不幸の手紙1
『拝啓
落葉舞う頃、秋も深まり朝夕はめっきり冷え込むようになりました。アリア様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
私は貴女への恨みの炎で胸が燃えるよに熱くなっております。
蛮族の国 システィナへサッサとお帰りください。
魔術なる邪道な術を扱う国の姫など誰もお呼びでないのです。精霊の信仰のなるたるかも分からぬ野蛮人如きがこの国の皇族に連なる者になるなど有り得ぬこと。
貴女のような姫モドキが麗しのユークリウス殿下の妃にーーそれも正妃になるなど、私は断じて認めません!有り得ぬ事です‼︎
聡明な皇太子殿下の隣に立つなど、身の毛もよだつ思いです。まして、貴女の持つ穢らわしい血が皇族に混じるなど、決して許せはしないのです!
たとえ皇帝陛下の許しがあろうとも、神も精霊も、そして私も許しはしません!
身の程知らずの貴女には、必ず精霊の鉄槌が下るでしょう。
貴女に不幸が訪れる事を楽しみに待っております。
敬具』
以上、ある『不幸の手紙』よりの抜粋。
夜会以降、このような『心のこもった』手紙がアーリアに毎日届くようになった。この手紙はまだ文脈が整っている方だが、中には何の文脈もなくアリア姫への嫌悪が詰まったものや、『怨』の字でビッシリ埋まったもの、呪いのかけられているものなど、その内容は多種多様に渡る。
「いや〜〜なかなか気合いのこもった文章だね〜〜?」
「そうだね?あーでも、私はこっちの方が好みかなぁ……?何て言うか、気合いを感じて」
「どれどれ?見せて〜〜」
リュゼとアーリアとは何通かの手紙を交互に見ながら、感想を述べ合った。
アーリアは手紙自体を貰った事がこれまでなかったので、初めて手紙が送られてきた時はちょっぴり感動してしまったくらいだった。
そんな二人の楽しそうな様子を背後から眺めていたヒースから、苦笑した笑みと共に呆れた声がかけられた。
「貴女たちを見ていると、そんなものが話題の元だとは思えませんね?」
ヒースはアーリアの前ーー机の上に広げられた一通の手紙を手に取った。
どの手紙も上質な紙が使用され、封蝋にも香りづけされた高級な蜜蝋が使われている。なのにその手紙の内容は、ほんのりと鼻をくすぐる蜜蝋の香りとは不釣り合いなもの。
初めに送られてきたこのような手紙類を目にした時、ユークリウス殿下はあからさまな嫌悪感を表した。勿論、ヒースも。
アーリアとリュゼがこの手紙の数々を『不幸の手紙』と呼んで、日々楽しんでいる事の方が異常なのだ。普通のご令嬢ならば、このように相手を傷つける言葉の数々には精神が滅入ってしまっていた事だろう。それほどに攻撃的な言葉で彩られているのだ。
しかしこれもある意味予想通りの展開だった。嫌味、妬み、嫉みは女性社会では何処でも当たり前に転がっているのだから。
『アリア姫』は今をトキメク大帝国の皇太子殿下の妃候補筆頭ーー皇帝陛下にも認められた婚約者なのだ。
これまでどの婚約者候補にも見向きもせず、寧ろ全てをぶった切って避けてきたユークリウス殿下が、漸く妃を受け入れる姿勢を示したのだ。今まで沈黙を守ってきた貴族たちもそのご令嬢たちも、ここぞとばかりに乗り出して来たとしても何も不思議ではない。
ましてユークリウス殿下は容姿端麗な美青年。その外見から殿下に憧れるご令嬢も多い。
皇太子妃を狙える身分のご令嬢を持つ貴族たちはこれを好機と捉え、自分の令嬢をユークリウス殿下に売り込んでくるだろう。己が令嬢にも『お前こそが皇太子妃だ』とばかりに洗脳教育を施しているに違いない。そして令嬢たちはそれを鵜呑みにして、皇太子妃に相応しくない者ーー邪魔者を蹴落そうとする。
その手段はこのような『不幸の手紙』に始まり、次は心無い『噂』へと発展するだろうと予測された。
これはユークリウス殿下自身の経験によるものだった。
ユークリウス殿下には年頃になる以前より『皇太子妃』問題は上がっていたのだ。ユークリウス殿下自身の権威が確立していなかった時期には、無理矢理押し付けられた令嬢もいた。殿下の意思を無視して貴族たちは自身の娘を送り込んできた事もあるのだ。
また侍女のフィーネにすら『ユークリウス殿下の側付きに相応しくない』と同じような罵詈雑言の手紙が届いた事もあるのだ。
「いや〜スゴイね〜!コレはなかなか良く書けてる方だよ?」
「季節のお便りのようなものかな?」
「そうかもね?律儀だよね〜〜、貴族令嬢って」
「ですね〜?便箋にも良い香がしますし。封蝋も高級そう……」
アーリアとリュゼは手紙が入っていた便箋を手に取りながら本当に感心していた。
アーリアも手紙を書くいた事はある。しかし季節の便りなど洒落た内容を書いた事はない。
魔宝具を売買するに当たっての売買契約。そして販売者と購買者としての仕事の手紙のやり取り。ただそれだけだ。
だからだろうか。この様な手紙には嫌悪よりも感心の方が高くなる。
「アーリア様、そのように気軽に触っては……」
「あ、大丈夫ですよヒースさん。この手紙にはもう『何も』掛かっていませんから」
眉間に皺を寄せるヒースの強張った顔とは対照的にアーリアは笑顔だ。それにヒースは余計に怪訝な表情になった。
「と言いますと……?」
「『呪い』なら消しましたよ」
『アリア姫』の元へは複数枚の手紙が送られてきた。その幾つかには小さな刃は勿論、『呪い』も込められていたのだ。
『呪い』は手紙を開いた者に直接かかる類のものではなく、呪いたい相手に掛かる仕様になっていた。手紙を開けた人を無差別に襲う呪いなら、今頃大惨事になっていただろう。もしこの手紙を始めて開けたのがユークリウス殿下ならば大変困った事態になっていた。
彼女たちの狙いは一択。『アリア姫』一人なのだから。
だがこの事にはアーリアは大いに喜んだ。どんな呪いが来ようと自分以外には掛かる事はないのだ。
アーリアは自分の所為で誰かに不幸が降りかかるなど、到底、許せる事ではないと思っていた。 それが親しく思う者たちなら余計に。
「は……?そう、ですか……?」
「ええ。以前、呪い関係で色々あったので、ちょっとこの分野には詳しくなったんですよ〜〜」
「はあ……?」
『呪いに詳しくなった』等と、アーリアから答えられるとは思わなかったのだろう。ヒースは余計に怪訝な顔になった。
「しかもこの呪い、きちんと『アリア姫』を狙ったものなので私にも殆ど効力が出ないんですよ?」
「これを送ってきた令嬢は本当に律儀ですよね?」と微笑むアーリアの瞳は全く笑っていない。表情には冷え冷えとした雰囲気が漂っている。
この呪いの中心は『アリア姫』だ。だがその名はアーリアの偽装工作上の名。偽りの名だ。その身分ーーいやその人物そのものの過去すら作られた紛い物。裏工作の末にあえて外部に流した『アリア姫』のプロフィールは真っ赤な嘘。
手紙を通じて掛ける呪いとは通常の呪術とは異なり、面と向かって術を掛ける事はできない。だから呪いをかける相手情報が不可欠なのだ。しかし作られた『アリア姫』に対しての呪いなら、アーリア本人に掛かる訳がないのだ。
しかし効力が全くない訳ではない。
だからアーリアは手紙に触れる前にそれらを見極めた。
この呪いが無差別の術だったならば今頃、アーリアはその犯人を問答無用で吊るし上げていただろう。
「……私、呪いには良い思い出がないんですよねぇ……」
ヒースはアーリアの雰囲気の変わりように喉を鳴らした。
アーリアの表情は素晴らしくイイ笑顔なのだが、その目は完全に座っていたのだ。日頃のアーリアが朗らかで人畜無害な雰囲気を醸し出しているだけに、このように淡々と怒りを内に秘めているアーリアの姿は、大変珍しいものであった。
逆にリュゼはアーリアのその表情にヒューと口笛を吹いて、ニヤニヤした笑顔を浮かべた。
「イイね〜〜!子猫ちゃんのそんな顔もソソルなぁ〜〜!」
ヒースはリュゼの言葉には苦笑するのみ。
アーリアはリュゼの笑顔に微笑みで返すと手紙を机の上に並べて置き、その上に右手を掲げた。空気がピリッと揺れた後、アーリアの魔力値が瞬間的に跳ね上がる。
「《検索》《追跡》」
手紙は淡い光に包まれるが、それも直ぐに収まっていった。
「アーリア様は何を……?」
「ーーシッ!」
ヒースの言葉をリュゼが制止した。
ヒースは口を閉じてアーリアの様子を見ると、椅子に座るアーリアは瞳を固く閉じているではないか。眠っている訳ではない。何かを考えてーーいや探っているのだと察した。
「……あぁ、貴女ですか?」
アーリアはそう呟くと閉じていた瞳を開いた。その目には何か得心のいった光を持っていた。
「ヒースさん!」
「はい?」
アーリアは立ち上がるとヒースに向かって振り向いた。ヒースはアーリアの勢いに一瞬身体をビクつかせた。
アーリアは途轍もなく『イイ笑顔』だったのだ。
普通なら美少女の笑顔は眼福ものなのだが、アーリアの笑顔にはそれとはまた違う威圧が込められていた。
「お便りのお返事を書きたいので、便箋と封筒を頂けませんか?」
「……は?」
「あ、なるべく上質な物をお願いしますね?」
アーリアの麗しい笑顔での『お願い』に対して、ヒースは「分かりました」という返事しか持ち合わせていなかった。
※※※※※※※※※※
ある日、ある貴族の屋敷に一通の手紙が届けられた。それはこの屋敷のご令嬢ルチア嬢に宛てられたものだった。
届けられた手紙は大変上質な紙で作られた封筒で、それを閉じる封蝋も高価なものだと分かった。芳しい香は『薔薇』。
その為、手紙の差出人も相俟って、その屋敷の執事は中身を確認せずにお嬢様へと手渡したのだ。
しかしその手紙を受け取ったお嬢様ーールチア嬢は、それを手にした瞬間に顔を青くした。封筒に書かれた宛名には自分の名前が書かれていたのだが、差出人の名前には自分が今一番憎んで止まない女の名が書かれていたのだ。
ルチア嬢は執事から受け取った手紙を受け取ると、その場で封を切った。
自分が憎き相手に送った手紙は『呪いの手紙』なのだ。もし手の中にあるこの手紙が同じような呪いが仕込まれているのなら、一人では対処できない。かと言って封を切らないという選択肢はなかった。身分差を考えても、差出人を無視する事など出来なかったからだ。
だから人目のある場所で、その封筒の封を切る必要があったのだ。
ルチア嬢は覚悟を決めて封を切り手紙の内容に目を走らすと、数拍後には顔面蒼白にして悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちてしまった。
「いやぁぁあああああ……!」
「ーーお、お嬢様⁉︎ 」
執事は崩れ落ちたルチア嬢に驚き、心配と驚愕を露わにした。そしてルチア嬢の手から落ちた手紙を拾うと、失礼な事だと承知しながらも、手紙の中身に目を通した。
『拝見
朝ごとに冷気が加わる初霜の候、ルチア様におかれましては、益々ご健勝にお過ごしのことと存じます。
先日は心温まるお手紙を頂きまして、ありがとうございました。
エステル帝国で初めて頂いたお手紙に、大変嬉しくなりました。貴女のお心遣いには胸の奥が温かくなりました。
ルチア様、私のエステル帝国での生活を心配してくださって、本当にありがとうございます。
確かにシスティナとエステルとでは文化も歴史も違いますが、勉学に励み、少しでもエステルに馴染めるように、ユークリウス殿下に近づけるようになりたく思います。
そしてユークリウス殿下の隣に堂々と立つことができるように、これからも精進致したします。
また、何か良いアドバイスがありましたらお教え願えますでしょうか。
お手紙、楽しみに待っております。
敬具』
それは如何という事もない『感謝の手紙』だったのだ。
封筒の差出人の欄を見るとそこにはアリアという名がある。アリア様と言えば皇太子ユークリウス殿下に輿入れ予定のある隣国の姫。今、エステル帝国で注目の的である人物だ。
手紙の内容もルチアお嬢様から手紙を受け取った事への感謝を伝えるもの。どこにも可笑しな点などない。
だがルチア嬢の方はそうは思わなかった。
ルチア嬢は確かにアリア姫へ手紙を出した。だがそれには『差出人』ーーつまり自分の名など一切書かなかったのだ。
それは当たり前の措置だろう。
ルチア嬢が出した手紙は『呪いの手紙』なのだ。相手に自分の名を知られる訳にはいかない。
手紙の内容もアリア姫を慮った内容ではない。全てにアリア姫に対する嫌悪を織り交ぜた内容だったのだ。それだけでも『不敬罪』上等!な所業なのに、その上更に呪いまで掛けたと知れたら、『死罪』を賜っても可笑しくはない。
相手は他国の姫とはいえ『王族』なのだ。しかもこのまま順等にいけばエステル帝国の皇太子妃。未来の皇后も有り得る。
そんな相手にルチア嬢は『呪いの手紙』を送ったのだ。
ここに至ってルチア嬢は後悔していた。
ルチア嬢は差出人の名前など書いてはいない。それなのにアリア姫からの返事が届いたのだ。
「いやぁあああああ!何故⁉︎ どうしてぇ⁉︎ 」
「お嬢様⁉︎ どうなさいました⁉︎ アリア様とはシスティナ国の姫様ではないのですか? 」
ルチア嬢は『システィナ国の姫』という執事の言葉にある重大な事を思い至り、口と目を最大限開いた。そして両手を、両足を、全身をワナワナと震えさせた。
ルチア嬢は唐突に理解したのだ。
アリア姫はシスティナ国より来訪した。精霊魔法とは別に魔術をも扱う事ができる魔導士。システィナ国はその魔導士の輩出国。その存在はエステル帝国に於いても驚異とされているのだ。
どうしてアリア姫が『魔術』を使えない等と考えていたのか⁉︎ ルチア嬢は浅はかな自分の行動を思い返して絶望感に苛まれた。『姫』という役職にばかり気を取られ、眼を曇らせていたのは自分ではないか、と。
「ああ!私は何てことを⁉︎ 」
そしてルチア嬢は恐怖で泣き叫び続けた。
アリア姫には自分の愚行が筒抜けなのだと分かり、ルチア嬢は咽び泣いた。自分の悪しき行いの全てが知られている。アリア姫にーーそしてユークリウス殿下にも。もう、どこにも逃げる事など出来はしないのだ。己の罪は消せないのだから。
ルチア嬢に待つのは破滅のみ……。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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不幸の手紙1をお送りしました。
精霊大国エステルには魔宝具が流通していない為、手紙のやり取りがまだまだ主流です。その事にもアーリアとリュゼは驚いたのではないでしょうか?
国が違えば文化の差も多々あると思われます。
次話も是非ご覧ください!