4:廃墟の死闘・中編
蝶番が腐食してドアの脱落した裏口から、廃墟の中に侵入する。
夜闇に砂埃の燻したような匂いが漂う。
大昔、大人が戦争をしていた時代はカネにあかせて暗視装置を歩兵全員が所有していたらしいが、予算のない孤児兵団にはありえない贅沢だ。
あらためて自分の命の安さを呪いつつも、嗅覚と聴覚を総動員して進む。
一階の探索を行い――ロッカーに押し込められた死体を発見する。
千年前のミイラなどではなく、できたてほやほやの新鮮な死体だ。
背後から脾腹を二刺し、喉をヒラキにする、俺らの間じゃ一般的な殺しの手口。
メキシカンのように見えるが、今時人種では国籍を把握できない。
装備で、かのアメリカっぽい国の兵士であると知る。
(……俺と同じ腹積もりのやつがいたのか)
ヨーロッパっぽい国、ロシアっぽい国、中国っぽい国……今回俺たちと組んでる国の兵士が、ここにいるであろう狙撃兵部隊を排除にかかった。
(無勢なのも同じ)
でなければ、わざわざ死体の隠蔽などすまい。
(共闘できるか?)
そう思案して、無理と結論する。
ナノマシンの翻訳アプリで言語の障害はないからコミュニケートはできる。
しかし敵地の緊張感の中でまともに会話が成り立つかはバクチであるし、どの国も分かりやすく漁夫の利を狙っている。
ハヤシの如き愛国心丸出しの兵士も案外いるのだ。出会い頭に撃たれかねない。
何より、俺は連携できないような戦い方をするから一人になったのだ。
俺の本気の戦り方に巻き添えを食わず対応できる連中を、俺は「30:5:3」の仲間以外に知らない。
ここにいる人間は皆殺しにする。
見知らぬ闖入者には同じく消えてもらうとしよう。
警戒しつつ、要所に爆薬を仕掛けていく。
とかく予算の配分されない孤児兵の装備は千年前と大して変わらない。
新世代の高性能爆薬ではなく昔ながらのプラスチック爆薬を貼り付け、起爆装置を埋め込む。
現代ならではの工夫は、自前で用意した動体センサーだ。
被爆圏内に侵入した体長五十センチ以上の動体を検知して爆発する。
仕掛けを施す最中に、同じような死体のロッカー詰めを三人ほど発見する。
抵抗された形跡がない。雑魚寝する用途らしき部屋にまとめてあり、眠ってる時に殺されたようだが、それでも手際が良い。
ダミーを含めた二重の鳴子のうち、確実に本命を見極めクラックしている。
俺の背後に忍び寄る技術も持っているかも知れない。
(……いや)
逆に、俺はこの謎の闖入者の警戒度合いを下げた。――慎重すぎる。
寝入っている相手なら、ジャミングを起動して効果時間数十秒の間に片付けられる。
この相手は、他の兵士に気付かれる事では無く、殺すべき三人自体を危惧したのだ。
自分の閉所戦闘スキルに不安のある兵士。
警戒心を剥き出しにしている正体不明の相手と戦うリスクを取る可能性は低い。
ともあれ、こいつが俺の仕事を減らしてくれたのは事実。
あとは遠慮無く油揚げをかっさらわせて頂くとしよう。
一階の哨戒を終え、二階へ。
タイルははげ落ち今にも崩れそうな通路を忍び足で歩む。
こちらから見る三階の崩落具合は更に極端で、あちこち床が脱落し、夜明け前の空を覗かせていた。
三階以上には敵兵はいるまい。
交戦があるなら、この階だ。
狙撃兵はフロアの北側から、その向こうの荒野を進む敵兵を狙う。
俺の部隊がキルゾーンに侵入するまであと十数分。
逸る気を押さえ、爆薬を仕掛けながらにじり寄るように進む。
目的の区画へ到達した瞬間――俺は自分の予想を大きく外した光景を見る。
元はアパレルだかなんだかのフロアだったのだろう。
ハンガーの類は撤去されたようだが、劣化してボロ切れと化した商品と欠けたマネキンが部屋の隅に積まれている。
壁面は一面ガラス張りだが、既に崩落してフレームだけ。風の吹き込むがままだ。
フロアの中央、崩れた天井から注ぎ込む月光に照らされる――死体が四つ。
狙撃用のライフルが側に二丁打ち捨てられている。
遠目に装備を観察しても、こいつらがアメリカっぽい国の狙撃兵と観測手のチームである事に間違いはないと判断できる。
(一階の殺し屋にやられた……? いや、違う)
頭が吹き飛んでいる者が二人、腹を貫かれて背中側から腸の出ている者が一人。
窓際で仰向けになっている者は遠すぎて死因を判別出来ないが、流れる血溜まりからして動脈出血を引き起こす箇所をやられたのだろう。
どれも破壊の痕跡が大きすぎる。
あれは狙撃銃で撃たれた死体だ。
(既に交戦していた)
外にいる別の国の狙撃兵が連中を見つけて始末したというわけか。
全くの無駄足を踏んだ事に悪罵を吐く。
くそったれ、今日は予想外の事が多すぎる……嫌な予感がする。
ねばりつく泥のような不安感。口内に苦い味が広がる。
(――待て、待て)
恐怖は飼い慣らせば使いものになるというのが、俺が新兵の頃からの十年間で学んだ事だ。
俺は、久々にうまくいかない事が多くてビビってるだけか?
本当にそうか?
何か、何か目の前の光景に違和感がある。
部屋の中央に、暗視装置ごと頭を吹き飛ばされた狙撃手が二つ。
やや離れた位置に観測手の片割れ一つ、もう一人の死体は窓際。
逃げる間もなく殺られたのだろう。四人ともその一回で倒されるとは、なんとも間抜けな連中だ。
狙撃される可能性を考慮していれば、狙撃手が部隊単位で陣取るようなポイントは警戒していて然るべきだろうに……
(逃げる、間も……)
――なんで、狙撃兵の死体が部屋の中央にある。
こぼれる血や脳漿も、妙に少なくはないか? まるで――死体が移動したかのように。
死体、死体、死体、死体?
最後の違和感の根源は、四番目の観測手の死体だ。よく観察しろ――クソッ、よく見えない――あれだけやけに遠すぎる――作為を感じるほど――肌の質感が妙だ――
――マネキン?
ぞわり、と。
皮膚が泡立ち冷汗が吹き出す。
暗視装置、そうだ、敵は暗視装置を持っている!
――俺が、隠れている瓦礫から飛び出すのと、背後からの銃声はほぼ同時に起こった。
銃声は上から。
俺は抜けた三階の床から降り注ぐ月光から逃げるように、店の壁に隠れる。
ライフルを構え、壁から半身出してバースト射撃。
即座に身体を引っ込める。
応射がそばの床を砕く。
(生き残り……襲撃に備えていたのか……!)
最後の観測手は狙撃から免れていたらしい。
任務の再開ではなく、トドメを刺しに来た連中へ備える。
軍の命令の枠内で最大限自分の保身をするのが鉄則の孤児兵にとって、常識的な対応だ。
俺は他人の尻拭いをする為に敵陣に訪問した大間抜けって事だ。
ここ十年間で初めてって程に巡り合わせが悪い日だな、えぇ? おい。
まぁ、それはいい。不運一つで諦めなければならないなら、孤児兵として生まれた瞬間にそうすべきだ。
生き残るという方針に支障はない――しかし。
(なんだよ……〝あれ〟は)
今し方の交戦、一瞬だけ敵の姿を見た。
俺の戦闘服と同じ、錯視効果で目を眩ます低視認素材の黒いフード付コート。
その隙間からわずかにこぼれる新雪のような白い髪。
コートから伸びてライフルを握る手は細く、ともすれば頼りない小柄な人影。
しかし、発する殺気が尋常じゃなかった。
――殺気というものは実在する。
いわゆるオーラ的なものが放射されてそれを誰でも感知できる、というのではない。
長年殺し殺されをやっていると、相手がどれ程の集中力で自分の殺害を企図しているか分かるようになる。
肉体の動き、射撃のリズム、いざ行動に移るまでの気配の殺しぶり。
相手が俺を殺す事にどれ程自身のリソースを注ぎ込んでいるか、それが理解できる。
あの白髪の敵兵士のそれは――ただ一つの交錯で、ケタ違いだと分かってしまう程だ。
暗視装置越しに眼光を錯覚するくらいに際立っている。
あんなもの、初めて見る。
狙撃兵は死んだ。この兵士も御国の為に孤軍奮闘なんてタイプじゃない。
戦う意味などないが――停戦交渉は不可能だろう。
全身全霊をもって敵を殺す。
その異常なまでの意志が、今はただ俺にだけ向けられていた。
生き残るには、殺すか、逃げるかするしかない。
俺は腰に巻いたポーチから発炎筒を取り出し投げ込んだ。
暗視装置越しの敵の視界から俺の姿は一時的に消える。
その隙に物陰から飛び出し、天井に向けて銃弾を叩き込みながら通路側へ走る。
緩くカーブを描いた通路だ。
壁越しに再度銃撃。頭を引っ込めると同時に応射が来る。
お互い一人きりだ。制圧射撃してる間に別働隊に横っ腹を突かせるという贅沢はできない。
しかし、相手は仲間の死体から弾薬を回収しているだろう。
こちらの弾切れを狙ってダラダラ撃ち合いに興ずる戦略を採る可能性も――
すたんっ、と高さの割りに妙に軽い落下音が――通路の背後の方から聞こえてくる。
黒い影から突風じみて吹き込む殺意、間違いなく〝ヤツ〟だ。
数十メートル離れた位置にある天井の穴から降りてきた。
「うおぉあっ!」
絶叫しながら俺は振り返り銃を向ける。
ヤツはワンテンポ早く銃を構え――
壁から吹き出した爆炎に覆い隠される。
この通路は、俺が通ってきた経路だ。
回り込ませてトラップにかけるよう、この道に逃げ込んだのだ。
「やったか?」
俺は古典的なフラグのような台詞を吐く。
と言うのも、懐疑的だったからだ。
普通なら確殺だ。しかし、ヤツの尋常でない気配が、簡単に事を終わらせるつもりはないと告げている。
霊感の類だけじゃない、確たる疑問もある。
(やけに、速過ぎはしなかったか?)
効率の悪い撃ち合いの中止を即断即決する果断さ――ではなく、単純なスピードだ。
ヤツは今、最初にいた地点から数十メートル離れた天井の穴へ三秒ほどで到達した。
人間の速さじゃない。
(なんだ……ヤツにどういう謎があるってんだ……いや、別に知りたいわけじゃなくてね。今ので死んでくれて事件は迷宮入りです現実は割り切れない事で一杯なんだよ勉強になったねって展開の方が断然俺好みですからお願いしますマジ死んでて下さ、)
――かしゅっ、かしゅんっ。
足音にしてはやけに異質な音響が、爆煙の向こうから響いてくる。
「やっぱりかよォ!」
後方に退避しながらフルオートで銃弾をバラ撒く。
弾丸が肉を砕く音も悲鳴も特にせず、そして俺はあり得ないものを目撃する。
爆煙をまとって、ヤツが飛び出してくる――天井を走って。
(じ、ジャパニーズNINJAですか――――――――ッ!!)
掛け値無しの修羅場にて最ッ高に場違いなジョークを目撃し、唖然とした顔を禁じ得ない。
が、タネは知れた。
(軍用義肢か……!)
さすが資本主義の親玉。
孤児兵にまで高性能義肢を気前良くくれてやるとは。
なんて理不尽な格差。やはりウォール街と殴り合うには札束が足りない。
ま、やりようはあるが。
ポーチから手榴弾を取り出し、ヤツの鼻先に放る。
「……!」
飛び退くように天井から落下して、ヤツは爆発と破片の殺傷圏から逃れた。
いくら天井歩きができる義足を持っていようと、それを扱うのは人間だ。
神経系の複雑なメカニズムを損なわずに機械的な強化を施す手段は未だ開発されていない。
不必要にアクロバティックな動きに、人間の脳がついていくのは至難だ。
加えて不用意な接近。
仕掛け爆弾で仕留めきれなかったとは言え、ヤツは十分に動揺している。
「オラッ! かかってこい!」
牽制の射撃を放ちながら後退しつつ、俺は言い放つ。
空になった弾倉を再装填。ライフルの残弾はこれで三百。
後は拳銃二丁とその予備弾倉。背嚢に詰めた爆弾は残り三十基。
これが俺の命綱だ。
なぁに、そんなのはいつもの事。火薬の熱さ以外に寄る辺がないのが俺たちだ。
親兄弟? M78星雲に出張中だよ。
(お前もそうだろ?)
さ、殺し合おうぜ。