皇子と魔法と精霊と
「これがアーリアが作った『魔宝具』か?」
ユークリウス殿下は磨いたアメジストを中心に小さな水晶とサファイアを散りばめたネックレスを繁々と見ている。それと知らぬ者からは小さな宝石をあしらった只の宝飾品に見えるだろ。
「アメジストには結界魔術、水晶には浄化魔術、サファイアには回復魔術を組み込んであります。ユリウス殿下の魔力に反応して発動しますから、身につけておくだけで大丈夫です」
ユークリウス殿下は魔宝具を手に取るとそのまま自分の首につけた。アーリアは殿下のそのあまりに無防備な行動に、あんぐりと口を開けた。
「どうだ?似合うか?」
「え……はい。よくお似合いです」
「何だ?微妙な顔をして。やっぱり似合わんのか?」
「そんなことないです、イメージ通りでお素敵です!」
「では、何を考えた?アーリア」
ずいっと迫るユークリウス殿下の麗しの容姿とその鋭い眼力に押し負けて、アーリアは素直に白状した。
「じ……自分が作った物を身につけて頂けるのは嬉しいんですが、ユリウス殿下が何の疑いもせず身につけられたので……その……びっくりして……」
アーリアの言葉は切れ切れで、後に連れて尻すぼみになっていった。
アーリアとユークリウス殿下は共通の目的を持った『仲間』だ。しかしその狙いは全く違う。『敵』ではないだけで、『味方』でもない。だから、例えアーリアが渡した物とはいえ、ユークリウス殿下がこんな安易に魔宝具を身につけるとは思わなかったのだ。
アーリアは意を決したようにユークリウス殿下の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「騙して害そうとするかもしれないとは、思われなかったんですか……?」
「お前はそのようなマネなどしない」
ユークリウス殿下はアーリアの疑惑を一言で退けた。その言葉には一切の迷いはない。
「……何故、そう言い切れるんです?」
私はユリウス殿下の味方ではありませんと続くアーリアの言葉に、ユークリウス殿下は意味深な笑みを浮かべるとクツクツと笑った。ニヒルな笑み。その魅力ある笑顔を見惚れるアーリアの滑らかな手を取った。
「お前は俺の嫁だからな」
「揶揄わないでくださいっ」
「揶揄ってなどいないが……?」
ユークリウス殿下はニヒルな笑みから一転して真面目な表情を作ると、アメジストのような鮮やかな紫の瞳の中にアーリアを映し出す。
「お前は『自分は魔導士であり魔宝具職人だ』と言った。そう名乗ったお前がその名を傷つける事などしない。ーー違うか?」
そう言い切るとユークリウス殿下はアーリアの手の甲に口づけを落とした。アーリアの顔に一気に血がのぼる。
「アーリア、素敵な贈り物をありがとう。本来ならば俺からお前に贈り物をせねばならんのに、甲斐性のない旦那ですまない。この埋め合わせは必ずしよう」
アーリアは赤面したまま、それでもどうにか「お気になさらず」とだけ答えた。
ユークリウス殿下はアーリアの紅薔薇なように色づいた頬に満足すると唇をアーリアの手から離し、そのまま手を引いてアーリアをソファへと座らせた。ユークリウス殿下は向かいのソファへと座らず、アーリアの左隣へと腰を下ろす。
アーリアは迅る心臓の鼓動を何とか抑えると、本来の目的を果たすべく、ある『お願い』をユークリウス殿下に申し出たのだ。
「ユリウス殿下、お願いがあるのです」
「この前のように可愛らしい『お願い』なら幾らでもいいぞ?だが……」
ユークリウス殿下は脚を組むと、アーリアの顔を覗き込んできた。
「ーー可愛い嫁の頼みなら何でもと言いたいところだが、聞ける事とそうでない事がある」
そうユークリウス殿下はアーリアへ念を押した。それはアーリアも承知の上だった。アーリアはその言葉に頷くと、小さな願いを口にした。
「ユリウス殿下に魔法を教えて頂きたいのです」
「魔法を……?」
アーリアからの願いにユークリウス殿下は首を傾げた。どうやら予期せぬ『お願い』だったのだろう。殿下の様子からも、アーリアはその願いが聞き届けられるのかは半々だろうと思った。
エステル帝国は『精霊』を神と崇めて信仰する『魔法国家』。システィナ国のように魔術こそ無いものの、魔法に於いて他国の追随を許さぬ程の実力を誇っている。そのエステル帝国の皇太子殿下が他国の魔導士に自国の魔法を伝授するのは危険極まりない事だろう。
アーリアでさえそのように考えたからこそ、この願いは聞き入れてもらえるかは半信半疑だったのだ。
「魔法を教えろとはどう言う意味だ?お前は魔導士なのだから魔術は元より魔法も扱える筈だろう?」
「はい……」
「なら何故だ?」
ユークリウス殿下の疑問は最もだった。だから、アーリアは自分が魔法に行き詰まりを感じた原因とその経緯を素直に話した。ユークリウス殿下はアーリアの話に茶々を入れる事なく、寧ろ神妙な面持ちで最後まで耳を傾けてくれた。
「以前ある魔導士に声を封じられた際に、言葉が無くとも精霊たちと意思の疎通ができる事に気がついたんです。でも、その事で私の中の魔法感が崩れてしまって……」
「ふむ、そうか……」
ユークリウス殿下は顎に手を置いて少し考えた後、アーリアの瞳を指した。
「アーリア、お前は精霊がどこまで見えている?」
「……?どこまでって……?」
「普段はどうしている?『精霊の瞳』など持っているのだ。その見え方は我々と違うのだろうか?」
「普通に生活している時に精霊が見えていたら不便なので、見ないようにしていますが……」
「見ないように、とは?」
「瞳に魔力を込めないようにしています。見たい時は逆に瞳に魔力を込めるようにして……。あれ?ユリウス殿下は違うんですか?」
アーリアの話を聞き取るユークリウス殿下の表情が徐々に険しいものになっていく様に、アーリアは自分の言にユークリウス殿下が違和感を持ったのだと感じ取った。
「それは多分、お前の中の建前だな。瞳に魔力を込める込めないで精霊を見る見ないを無意識に決めているのだろう」
「え……じゃあ……?」
「そうだ。精霊は意識して排除しないと視界から外れることはない。アーリアにその方法を教えた人物は、お前を下手に混乱させない為にそう教えたのだろう」
精霊との接し方は大概、幼い時分に教えられるものなのだ。親兄弟等の身近な大人は、子どもにも分かるように教えるのだそうだ。アーリアに精霊との関わり方や接触方法を方法を教えたのは勿論、師匠だ。師匠は幼い自分にも理解できるやり方で教えてくれたのだろうと、アーリアは結論づけた。
「だからと言って今からその意識を変える必要はないぞ。更に混乱してしまう。お前も四六時中、精霊と戯れたい訳ではないだろう?」
ユークリウス殿下はアーリアの意識改革を強制的にストップさせた。
「お前が混乱した理由は大体分かった。魔法感覚が混乱しているのも同様の理由だろう」
ユークリウス殿下は組んだ脚を元に戻すと、徐に右手をスイっとアーリアの目の前に出した。掌が上になるのように向けて、皿のように指を少しだけ丸めている。
「アーリア、『瞳に魔力を込めて』よく見てみろ」
アーリアはユークリウス殿下に言われた通り瞳に魔力を込めた。アーリアの虹色の瞳がぼんやりと光を帯び、紅く輝いていく。
アーリアが言われた通りに『よく見て』みると、ユークリウス殿下の掌の上に水の精霊がちょこんと座って居るのが見えた。
「水の精霊ですね?」
「そうだ。大気中にも水分はある。水の精霊は大抵どこにでもいるからな」
ユークリウス殿下の掌の上に座る水の精霊は美女の姿をしていた。精霊の大きさはティーカップ程だ。透ける水色の羽を持ち、透明な肌は文字通り奥に透けている。
水の精霊は眼前の人間ーーアーリアと目が合うと嬉しそうに語りかけてきた。
『こんばんは、可愛いお嬢さん』
「こんばんは、水の精霊さん」
『何か私にご用かしら?』
「いいえ、ごめんなさい。今は貴女に特別な用事はないの」
『そうなの?でもご用があればいつでも言ってちょうだいね』
「ありがとう。その時はよろしくね?」
水の精霊はユークリウス殿下の掌の上からアーリア目掛けて飛び立つと、アーリアの瞼へチュッと唇を落とした。そしてアーリアの周りをくるりと一周するとユークリウス殿下の掌の上に戻って行った。
アーリアが隣のユークリウス殿下の顔を見上げて見ると、水の精霊を呼び出した殿下本人が何故か驚愕の表情をしていた。
「おい、アーリア。お前今、水の精霊と話していなかったか?」
「はい、話しましたよ。話すというより意思の疎通ですね?……あれ?何か可笑しい事でも……」
「精霊が見える者の中でも、精霊と話せる者は殆どいない」
「え!? うそぉ?」
「本当だ。俺も血は濃い方だが、自分が呼び出した精霊くらいしかその言葉は分からない」
エステル帝国に於いて『魔法』とは言葉に魔力を乗せて精霊を呼び出し、その力を貸し与えて貰う術を指す。
精霊は基本的に己の存在を認識する事のできる者を好む。そしてその者の魔力を好むのだ。花の蜜に引き寄せられた蝶のように、魔力という甘い香りに引き寄せられて精霊は集う。
どれだけ精霊に好かれるか、どれだけ精霊に惹きつけられる魅力を持つかが『魔法士』の格を決めるのだそうだ。
そして人間には一人ひとりに合った『特質』を持っている。水の精霊に好かれる者もいれば火の精霊に好かれる者もいる。だから『魔法士』は己の特質に合った属性の魔法を中心に極めるのだそうだ。
「俺の場合は『水』『風』『光』と相性が良い。治療魔法に特化しているのはこの為だ」
「でもユークリウス殿下には『火』を意味する名が入っていませんか?」
「よく分かったな?お前が気づいているとは思わなかった……!」
ユークリウス殿下のミドルネームには『火』を表す『ケイ』の文字がある。アーリアがユークリウス殿下のフルネームを初めて聞いた時に『さすが精霊大国』と思った程だ。確か皇帝陛下の御名には『土』を表す文字が入っていた筈だ。
アーリアがそう言うとユークリウス殿下は感心して唸った。
「そうだ。我々王族は産まれた時にそれぞれ何らかの属性の名を頂く。育つ過程でその属性が優となるとは限らないのだが、それ以上に『精霊の祝福』という意味合いが強い」
「エステルの王族にだけ許された名の付け方なんですね?」
「まあな。だがこの国の人間は多かれ少なかれ、精霊の恩恵を受けるような名をつけるのが慣例となっているがな」
精霊の力ーー魔法が生活の基盤となっているエステル帝国に於いて、少しでもその恩恵にあやかろうとする考えは道理に適っている。
「それは置いておいてだな。要するに魔法士が精霊に呼びかけないと精霊は呼応しない。だがお前は違うようだ。精霊からお前に惹かれゆく」
魔力を瞳に宿したアーリアの元には様々な種類の精霊たちが集まり始めていた。精霊たちは皆、嬉しそうに謳い、笑い、飛び交っている。
「だから精霊がお前の願いの範疇を超えて勝手に働いてしまうのだろう。それはもはや使役しているとは言えない」
「使役、ですか?」
アーリアは怪訝そうに首を傾げた。使役とは、精霊を信仰し神と崇める者たちが使う言葉とはおよそ思えない。
「精霊の力を借りて術を行使する。これは精霊を自分の支配下に置いている事と同意だ。言葉に魔力を乗せて精霊を引き寄せる。そして力の対価として魔力を差し出す。これはどう考えても精霊を『使役』しているだろう?それとも主従関係とでも言おうか?」
これはエステル帝国での一般論ではなく、ユークリウス殿下独自の考察のようだった。しかし、そのやや乱暴とも言えるその理論は、アーリアにとっては大変分かりやすいものだった。
「アーリア。お前は精霊に好かれーーいや、愛されている。ならばお前が精霊に振り回されるのではなく、お前が精霊を使役しろ。お前が精霊の主になるんだ」
それこそ『認識の差』だとユークリウス殿下は言う。理屈や理論そっちのけでそう『思い込め』と言うのだ。アーリアが瞳へ魔力を集める事でオン・オフを決めているように、魔法を扱う際も『思い込み』を使えというのだ。
「お前は魔導士だが、あまり策略には向かんな。だからもう、あまり考えすぎるな」
「えっ!それはちょっとヒド……」
「酷くないからな。嗚呼、俺はお前が心配になってきた……」
アーリアはユークリウス殿下に馬鹿にされたのだと憤りを見せたが、ユークリウス殿下の方は盛大な溜息を吐くと顔を両手で覆ってソファの背もたれにもたれかかり、全体重を預けた。
そのユークリウス殿下の様子にアーリアは慌てふためいた。自分の言動がユークリウス殿下に負担を掛けてしまったのかと。
「ユリウス殿下……?あの、大丈夫ですか……?」
アーリアが隣で脱力しているユークリウス殿下の膝に手を置き、もう片方の手で頭に触れようとした時、ガバッとユークリウス殿下が起きた。そしてアーリアの手を掴み、細い腰に手を回して抱きしめてきた。
「ひゃ……!」
「ほらすぐ騙される」
「……!」
「このまま俺が愛を囁いたら、お前は騙されてくれるか……?」
ユークリウス殿下はアーリアの瞼に唇を押し当てながら、普段からは想像し得ない優しい響と妖艶さを持って囁いた。ドッとアーリアの心臓が早鐘のように打つ。
柔らかな感触を瞼の上に感じたアーリアは、とたんに顔だけでなくその小さな耳まで真っ赤にして身体を強張らせた。力強く抱かれてしまったアーリアは身動きも取れず、恥ずかしさから思わず目を閉じた。それが相手の思うツボだとは知らずに。
ユークリウス殿下は目を閉じたアーリアの頬に唇を滑らすと、アーリアの唇と己の唇とを重ねる寸前まで持っていき、そこで何故か思いとどまった。
「……だから、お前には向かんと言うんだ」
ユークリウス殿下はアーリアの身体をそっと離しながらそう呟いた。
アーリアは近くに感じていたユークリウス殿下の吐息が離れた事が分かり、潤ませていた瞳をそっと開けた。そこには何時ものニヒルな笑みを浮かべたユークリウス殿下がいた。そんな殿下の表情にアーリアはホッと息を吐く。
その、あからさまにホッとしているアーリアの様子に、殿下は心の奥底で溜息を吐いていた。そして『やはり唇を奪っておいても良かったか?』とも考えていたなどとは知る由もない。
「分かった。俺がお前の『魔法』の師となろう……」
「あ、ありがとうございます」
「但しそれには条件がある……!」
その条件とは……
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ユリウス殿下とアーリアとの仮夫婦間のお話でした。
ユリウス殿下はアーリアの事をかなり心配しておいでです。お兄ちゃん気質な面も多々あります。一度懐に入れたら最後まで面倒を見るタイプです。
次話も是非ご覧ください!