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薬師と娘

作者: 天嶺 優香

企画から五分の遅刻!!ごめんなさい!

──志岐は私の全てで、命だ。

だから、親ではないが育ててくれた彼とずっと一緒にいられるものだと、宵はずっと思っていた。


 その日は、いつもより静かな夜で、風もなく、雲も穏やかで、仄かに光る玲瓏たる月が浮かんでいた。

 布団から起き上がり、(よい)は素足にふかふかのスリッパを履いて、部屋を出る。

 それが、いけなかったのだ。

 そもそも宵は寝静まった夜に部屋の外へ出る娘ではない。

 いつも家主であり保護者である志岐(しき)がまだ仕事をしている事もあって、邪魔をしないようにしていたのだ。

 なのにこの日は無性に志岐に会いたくなって、そんな幼い年でもないのに静かな廊下を歩き、いつも志岐がいる部屋へ足を向けていた。──その時だったのだ、声が聞こえたのは。

「……じゃない、か?」

 ぼそぼそと志岐ではない低い声が聞こえ、宵は思わず足を止める。

 志岐の部屋まではあと数歩。閉まった扉からは中の明かりが僅かに漏れている。

 思わず宵は自分の部屋から持ってきた手持ちの灯篭を持つ手に力が入る。きょろきょろと訳もなく当たりを見回し、そっと足を進めて耳を澄ます。

「……なら、もうあの子は……手元には置いてはいられないだろう?」

 この声は、同じ村に住む男のものだ。たまに話したり食材をわけてもらったりと、交流がある。

 名前は、と考えても思い出せず、それよりもその男の言葉で「あの子」「手元には置いてはいられない」という言葉が気になる。

 この家で、あの子と言えばそれはきっと宵のことで。手元に置いていられないとはなんなのだろう。

 心臓がバックバクと変な音の刻み方をする。

 宵は更に声を聞くために、勇気を出して扉に耳を押し当てて中の声に聞き耳を立てる。

「いつまでも一緒にいるわけにもいかないだろう」

「……それは」

「いい年頃の娘が、親でもない男となんて周りがよく思わない。きっと先生の評判まで落とす」

 扉に押し当てた手のひらに変な汗が出る。

 宵は元々捨て子だ。幼い頃に捨てられ、人もいない道端で倒れていたのを旅をしていた薬師である志岐に助けられた。

 それからもう八年。確かに宵はもう十六歳となり、子供ともそろそろ呼べなくなってきた。同じくらいの年の女はもう嫁いで子供だって産んでいる頃だ。

「そうだね。宵は手放さなくてはいけないね」

 と、今度はよく聞き知った声が聞こえて、宵はぱっと扉から手を離し、音を立てないように、しかし急いで自分の部屋へ駆け込んだ。

 布団に潜り込んでも、まだ心臓がバクバクと早い音で鳴っている。

 それから宵は目を閉じても眠れず、嫌な考えが巡り続けるのに耐えるしかなかった。


    ***


「おはよう、宵」

 次の朝。志岐は笑顔で挨拶をした。

 無視するわけにもいかず、小さな声で返せば、志岐は首を傾げる。

「元気がないね。どうかした? 熱でもある?」

 志岐の座る側にはいくつもの薬草が置いてあり、今はそれを選別していたようだ。

 宵は志岐の傍に座る。

「大丈夫。ちょっと、まだ眠いだけ」

 昨日のことを聞いてもいいかわからず、宵は小さな嘘をつく。

「お腹空いた?」

「……ううん」

 昨日のことを思い出して俯くと、さらさらと宵の頭を志岐が撫でてくれる。

「……志岐」

「なあに」

「なんでもない」

 やはり聞くだけの勇気は出ず、宵は言葉を濁す。志岐は苦笑を零した。

「なにそれ。変な子だね」

 くすくすと笑う志岐の声が耳に痛い。

 この人は本当に鈍感だ。昨日の今日なのだから宵がもしかしたら聞いていたのかも、なんて考えないのだろう。

 仕事以外は鈍感で、抜けていて、放っておけない。

 いつからか宵が志岐のことを親ではなく男として見ていることも、本人は気づいていないのだろう。

 宵は唇を噛む。

 さらさらと髪を擦り付けていく志岐の手の感触は優しくて、温かい。

 親に捨てられた宵は、今度は志岐に捨てられるのか。

 感情が一気に暗く淀んで、なにも見えなくなった。


「おい、宵」

 自分の名前を呼ばれて、顔を上げる。

 目の前には自分と同じ年くらいの少年が立っていて、怒ったように眉を寄せていた。

 宵は外に立っていて、草履が乾いた土を踏みしめている。ざり、と土を草履で擦って、宵は首を傾げた。

 自分はなぜここにいるのだっけ。

 記憶は、朝起きて志岐と部屋にいた時までだ。

「なあ、聞いてるのか? おいってば」

 自分が男で、宵が女だからだろうか。少年は高慢に顎をしゃくってみせる。その仕草で、ようやく宵は彼が誰なのかわかった。

 昨夜家に来ていた男の一人息子だ。名前は思い出せないが、この高慢な仕草は記憶に残っている。

 それにしても、なぜ自分はここにいて、目の前にこの少年がいるのか不思議に思っていると──。

「宵」

 先程の少年が呼んだものとは違う響きで呼ぶ自分の名前が心に染みて、振り返る。

「志岐」

 振り返れば、志岐は側で座り込み、こちらを見上げていた。

 彼の手の中にあるのは育てている薬草たち。見れば家も目の前にある。

 そうだ。庭の薬草を世話するために二人で家の外に出ていたのだった。

 宵は志岐の方へ駆け寄り、しゃがみこむ。

「おい!」

 すると、それが気に入らなかったのか少年が声を荒らげて宵に駆け寄る。

「お前、無視するなよ!」

「……なにか用なの?」

 仕方なく振り返ってみれば、少年は怒りからか顔を赤くさせていた。

「あのね洋太、女の子にはもっと優しくしなくては駄目だよ」

 志岐が困ったような顔をしてそう言うが、少年──洋太はきつめの眉を更に釣り上げた。

「おっさんはうるさい!」

「おっさんって……いや、確かに去年三十路を越えたけど。若者ではないかもしれないけど……傷つくなあ」

 志岐はしゃがみこんだまま顔を俯けて大きなため息を吐く。

 そんな志岐の膝に宵は手のひらを置き、下から顔を覗き込む。

「志岐、どこか痛い? 疲れたならもう終わりにして休む?」

「こらこら、宵まで年寄り扱いしないでよ。大丈夫。ちょっと心が痛いだけ」

 そんな二人の様子を見ていた洋太はわなわなと握り込んだ拳を震わせ、悔しそうに走り去る。

 そんな洋太の様子に志岐は苦笑いを浮かべた。

「ああ、またお父さんに言いつけるんだよ、あの子。面倒だなあ」

 志岐は頬をかいてもう一度ため息を吐く。宵はなんのことかわからず首を傾げるが、志岐は教えるつもりはないらしい。

「よしよし、ちょっと早めに準備して出てしまおうか」

「……志岐、村を出ていくの?」

 志岐の口からまた嫌な言葉が出て、宵は思わずしがみつく。

 急にしがみつかれた志岐は体勢を崩して地面に尻餅をつき、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる宵の背中をあやすように叩く。

「そうだね、もうそろそろここは出ていくよ」

「……やっぱり」

 じゃあ私をここへ置いていくつもりなのね。

 心の中ではそんな言葉が浮んだけれど、口には出せず、宵はただしがみついた。

 この手を離したら志岐が離れていってしまう。

 一人になるのが怖くて、宵はぎゅっと目を瞑った。


    ***


 その日の夜のこと。

 志岐が村を出ていってしまう。宵を置いて行ってしまう、と嫌なことが次々と浮かんで眠れず、宵が自分の部屋で泣いていると、志岐がやってきた。

「宵」

「……志岐?」

 宵は涙に濡れる目を擦って体を起こす。崩れた衣を見苦しくない程度に整えると、志岐はすでに夜着ではなかった。

 村の外へ出ていくための衣に、荷物を背に抱えている。

「……志岐?」

 まさか、今日行ってしまうのか。別れの挨拶にでも来たのだろうか。

 混乱している宵を他所に、志岐は近づいてくると宵の目元を指で拭って笑う。

「怖い夢でも見た?」

「うん」

 でもその夢はまだ覚めてくれそうにない。

 宵はつい顔を俯けてしまい、志岐の口から放たれる別れの言葉を待っていると──いきなり目の前にばさりとなにかを置かれた。

 見れば、宵の着替えの衣だ。

「なにこれ?」

「早く着替えて。日が出る前にここを立つから」

 志岐のその言葉が、宵の心をじわりじわりと満たしていく。

「……私を置いていくんじゃないの?」

 顔を上げてみれば、志岐の顔はすぐそばにあった。彼は畳に膝をついて、宵の顔を至近距離から見下ろしている。

 宵の大好きな切れ長の瞳は少ない明かりの中でも神秘的に煌めいている。

 志岐はくすりと吐息を漏らして笑う。

「まさか」

「でも、だって。昨日の夜に言っていたでしょ?」

「え、洋太の親父さんとの会話のこと? 聞いていたの。あれはね、息子の嫁に宵が欲しくて言ってきたの」

 洋太、となんだか耳に馴染みのない名前で宵は一瞬誰のことかわからなかったが、昼間の少年だということに遅れて気づく。

「でも宵をあげるつもりはないし、うるさく言われるのも面倒だから、とりあえず納得させてこうして勝手に出ていってやろうと思って」

 志岐が笑う。今度は爽やかなものではなくて、少し意地の悪そうな悪どい笑みだ。

「私、だって志岐に置いていかれると思って……捨てられるんだって……」

「だから元気なかったの?」

「だって……」

 ついつい涙ぐんでそう言う宵に、志岐は笑った。なぜ笑われるのか宵にはわからなくて、さすがに怒ってやろうと口を開きかけた時──いきなり近かった志岐との距離が更に近づいて、唇が重なった。

 それは一瞬のことで、あっという間に離れ、志岐はさっさと立ち上がってしまう。

「早く着替えて玄関口に集合だからね」

 そんな言葉を残して部屋から出て行ってしまった志岐に、宵はぽかんと口を開けたまま固まり、やがてかあっと顔に熱が駆け上がる。

「なななななっ!」

 なに今の!

 かっかと熱は燃え続けて一向に冷めてくれなくて、宵が着替えて玄関口に行ってもまだ顔は真っ赤に染まっていた。

 そんな宵を見てまた志岐が笑う。

「本当に可愛いね」

 そう言った志岐に今度は額に口付けられて、宵は志岐の足を踏んでやった。

 小さな仕返しだ。

21日の24:00までだったので仕事帰りの書店の駐車場で書きました。手がかじかんでちょっと文字が……打ちにくい(笑)

ハピエンになったのか不安です。

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