淑女の嗜みとは?
「貴女がシスティナ国の姫、アリア様ですのね?」
そう問うと妖艶な微笑みを湛えた美女はアーリアへとその菖蒲色の瞳を細めた。
本日はユークリウス殿下の母君ーーエステル帝国皇后エリーサ様に呼ばれ、アーリアはシスティナ国の姫『アリア』として茶会への参加を余儀なくされていた。
帝国の皇后からの呼び出しに断れる者などいない。『アリア』はシスティナ国の姫とはいえど王族の序列でいえばそれほど高い位置にはいない。それに皇后陛下はこれから嫁に行く先ーー皇太子殿下の御生母であらせられるのだ。正式に籍を入れれば姑と嫁の関係にもなる。皇太子妃になる前から波風を立てるなど、愚行でしかない。
呼び出しーー茶会へのお誘いはユークリウス殿下から齎されたという点も大きい。ユークリウス殿下がこの話を持って来た時、その余りに暈した話し方にはアーリアもかなりの不安が生まれたが、『断っても良い』とは一言も言われなかった。つまり避けては通れぬ道、と言う事なのだろう。
「お初にお目にかかります。アリアと申します」
アーリアは席に座る前にエリーサ皇后陛下の御前に平伏した。
「遥々システィナよりよくぞ参られました。貴女の来訪を心より歓迎いたしますわ」
「ありがとう存じます」
平伏したまま返礼すると、エリーサ皇后陛下より席に着くよう声をかけられ、アーリアは擡げていた顔を上げた。
「ーーえ?」
顔を上げた先にエリーサ皇后陛下の顔が間近にあり、アーリアは間抜けな声を上げた。
「あら、本当に綺麗な瞳!」
エリーサ皇后陛下はアーリアの頬をその両手で挟み混んで、その菖蒲色の瞳を少女のようにキラキラさせて覗き込んできた。
アーリアは困惑したままーー相手が皇后陛下なので無下にも出来ずーー黙ってされるがままになった。
「本当に美しいわぁ〜〜!陛下にお聞きして私、本当に驚いたのですよ?『あの』陛下が興奮していらしたのですもの……!」
ー『あの』陛下とは『どの』陛下だ?ー
アーリアにソレを聞く勇気などない。皇后陛下に『陛下』と呼ばれる存在はエステル帝国には一人しか存在しない。しかし、仮に『皇帝陛下』を指していたのだとしても、皇帝陛下の人となりを全く知らないアーリアにはツッコミようもないのだ。勿論ツッコミを入れたら不敬罪一直線なのだが。
「あ〜〜こほん。エリーサ様……」
別の角度から女性の咳払いが聞こえた。その声にエリーサ皇后陛下はハッとしたように我に帰られた。
「あら、ごめんなさい。私ったらつい……」
エリーサ皇妃はアーリアの頬から手を離すと、自分の頬を赤らめさせた。
アーリアは笑顔を貼り付けたまま「お気になさらず」と言葉を返した。
そしてエリーサ皇后陛下が席に着いたのを確認し、立ち上がろうとした時、アーリアの目の前にサッと手が差し出された。
「お手をどうぞ?」
「え……ありがとう存じます……?」
手を差し伸べたのは男装の麗人かと見紛うほど美しい女性だった。紺藍色の艶やかな髪をたなびかせ、色素の薄い灰色の瞳を持つ美女は、アーリアへと爽やかな笑みを向けてくる。
ー誰?ー
アーリアはそのような失礼な言葉を発する迂闊な真似はしなかった。これも偏にフィーネのスパルタ教育の賜物だ。
皇后陛下主催のお茶会に参加できる資格のある者は限られる。不審人物などこの談話室に入れる訳がないのだ。
そもそも今日は皇后陛下と一対一の個別面談だと聞いていたので、この第三者の登場にアーリアは完全に混乱していた。
アーリアはその男装の麗人にエスコートされて席へ着くと、アーリアは瞬きも忘れてその麗人を見上げた。
キョトンとしているアーリアを見たエリーサ皇后陛下は軽やかな笑い声を上げた。
「オホホホ!そのような顔も可愛らしいわね?……こちらはオリヴィエ様。私と同じ旦那様を持つお方よ?」
「ーーーーも、申し訳ございません!」
アーリアはエリーサ皇后陛下に言われた意味を瞬き一つ分で理解し、立ち上がって首を下げようとした矢先、男装の麗人ーーオリヴィエ側妃様はアーリアの前に跪き、アーリアの手の甲に唇を落とした。
「畏まらなくてもいいんだよ?可愛い姫。私が無理矢理エリーサ様に頼んだんだ。どうしても貴女に一目会いたくてね?」
その仕草に見惚れーーている場合ではなく、アーリアは頭のスイッチを入れ替えて椅子からサッと降りた。そして迷いない動作でオリヴィエ側妃様の前に両膝をついた。
「申し訳ございません!知らぬ事とはいえ、失礼を致しました」
「あらあら、これは困ったね?」
「ウフフ……貴女がいけないのよ?貴女ったら、そこらの男性より素敵なんですもの……」
「嬉しい事を言ってくださる。……さぁアリア姫、お立ちください」
オリヴィエ側妃様は苦笑しながらアーリアを立たせると再び椅子に座らせ、自分はエリーサ皇后陛下の隣の席へと着いた。
ここまでの件でかなりの精神的労力を使ってしまったアーリアは、暖かな紅茶が運ばれて来る頃には既に疲れていた。
テーブルの上には可愛くて美味しそうなお菓子が山ほど置いてあるが、それに手をつける勇気も持てずにいた。
「貴女の事を聞いて、ユークリウス殿下に是非お会いしたいって頼んでしまったのよ?」
エリーサ皇后陛下は紅茶を飲みながら話し始めた。
ユークリウス殿下はエリーサ皇后陛下の実の息子だが、身分に於いてユークリウス殿下の方が上だ。親子であろうと身分制度を遵守するのは当然の世界なのだ。ユークリウス殿下は皇位継承権第1位ーー次期皇帝だ。息子であろうとその名を呼ぶ際には必ず『殿下』という敬称は必要になってくる。
アーリアは習った内容を頭の片隅に置いていた。
「あの子ったら、本当に貴女が大切なのね?このお茶会も相当渋ったのよ?」
「それは仕方がないだろう?このように可愛らしいお嬢様だ。しかもシスティナより単身参られてから日も短い。アーリア様はユークリウス殿下が『是非に』と乞われた姫。心配なされるのは当然のことさ」
「そうよね〜〜。『あの』ユークリウス殿下が『是非に』と頭を下げて、システィナ国より迎えたのだもの……」
ーだから『あの』ユークリウス殿下って『どの』ユークリウス殿下だ?ー
アーリアは訳もわからず、その顔に笑顔を貼り付けたまま紅茶の入ったカップに口をつけた。
「そのお召し物もユークリウス殿下が選ばれたのだろう?」
「はい……」
オリヴィエ側妃様の目敏い視線に、アーリアはドキリとしながらも素直に頷いた。
アーリアの今日の装いは浅葱色を基調とした淡い色味のドレスだ。金の髪色と白い肌、そしてその美しい虹色の瞳が映えるようにデザインされたこのドレスは、ユークリウス殿下から贈られた物だった。
「やるわね?我が息子ながら天晴れだわ!」
「殿下は服の趣味は良いからね?」
褒めているのか貶しているのか判らぬエリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様の言葉に、アーリアは益々困惑していく。
ユークリウス殿下はアーリアへ服や装飾品を贈りたがった。アーリアは『偽の姫』であり『偽の妃』なのだから、最低限の物で良いと思うのだが、その最低限の限度に留まっていないように思うのはアーリアだけだろうか。
王族・貴族の金銭感覚が分からないアーリアからすれば、恐ろしい金額が動いているように感じて怖い。
「……でもあのユークリウス殿下が『妃』を娶ろうだなんて……?」
「殿下もお年頃だ。将来を見据えての事だろう?」
「それなら、これまでも沢山、皇太子妃候補はいたじゃない?」
「まぁ、そうなのだけれどね?」
エリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様の意味深な言葉の応酬に、アーリアは失礼にならない程度に二人の表情の変化を目線で追った。
アーリアの視線に気がついたエリーサ皇后陛下は、アーリアへと自分の視線を合わせてきた。
「ーーあら?アリア様はご存知ありませんの?」
「……何を、でございますか?」
「あらあら。本当にご存知ないようよ?」
「それはそうだろう。姫はこの国へ参られてからまだ日も浅い。ユークリウス殿下のこれまでの所業をご存知なくても仕方がないだろう」
「ユークリウス殿下の所業……?」
アーリアの疑問に、エリーサ皇妃陛下はニヤリとした意地の悪い笑みを浮かべた。それはユークリウス殿下がたまに浮かべるニヒルな笑みとそっくりだった。
こんな所に親子を感じてしまったアーリアは、エリーサ皇后陛下に乗せられたのだと悟った。やり口が同じだ。
「ユークリウス殿下には今までも大勢の皇太子妃候補のご令嬢がいたのよ?」
エリーサ皇后陛下の説明では、ユークリウス殿下には自国を始め、他国にも大勢の皇太子妃候補の令嬢がいた。特にこのエステル帝国は侵略により取り込んだ多民族も住まう国家という事もあり、次期皇帝となる予定のユークリウス殿下には様々な思惑を持つ者たちが、殿下と繋がりを持とうと画策していたそうだ。
しかしユークリウス殿下はその妃候補たちを全て却下し、欲望と思惑から繋がりを持とうとする者たちとの縁をスッパリ切った。それどころか脛の黒い者たちには最後通告を突きつけ、それでも国の意に従わぬ者には、その息の根をさっくり止めていったらしい。
「そう、なのですね……」
アリア姫(=アーリア)はユークリウス殿下直々に乞われた妃ーー未だ婚約者留まりだがーーという設定上、これ以上の迂闊な言葉は出せない。だが脳内では様々な可能性を考察していた。
ユークリウス殿下を目の敵にする貴族、または取り入ろうとする貴族は今も後を絶たないということ。
『アリア姫』という正妃を迎えた事で、ユークリウス殿下に『婚姻の意思がある』とはっきりしたこと。
ユークリウス殿下に側室を送り込める機会を見込み、己の令嬢を送り込もうと動く貴族が出てくるということ。
要するにユークリウス殿下の周りには、暗躍する影が多数あるという事だろう。
そしてその影たちの一番の目障りは『アリア姫』だ。ユークリウス殿下に婚姻の意思がある事がはっきり示されたのだ。未だ婚約者でしかない『アリア姫』を害し、正妃の座を欲する者がいない訳がない。
だが、先の御目通りによって皇帝陛下より婚姻が認められた『アリア姫』を、表立って害そうとする者はいないだろう。やるとすれば暗殺のみに限られる。
「その令嬢たちを押しても『貴女』を欲したユークリウス殿下のお心……貴女に分かって?」
エリーサ皇后陛下の菖蒲色の瞳が怪しく光る。口元には笑みを浮かべているが、その射抜くように鋭い瞳はアーリアの内実を吟味しているのだろう。
「それは大丈夫なのでは?彼女はユークリウス殿下から『乞われた姫』なのだから……」
エリーサ皇后陛下の言葉の上にオリヴィエ側妃様の擁護の言葉が重ねられるが、それは決してアーリアを擁護などしていない。その逆だ。
しかしアーリアは二人からの威圧のこもった言葉に気圧されはしなかった。
アーリアはエリーサ皇后陛下よりこれくらいの言葉なら言われるだろうと踏んでいたし、何ならこれ以上の言葉をも想定していたのだ。民間でも『嫁姑問題』はある。どこのご家庭も過激なのだ。一筋縄でいく家庭など存在しない。これは姉弟子の格言の一つでもあった。
アーリアはにっこりと微笑んでエリーサ皇后陛下の瞳を見つめた。
「ありがとう存じます。でもご心配には及びません。私は『システィナ国の姫』ですから」
「ご心配して頂き、ありがとう存じます」と頭を下げたアーリアに、エリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様は一瞬見つめ合った後、その目を瞬かて笑い合った。
その後、和やかな雰囲気に戻った談話室で、アーリアはエリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様とのお喋りに興じた。
「……ところでこの国での間者の取り扱いは、どのようになさっておいでですか?」
カモミールの香りのするお茶を飲みながらアーリアは突然、エリーサ皇后陛下に物騒な質問をした。
「そうねぇ……一族郎党死罪!の前に、取り敢えずは引っ捕らえるわね?」
いきなり繰り広げられたエリーサ皇后陛下とアリア姫のやり取りに、ついて行けない者がこの場にはいた。
アーリアはエリーサ皇后陛下に頷きを持って返すと、カップに添えていた手を軽く上げた。
「《銀の鎖》」
アーリアの手中に発生した魔術方陣より魔力の鎖が飛び出し、部屋の隅に控えていたその人物を瞬時に補足。鎖はそのままその人物の身体全体を絡みつくように拘束した。
アーリアの突然の行動に、エリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様は、何の動揺も見せなかった。彼女たちは大帝国エステルの皇帝陛下の妃。このくらいの事態で動揺するようなヤワな神経など持ち合わせていない。
「ーーーーなん、でッ⁉︎ 」
アーリアは椅子から立ち上がると、鎖に巻きつかれて床に這いながら自分を見上げてくるその人物を見下ろした。その人物は驚愕を露わにし、歯を鳴らした。
その人物ーーフィーネを見留めるとアーリアは小さく嘆息した。
「……私たちが入って来た時、この談話室にいらっしゃる方々はとても緊張した面持ちをしておいででした。それは『システィナ国の姫』を迎えるには過ぎたものだと、私には感じられたのです」
自分の侍女としてこの談話室に付き従って来たフィーネ。ユークリウス殿下に命じられ『仮の主従』となって以降も常に厳しい表情を保ち、アーリアを指導してきた彼女は今、その顔に驚愕と屈辱の表情を浮かべている。
「招かれた客であっても、私自身が警戒されるのは当然です。私は『システィナ国の姫』なのですから。ですが、エリーサ皇后陛下は私にお茶をお出しくださった」
客人にお茶をお出しし、それを共に飲むこと。これは一見、当たり前の行為なのだが、互いにある程度の信用を持っていないとできない行為なのだ。
「ですから、私自身ではなく、私と共に現れた貴女の方が警戒されているのだと考えたのです」
「私は貴女の侍女でーー」
「貴女は私の侍女『フィーネ』ではないでしょう?」
「ーーッ!」
アーリアが足下に転がる偽フィーネに手をかざすと、その容姿に変化が現れた。アーリアに《偽装解除》を施された侍女は、フィーネとは似ても似つかぬ女だった。
「何時から……」
「さあ?何時からでしょうね?」
今日のフィーネが『いつもより優しかったから』等とは、口が避けても言えない。
アーリアはエリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様の前に膝をつき頭を垂れると謝罪を行なった。
「御前を騒がせた事、誠に申し訳ございません」
「頭を上げてちょうだい。……いいのよ?これは貴女への試験だったのだもの……」
エリーサ皇后陛下の言葉に、アーリアはバツの悪そうな表情をしそうになるのを押し隠しながら頭を上げた。そこにはエリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様の笑顔があった。
「貴女を試させて貰った。気を悪くしたのなら謝ろう」
「お気になさらず」
このお二方の事態を見ると、本物のフィーネは勿論、ユークリウス殿下も初めからグルという事になるのだろう。この場に護衛のリュゼがいない事も含めて、全てが計画的な試験だったのだろう。その証拠にオリヴィエ側妃様の謝罪には一切感情が伴っていない。その事にもアーリアは内心笑うしかなかった。
そこへヒースが実に飄々とした姿で部下の騎士たちを率いて現れた。近衛騎士たちはアーリアが捕らえた賊を更にロープで縛りつけると、談話室から連れ出した。
ヒースは皇后陛下の御前に敬礼するとすぐに身体の向きを変えた。
「フィーネを監禁して成りすまし、アリア姫の暗殺を実行する。この情報を事前に掴んでおりましたので丁度良い機会だと思い、試験として採用させて頂いたのですよ?」
「そうですか。お疲れ様です」
「……おや?てっきり怒られるかと思っておりましたが?」
「怒りませんよ」
アーリアの冷静な態度はヒースにとって意外だったのだろう。だがどうやらこの対応には合格点を頂けたようだ。もし怒っていたら今頃ヒースはアーリアの点数を落としていたに違いない。
「ーーそんな事よりあの魔術ね⁉︎ ユークリウス殿下を縛り上げて言うことを聞かせたっていうのは……⁉︎ 」
「……。え……?」
「いやぁ、実にお見事だったよ?魔法の発動より断然早いな!あれならいくらユークリウス殿下でも『手も足も出なかった』という事態に得心がいく」
「な、何のことですか……?」
アーリアはエリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様に左右から囲まれて、きゃっきゃっと乙女のように騒がれた。
「アリア姫がユークリウス殿下を縛り上げられたあの術、それはそれは見事なスピードでしたよ?」
「キャァ!素敵!」
「やはりこれくらい出来るご令嬢でなければ、あの殿下のお相手など務まりませんね……!」
ーだから『あの』殿下って『どの』殿下だ?ー
アーリアはその後も暫く、エリーサ皇后陛下とオリヴィエ側妃様に挟まれたまま、ユークリウス殿下との馴れ初めを聞かれ続けたのだった。
そして茶会の最後にエリーサ皇后陛下が「やはり殿方を縛り上げるのは淑女としての嗜みよね?」と言った言葉に、アーリアが耳を疑ったのは言うまでもない。
お読み頂き、ありがとうございます!
ブックマーク登録など、大変嬉しいです!励みになります!
皇后陛下と側妃様のご登場です。
どのご家庭にもある嫁姑問題。仲良くしていても、色々ありますよね〜〜(遠い目)。
ユークリウス殿下は性格が皇后様に似ている点があります。しかしあのユークリウス殿下でも母君に頭が上がらない時があります。
次話も是非ご覧ください!




