契約3 〜心の声と誓い〜
アーリアは目の前に現れた獣人に驚きが隠せなかった。
『ジークフリードさんが獅子の獣人?』
この世界には妖精族に属する亜人種が多数存在する。
例えばエルフは有名だろう。彼らと人間では生きる時間が違い、価値観も全く噛み合わない。だから、人間のどの国ともエルフの国との交流を持っていなかった。唯一決められているのは、不干渉、という一点のみ。
そして獣人。獣人と言っても様々で、身体の一部だけが獣である者、全身が獣である者、二足歩行できない者など様々だ。
こちらとも争いを避けることを前提とした取り決めがある。生活形態が違うので交流しにくいのだろう。また、ドワーフや人魚。更に確認されていない種族もまだまだあるそうだ。
どの種族もその存続を願い、争いごとを防ぐために無駄な交流はせず、それぞれの地域で生活している。異種族間の理解を深め、友好的な交流できるようになるまでには、まだ長い道のりがあると考えられていた。
『固定観念やそれぞれの常識が相手を理解する上で邪魔をするのではないか』と師匠が語っていた事を、アーリアは思い出していた。
人間同士でも価値観の違いや常識の違いで争いになるのだ。
宗教が絡むと更に複雑になる。
こうあるべきだ、という固定観念。
こうなければおかしい、という常識。
人間の常識。個人の常識。それを人は他人である相手にまで押し付ける傾向が少なからずある。
常識を取っ払い、柔軟に対応し話し合うことがなかなか出来ることではない。お互いの想いを理解しながら譲り合うことは誰にでも出来ることではないのだ。
そのような理由から、昨日出会った獣人たちは皆、あの黒ローブの男に違法に獣人の国から連れて来られ、隷属支配の呪いを受けているのでは、とアーリアは考えていたのだ。
だが、違った。
ジークフリードが人間から獣人へとその身を変えたことによって、彼にかけられた呪いがより危険な物だと認識を改めた。
獣人の中には『狼男』という者たちがいる。満月を浴びると人間から狼の姿を持った獣へと変化するのだ。
彼らは人の肉体のときはとても温厚な性格だが、狼へと変化すると凶暴な性格に取って代わる。狼女という女性の個体も存在するらしいが、彼ら或いは彼女らは、自己の肉体や心のコントロールを自ら行えるからこそ、種としての存続が可能なのだ。
ジークフリードの呪いは『狼男』の逆の要素があると思われた。しかし、それにしては問題点が多い。
元が『人』なのだ。
人の精神を持ちながら獣人へと変化する危険。彼らは獣人へと変化する度に、精神に多大なる影響を及ぼされているのではないのだろうか。
「……昨日は本当にすまなかった。脅かすつもりも崖から落とすつもりもなかったんだが、実際、アーリアを傷つけてしまったことは確かだ」
獅子の獣人ージークフリードは尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ゆっくりとアーリアへ近づいてきた。
ジークフリードは元々、あの崖でアーリアを見つけた時点でそのまま連れ出すつもりだったのだ。しかし、他の獣人の邪魔が入った為にその計画が狂った。あのまま連れ出せてさえいれば、牢の中で怖い思いをさせずに済んだのに、という後悔もあった。
アーリアが躊躇いがちに手を伸ばすと、ジークフリードはその場で床に腰を下ろした。
ジークフリードが床に腰を下ろしているのに、立っているアーリアと頭の高さが変わらない。
おずおずとアーリアはジークフリードの頬を触る。モフッという柔らかな感触。意を決して両手で頭や首を触ってみた。
『大丈夫……ではないけど、もういいです。それよりジークフリードさん』
「ジークと呼んでくれ」
『じゃあジーク……さん。身体は……その、大丈夫ですか?』
「ああ。獣人への変化は毎日の事だ。変化する時は一時的な苦しさがあるが、変化してしまえば何ともない」
手に伝わる感触は完全に獣の体毛そのものだ。だとするとこれは幻術の類ではない。対内外の組織があの一瞬でどのように変化しているのか。そもそも見た目通りの変化なのだろうか。ーー等と考えながら、アーリアかジークフリードの首回りをモフモフ撫でていると、ジークフリードから呆れ半分、照れ半分といった吐息が零れた。
「アーリアは、意外に大胆だな?」
『……え⁉︎ な、何言ってるんですか⁉︎』
アーリアはただ両手で毛の柔らかさを楽しんでいただけではなかった。ではないのだが、よくよく見ればジークフリードの顔が自らの顔の至近距離にあり、身体もかなり密着した状態にあった。
相手が人間ではないから……との油断からなのだが、確かにこれが元の姿ならば、なんとイヤラシイ光景だろうか。しかも、アーリアの方がイヤラシイコトをしている側なのだ……!
『こここここれは、れっきとした研究です!知識への探究心ですッ‼︎』
「……。そ、そうか……?」
さぞ無駄な言い訳に聞こえただろう。アーリア自身、自分で言っていて胡散臭く聞こえたのだから。それでも、このまま手を離してしまえば言い訳がウソになりそうに思え、アーリアは『意地でも離すか!』と鬣を弄る。
そんなアーリアの様子を、ジークフリードは笑って見ていた。その表情は身体をまさぐられーーモフモフされて嫌だというものではなく、むしろ、気持ち良く目を細めている猫のようで……。
『ん?……あれ?』
アーリアはハッと手を止めた。『自分は声が出せないハズなのに、今、会話ができていなかったか?』と……?
『あのぉ~〜……私の声、聞こえてますか?』
「何を言うんだ?しっかり聞こえて……あれ?」
ジークフリードの表情が固まる。
「なぜ、お前の声が聞こえるんだ?」
アーリアにも事態が分からず、困惑のままジークフリードから手を離した。そして自身の様子をもう一度確認する。
呪いが解けた訳ではない。何か原因がありそうだ。ーーそう思ったアーリアは、ジークフリードから2、3歩間をとってから声を出した。
『ジークさん、聞こえますか?』
「……?」
『その鬣、とってもカッコイイと思います』
「?」
今度は聞こえていないようだ。
再びアーリアはジークフリードに近づいて、そっと腕に触れた。
『ジークさん、聞こえますか?』
「……!ああ」
『さっき私が話していた言葉は聞こえましたか?』
「いいや。アーリアが離れた途端、何を言っているか分からなくなった」
『……』
はて……?と考え、アーリアはジークフリードを触っている右手を見た。そこには先程契約で刻まれた呪文の痣が浮かび上がっている。
『これか!』
「どれだ?」
『《契約》です。私と貴方は精神世界で契約を行いました。その時に私と貴方とは心の中で一時的な繋がりができたんです。それできっと……』
アーリアはそこで微妙に言葉を濁した。言葉が失速する。話が出来た理由が判ったが、判ったからこそ舌に苦いものがはしる。これは《契約》により負荷だ。そう理解したアーリアは、情けなさと申しなさのあまり、口をキュッと閉じ、ゆっくり頭を下げた。
ジークフリードはアーリアの言葉の続きを悟り、嗚呼そうかと頷く。
「相手に触れると心が通じる、という事か?」
『そう、みたいです。すみません』
これは《契約》による効果の一つに違いない、とアーリアは思案した。紙面上で契約では契約を逆手にとって相手を陥れたり、真実を偽ったりすることが間々ある。だからこそ、魔術で行う《契約》には、身勝手な契約違反を防止する措置が組み込まれているのだろう。
だからといって、普通心の中が筒抜けになるなど、どう考えても気持ちの良いものではない。
アーリアはこれまで幾度か魔術による《契約》を行ってきたが、契約満了までに契約相手の体に触れた事などなかった。だからこのような効果が付属していることを、今の今まで知らなかったのだ。
しかし、『知らなかった』とは、魔術を行使した術者が口が裂けても言ってはならない。魔術とは、術よる効能・効果・精度・構成・威力等をしっかり理解し、行使するものなのだから。『知らなかった』と言った時点でその術者はもう、術を使う資格がないのだ。
俯いて己を恥じていると、ジークフリードの左手がアーリアの頬に優しく触れた。
「俺は構わない。寧ろお前の声が聞けて嬉しい。これでお前が何が言いたいのか、その都度尋ねる事ができるのだから」
無駄にイケメンな獅子の顔。本物の獅子だったなら、こんな至近距離で向かい合うのは恐怖でしかないが、中身がジークフリードという青年である事が分かっているので、恐怖を感じなかった。寧ろ、ジークフリードの気遣いが嬉しかった。
『ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります』
ジークフリードは左手でアーリアの頭をガシガシと撫でた。
こんな風に頭を撫でられるのは子どもの頃以来だったので、アーリアは気恥ずかしくなった。
『あの。質問が沢山あるんですが……』
「質問もいいが、少し休まないか?」
アーリアの問いを妨げてジークフリードが提案する。
アーリアもここに至るまで一日半、殆どノンストップだったことを思い出した。
昨日の朝から乗り合い馬車で揺られ、途中獣人たちの襲撃を受け、捕獲され、そこから逃げ出し、話し合い、契約し、今に至っている。どう考えてもオーバーワークだ。そのことを思い出してしてしまった事で身体が疲れを思い出したようで、どっと疲れが溢れてきた。
「質問は休憩を挟んでから受け付ける。もちろん俺の身体のことだから、きちんと答えるつもりだ」
『わかりました。そうします』
「俺は少し外を見てくる。アーリアは先にそこのベッドで少し休め。昼過ぎには起こすから先に寝てくれても構わない。浴室……と言えるほど大きくないが、隣の部屋に水回りの設備があるから、使いたかったら使ってくれ。分からないことがあったら俺が戻ってきた時にでも聞いてくれ」
ジークフリードは一気に言うと、アーリアの頭を一度撫でてから、アーリアを残し外へと出て行ってしまった。
ジークフリードの背を見送ったアーリアは腰のポーチと肩から斜めがけに持っていた鞄を下ろし、マントも外してソファに腰を下ろした。
よく考えたら昨日から今日にかけて色々な出来事があった。
痛いことも、怖いことも、驚くようなことも……。
一日の出来事を思い出していると瞼がだんだん重くなっていった。
※※※
ジークフリードが寝ぐらの隠し扉などを点検し終えて部屋へ戻ると、白髪の魔女はソファの背にもたれ掛かって眠っていた。無防備といえるその姿に、ジークフリードは苦笑する。
昨日、彼女は自分のせいで崖から落ち、怪我を負い、捕獲された。しかも、その後には獣人たちに囲まれて怖い思いをしたはずだ。牢からの脱出にしても、得体の知れない男に半端、無理矢理連れ出されたようなもの。彼女には拒否権がなかった。あの状況で拒否すれば、更なる恐怖が待っていたのだから。ーーそう思えば、アーリアの疲労困憊具合も理解できた。
ジークフリードはアーリアに選択権を与えた。だが、アーリアには最初から『ジークフリードと一緒に逃げる』という選択肢しかなかったのだ。
それをジークフリードは意図して行った。
急かし、追い詰め、無理矢理選ばせた。さもアーリア自身にその道を選ばせたかのようにして。騙したも同然だったのだ。
そして《契約》した。
契約しても、アーリアにしてみれば契約するという道しか選べなかったはずだ。『双方の利益』とジークフリードは言ったが、どう考えてもジークフリードにとって『都合の良いもの』だったのだから。
アーリアは自らの身を守りながら自身に掛けられた呪いとジークフリードの呪い、その双方を解かなければならなくなってしまった。それに比べ、ジークフリードとしてはアーリアを守るだけでいい。
しかも、ジークフリードにしてみれば、契約が成り立たないのであればアーリア自身に用はなく、一方的に放り出してもいい状況でもあった。彼女にとっては理不尽極まりない状況であったのだ。お互いが『平等な立場』に立って行った《契約》ではないのだから、これは契約であって契約ではなかった。
ー自分の都合を押し付けて拒否権のないまま選ばせた、ただの押し売りだー
アーリアにもそれが解っていたにも関わらず、ジークフリードと《契約》した。ジークフリードに『呪いを解く手助けになる』と約束までくれたのだ。
騎士に誇りがあるように魔導士にも誇りがある。アーリアは必ず解呪までの道を見つけてくれるはずだ。ーーそう、ジークフリードは確信を得た。
アーリアが『呪いを解く』と言い切らなかったのは、完璧を求める魔導士だからだろう。『言葉に魔力が宿り、呪となって術者自身を縛ることがある』と、ジークフリードは知り合いの術者に聞いた事があった。また、以前、解呪士の所で解呪を頼んだ時も、同じようなことを言われたのだ。
だからこそ、ジークフリードはアーリアにも『呪いを解く手助け』を頼んだ。明確に『解いて欲しい』とは頼めなかったのだ。『解いて欲しい』と言われたら、彼女はさぞ困ったに違いない。確実に出来ることでなければ、引き受けられないのは当然だ。ジークフリードとてそれは同じ事だった。
目の前で眠る少女ーーアーリアはジークフリードが話す言葉の意味、自らが置かれている立場を踏まえた上で、理不尽だと解っていてなお《契約》を行ってくれた。きっとその時点でジークフリードの傲慢な心など、お見通しだったに違いない。
だからーージークフリードは『騎士の誓約』を行った。
アーリアの心に少しでも報いたかったのだ。
現時点でジークフリードは騎士ではないが、精神だけは騎士のまま生きたかった。生きているつもりだった。
しかし、この気持ちこそ、きっと『我が儘』と言わずして、何と言うのか……?
ー俺はなんて卑怯で傲慢なんだ……!ー
ジークフリードは静かにアーリアに近づくとその小さな身体をそっと抱き上げた。そして奥のベッドまで運び、そこへ横たえる。相当疲れているのだろう。全く起きる様子はない。
「ありがとう、アーリア」
ー君を何者からも傷つけさせない。俺が必ず護ろう。必ずー
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ジークフリードの独白です。一部、彼の妄想もあります。アーリアはもう少し単純な子じゃないかな?