3.オルソフィア・ルーン・エルトランド(後編)
ま、間に合った……。
果報は寝て待て、なんて言葉があるが……。
この場合に限りは、この言葉はそれほど適切な対応ではないように思う。
「では、勇者様。訓練場はこちらになるので、ついてきてください」
昨日はあれほどハツラツとしていた女の子が、今では陰鬱な表情を作って義務的な言葉だけを発している。
よっぽど女勇者2人に酷く言われたみたいだな……。
そう考えた私は、まずはオルソフィア姫のメンタルケアを優先することにした。
「姫様、私は確かに指南役として姫様を貸していただいた身ではありますが……訓練よりも先に少し世間話でもさせていただけませんか?」
「世間話……ですか?」
「はい。私は、昨日の説明でこの国が危機的状況にあるという話は理解しましたが……この国が一体どういったところなのか、とか国柄や城の話などをまだ聞かせてもらえてません。そういった、雑談も含めて少しお話ししませんか?」
「お話し……ですか。でも、勇者様ははやく家に帰りたいのでしょう?でしたら一刻も早く強くならないと………」
「ええ、だからこそ、です。国柄や城、魔法などの私達の世界にはない知識を教えていただかないと、私にはどのようにして強くなることが正しいのか理解できません。目的のない努力ほど不毛なものもないでしょう?」
「確かに……」
「ですから、私には貴方の知識……いえ、助けが必要なんです」
「わたしの……たすけ」
「はい。だから、私に教えてくれませんか?魔法とか武芸とかそんな大層なものじゃなくてもいいです。日々貴方がどう過ごしているのか、とかそんな程度で構いません。……どうでしょう?引き受けてくれませんか?」
数瞬、間を置いて返事を待つ。
オルソフィア姫は、朝の出来事を思い出してか、一瞬顔を顰めるもぶんぶんと顔を振って気を取り直すと、首肯した。
「わかりました、わたしの知ってることでよければ」
「はい、ありがとうございます」
良し、第一段階成功!
◆
「という訳なんです!ほ、本当はわたしだってこんなことはしたくなかったんですけど……でもっ……………でもぉっ……!」
話し始めて既に二時間が経過していた。
最初のうちは、それこそ本当に義務的な内容しか語っていなかった。
例えば、国の食物生産量とか……。
しかし、私が少しずつ誘導しながら内心を吐露させていくと、段々と悩みを口にし始めた。
「本当は……異世界の方々に迷惑をかけるというのは良くない、と………そう、父様もおっしゃっていました………。ですが、貴族の方々の意見も強く、実際魔王軍に攻められ続けている事実もあって断行することにしたんです……」
語り口はまるで罪を犯した咎人の贖罪であった。
本来ならば、国の代表である国王が言わなければならないことをまだ10歳にもなっていない姫君が口にしてしまっている……。
最初はちょっとしたノリで始めたカウンセリングであったが、段々と私も彼女に感情移入をしていき、いつしか本気になってしまっていた。
「なるほど……。確かに異世界人を強制的に喚び出すというのは良くないことでしょう。しかし、その責任を負うのは決してオルソフィア姫ではないでしょう?少なくとも、私は貴方に思うところはありませんし、他の勇者たちだって……」
「ですがっ!」
「ですが?」
「……ですが、セント様とシオリ様はーーー」
ここで漸く彼女の真意に触れることができた。
どうやら、あの女勇者2人は相当キツイセリフを彼女に言い放った様だ。
……まぁ、異世界生活1日目ということもあって、何かと気が立っていたのだろうが………。
それにしても、こんな9歳の女の子に当たることはないだろうに……。
そういう血の上りやすさが若さの証なのだろうか?
と、そんなことを考えながらオルソフィア姫の話を伺っていると、やがて語りは終盤に差し掛かってきた。
「やはり……わたしのしていることは偽善なのでしょうか?王国で優しく育てられた箱入り娘の妄言だったのでしょうか?わたし……やっぱり、世の中のことなんて何も理解できていないのでしょうか……っ」
声を打ち震わせて静かに叫ぶオルソフィア姫。
ここで、私が「そんなことないよ」と慰めるのは簡単だ。
そして相手の弱ったところに付け込んで、相手の好意を得ることも容易なのかもしれない、が……。
私はあえてここで叱咤することを選んだ。
いえ、正確には彼女の背中を軽く押した、と言った方が正確かもしれません。
「ーーーそうかもしれません」
「……えっ?」
「少なくとも今は、オルソフィア姫は“箱入り娘”で“世間知らず”なのかもしれません。私は貴方のこれまでの人生を知らないので、なんとも言えませんが……少なくとも経験豊富、とは言い難いでしょう」
「えっ……あっ」
今まで肯定してくれた人からいきなり否定される。
そのギャップに慄いて、言葉が出なくなるオルソフィア姫。
そんな彼女の様子を横目に私は、また言葉を紡ぐ。
「しかし、貴方はまだ若い。それこそ貴方のお父様や貴族の重鎮なんてものは当然として、この世界にいきなり喚び出されて狼狽えている勇者4人と比べても若いです」
「……」
「そんな貴方が、現状で不足することを嘆くことに何の意味があるんですか?まだたったの9歳ですよ?不足していて当然です。むしろ、貴方の手助けをしてくれる人がいないといけないレベルです」
「でもっ……」
「勇者2人のことなら気にしないでください。彼女らもきっと、戸惑っているだけなんです。自分の全く知らない場所に連れてこられて少しナイーブになっているんですよ。でも、大丈夫です。そのうちこの世界での生活に慣れてきて、きっと貴方と分かり合える日がきます」
「……本当に?」
「ええ、不安なら私が勇者3人との友好を築く架け橋になりましょう。もともと私はこの国に悪感情なんてないですし、彼らも同じ境遇の私ならば幾分か聞く耳を持ってくれるでしょう。……それでどうです?」
「えっ、でも……そんなことしたらキョウマ様が他の勇者様に嫌われるかも………それに迷惑をかけるかもしれない、し……」
口では否定の言葉を出しつつも顔が期待を表してしまっている。
本当に頼っていいの……?
と、そんな小さな声が聞こえてきそうなくらいに、彼女の顔は儚げだった。
もっと、この表情を見ていたいとも思うが、それよりも彼女の安心した顔が気になる。
はやく悩みを取り除いてあげたい、という一種の庇護欲が私の心を擽る。
あぁ、もしかしたら娘を持った親の気持ちとはこんなものだったのかもしれない……。
私は、謎の多幸感に包まれながら、言う。
「大丈夫です。先ほどから言ってるじゃないですか?私、この国のこと嫌いじゃないと。それに……子どもはたくさん大人に迷惑をかけるべきです。今までは寄りかかれる存在がいなかったのかもしれませんが……私が、なりますから」
「ふぇっ……」
「私が、貴方の助けになりますから」
私のその言葉を最後に、オルソフィア姫は号泣した。
その泣き顔は私が今まで見てきたものの中で一番綺麗な気がした。
◇
「キョウマ殿は何かしておられたか?」
「どうやら指南役と託けてオルソフィア姫殿下のメンタルケアを行っていたようでした」
「ほぉ……それで?結果はどうなったのだ?」
「……素晴らしいほどに大成功でした」
「おお!それは良かったではないか!……いや〜、どうにかしてフィアの機嫌を直さんといかんな、とは思っておったのだ。これで一件落着だな!」
「はい、ですが……」
「ん、なんだ?何か問題でもあったのか?」
「いえ、今は特には……」
「そうか、ならば良い。此度の監視役、大儀であった。もうさがって良いぞ」
「はっ、では失礼します」
「うむ」
私は扉を閉めて、外へと出る。
キョウマ様について思い出されるのは、あの異様なまでの卓越した人心掌握術だ。
私は彼の10年近く長生きをしているはずなのに、あれほどのメンタルケアができたとは到底思えなかった。
それほどまでに、彼の技術は卓越していた。
明らかに、上手いの範疇を超えていた。
「キョウマ様……貴方は、一体何者なのですか………」
私の、キョウマ様への警戒心がまた一つ上がった。