2:理想の世界、理想の比率
数時間後、森を抜けた先にあった敵基地に大きな花火が上がったのを見届けると、混乱に乗じて俺たちは来た道から撤退した。
森の端にツタで隠していた車に乗り込み、交代で一昼夜かけて尾行を警戒しつつ基地に戻る。
祝勝会の誘いもそこそこに、俺は自室に戻って神経網に取り憑くように設置されたナノマシンを起動する。
ネットと繋がる事が二本足で歩ける事以上に重要な社会では、どんな人間も生まれた時点で自分の身体にデバイスを埋め込んでいる。
以前、これをハッキングして戦術に活かせないものかと思っていたが、コネクトコードと自分の意思――特定の脳内物質パターンの二重認証をごまかすのは不可能だった。
政府がマスターキーを持ってるとか、催眠術を使って自我に反した不正ログインをさせているだとか陰謀論が囁かれているが、この認証方式は微細なバランスで成り立っていて、無理と思われる。拷問してもダメだ。
その点、今の俺の精神のバランスはカンペキだ。
十全に、過不足なくネトゲ廃人の魂を宿し、心の底からゲーム世界への没入を願っている。
現実世界の五感情報を安全限界までシャットアウトし、電気信号の再現する仮想の感覚を可能な限りクリアに感じられる状態にする。
鍵をかけた自室とは言え、ここまでする兵士はおらず、兵隊仲間にとって明らかな奇行だ。
なぜ、ここまでしてゲームをするのか。
なぜ、俺はこうも〝アルビノーグ〟に本気なのか。
昨今のVRMMORPGは本当に斜陽業界だ。シェアのほとんどをFPSに奪われている。
まず大企業は企画も上げてはこないので、ほとんどが個人レベルでサーバーを立て、ソフトウェアを提供し、運営をしている。
社会活動、特に情報技術分野は六割以上人口知能が担ってるこの御時世、それでも案外なんとかなってしまうのだ。
人件費は削れるにしても、パイ自体が小さいので全く儲けがない。
個人でゲーム制作に手を出す連中は、愛情を持て余したナードか、大企業のルールに縛られず自由にやりたいハッカーくらいのものだ。
愛情と技術、両方持ってれば言う事はない。
アルビノーグは、成功例の一つに数えてもいいだろう。
ケルト神話を土台に諸々の神話もごった煮にした世界背景。
プレイヤーはディーナ・シーという妖精の子孫で、空を飛ぶ船を駆って四つの島――真白き理想郷を冒険するのだ。
愛情が暴走がちでユーザーの七割は置いてけぼりな程世界観は微に入り細を穿ち、武装とジョブのシナジーのバランスはよく練られていてキャラのビルドはネタも含めて十万パターン以上、独自のゲーム要素である空飛ぶ船のカスタマイズも楽しい。
技術的にも、良いプログラマーを抱えているのだろう。
オブジェクトを描画するレンダリングエンジン、五感を再現するセンシティブエンジンは高精度。
特に後者は、法律の縛りで現実感覚の四割未満と制限のある大企業配信のコンテンツにはない、アングラならではの強みだ。
監視、運営の自動化プログラムも良いものを使っている。
プレイヤーのレベル、プレイ状況に合わせて、次回以降のイベントのゲームバランスが調整される。
ここがゴミ性能だと開催期間中延々と掘った穴を埋めさせられるような紛う事なきクソゲーになるんだな、これが。
うん、いいゲームだ。
プレイし始めて四年になるが、未だに飽きない。
けれど、ただ楽しいだけじゃここまでハマらない。
命懸けの兵隊稼業で、生活を削ってゲームをやるような兵士は少ない。
基地の中でも俺は変人扱いだ。
そこまでするだけの理由がある。
語るだけ恥ずかしい、スレた兵隊サトウさんじゃあ声高に言えないような動機だ。
なんというか、その。あそこには。
――ともだちが、いるのだ。
「いやー、遅れた遅れた悪い悪い。仕事でちょっと遠出しててさぁ」
ログインしていつものたまり場にしている酒場に辿り着くなり、誤魔化し笑いしつつ俺は言った。
すると、ど真ん中のテーブル席に鎮座していた鈍い青に輝く巨大な鎧の置物が、がちゃがちゃ音を立てて立ち上がる。
「――おお! 貴公! 貴公! 聞けい!」
がしょがしょと突撃してくる大鎧男。
翻訳アプリが選別した日本語表現はとにかく古めかしく暑苦しい。
「肥沃なるマルティグラの恩恵に浴した過日! モリガンの祝福を得んが為我らは層雲の地平へ旅立った! しかし欠くべからざる魔術の遣い手! おお、智慧の深淵を覗きしドルイド・シュガー! 貴公の不在故に三女神の痛撃を受け我らは撤退せざるを余儀なくされた! メイヴの進撃を前に守りの加護はなく……此度は灰の水曜日なり!」
ええと、「聞いてよ聞いてよ、昨日にさ、エンチャント系アイテムをドロップする曜日クエストに出かけたんだけど、火力職のシュガーがいなかったからボス戦撤退しちゃったよ。ボク今日のレイドイベント守護エンチャ無しでいくの? めっちゃブルーなんですけど……」って事か。
それにしても鎧がさっきからがっちゃがっちゃうるせぇな。
「はいはい悪かった悪かった。あと灰の水曜日って別に悪い日じゃないからな、キリスト教のえらい人に謝ろうな」
「貴殿は物知りなり! さすがドルイド!」
暑苦しくむせび泣き、抱きついてくる大鎧男。
耳元でがっちゃがっちゃ。
「――チッ、いつまでも昨日の負けを引きずりやがって。盾職がそんなマンモーネじゃ、ファミリーも良い具合にシノげねぇって、俺ちゃん様はいつも言ってるぜ? K3」
カウンターでバーボン(グラスに入ったただのお茶)に目線をやりつつ、葉巻をくわえた、ずんぐりした体型の、身体をすっぽり覆うトレンチコートと丸グラサンの男。
ファンタジー世界で存在してはいけない類のキャラメイクである。
「だいいち、VITエンチャも闇耐性エンチャも、俺ちゃんにかかれば曜日クエこなすまでもなかったんだぜ? 露店で格安で仕入れてきてやらぁな。なぁに、お安い御用さ」
「おお! 悪辣なるシーフの誘惑……罪深し!」
「シーフじゃねぇ、俺ちゃん様はマフィアさ」
そんな職はねぇという俺の心の叫びをさておき、葉巻に火を付け、煙を噴かすグラサントレンチコート。
――直後に軽くのけぞったのは、喫煙動作を警告するARメッセージだろう。
どの国のナノマシンも大概、通称嫌煙アプリなるものがプリセットでインストールされている。
――この、開巻劈頭から目も当てられないくらいロールプレイがドギツい男二人は、俺の所属するギルド「30:5:3」のメンバーだ。
大鎧男がK3。
タンク系槍手である。
アルビノーグでは、槍手はケルト神話の英雄さながらの軽快なアタッカーが流行のビルドだが、K3はラージシールドを片手に踏ん張ってヘイトを稼ぐ一般的な盾職を担っている。
グラサントレンチコートはムっさんことムーニー・サルヴァトーレ。
シーフとアサシン系のスキルを修めており、戦闘では主にスキル系デバフを担当する。
しかし本人はイタリアマフィアのロールプレイをやりたいが為に、戦闘よりもアイテム調達の類が熱心で、露店の購入額を値引きするスキルとか、素材系アイテムのドロップにバフのかかるスキルとかも積んでいるので戦力的には多少見劣りする。
そんなキャラの性能評価よりも圧倒的に気になるのが、こいつらの言動であるが――昨今のVRゲームでは過剰なロールプレイは珍しくもない。
ネットに繋ぐ前に簡易催眠をかけたり、言動をキャラ設定に合わせて補正してくれるアプリがあるのだ。
VR空間では誰でも手軽に、気持ちよく役者になれる。
ガラスの仮面をかぶる必要はない。
まぁ、現実に戻って冷静になったあと、羞恥心に布団かぶってゴロゴロ悶える奴はいるだろうが。
俺はまさにそういうタイプなので、その手のアプリは使ってない。ほぼ素面だ。
嘘はついているのだが。
「しかし運び屋、俺ちゃん様もテメェのワーカホリックぶりには一言もの申したいね。アウトローのはしくれなら、有給を使い切る勢いで廃プレイに興じるモンだろうが」
「微妙にセコいアウトローだな」
せめて退職届を出せよ。
リアルでは二十代半ば、運送業者、というのが俺ことPTの火力系魔法職・シュガーの設定である。
当然ながら、「自分は地上で活動する少年兵で、国の指示で他国の同じような少年兵と殺し合いをやってます」とは言わない。
政府は検閲などしない。
不都合な情報が発信された時、疲れを知らない人工知能の人海戦術で場を乱し、煽り、ひっかき回してすべてを曖昧にする。
これまでに自分の窮状を訴えた兵士もいるのだろう。
しかし、俺たちは解放されなかった。
ネット禁止措置が執られる事もなかった。抵抗しても、報復される程の痛みを相手に与える事はない。
そういう事だ。
真実を言っても、俺が始末されるわけでもない。
ただ、人間関係は壊れるだろう。嘘をつく理由としては十分だ。
「いやマジで。三女神クエとか遠距離火力職抜きだと無理ゲーだったわ。ペトに例の別垢で参加させようと思ったくらいだぜ。どーせ店売りPOT並の三流ヒーラーだし」
「ひ、ひどいですよぅ!」
ムっさんと相席で蜂蜜入りミルクをちびちび飲っていた人物が抗議する。
可愛くアレンジされた白い僧服に身を包み、メガネをかけ、ツインテールにしたピンク色の柔らかな髪をふわりとなびかせる小柄な少女。
PTのヒーラー系魔法職・ペトルーシュカだ。
「ムっくんっ、わたしだって二年もヒーラーやってるんですよっ! さすがにPOTよりはいいお仕事できます!」
「るっせムっくん言うな地雷ヒーラー。昨日もバンバン大回復撃って速攻MP切らしたくせに。いいからピノッキオ呼んでこいピノッキオ」
「や、やですよぉ! レンジャーの装備って全体的に可愛くないですし」
身を引いて、胸元で手を組み「きゃるるん☆」というエフェクトを交えていやいやするペトルーシュカ。
その過剰なまでに女の子女の子した仕草から――俺は正直ネカマを疑っている。
ログインする時間帯もバラバラだし、ニート暦20年ペトルーシュカ(42歳♂)でも驚きはすまい。
そんな事実が判明した後も、ひとしきり大爆笑して付き合いは継続するつもりだが。
ちなみに話に上ったピノッキオ君は彼女(?)のサブ垢で、山師職だ。
一時の遊びで作ったキャラながら、その異常なまでの射撃スキルの精度に皆が恐れおののき「姫キャラRPしてるヤツが鬼強いとマジで怖い。腹黒かメンヘラかヤンデレ臭がする。いやほんと怖いんでいつもの地雷ヒーラーに戻って下さい」とムっさんが懇願したほどだ。
コイツはまたあの時の恐怖を味わいたいのか。
しかし実際、低ランクのボウガン片手に隠蔽を駆使して有効な射撃ポジションを確保し続け、ボスにスタン誘発のクリティカルヒットを連発するというチートじみた狙撃技術は神がかっていた。戦闘中はまさに人形じみた虚ろな目で完全に自分の世界に入っていた彼女が立ち上がり、きゃるるんっ☆ というエフェクトと共に放った一言は今も忘れない。
――えへへっ、なんだかよく分からないけど勝てちゃいましたぁ~☆
ムっさんだけでない。ギルド全員が全力で恐れ戦いた。
いやでも、ホントすごかったな。正直ウチの部隊に狙撃兵として欲しいと思ったよ。
PlaToonの方な。
「――うん、あれはすごかったね」
ガラスを弾いたようなすっきりと、よく通る声が隣のテーブルからする。
アイテムインベントリから実体化させた剣を手入れしていた男だ。
さらりとした黒髪で、やや細身の長身――紅顔の美少年とやらがそのまま年をとればこうなるだろう、という容姿。
回避率にバフのかかる低視認性の黒マントを着込み、剣士系上位職を修得する毎に追加される剣帯は現行最大数である四本、清々しいまでにVIT以外のステータスを補正する装備の数々。
このゲームでは特攻ビルドと揶揄される完全ATK・AGI特化型の剣士の特徴。
「あれ? ノヴさん、俺声に出してた?」
ウチのギルマスかつ主力アタッカーのノヴさんに、俺はばつの悪そうに言う。
彼は、ん? あれ? と軽い狼狽を見せた。
「ごめんごめん。また会話してる気になってたか」
この人はたまに、こちらの表情を読んで思ってることに相槌を打つという癖がある。
中々に不思議ちゃんなのだ。
「ま、ウチは主力二人からしてしがない月給取りのヌルいギルドだ。効率を意識しても大した事ないよ。ほら、僕自身もネタビルドだしね」
「そ、それ……暗にわたしがヒーラーやってる事自体がネタって言われてませんか」
「ん、それはね、ええと」
「いいです、その泳いだ目が全てを語ってます」
「バーカ、当然だろが。himechanプレイでゲーム内逆ハー狙おうとか俺ちゃんの目の黒いうちは絶対許さねぇ。オマエはカブキで言うところの三枚目ポジだ」
「悪夢のような言いがかりを……」
と、再び言い争いに興じるムっさんとペト。
「しかし、ノヴさんがネタビルドとは謙遜も甚だしいぞ」
ずしゅん、と木製の椅子に大いに負荷をかける音で着席するK3。
「昨日のモリガンクエストでは、マッハとネヴァンまで倒しているからな」
「……はぁ!? ヒーラーが序盤でMP枯渇したのに、POTの使用制限のかかったクエストで最深部まで到達したのか? エンドコンテンツだぞ? アタッカーが物理系一枚じゃ普通半分もいかないでMOBに殺られるって。途中のソウルセイバーは? 炎髏王は?」
「全弾パリィしていたのだ。モリガンの広範囲魔法攻撃以外一切被弾していないぞ彼は」
「変態だわー……超絶変態プレイだわー……」
尊敬を通り越して胡散臭いものを見るジト目をくれると、彼は「そんな事ないって。百人に一人くらいは出来るさ」とか言う。
「アクティブプレイヤー十万もいないゲームで、百人に一人の剣士が百レベル台MOBの物理攻撃を確実にパフェパできたらゲームバランス崩壊するわ。……もう、ネタってより、ゲームシステムへの大いなる皮肉だなあんた」
パリィとは、敵の物理攻撃を物理攻撃で相殺、あるいは受け流す戦士職特有の技能だが、タイミングが非常にシビアでロクに成功せず、成功したとしても武器の耐久値が激減する。
高レアドロップ狙いで山盛りのブーストアイテムを注ぎ込んだボス戦とか、ガチのPvPとか絶対負けられない戦いでの一か八かの状況にしかやらない。
完璧なタイミングのパリィをパーフェクト・パリィ略してパフェパと言い、耐久値のダメージが極小でノックバックの追加効果もあるが、高AGIの戦士系MOB相手じゃそのタイミングなどゼロコンマ何秒の世界だ。
甘そうな略称の癖に辛すぎる。
運営はこのタイミングを課金ガチャの最高レアと同じノリで提供しているに違いない。
ATK・AGI特化ビルドがネタビルドと呼ばれるのは、現実の身体感覚と完全に切り離せないVRゲームである以上、敵の攻撃を確実に回避する事がシステム的に不可能だからだ。
実際この特攻ビルド剣士の多くはコート系の防具を白く染め、エンチャント効果のあるルーン文字を貼り付けて古代の蛮族・ボーソー族の真似をしていたりする。
男一匹花と散るらむ、なのだ。
そんな中で、おそらくこのゲーム中ただ一人この男だけが、スロットを目押しで当て続けるようなワケのワカランプレイスタイルでネタビルドを実用化している。
こんなの、傍から見ればドン引きして冷めるか、思いっきり興奮するかどっちかだろう。
俺は後者だ。ノヴすげー、すげーノヴ。変態じゃ皆の衆、ここに変態がおるぞ。
「……」
視線で訴えかけると、ノヴさんはそっぽを向いて頬を桜色に染めた。変態扱いが不満らしい。
「……いや、あれだ。君も大概だろう、シュガー」
「うむ。〝置きドルイド〟で廃人と同等以上のDPS叩き出すような男は貴公しかおるまい」
K3も同調して言って来る。
「え? 装備で優越してる廃人に対抗するなら最高効率の置きプレイを選ぶだろ? 普通」
「……出たよ、これが天然ってやつだ、K3」
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないレベルの本気の平民殺し発言を聞いた」
苦笑するノヴさんと、しみじみと頷くK3。
「置きドルイドがあまねく魔法職にとっても最適解なら、廃れるわけないだろう、君。確かにケルト神話の世界観に沿って、魔術の発動にはルーン文字って媒体を書く必要性から、〝文字を置いてハメる〟ってプレイスタイルは運営も初期にオススメしてたくらいだ。キャストタイムを効率よく使えるからね。コンボが発生すればダメージにもボーナスが付く」
こん、こん、とノヴさんは打ち粉をテーブルに落として白い跡をつける。
「だがね、置きドルイドのDPSが同性能の撃ちドルイド――オンタイムにルーン文字を書いて魔法を発動させるスタイルを上回るのは、命中率七割からだ」
「十分狙える数値だろ? スペルハイドって、ルーン文字を隠すスキル取れば地雷を置くようなモンだ」
「……」
手入れ中の剣の古油が口に入ったような、なんともいえない顔をするノヴさん。
「地雷にハマる時はハマるのは、相当な数を埋めているからだって。大昔の地上では、全世界総計八万五千平方キロに五千万の地雷を埋めたそうだ。数撃って当てるものなんだよ」
ふーん。
いや、現代の軍事行動って環境に配慮()してるから地雷禁止なんだよね。
爆弾トラップの類はよく使うけど。
「――命中率九割五分を維持する置きドルイド。しかも範囲拡大のエンチャント無しで火力と追加効果に全振りときた。僕がゲームシステムへの皮肉だっていうなら、君はユーザーへの皮肉ってやつだ。ユーザーがゲームデザインの瑕疵と切って捨てたスタイルで廃人すらハメ殺すんだから。いつぞやのぬこにゃんZ氏がチートだと難癖つけて逆ギレしてアカウントごと削除した時は、いっそ哀れに思ったモンだ」
「しょせんネトゲだしな。将棋やチェスの名人みたいなヤツがいれば、俺よりずっと上手くやるさ」
生物・非生物問わずありとあらゆる動体には行動パターンがある。
少年兵で組織された軍隊のマニュアルだったり、MOBのアルゴリズムだったり、プレイヤーの戦術だったり。
それを把握すれば、動きを掌握するのはそう難しいことじゃない。
俺にとっては、目の前の剣士の方がよほど常識外れというものだ。
一瞬に自己の全リソースを余さず注ぎ込む集中力を持てるのは、本物の天才だけだ。
リアルでもゲームでも、真っ先に安全マージンを引いてその境目をうろちょろする俺のような人間とはモノが違う。
リアルで彼は官僚をしているらしい。
何の仕事をしているかは聞いていないが、ノヴさんなら何をやらせても良い仕事をするだろう。
政府も、孤児兵の報告を受けて無人爆撃機を飛ばすようなバカでも出来るような職にはつけまい。
現実の社会においては、遠い存在だ。
――ふと、気になる空気を感じて横を見れば、K3が肩を軽く落としていた。
「どちらも大したプレイヤースキルである事に変わりあるまい」
鎧を着込んだ二メートル豊かの大男が、子供のように小さく思える。
「ノヴさんは壁要らずである。シュガー殿は、時折PTのフォローで火力職に専念しきれていないのが分かってしまう……吾輩、タンクの仕事が出来ていないのだ。吾輩が貴公らを守りきれる腕を持っていたら、今頃このギルドは月例ランキングトップ常連ギルドになれていたに違いない。しかし、もう上位との差がつきすぎてしまった……吾輩のせいで、致命的に出遅れたのだ」
言葉に滲む本気の苦悩に、俺は言うべき台詞を迷ってしまった。
部隊では最年長に当たる俺だ。新兵をなだめすかすのは手慣れている自信があるのだが、そのやり口でいいものなのか。
「そりゃあ、月例ランキングの報酬は莫大だ。ランキング常連のトップギルドとは大いに戦力に格差がついたけどね」
穏やかに声を発するのは、我がギルマスだ。
「けれどねK3、自己強化の無限ループは確かにエンディングのないネトゲの本道だろうけど、プレイスタイルの主流じゃあない。だってそうだろ? トップ争いをするプレイヤーが全体の何パーセント存在するんだ? 連中は目立ってるだけで、メジャーじゃない。そりゃあね、ああいうのもアリだとは思うよ。でも、僕は彼らには大いに優越感を感じてるね」
それはね、と彼は真っ直ぐにウチのタンカーを見る。
「ここには、一緒に冒険をしていて楽しい、ただこうして話をするだけでも嬉しい、欠くべからざる仲間がいる。能力で繋がっているのが前提の廃人ギルドでは得られないトレジャーだよ」
――クサい台詞ってのは、本気で言ってるのが分かれば馬鹿に出来ないモンだ。
傍で聞いてても頬が熱くなったよ。
「実際、トップギルドにスカウトされても断ってるしね。シュガーもそうだろ?」
「ん、ああ」
実はね。
「仮にK3がギルドを抜けようって思っても、僕はあの手この手で引き留めるよ。図体の割りに甘え上手なメイン盾は、ギルドに必要不可欠なキャラだし」
「のっ、ノヴさーんっ!」
感極まってむせび泣くK3。悲しむ時も喜ぶ時もこうして単純で……うん、確かに可愛い後輩感があるな。
「要領の悪いヒーラーとヒネたアウトローの掛け合いも見てて面白い」
と、ガヤガヤ言い争うペトとムっさんを眩しげにノヴさんは見つめる。
「君もだよ、シュガー。背中を預けられる相棒なんてものが出来るとは、思いもよらなかった」
「……ああ、俺もだよ」
本気のクサい台詞を、真正面から受けた俺はうつむいて声を絞り出す。
なんだよ、俺も単純だな。
嬉しくてたまらん。クソッ、イケメンの人タラシめ。
「誰がいなくても、これ程ゲームを楽しむ事は無かっただろう。この五人は、僕にとってどのギルドにも負けない理想の比率を成しているよ」
ギルド名の「30:5:3」というのは、彼が名付けたものだ。
ユダヤの聖人が作った、大洪水からの救済船。
その長さ、幅、高さの比率で、いわゆる船の黄金比だ。
結成から一人も欠けていないし、増えてもいない。
このチームで、ゲーム世界を冒険しまくった。
アンヌン地底神殿で、アンデッドの大群に大いに恐怖した。
ダヴェド王国イベントでイチャつくNPCにムカっ腹を立てた。
高レアドロップアイテムの取り分でじゃんけんして、世界のじゃんけんローカルルールの差に驚愕した事もある。
――思い出しただけで笑みがこぼれる楽しい時間。
三年間、この仲間と共にあった。
この三年間だけで、自分の人生を素晴らしいものだと思える。
俺は、こいつらのおかげで自分を憐れまずに済んだ。
だから、嘘をついているのが少しつらい。
卒業したら運送屋になろうと思ったのは、車の運転に慣れている以上に、最初についた嘘に自分を近づけたかったのだ。
俺はいつか、ノヴさんに、仲間たちに、胸を張って名乗れる大人になれればと。
そう、願っている。