夜会3
「ところでブライス宰相殿、貴殿はお聞きになっただろうか?」
「何を、ですかな?」
ユークリウス殿下の思わせぶりな話題提供に、ブライス宰相は表情を変えなかった。しかし彼はユークリウス殿下の顔色から推察しているように睨め付けている。話題その物はきになるようだ。
「システィナ国の北の魔女について……」
ユークリウス殿下から意味深な笑顔と共に醸し出された話題に、ブライス宰相とイグニス公爵は顔色を変えなかった。『北の魔女』について思い当たる点があろうとそれを一切面に出さない彼らを、さすが老練な政治家だと言わざるを得ない。
「システィナの北の魔女というと、エステルの公爵家から輿入れした令嬢の孫娘、ではなかったか……?」
「ああ、ルスティル公爵家の……!」
システィナ国の北の魔女シルヴィアの祖母はエステル帝国公爵家より輿入れした。シルヴィアはその令嬢の孫娘に当たり、更に言うならシスティナ国王妃はその娘に当たるのだ。要するにシスティナ国の王子にとっても祖母に当たる人物であったのだ。政略結婚とは血の繋がりなのだと思い知らされる一幕と言えよう。
いくらエステル帝国とシスティナ国が停戦中とはいえーーいや、だからこそ馬鹿に出来ない繋がりなのであった。
「……して、その北の魔女がどうしたと……?」
ブライス宰相の問いにユークリウス殿下は少し首を傾げてやや小声で話した。
「北の魔女ーーシルヴィア嬢が病に侵されたと」
「何と……!」
「それは……」
北の魔女とはシスティナ国の北の国境を守る『北の塔』の主。彼女の張る《結界》がシスティナ国の北の防衛ラインだ。その『塔』の主が病に侵された。それは即座にシスティナ国の防御が弱体化された事に繋がるのだ。
これを只の噂と取るかどうかは、聞く者に委ねられたという事だろう。野心のある者もない者も、気になる噂には違いない。今宵の夜会には運良くシスティナ国からの客人も訪れている。早速探りを入れる者もいるだろう。
それこそが、ユークリウス殿下とウィリアム殿下との策謀とも知らず。
「……だがシスティナ国の北の《結界》が消えたという情報は、入ってはおらぬが……?」
「噂止まりの不確かな情報だ。真実は分からぬ。私もシスティナの客人からもう少し詳しい話を聞けないか、と思ってはいたが……」
「そうですな……。殿下方は今宵の主役。そのような無粋な話をされては、夜会の雰囲気を乱しかねませんからな。止めた方がよろしかろう」
イグニス公爵はユークリウス殿下の立場を優先してそう述べた。ユークリウス殿下もイグニス公爵の言葉に頷く事で同意を示した。
今宵の趣旨を甚だ逸脱した行為をユークリウス殿下が行うのは非常にマズイ。ユークリウス殿下はアリア姫を国内の貴族たちに紹介し、その足場固めをするのが今夜会の本来の目的なのだから。
「それと関連してなのだが、どうも我が国の竜の気質が変化しているようなのだ……」
ブライス宰相とイグニス公爵はユークリウス殿下から齎された言葉に首を傾げた。意味が諮りかねたようだ。
「竜の気質の変化とは……?」
「詳しくは知らないのだ。それもシスティナ国の客人より聞いてな……」
「……どのような話だったのですかな?」
エステル帝国に住まう竜の事情であるにも関わらず、その話をシスティナ国の客人から聞いたとはどういう事なのか。ブライス宰相の質問からはそのような疑問を感じる事ができた。
「『北の塔』の《結界》をすり抜けて青き竜がエステルからシスティナへと舞い降りたらしいのだ」
「青き竜ーー青竜ですかな?ユルグ大山の山頂付近に住まうという……」
「そうだ」
「……青竜は大昔はシスティナ国に生息していたと聞く。また居を移したのではないか?」
「青竜が赤竜の住まうシスティナの大峡谷に住処を移す理由がないとは思わないか?食料は大山の方が豊富なのだからな」
ユークリウス殿下の話から、青竜は赤竜の縄張りを荒らしている事が分かった。システィナ国の大峡谷と言えば魔物こそ生息しているが、草木の生えぬ土と岩の大地。清涼な水と空気を好む青竜がそのような土地に住処を移すとは、とても考え難かった。
「舞い降りた青竜は群をなし、システィナの大峡谷に住まう赤竜を襲い、そして遂に人里にも被害を齎らしたそうだ」
「お気の毒に……。しかし青竜も赤竜もシスティナの民の持つ『竜の笛』があれば追い払う事が可能なのではござらんか?」
イグニス公爵の質問にユークリウス殿下が答える前に、隣に佇んでいたアリア姫(=アーリア)が口を開いた。
「それが全く効かぬと言うのです」
「……。それは……?」
「青き竜は、これまでの様子とは全く違ったのです」
アリア姫(=アーリア)は二人の会話に割って入った。それまでユークリウス殿下に会話の全てを任せきりだったアリア姫の参入に、ブライス宰相とイグニス公爵、それにユークリウス殿下をも驚きを持ってアリア姫に目線を寄せてきた。
ブライス宰相はアリア姫の乱入に疑問を持ったが、それよりもアリア姫の齎らす話の方に興味を惹かれていた。
「……どう、違ったのですかな?アリア様」
「……有り体に言えば凶暴化しておりました。『理性がない状態』とでも言いましょうか?近寄る者を皆、敵とみなし襲ってくる凶暴な怪物。竜は狂気を持って人々を襲っていたのです」
それはまるで凶悪な魔物のように、と続くアリア姫(=アーリア)の言葉に、ブライス宰相は唾を飲み込んだ。
魔物の被害はエステル帝国でも後を絶たない。魔物は負のエネルギーが生み出した生物とはいうが、その存在はとても生物とは言える類のモノではない。人間や動物のように食物を食べてエネルギーを得ているのではないのだ。魔物は食物よりエネルギー摂取しない事から、人間の負の感情を食べて動いているのではないかと言われていた。また身体には人間の心臓に変わるコアと呼ばれるものがあるのだ。生物のような繁殖行為も持たない。死ねば土に還り、また土から生まれる。それが魔物だ。
人間や動物を襲いその血肉を食べる魔物すらいる。
魔物と竜とは決して同列ではない。
竜には知性があると言われている。魔物と同じくコアを持つが、動物同様の繁殖行動はあるのだ。番を持ち、家族を持つのがその証拠だ。
また竜は『魔法』を使う。口から吐き出す吐息がソレだ。竜の種によって吐息の種類も違うが、総じて精霊魔法と同じ原理で力を放っている事は学者により証明されている。
竜は精霊の具現化した『妖精』に区分されるのは、それが所以だ。
だがその竜が理性もなく人々を襲ったらどうなるか。想像するだに恐ろしい事態だろう。抗う術を持たぬ民にとって、その存在は魔物と同列であろうと考えられた。
「青き竜はこれまでも度々、システィナ国へ舞い降りておりました。その度に騎士たちが追い払っておりましたが、今回はそうもいかず……」
『竜』は精霊の化身ーー『妖精』の一種とされ、エステル帝国では精霊に次いで崇められている。だから例え人間の手に負えぬ青竜であっても、無闇に殺傷することは控えているのだ。
そこでエステルでは、どうしても竜を追い払いたい時にはシスティナ国原産の魔宝具『竜の笛』を使っていた。その魔宝具を使い、竜の嫌う音を発する事で一時的に竜を退散させるのだ。魔術を嫌うエステルの民が、皮肉にもシスティナの魔宝具に頼っているのが実情だった。
またエステル帝国は竜を精霊と崇める一方で、馬と同じように移動手段として、また軍事目的として『飛竜』を駆っている。飛竜に騎乗するのは飛翔訓練を積んだ飛竜騎士団の者たちだ。彼らは飛竜を駆る事で長距離の移動を可能としている。飛竜騎士団の存在は、エステル帝国が戦争において優位な立場に立てる大きな要因でもあった。
「どうされたのだ?やはり……」
「システィナ国民の命の為、青き竜を討伐しました」
アーリアの言葉にブライス宰相と、側で話を同じく聞いていたイグニス公爵も悲痛な面持ちになった。討伐とはいえ、結果的には殺害しただろうという事が分かったからだ。イグニス公爵は胸に手を当てて瞑目している。
「……しかし、それと我が国の竜の変化とはどう結びつくと言うのか?」
ブライス宰相はユークリウス殿下の『我が国の竜の気質の変化』と言う言葉に立ち返り、ユークリウス殿下に質問を投げかけた。
「システィナ国の民を襲った青竜はエステル帝国ーーユルグ大山から舞い降りたのだぞ?元はエステル帝国に生息していた竜たちなのだ。それが何らかの理由でシスティナ国へと渡った」
「ーー何らかの理由とは?」
「それは分かりかねる。だが調査してみる必要があるのではないか?」
エステル帝国でも同じような事態が起こらないとは限らないのだから。とユークリウス殿下は続けた。
「青竜はただ住処を求めて大山を降った訳ではないのでは、とユークリウス殿下はお考えなのですな?」
「そうだ。それにエステルでは飛竜を駆る。飛竜たちも同じように凶暴化しないとは言い切れないではないか」
『飛竜の凶暴化』という言葉にイグニス公爵は身震いをした。飛竜は青竜ほどの体格はないが、その大きさは馬の二頭分ほどは優にある。その爪が鋭い様をイグニス公爵はよく知っていたのだ。
ブライス宰相はイグニス公爵のその様子を冷静に見ていたが、ふとある事に気付きアーリアに再び顔を向けた。先ほどのアーリアの話ぶりがとても客観的に語られたモノとは思えなかったのだ。それよりもまるで体験談を語っているようであった。
「……そう言えば、先程アリア様が『討伐しました』と仰いましたが、それは『誰が』ですかな?まさか……⁉︎」
アーリアはその答えを口には出さなかった。少しはにかんで小さく微笑んだのみに留めた。だがそれで十分だった。ここにはそれだけで理解できる有能な官僚が揃っているのだから。
ブライス宰相の全身に戦慄が走った。アリア姫のその微笑みを見て。滅多に表情を変えないブライス宰相の顔が驚きに満ちる。
「ハ、ハハハ。そうですか……。貴女は『システィナ国の姫』でしたな?」
ブライス宰相は乾いた笑いを放った。
ブライス宰相は目の前で儚く微笑む少女がただの『姫』ではないと改めて気づかされた一幕であった。
※※※※※※※※※※
エステル帝国の夜会ーーそれも帝室主催の夜会の終わりには決められた催物があった。それは『魔法』によるパフォーマンスだ。
皇族には尊き血が流れている。このエステル帝国に於いてそれは『精霊に愛される血』であった。エステル帝国の皇族は、皇族としての役割をその血を持って示さねばならないのだ。
今回その任を受け持ったのは、これからエステル帝国の皇族に迎え入れられる予定のアリア姫であった。皇族に入るからにはその力を示せ、という通過儀礼のようなものだとアーリアは捉えていた。
アーリアは瞳に魔力を集めた。魔力の高まりに、虹色の瞳がその色を紅く染め上げていく。
「ー天より来たれ 恵の涙ー
ー白き流れ 揺蕩う水よー
ー光を纏え 雨の雫よー
ー円なる輝きを 我に与えよー」
アーリアの凛とした声が会場全体に小々波のように響き、次第に人々は口を閉ざしていく。
その虹色に輝く瞳から魔力を放ちながら、アーリアは言の葉を紡ぐ。魔力の高鳴りに髪とドレスの裾がフワリと揺らぐ。様々な精霊がアーリアの魔力に引き寄せられて集い、舞い踊る。そしてその言の葉を聞き届けた精霊たちは、アーリアの『願い』を実行に移す。
天井を覆う真円の虹。
なんと大広間の天井が色鮮やかな虹で覆われたのだーー!
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫。
赤から紫までの光のスペクトルが並んだ円状の輝きは、光の精霊と水の精霊との共演だ。
虹とは本来、光が大気中に浮遊する水滴の中を通過する際に屈折・反射する事で様々な色が見られる現象なのだ。それをアーリアは精霊の力を借りて人工的に作り上げた。
大広間の天井、そのガラス窓の向こうには丁度、満月が見える。その月を中心に広がる虹は、まるで月暈のようだ。
その虹の周囲を精霊たちが舞い踊る。そこはまるで精霊の楽園のような美しさであった。
四方八方どの方向から見ても美しい虹と精霊との織り成す光景に、大広間に集まる皇族・貴族たちは、我を忘れて見入っていた。
「見事な虹だ。室内に於いてこれほど美しい光景が見られるとは思わなんだ」
そこへ皇帝陛下からの声が届けられた。
皇帝陛下より贈られた拍手とお言葉にアーリアは頭を下げた。
美しい光景に心を奪われていた貴族たちも皇帝陛下のお言葉に目を覚まし、この現象を引き起こしたアリア姫(=アーリア)へとその視線を移す。そして大きな歓声が巻き起こった。
「アリア姫。そなたは未来の皇太子妃として見事、美しい魔法を我らに示した。エステルの民は皆、そなたを受け入れることであろう」
アーリアは皇帝陛下のお言葉に益々その頭を下げるのであった。
そして頭をゆっくり上げた時、アーリアの虹色の瞳を目にした人々は、その美しい輝きにハッと息を飲むのだった。
アリア姫はシスティナ国の魔導士。その事を知る一部の貴族はアリア姫の魔法に驚愕した。『魔導士』とは『魔術』だけでなく『魔法』をも扱う事の可能な術者なのだと改めて気づかされたのだ。そしてアリア姫に対して憧憬と恐怖を同時に抱いた。
アリア姫はユークリウス殿下の妃となる存在だが、その所属は未だシスティナ国にあるのだから……。
お読み頂き、ありがとうございます!
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夜会3をお送りしました。
ユークリウス殿下とアーリアの根回し大作戦です。ヒースとリュゼの存在感がゼロですが、二人の後ろでしれっと護衛を務めています。リュゼはついでに人間観察を楽しんでいます。
※当初悪代官真っ逆さまの予定だったブライス宰相とイグニス公爵のコンビが、だんだんお茶目になっていく始末。しかしナイスミドルな小父様は私の中の正義なので仕方がありません。
これからも生暖かく見守ってください。
次話も是非ご覧ください!