーーその行動を操られている事など知らず、いや気づかされずにアリア姫への殺意を募らせるのだった。


 愛娘リアナがコックリと頷く様子に、ルスティル公爵は「それでこそ我が娘。ルスティル公爵家の令嬢たる娘だ」と追い討ちをした。ルスティル公爵の顔には自然と、悪意に彩られた笑みが溢れた。



  ※※※※※※※※※※



 ダンスを終えたアーリアはペアの紳士リュゼに手を引かれて、再びバルコニーの方へと戻った。その間にもアーリアは他の紳士たちからダンスを申し込まれそうになったが、その全てをリュゼが躱した。


 アーリアをリュゼに誘われ、バルコニーに備え付けられた椅子へと座った。やはりピンヒールで一曲踊りきるのは疲れるものだ。履きなれない靴に、足の彼方此方が痛くなってきていた。椅子に一旦腰を落ち着けると、足が痛みを思い出したかのようにジクジクと痛んだ。


「少し、ここで待っていてくれる?」

「どこかに行くの……?」

「そんな不安そうな顔しないで?ーーまぁそんな目で見つめられるなんて、男冥利に尽きるゲドね」


 リュゼはアーリアの取り残された子猫のような表現に苦笑した後、ウィンクを一つ。その目線をアーリアから会場内の飲酒スペースに向けた。


「何処にも行かないよ?ただ、水でも持ってこようと思っただけ。ーーここに来てから何も口にしてないでしょ?」


 リュゼの言う通り、アーリアはこの会場に来て以来何も口にしていなかった。

 アーリアは特に空腹を感じてはいなかった。それに給仕(ホールスタッフ)が配る物は酒類ばかりで、アーリアには飲む事ができなかったのだ。正確には『飲むな』と厳命されていたからだ。

 アーリアは酒に弱い。それをリュゼから聞いたユークリウス殿下はアーリアの身を案じたのだ。アルコール成分は毒ではない為、解毒魔法も解毒魔術も効かない。もし酔って誰かに拐かされでもしたら一大事になってしまう。そう心配されたのだ。そしていくら強力な魔法や魔術が使える魔導士とはいえ、酔って判断能力が低下したアーリアなど男の手にかかれば無力な淑女に過ぎないと忠告を受けた。

 その為、ユークリウス殿下の居ない今、アーリアは一人で会場内を彷徨く訳にも行かず、食べ物はおろか飲み物すら口にしていなかったのだ。


「見張りにカイトを置いていくから」


 リュゼは大広間のバルコニー付近に佇んでいた大男に目配せすると、アーリアに向かいもう一度微笑んだ。


「ありがとう」


 リュゼはアーリアに再度、その場から動かないように伝えると、大広間(ホール)内の幾人かに声をかけながら飲食スペースへと足早に歩いていった。

 アーリアはリュゼの背を見送ると、口元を羽扇で隠して小さな溜息をついた。

 未だにアーリアは大広間内の貴族令嬢・令息より多くの視線を浴びていた。それはどこか奇異なものを見る目つきであった。彼らに何を囁かれているのか分からない状態で晒され続けているアーリアの心は、少しずつ荒んでいくようであった。きっとロクデモナイ事を言われているのだろう。そう頭で理解できていても、心の中は気持ちの良いものではなかった。


 アーリアは徐に立ち上がると、バルコニーから外を眺めた。バルコニーの柵に手をついて、眼下に広がる大庭園を観やった。ここが敵地であると分かってはいても、ルスティル公爵家の大庭園は壮大でいて優美だ。美しさを前には人間同士の思惑など関係はないのだ。そう思われた。

 季節は初冬。エステルではもうじき雪が降るそうだ。にも関わらず、開け放たれたバルコニーからは冷気が室内へと入っては来る事はなかった。

 アーリアは不思議に思い、右手をバルコニーの柵から外へと突き出した。


「冷たい……」


 外へ突き出した右手は冷たい夜風を受けていた。その右手を引っ込めると、外気の冷たさを感じる事はなかった。


「『魔法』ですよ」


 テノールの耳障り良い声音。背後から突然声がかかり、アーリアは慌てて振り返った。そこには一人の紳士が口元に笑みを浮かべて立っていた。


「『魔法』ですよ。屋敷の周囲を風魔法で覆っているのです。エステルの冬は大変寒いですからね。このように魔法で対策を施すのですよ」


 青年は説明しながら歩み寄るとアーリアの隣に立ち、先ほどアーリアがしていたように自分の手を外へと突き出した。


 アーリアはその青年に見覚えはなかった。しかしどこかで会ったことのあるような錯覚を起こした。

 どこで会ったのだろうか。アーリアは小さく首を傾げた。

 歳の頃はアーリアよりは上でユークリウス殿下よりは下だろう。光沢のある青銀の長髪。その髪をサイドでゆるく編み込み、肩から胸へと垂らしている。仮面の向こうに覗く瞳は花菖蒲のような色彩を帯びている。柔らかな身のこなし。スキのない燕尾服の着こなし。この青年が高貴の出自であるのは間違いない。


 アーリアの目線に気がついた青年は、アーリアに向かってにっこりと笑った。笑みを浮かべた青年の瞳には、アーリアに対しての好奇心を多分に宿していた。


「これは失礼、アリア姫。ご挨拶がまだでしたね?」


 青年はアーリアの前に跪くと、アーリアの手を取って口づけを落とした。


「私の名はエバンス。……まぁ、偽名ですけどね。以後お見知り置きを」

「……偽名?」


 とんでもない青年の自己紹介に、アーリアは思わず手を引っ込めたくなった。だが青年はアーリアの手をやんわり掴むと、逆にアーリアの身体を強引に一歩引き寄せたのだ。

 青年は立ち上がると自分の口元にアーリアの手を引き寄せ、今度はアーリアの掌の内に口づけをした。その艶めかしい表情と柔らかな唇の感触に、アーリアは顔を一瞬で赤く染めた。


「ーーッ!」

「ええ、偽名ですよ。ここは仮面をつけた紳士淑女たちが一夜の夢を共有する場。誰もが精霊となって踊りに興じる場なのです。そのような場に於いて己の正体を曝け出すなど、無粋でしょう?」

「……そう、ですか?」

「ええ。これは今宵一夜のみに許された邂逅なのですから……」


 アーリアが仮面の下で眉を潜めていると、青年ーー偽名エバンスはやっとアーリアの手を離した。


「貴方は……」

「『貴方は何者ですか?』など聞かないでくださいね?興が削がれてしまいますから」

「……。貴方は私の正体を知っているのに、私は貴方の正体を知らないのは、不公平に思えます」

「不公平……?あははは!そういう考え方もできますね?では姫も偽名を名乗られては?」

「今更、それに何の意味があります?」

「何となく面白いではありませんか!」


 エバンス(偽名)は何が面白いのか、アーリアを見てコロコロと喉を転がしている。その表情自体は笑って見えるが彼の本心はベールに隠されたまま、その名の通り偽りのだらけに思えた。

 チラリと大広間の方を見ると、近衛第8騎士団の騎士カイトの姿が目に入った。カイトは微妙な表情を浮かべているように見えた。実際には仮面によってその表情は分からないのだが、きっと仮面の下では眉間にシワを寄せているに違いない。そういう雰囲気があったのだ。

 彼ら、近衛第8騎士団の騎士たちの一部は今宵、アリア姫の護衛の任務をユークリウス殿下より下されている。その一員であるカイトがアリア姫の元に現れた不審な青年の行動を咎めようとはしない。それがアーリアには不思議でならなかった。近衛騎士が主の命令を蔑ろにする訳がないからだ。

 だとすると、この青年ーー偽名エバンスは何者なのか……?


「私という者がありながら、余所見ですか?」


 エバンス(偽名)がアーリアの腰に手を回して軽く引き寄せた。トンとアーリアの背中がエバンス(偽名)の胸にぶつかった。

 エバンス(偽名)は自分を見上げてくるアーリアの顎に手を添えると、アーリアの顔を上向かせた。


「嗚呼、本当に美しい瞳ですね?夜空に輝く星よりも不思議な光を放っています」

「エ、エバンス様⁉︎」

「このまま貴女を連れて帰り、閉じ込めてしまいたいですね?」


 悪趣味な冗談ーー冗談だと思いたいーーを言いながら、エバンスはくつくつと笑った。だがその花菖蒲のような瞳の奥には得体の知れぬ狂気が宿っているように見え、アーリアは背中を冷や汗で濡らした。そんなアーリアをエバンス(偽名)は余計に面白がって離そうとはしない。


 アーリアはエバンス(偽名)の言動に困り果てていた時、困惑の時間を救ってくれたのは、他でもないルスティル公爵令嬢リアナであった。

 ガチャンというガラスの割れたような音が大広間のどこかから響いた。それと同時に「無礼者!」という甲高い声が飛んだ。その叱責の声の主はリアナ嬢であった。

 その音に気を取られたアーリアにエバンス(偽名)はヤレヤレと首を振り、「私たちの逢瀬の邪魔をするとは、なんと無粋な」と嘆息し、アーリアから手を離したのだった。



お読み頂きまして、ありがとうございます!

ブックマーク登録、感想、評価等、とても嬉しいです!ありがとうございます!


舞踏会3をお送りしました。

アリア姫の元へ現れた偽名の青年エバンス。彼の正体と思惑は??

一難去ってまた一難。


次話も是非ご覧ください!

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