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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と北国の皇子
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予期せぬ訪問者

 フィーネの手によりガラスの器に活けられた花々を見やったアーリアは、先ほどここに訪れた人物について思い出していた。


 アーリアの手の中には一本の白い薔薇。優しい香りが鼻をくすぐる。


 花言葉は『純潔』、『私は貴女に相応しい』、『深い尊敬』。


 それが意味する本当のところを、アーリアは理解できずにいた。花束の中に1本だけこの花を混ぜて贈った人物の真意をーー……



 ※※※※※※※※※※



 アーリアが目覚めたのは、あれから既に何時間も過ぎた真夜中だった。にも関わらず、目を覚ました先にはユークリウス殿下の顔が。

 ユークリウス殿下はアーリアの寝台ベッドの横に椅子を置き、そこに座ってアーリアを看病していたのだ。

 ユークリウス殿下はアーリアの前髪を梳くと、瞼を開けた時に流れた涙を親指で拭った。


 悲しくないのに流れる涙は、アーリアの持つ『精霊の瞳』が精霊の気に敏感に反応したが所以に起こる生理現象であった。


「アーリア、大丈夫か?気分はどうだ?」

「ユリウス殿下……ここ……」

「お前の部屋だ」

「……精霊、に……?」

「そうだ。アーリア、すまなかった。配慮に欠けていた」

「……殿下の所為じゃ、ないですよ?」


 頭を下げて謝罪するユークリウス殿下を前にアーリアはそう言った。自分こそ精霊を甘く見ていたのだからと。あれ程『精霊に善悪はない』と口酸っぱく言われてきたにも関わらず、アーリアは精霊に対する認識を改めようとはしなかった。今まで大丈夫だったのだからこれからも大丈夫、などとは何とも甘い考えだと言わざるを得ない。

 アーリアはこの国が『精霊国家』だと言われる所以を、その認識を理解したつもりでできていなかった。だから起きた事故とも言える。自損事故だ。自爆だ。

 それをどうして他人の所為に出来るというのか。自分の師の所為になど出来る筈はない。


 それを聞いたユークリウス殿下は何とも言えない顔をしながらも、やはり自分にも非があると言った。


「そうか。しかし俺の配慮不足は否めない。お前の為に精霊避けの護符アミュレットを用意しよう。ーー後、三日間は療養をしてもらう。ゆっくり休め」


 許容量の超えた今のアーリアの身体には、精霊の気は毒にしかならない。ユークリウス殿下はそう言いながらアーリアの頭を撫でた。殿下の大きな手はアーリアの前髪を梳き、そっと額に添えられた。その仕草はいつになく優しいものだった。


 それから二日。この部屋に運び込まれてから三日が経ち、アーリアの体調は順調に回復していた。


 『精霊避けの香』が焚かれたこの部屋には、精霊が無条件に集っては来ない。それがアーリアの身体の負担を軽くしたのだと思われた。時間が経つごとに体内に溜まって渦巻いていた気がスッと抜けたように、身体が楽になっていった。

 この対処法は、子どもや身体の弱い者が精霊の気に当てられた時の措置だそうで、段々と香の使用頻度を下げて、再度身体を精霊に徐々に慣らして行くのだそうだ。


 この世界に精霊の居ぬ場所などない。植物の成長にも精霊の加護があると言われる世界なのだ。人間も知らず知らずの内に多くの恩恵を受けている。居ないと困るが好かれ過ぎても困るのが人間ヒトの隣に生きるモノーーそれが精霊なのだ。

 丸一日眠っていた身体はもう、元の状態といって良いほど回復していた。だが、ユークリウス殿下は三日間の療養をアーリアに言い渡した。その間はお妃教育も無いとのことで、この国に来てから初めての休暇にアーリアはやる事もないまま、長椅子に背を預けて外を眺めていた。


 外は小雨が降っている。しとしとと降る雨は窓ガラスに当たると弾けて伝い落ちていく。


 具合が良くなり始めたアーリアは、一日の大半を寝台ベッドの上で過ごす事に罪悪感を覚えていた。フィーネに渋られつつも、アーリアは寝巻きではなく比較的簡素なワンピースを着て室内で休んでいた。フィーネも部屋の中でゆっくり休んでいる分には何も言わなかった。

 やる事もなくぼんやり窓に伝う水の流れを眺めていたその時、部屋の外から微かにリュゼの声が聞こえてきた。扉越しの声は室内にいるアーリアには聞き取りにくいものだったが、何やら揉めているような雰囲気は感じ取れた。


『困ります。今、姫は休まれておりますから……』

『一目お会いし、お見舞いをと参ったのだが……』


 アーリアの前に置かれた茶器を片付けていた侍女のフィーネが、そのやり取りに不審を覚え、アーリアを一瞥すると一つ頷いて扉の方へと向かった。

 フィーネは扉を少しだけ開けると、突然の訪問者に声をかけた。


「申し訳ございません。ーーあ、貴方様は……」

「突然の訪問、申し訳ない。アリア姫はお休みだろうか?」


 少し枯れたような深い声音。その声を、アーリアも何処かで聞いた覚えがあった。

 いつも冷静はフィーネから驚きを含む声が聞こえ、アーリアは腰を上げた。

 フィーネはらば事前連絡もない無用な客など、即刻叩き出すだろう。それが出来ない相手だという事は、政治的配慮のいる貴族か官僚、若しくは皇族という可能性も考えられた。そういう相手が訪問者ならば、侍女如きに断れる筈はない。

 アーリアは肩に幅広のケープを羽織ると、扉の方へと歩み寄った。


「私は大丈夫です。どうぞお入りになってください」


 アーリアの声が届いたのだろう。

 フィーネが頭を下げながら扉を開け放つ。するとその背後から一人の男性が入って来た。藍鼠色の髪を撫で付けた初老の男性だ。その深い黒目は鋭く、背筋の伸びた機敏な動きは年齢よりも若い雰囲気を醸し出していた。


「失礼します、アリア姫」

「ブライス宰相閣下様……」


 硬い表情のその人物はエステル帝国の宰相閣下、ブライス公爵その人だった。


「お休みされていたのかな?いやはや、申し訳ない」


 ブライス公爵は少しの憂いを目元に乗せた。その表情からは本心が全く読み取れない。

 アーリアは予期せぬ人物の来訪に、内心ヒヤヒヤしていた。この皇太子宮の一室を間借りしているアーリア(=アリア姫)の元にこれまで誰かが外部より訪れた事など一度もなかったからだ。

 この宮では主であるユークリウス殿下と婚約者のアリア姫(=アーリア)、そして常駐の騎士、侍従・侍女が寝食を共にしている。ユークリウス殿下は執務を帝宮で行なっている為、昼間はこの宮には居ない。アーリアはその間、この宮でお妃教育を受けている。

 アリア姫はユークリウス殿下の婚約者として滞在している為、その姫に表立ってちょっかいを掛けようとする輩は今のところいない。アーリアを攫ってきた何処ぞの誰かからの探りも、不思議となかった。

 なのにこのタイミングで宰相閣下のお出まし。何かあるのでは!? とアーリアが不審に思っても仕方のない事だろう。

 笑顔を貼り付けつつもドギマギしているアーリアの内心など御構い無しに、ブライス宰相閣下はその手に持って来た花束をアーリアへと差し出した。


「どうぞ、お見舞いの品です。姫が体調を崩されたとお聞きしましてね。一目お会いしてお見舞い申し上げたかったのですよ」

「ありがとうございます……」

 

 アーリアは両腕いっぱいの花束を受け取り、恐縮しながらも礼を述べた。

 花束にはガーベラ、リシアンサス、アルストロメリア、デルフィニウム、カスミソウ、薔薇など、色鮮やかな花々で構成されていた。その色合いはまるで花畑をそのまま切り取った様に色鮮やかで、アーリアの目を楽しませた。香しい香りが鼻を擽る。


「……どうされました、お気に召されませんでしたかな?」

「そんな事はないです!花束を貰ったのは初めてなので、とても嬉しいです……」


 アーリアが頬をほんのりと赤らめてそう呟くと、ブライス宰相閣下はその表情にほんの少しの驚きを見せた。


「ハハハ!そうですか?私が貴女に初めて花束を贈った男となるのですな?」

「……え?」


 アーリアにはブライス宰相の笑みの理由が分からなかった。加えて、ブライス宰相閣下の背後でフィーネとリュゼが内心頭を抱えていた事など、アーリアには知る由もない。


「どうぞ……」


 アーリアはブライス宰相閣下を応接間へと促した。いや促した筈なのだが、何故かアーリアの方がブライス宰相閣下にエスコートされて席に着いたのは、宰相閣下の紳士としての為せる技だろう。

 先ずアーリアがソファに腰を下ろすとブライス宰相閣下も向かいに腰を下ろした。アーリアとブライス宰相閣下の前に暖かな紅茶と茶菓子が用意された。


「この様な格好で申し訳ございません」

「構いません。私の方こそ配慮が欠けました。病み上がりに淑女の部屋を訪れるなど……。お身体はもう、よろしいのですかな?」

「はい。もう身体は何ともないのですが、様子を見て休んでいたのです。ユークリウス殿下にもよく休むようにと念を押されてしまいまして……」


 ユークリウス殿下の名にブライス宰相閣下の眉根が少し上がる。


「……精霊酔い、でしたかな?」

「はい」

「どうしてまた急に……」

「私がいけなかったのです。油断して精霊避けの護符アミュレットを外してしまったのですから」

「そうだったのですか……この国の精霊濃度は他国より高いですからな。システィナではこのような事は滅多に起きますまい」

「はい。私も驚きました。油断していたのです……お恥ずかしい」

「仕方ありませんよ。貴女はまだこの国の風土に慣れていないのですから」


 ブライス宰相閣下の黒い瞳には厳しい表情とは裏腹に優しい光が灯っている。

 アーリアはその瞳に見つめられながら、緊張感が少しだけ和らいでいる事に気がついた。ブライス宰相閣下からは悪意がまるで感じられなかったのだ。

 王座の間にて初めてまみえたブライス宰相閣下はアーリアから見ても強面で、とても近寄り難い雰囲気があった。しかし今こうして対面している初老の男性からはその威圧感は出ておらず、寧ろアーリアの身体を労わる紳士としての面が色濃く出ている。

 警戒心を緩める訳にはいかない相手だと分かっていても、アーリアは無意識に肩の力を抜いてしまったのは、宰相閣下の優れた手練手管のなせる技に違いなかった。

 ブライス宰相閣下は出された紅茶を一口、口に含ませると、意外な呟きを漏らした。


「ほう。これはティオーネの紅茶ですな?」

「ご存知なのですか? 」

「勿論です。紅茶界に現れた新星。15年ほど前に出回り始めた頃はまだ無名でしたが、今では紅茶愛好家の中で知らぬ者のない名品です」


 ブライス宰相閣下から語られた内容に、アーリアは驚きを露わにした。

 確かにブライス宰相閣下に出した紅茶、その茶葉はティオーネ産のもの。システィナ国から偽装工作の品として送られて来た物資の中に入っていた物だった。紅茶は王族・貴族の嗜み。良い茶葉を入手できるのも、それを振る舞う事のできるのも、王族・貴族の『権力誇示』の証明となるのだ。茶器や茶菓子一つ取っても政治になる。アーリアは宮廷作法と淑女教育から学んだ。

 しかし、アーリアはそのような些末な事よりもティオーネ紅茶その物に強い思い入れを持っていた。


「アリア姫もティオーネ紅茶をご存知で?ーーああ、貴女のご出身はシスティナの西方でしたな?」

「はい。わたくしはシスティナの西方の辺境伯ーーイルバートお祖父様の元で過ごしておりました。ティオーネの街は領内でしたので……」


 偽装工作の過程で作られたアリア姫の生い立ち。アリア姫の実母はアルテシア辺境伯の娘。そして偶然にも祖父アルテシア辺境伯イルバートの領地にはティオーネの街が存在する。

 ティオーネはアーリアの第二の故郷と言ってもよい場所だった。バルドからの逃亡の旅、その途中で得た安らぎの場所は、今でも特別な場所でもあった。


「姫はティオーネに行かれた事があるのですかな?」

「はい、お忍びで。ティオーネの茶葉の茶摘みや葉を揉む作業にも参加した事があるのです」

「それはそれは!」

「積み立ての茶葉の香りには心が洗われました。今は秋摘みの季節ですね?」

「紅茶は季節毎に新茶を味わう事ができますからな。私は特に夏摘みの茶葉が気に入っております」


 アーリアの話にブライス宰相閣下は頷きを繰り返した。

 ブライス宰相閣下によるアリア姫への探り。それにアーリアは難なく応えた。作られた身分証明書と略歴だけならば、ボロが出ただろう。しかしその中に真実を混ぜれば、立派な偽装となるのだ。


「……お寂しくは、ございませんか?」

「え……?」


 ブライス宰相閣下の眼差しを受けて、アーリアは目線を手元のティーカップからブライス宰相の顔へと向けた。


「貴女は一人の従者しかつけずにこの国へ参られた。あちらのお国には、貴女のご家族や友人などもおりましょう?」

「……はい。でも、これは『国の為』ですから……」

「ほう?国の為、とは……?」

「宰相閣下様ならご理解できますでしょう?国同士の結びつき。親善目的の婚姻。それらをどうして運命などと言う言葉で片付けられましょうか。王族の婚姻は義務ですわ」


 ユークリウス殿下は王座の間にて皇帝陛下に会い見まえたとき、殊更『運命』という言葉を口にした。あれにはアーリアも呆れていたが、それも策略の一つなのだと後で知らされた。あの言葉につられてくる小物を吊る為の疑似餌だ。

 絆されるようならば、そのような者は構うに値しない。吊られるようならば、刈り取ろう。それ以外ならば好敵手足り得る。そう言う事なのだろう。

 王族(皇族)の婚姻は義務。その血を残す事が王族の最大の責任でもある。そこには間違っても『運命の恋』などと言うモノは存在しない。

 本来、アーリアなどの血は好まれない。相応しくもない。だからこそアーリアは『仮の妃』なのだ。この策略期間だけの繋ぎ。囮でしかない。


「私は国の為に責務を果たすつもりでおります。それはユークリウス殿下も同じことですわ」


 アーリアはそうキッパリと言い放った。百戦錬磨の大貴族、政治家の頂点である宰相閣下に向かって、何も臆する事なく。

 アーリアの虹色の瞳の煌めきに、ブライス宰相閣下は魅入るように見つめてきた。アーリアもブライス宰相閣下の漆黒の瞳を見つめた。

 暫くの間、二人はお互いに目線を外さずにいた。


「そうですか……貴女のお気持ちはよく分かりました」


 先にその眼力を緩めたのはブライス宰相閣下の方だった。


「貴女のお身体にもさわりましょう。今日はこの辺りで失礼を致します」


 柔らかな笑みを浮かべて立ち上がったブライス宰相につられて、アーリアも立ち上がった。


「お見舞いをありがとうこざいました。何もお構いできずに申し訳ございません」

「いいえ。思いがけず楽しい時間でありました。美しい貴女を独り占めできました事を、皆に自慢したいと思います」


 ブライス宰相閣下はアーリアの手を取るとその甲に口づけを落とした。

 その仕草は完璧な貴族紳士。アーリアの赤く染まる頬に一瞥すると、柔らかく腰を折って頭を下げた。


 そして爽やかな秋風のように去っていったのだ。そこに色とりどりの花束を残して……。



お読み頂き、ありがとうございます!

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老紳士ブライス宰相閣下のご登場でした。アーリアの無意識発言に、身構えてきた宰相閣下も毒気を抜かれたようでしたね。花束云々の下りでは、リュゼは同じ男として色々思うところがあったようです。


次話も是非ご覧ください!

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