8:始まりの始まりの終わり
視界が復帰すると、景色は一変していた。
ショッピングモールはただの瓦礫の山で、野火のような火があちこちでくすぶっている。
最初に、右腕を失って死んでいるジャンを見つけた。
「……」
高レベルMOBの打撃も耐える盾役も、パラメーターに裏打ちされた強靱な肉体抜きじゃ現実の物理法則の虜に過ぎない。落ちてきた瓦礫に腕を押し潰されて、失血死というところか。
ため息をつきたくなるが――それは、無理な相談だった。
せめて、腰を下ろすのは最後まで見てからにしよう。
次に見た死体はユーリだ。左腕を、ジャンと同じように潰されている。
三番目は李。こちらは腹を吹き飛ばされている。
そして、最後にノヴさんの死体を見つける。
両足の義足を失って、断面から血を溢れさせていた。
地面を這いずって、仲間の死体へ近付こうとした痕跡がある。
やはり、最後の最後まで彼女は愚直であった。
とんでもなく強かったノヴさんだ、生き残っているかもという希望は無きにしも非ずだったんだが……仕方ないよなぁ。爆撃だもんなぁ。
「……ああ」
驚いた事に、声が出た。
魂のこぼれるような実感のある、深い嘆息。
『――泣きはしないんだな』
唐突に聞こえた声に、俺は心底びっくりした。
振り返ると――なるほど、と得心する。
相手は、一言で言えば化物だった。
体高は優に四、五メートルはある。体型こそ人らしきものではあるが、鎧のような外骨格に覆われており、湯気のような目に見えるオーラじみたものを立ち上らせている。呼吸音はない。
体色は、ただひたすらに白い。塗装前のフィギュアのようだ。
羽の生えた巻き毛の子供とかならもっと予想通りだが、全てが全て人間の空想通りなわけがない。
まぁ、〝そういうの〟がいるという時点で、ニアピン賞と言ってもいいだろう。
俺は、動揺しかけた自分を鎮めて答える。
「そりゃあなぁ……だって、泣くにも首が無いだろうに」
顔面のある辺りをひらひらと手でまさぐる。
何の感触も返って来ない。
「っていうか、なんで俺喋れんの?」
『そういうものだからだ』
投げっぱなしの発言をする怪物。まぁ、スピリチュアル的なパゥワとか、そんな感じのヤツと納得しろって事か。
いいよ、うん、それでいこう。首もないから、もの考える脳ミソもないって事で。
「俺一人だけ生き残ってたとかだったら、もっと面白いリアクションを取って賑やかしてやれただろうけどさ……クソ、最悪のタイミングで動きやがって……ハヤシの野郎」
『ハヤシの裏切りには気付いていたんだな』
「そりゃあね、この地上で愛国心丸出しの兵隊なんて、腹に一物抱えてるって喧伝してるようなモンだ」
『彼は、君の国の軍事基地の所在を他国にリークしている』
「そ。スパイってわけ」
ヤツの正体に気付いたのはいつ頃だっけか。
割と、ガキの頃からだから正確な時期を覚えてない。
『どうやら、それが孤児兵の本来の運用法らしいな』
そう。
教官役の下士官もいないような軍の下で、孤児兵なんぞが真っ当な仕事をすると考えるほど政府もおめでたくはない。
しかし、国民がジンケンジンケンと叫んでネットでスクラムを組んで抵抗するので真っ当な兵隊を作る事はできない。
これでは戦争にならないと考えたヤツらは――やり方を、軍事ではなく、情報戦に切り替えた。
孤児兵部隊という〝裏切りの温床〟を作る事で、少なくとも戦いのルールを作る事に成功したのだ。
これと見込んだ兵士にネット経由で接触し、スパイに仕立て上げる。
そいつらを経由して情報を得て無人爆撃機を飛ばす。
俺のやり方は期待されないレアケースに過ぎないのだ。
『ふむ……あまり、ハヤシを恨んではいないんだな?』
と、怪物は人間臭い仕草で顎を撫でる。
その様は妙にユーモラスだ。
「まぁな……だって、卒業したら自国で生活できるって、嘘じゃん?」
――規約であなたたちと接触は出来ませんが、彼らは我が国の国民として幸せに生活していますよ……
おいおいAIのオバチャン、国民としての権利が保障された孤児兵が自分たちの窮状を訴えないはずなかろうよ。弟妹みたいなのを残して卒業するヤツもいるんだぞ。
未だに俺たちの存在が公になっていないという事は、卒業と同時に――俺たちは始末されるのだろう。
大人になればなる程、孤児兵は狡猾に、扱い難くなる。
長く使い続ける事はできない。消費期限ってわけだ。
で、期限切れの兵隊は後腐れ無くゴミ処理場でミンチにする。
「規約で接触できない」ってエクスキューズさえ用意すれば、地上の俺たちが卒業生の進路など知りようもない。
わお、合理的ぃ~。
その事に気付いたやつに目星をつけて、政府は接触するのだろう。
ちょっとしたお仕事をしてくれれば、君の身柄は我が国で引き取りましょう、と。
ハヤシはそのクチだ。
ヤツが俺と親しかったのは、いわば保険だ。
ヤツは他国のスパイマスターと接触したり、情報収集する時俺の仕業になるよう痕跡を残していた。
自分の身が危うくなった時、俺に罪をなすりつけるハラだったのだろう。
大したモンだよ、本当に。ヤツはガキの頃から、頼るべき人間を己一人と定めて生きているのだから。
それは、俺の持てなかった強さだ。
「アイツがあんまり生き残りに必死なもんだから……どうせ死ぬなら、長い付き合いの幼馴染の役に立っておくか、って好きにさせてたんだけどよ……」
悔しさが、首の断面から溢れそうだ。
「このタイミングは、予想外だったわ……ポイントB-2-3に他の国の軍が集まったのって、ヤツの仕業だったんだろうな……そして、それがバレそうになった。尻に火のついたヤツのリークで爆撃機がこっちに飛んできた……クソッ、おかげで、みんなまで巻き添えにしちまった」
俺は、迂闊だった。そして、迂闊な兵士は仲間を巻き込んで死ぬ。
要するに、俺は無能だったのだろう。
死んだ後になって気付くとは、なんと間抜けな話か――
「あんがとよ神さん。死人の愚痴に付き合ってくれて。ま、後は好きなようにしてくれ。俺ぁ結構殺したクチだから、良いトコロには行けないんだろうが」
瓦礫に腰を下ろして言うと、怪物――死出の使いは、こう返してきた。
『私は神じゃない』
胸に手を当て、会釈をする怪物。身動きするたびに、肌から白い粉が吹きこぼれて地面に落ちる。
なんだこれ、塩?
『現界する際に、無理矢理身体を拵えたのだが……ただの一瞬でさえこれだ。やはり、身一つでは安定しないな』
塩の巨人は言う。
『私は、狭間の者という』
「? なんだそれ」
『四次元世界を俯瞰する空間の住人だ。在り方が違うだけで、生命体には変わりない。君の言う、神なる存在とは違う』
おいおい、コミックとシネマしか見ない無学な俺に分かるよう言ってくれよ。
『……幽霊のようなもの、と思ってくれて構わない』
その物言いには、奇妙な自嘲があるように思えた。
『今際の際にこの世界とのリンクが曖昧になった君の魂の時間を、一時的に固定させて貰った。取引を持ちかけるために』
「あん? 取引だと?」
『ああ――生き返りたくはないか? 君』
塩の巨人の言葉が、無い左耳から右耳へ抜けた。
『……聞こえなかったのか? 復活したくはないのかと』
「いやいやいや……そんな「カップ麺作ってやろうか?」くらいのノリで言う事じゃねーだろ。首吹っ飛んだ人間がどうやって生き返るんだよ。そんな命がインスタントなら、俺らはゾンビとも戦争しなけりゃならない」
なんせ、ドカドカ人が死んでいく場所だしな。
『当然、カップ麺程度の気軽さで出来る事じゃない。そもそも、我々が四次元世界の住人と接触できる状況というのが奇跡なるものを満漢全席並に積まないと実現しない』
「……聞いた話を総合すると、あんた異次元の住人なんだろ? 妙に俗っぽい物言いするね」
『君の魂とリンクしているからだ。君が最後に寝小便した日も分かるぞ』
ああ、なるほど。ハヤシの裏切りとかも、世界を俯瞰する視点とやらではなくて俺の思考を読んで知り得たのか。
『私は取引と言った。君の復活は神の温情などではなく、君にはデメリットもあり、私にはメリットがある話だ。まずは私の話を聞いて欲しいな。君がそのデメリットを自分の生還に見合うと判断すれば、取引に合意してくれ』
「さっき、好きにしてくれと言った気がするけど」
『それは、君が情報不足から、私を神の類と誤解した上での話だった。それで言質を取ったというのでは取引ではなく詐偽だろう。私は、自分の知り得る事を全て君に話すつもりだ。でなくばフェアじゃない』
真面目くさって言う塩の巨人が、妙におかしかった。
「オーライ、了解した。で? 俺は自分が墓穴から這い出る為に何を積めばいいんだ? カネじゃないよな」
それなら、油田や鉱山をダースでくれるような生きたがりの金持ちはごまんといる。
『ありていに言えば』
と、塩の巨人は前置きして、
『君の、身体だ』
……オゥ。
『そういう意味ではないと言っておこう。――私という存在について、もう少し語る』
塩の巨人は言った。
『我々狭間の者の生きる世界は、四次元世界における隙間だ。世界という単位は、更に上位の単位に内包されている。上位次元の概念を正確に語る事は、低次世界においては不可能だが……アポロニウスのギャスケットを知っているか? 一つの大きな円に、無数の円が充填されている状態……あれと同じイメージと考えて貰えばいい。
円で充填された空間には、必ず隙間が生まれる。そこに、私達は潜んでいる』
脳の疲れる話だ。頭が無いから助かった。
『世界は、産まれ続けるのだ。それこそ一瞬ごとに……かつては、狭間こそが世界の主軸だった時代もあったというが……今では、数少ない隙間に押し込められ、分断されている。同種も百に満たない個体しか知らない』
「絶滅危惧種って事か」
『その通り。まぁ、それはいい。不滅の存在などあるまいよ。……ただ、私は……あの何もかも曖昧な空間に漂って、世界を見下ろしながら消えていくのを……口惜しいと、思ったんだ』
空を見る塩の巨人。つられて見れば、鷹が、翼を羽ばたかせたまま静止しているのが見えた。
『私は、世界に存在したい』
痛切。その祈りに似た言葉を、俺はそう感じた。
『他の同種は私を止めたが……私は、数人の意見を同じくする仲間と共に、一つの世界に現界する事を決めた。そして、極小の機会を伺ってこの世界にアクセスした』
そう言うと、塩の巨人は片手を差し出すように持ち上げた。さらさらと、塩のカケラが川のように流れていく。
『この身体は、この場所の元素から無理矢理作った人形に意識を移して動かしているに過ぎない。私は、身一つでは世界に存在できないのだよ……誰かに、宿らない限り』
「つまり、俺の身体ってのは」
『ああ。君の身体の一部を間借りさせて欲しい。私は、君の失った身体……首になって存在を維持する』
「はいはい、頭を乗っ取りたいってわけか。――二十世紀のコミックにあったぞ、そういう設定」
『いや。君の意思と行動の自由は確約しよう』
不条理な事を言う塩の巨人。思考する脳ミソがないのに、どうやって意思を担保するというのか。
『現に、今の君は首が吹き飛んでいるのに私と会話しているだろう』
あれ?
『魂を維持しているならば、君の意思は保たれる。脳の思考は、魂魄に基づいて行なわれるのだ。私は君の魂に合わせて、自分の身体を君の頭部として再構成する。漏れなく、混じり気なく、一〇〇%君の意思に基づいた脳髄となる事を約束しよう。君の意思に私の意思は介入しない……というより、出来ないと言った方が正しいか。その肉体の主人たる魂は君だ。私は、同居人程度の存在になるだろう』
「……どうも、俺にばかりメリットのある話のような気がして疑わしい」
『心外だな……君にも、けっこうなデメリットがあると思うぞ。何せプライバシーというものが無くなるんだ。排泄も睡眠もセックスも一人でこっそり泣きたい時も私に筒抜けだ』
「それは……確かに嫌だが」
三番目は経験したこともなければ予定もないのだが、何をするにしても他人の目があるのは不快だろう。
『そして、これが最大のデメリットなのだが――君は、この世界から離れなくてはならない』
「……何?」
『私が頭部に宿る為に、君を一度私の実体のある次元へ連れていく。世界は絶えず流動している。一度狭間に訪れれば、この世界と再びリンクが取れる可能性は皆無に近くなるだろう。――君が復活する場所は、別の世界だ』
つまり――これは、アレか。
異世界転生、いや復活ってヤツか。
「……そういう話を持ちかけてくるのは、女神の類ってのがオヤクソクってネットで言ってたんだが」
『? 私は無性生物だ』
そうね、裸みたいなカッコだけど、無いもんね。
「しかし……それは、いいな」
この世界からオサラバできるだと? そんなの、ごほうび以外の何ものでもないじゃないか。
なら、
「……なぁ、その復活の権利って、譲渡できないのか?」
『何だと?』
「そういう話なら、俺の仲間に持ちかけてやって欲しい。俺が招いた厄に巻込んだってのに、俺だけ都合良く生き返る事ができました、なんて巫山戯た話、ないだろ。俺のは順当な死に様だよ、未練はねぇ」
俺の頼みに、塩の巨人は首を横に振った。
『無理だ。ありていに言って、相性の問題がある。私が接触を図れる現世の人間は、君一人なのだ』
「……そうかよ」
残念だ。本当に、残念だ。
『それに……その心配は、無用かも知れない』
「?」
『その件について発言は控えよう。私にも観測できない事だ、確約は出来かねる』
よく分からないまま、勝手に納得して話題を打ち切る塩の巨人。
『これが私の提案する取引だ。君は異世界での生還を得る、私は存在を得る』
その言葉に、俺が黙り込んだままでいると、彼は「おずおず」と言った風に問いかけてきた。
『……どうだろうか』
体高五メートル近いバケモノがやると、妙なおかしみのある仕草だ。
「あんた、不安なのか?」
『仕方なかろう。現世の人間と交渉するのは初めてな上に、これは私にとって一世一代の取引だ。君が断れば、君も死から逃れ得ないが、私も生あるうちに同じチャンスを掴める可能性はゼロだ。なんとしても、成立させたいのだ』
どうやら、本当に交渉ごとに向いていないヤツらしい。片っ端から弱味をさらけ出している。
そんなに現世での存在とやらを渇望しているなら、やはりさっきので言質を取ってしまえば良かったのに。
『それでは駄目だ。WIN-WINの関係とやらがベストなのだ。一世一代だからこそ、後腐れのないようにいきたい』
真面目くさって言う塩の巨人に、俺は吹き出してしまった。――仮に、コイツと同居するにしてもそれ程相性は悪くない気がしてきた。
『だから、多少のセールストークはさせてもらおう。――君は是非、生還すべきだ』
「……なんで?」
『君の言った言葉、死に様に未練がないというのは嘘だからだ』
妙に、強く断言する塩の巨人。
『君の魂は、まだ敗北に屈してはいない。闘争の継続こそが、君の望みだ』
……なんだって?
俺がまだ戦いたがっているだと? そりゃどんなヨタ話だよ。
俺はたまたま、生まれが孤児だったってだけで銃を持たされた普通の男だ。
そんなものと縁の無い場所で生きていけたらとどれだけ願った事か。
適当なところで死んで、やっと腰を下ろせると心の底からほっとしている。何の、未練も、ない。
本当に、そう思っている。
――塩の巨人は言う。冷然と、全てを俯瞰する観察者の目。
それは、神の視点とも言える。
『新天地たる異世界で、それを確かめてみるといい。なに、戦争はそれこそどんな世界にもある。国が押しつけた戦争じゃなく、君自身の戦いの中で、君は自分の魂の形を知るがいい――』