09 僕らの当たり前
「よかった――」
ベンチに横たえた雪代さんがようやく目を覚まして、僕は安堵の声を上げる。
この公園はシンカクや従者が入り乱れたせいか、異空間化というか、異世界化というか――ともかくこちらの世界からは隔絶された空間になってしまっているらしい。もしかしたらゼパルの魔法なのかもしれないが、何にせよ好都合だった。
意識を失ったままのゼパルや、僕と別れて元に戻った青の格好はコスプレで誤魔化せるとしても、ヨーヨーは明らかに通報レベルだ。しかし、ゼパルが目を覚まして抵抗しないとも限らないので、まだヨーヨーにはいてもらったほうが心強い。
そして、ようやく意識を取り戻した雪代さんの制服はあちこち破れているが、特に目立った外傷はなかった。
雪代さんは、朦朧としながらも立ち上がろうとする。
「待って、まだ立たないほうがいいよ。どんな状態か分かんないし」
僕が制止すると、まだ夢の中にいるような顔をして雪代さんは小さく頷き、ベンチに座り直した。
しかし、次第にこれまでの記憶が鮮明になってきたらしく、震えながら、
「成馬くん……私、私……覚えてるの、ゼパルの意識と私の意識が繋がって、成馬くんのことを……そして……」
「大丈夫。僕はほら、もう何ともないし」
力こぶを作って見せる。
実際に怪我をしたのは腹部なので何の意味もなかったけれど。そんなお腹も、もう本当に何ともなく完治している。元気一杯なのだ。問題なのは制服の上着の下半分が吹っ飛んでいて、結構、アバンギャルドな格好だというくらい。お腹が冷える。
「……あの、それに……鈴のこと、塔也くんのことを、私…………!」
そう言って雪代さんは両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。青が隣に座って雪代さんの背中をさすってくれた。
断片的な彼女の話を繋ぎ合わせると、やはりきっかけは雪代さんの、塔也に対する恋心。中学時代から塔也に片思いをしていたらしい。しかしその思いは伝えられることなく、別々の高校に進学すると同時に、彼女の胸の内に封印された。
そして雪代さんがリンちゃんと出会ったのは、高校から通い始めた塾でのこと。仲良くなって半年が過ぎ、リンちゃんに彼氏が出来たことを雪代さんは知った。
――もちろん塔也だ。
淡い思いを胸に押し込め、ひたすら勉強に打ち込んでいた雪代さんにとって、それは古傷を抉られるような思いだったのだろう。しかも予期せぬ角度から不意に――だ。
思いが爆発したきっかけはあの日のダブルデート。塔也にも、リンちゃんにも明かしていなかった彼女の思いは、自分でもコントロールができなくなってしまった。
そんな時に、僕に巻き込まれる形で〈神柱の世界〉へと飛ばされた。
もちろん、彼女にも資質があったということなのだろう。
「気づいたら、川のほとりに仰向けで寝ていて……体が男になっていて……」
震える唇でそう言った。
見知らぬ土地に投げ出された彼女。そこをゼパルに助けられ、彼女はネクロアと名乗り、貴族に取り入った――それにはゼパルの手引があったことは言うまでもない。更には自らがシンカクであることを教えられ、ゼパルと契約を結んだ。
「たぶんその時に、ゼパルに契約を書き換えられたんだよ。あいつに都合のいいように」
僕の推論に、雪代さんは辛そうな顔で頷いた。
雪代さんが授かった能力は〈記憶改竄〉の力。この能力の恐ろしいところは、僕の〈魅了〉のように一過性のものではないということ。そして僕みたいに『目を見る』ことすら必要ないというお手軽さにあった。
相手のことを強く思うだけで改竄出来るのだそうだ。……ただこの辺の知識はゼパルからの受け売りらしいので、どこまで信用していいのかは分からない。
そして、一言で言うなら唆されたのだ。シンカクの力を手に入れようとしたゼパルによって。
雪代さんの脆い部分――塔也への横恋慕とリンちゃんへの暗い嫉妬。
それらの感情を見出され、付け込まれた。そうして、シンカクの力で、塔也の記憶を中学時代にまで遡って改竄した。
「馬鹿なことした。私、自分のことしか考えてなかった――」
彼女は小さくこぼした。
それから、これが最大の齟齬だったのだが、雪代さんの認識としては同時に僕やリンちゃんの記憶も書き換えたつもりだったらしい。一人分の記憶しか改竄出来ないと知らずに。
「後始末しなきゃだよな。――雪代さん、手伝ってくれるかな」
「え? 後始末……」
僕の言葉に物騒なニュアンスを感じ取ったのかもしれない。雪代さんは身を固くした。
「ああ、ええっと、ほら、記憶のほう。塔也の記憶。戻さないとだろ」
「……ええ、それはもちろん……でも、出来るか分からない…………」
雪代さんは不安げな表情を隠さない。
「雪代さんなら大丈夫だって。僕なんか、いつ発動するか分かんない時限爆弾みたいな能力なんだからな」
「そう。私は餌食。いつも食い物にされる」
と青が頷く。
「おい……誤解を招く発言はやめろよな」
「真実。トゥルース」
「うっさい。真実だけで世の中、渡っていけると思うなよ」
僕が世の中の何を知ってるんだっていう話だけども。
――けれども、これはそういう話なのだ。真実を真実でなくしてしまおう、という話だ。
まだ戸惑っている雪代さんの目を覗きこむ。
「これは僕の案だ。雪代さんの能力でもう一度、塔也の記憶を書き換える。そしてもちろん、リンちゃんの記憶もだ」
それで元通りだ――と僕は言った。
「そんな……私、酷いことしたのに……謝らなきゃ……二人に本当のこと……」
「んー、それもいいんだけどさ。だからって塔也が納得するか分かんないし。それって雪代さんの自己満足じゃない?」
「…………それは、でも、そんな都合のいいこと出来ない。記憶をメチャクチャにしておいて、何もなかったことにしようだなんて……」
「雪代さんの気持ちも分かる。だから、これは僕のワガママなんだけど……僕は皆とまた遊びたいんだ。塔也と、リンちゃんと、もちろん雪代さんとも。元はと言えばさ、僕が倒れたせいでこんなことになったんだし」
「でも――」
「本当のことを伝えるだけが友達じゃないと思うよ。嘘を吐くのが辛いのなら、それが君と僕が背負うべき重荷なんだ。間違ったときにぶん殴るのも友情だし、間違ったときに許すのも友情だ」
力なくベンチに座る雪代さんに、僕は言う。
「だからさ、雪代さんにも一緒に背負ってもらいたいんだ。一緒に苦しもうぜ。塔也やリンちゃんの笑顔を見て、一緒に気まずい気持ちを味わおう」
彼女は泣きたいような、わめきたいような、複雑な表情をしている。
「そんでいつか、何のわだかまりもなく笑えるようになろう。『実はあの頃好きだったんだよ』って、冗談めかして言い合おう。そんな友達になろう。そのために今、僕らは頑張ろうぜ」
僕もいつか君に伝えるかもしれない。
君のことが好きだったんだぜ――って。
ベンチで涙を流す彼女に、僕は笑いかける。造り物の笑顔じゃない。徹夜で考えた不格好なウインクでもない。ありのままの僕の笑顔だ。青に教えてもらった笑い方だ。
「……でも私、やっぱり二人の記憶を戻せるか……」
目を伏せながらつぶやく雪代さんを、僕が叱咤しようとしたその時、
「出来るよん」
と、明るい声が飛び込んできた。
声のした方向――は、上からだったので、一同で空を見上げた。
――遊園地で見た、黒いローブに身を包んだ猿江さんがいた。角の生えた鹿に乗って宙に浮かんでいた。いや、鼻が赤いのでトナカイだろうか。
……トナカイって、本当に鼻が赤いのか?
「猿江さん」
「はいはい、猿江さんですよ。どうやら、諸々終わったようだね。お疲れさま」
猿江さんを乗せたトナカイは、ふわりと着地した。
「この人は?」
雪代さんはやや警戒する素振りを見せた。そして青も、ヨーヨーも身を強張らせた。
この黒ローブ姿だと否が応でも魔術師を――ゼパルを連想させてしまうから、無理もないのかもしれない。
「ん、そちらさんとは初対面かな。私は貴女たちを知っているけどね。――私は猿江阿奈。むこうでの名前はクバリチェリア。魔術師だ。そこで狼くんの下敷きになっている男の、師匠だ」
「え?」
これには僕が驚いた。
「私の弟子が迷惑をかけて……本当にごめんね」
いつも軽薄な雰囲気の猿江さんが、珍しくしおらしい顔で言う。
「師匠で魔術師ってことは……」
僕はゼパルとの会話を思い出す。確か、中央魔塔に住む魔術師が彼の師匠で――
「え、じゃあ五百歳!?」
「ううん、違うよ」
猿江さんは軽く微笑む。
「七百歳」
「な、ご、ええ!?」
「五百年って、そんなに若く見えたかな?」
「に、二十代くらいに……」
「やーん、もう。お世辞が上手いんだから」
満更でもなさそうに言って、猿江さんは僕の肩を小突く。
「ゼパルからは、五百歳だって聞いてて……」
「ん? ……ああ、魔術師になってからは五百年くらいかな」
「へぇ……いや、本当に若く見えますけど……」
お世辞でも何でもなく、実際に二十代にしか見えないルックスなのだから、仕方ない。とても七百歳には見えない。
――いや、七百歳に会ったことないけども。
「そ、そうじゃなくて猿江さん。さっきのってどういう意味ですか」
「さっきのって?」
「ゼパルさん……ゼパルの師匠だって。貴女は初めからすべて知っていたんですか?」
「うーん、そんな怖い目で見ないで頂戴よ。私だって全てを知っているわけじゃない。……ん? もしかして私が黒幕だとか疑ってたりする? それは濡れ衣だね。全てはその不肖の弟子の仕業だよ。これは信じてと言うしかないね。神様である君たちに、人間である私のことを信じてもらうしかないね」
ああ、これでも一応人間だよ――と彼女は言う。
「私は初め、そこの――雪代ちゃんの悪戯だとしか認識していなかった。……それくらいなら正直、私としては見逃したって問題のないことだったんだけど」
「シンカクの力を……悪用していたとしてもですか……」
雪代さんが恐る恐る口を開いた。
「悪用ねえ……まあ貴女がどう思うかは勝手だけどね。そのくらいは悪戯の範疇だ、大局的に見ればね。スカウトに過ぎない私だったり……神様が干渉するほどの案件ではない。だからその時点では、榧本くんが自力で解決してくれればいい、それだけのことだった。けれども、彼女がゼパルを連れてこちらにやって来た時――榧本くんが帰ってくる少し前かな――興味本位で観察してみたら、二人の間にある契約の歪みに気がついた。ゼパルに都合のいいように、書き換えられているようだった」
それはさすがにマズかった――と、猿江さんはため息混じりに言う。
「契約の知識や、異世界渡航についての知識をそいつに授けたのは私だ。知りたいことだけ知って、そいつは私の元から逃げ出した。……どうでもよかったから、追いかけさえもしなかったんだけど……まさかシンカクを唆して、その魔力を自分のものにしようと考えるだなんてね。愚かで浅はかだ。師匠として恥ずかしい限りだ。――まあ、だから私がこうしてここにいるのは、神様の使いのスカウトとしてではなく、魔術師クバリチェリアとしてということになる」
げし、と、猿江さんはゼパルの頭を軽く蹴っ飛ばす。
「そういうことで、私にも責任はある――少しだけね。でも何度も言っているように、私にはスカウトとしての立場もあるからね。大っぴらに助力は出来なかった」
「スカウト的に……神様的には、ゼパルのやったことは許されるんですか」
「ギリギリセーフかな。そのくらいでリタイアするシンカクには用はない、ということだよ」
猿江さんが涼やかな顔を向けると、雪代さんは、バツが悪そうにする。
「うーん、魔力は雪代ちゃんのほうが高いけど、今のところの適性は榧本くんに軍配かな。さっきの話、またまた立ち聞きっていうか――浮き聞きしてたけども。榧本くんの答えはなかなか私好みだ。正しくはないだろうけど」
猿江さんが僕の眼を覗きこむ。
「正しくはないが間違ってもない。いや、そもそも正解なんてないんだ。何でもかんでも答えがあると思っちゃいけない。自分で答えを『決めなきゃいけない』ことのほうが多いんだ。今回は――もう一度記憶を書き換えるというのが、榧本くんの答えなんだね」
僕は頷く。
「うんうん。じゃあ――雪代ちゃんはどうかな、貴女の口から、ちゃんと意志を聞かせておくれ。榧本くんの意見に乗っかるんじゃなく、貴女自身の答えを決めておかないと、いつか後悔することになるよ。ご希望に添えるように、私も協力するからさ」
猿江さんは、見定めるような視線を雪代さんに送る。
「私は――」
雪代さんは一瞬だけ怯んだ。
けれど。
「――私は、榧本くんが言ってくれたように、二人の記憶を書き換えたいです」
「うん。それはどうして」
「私も、もう一度みんなとやり直したい。私が無茶苦茶にして、お詫びのしようがないですけど。でも、何もなかったように振る舞うのが――一番の贖罪だと思います」
「ふんふん。誰にも嫌われず、誰にも罰されず、のうのうと生きていきたいと?」
「罰を与えてくれる人がいるなら受け入れます。貴女でも、神様でも、成馬くんでも。けれどそれとは別に、二人を元に戻すのが私のやるべき事だと、今は思います。その後であれば……私をどうしてくださっても構いません」
「それ、榧本くんの受け売りがほとんどだよね。自分の意志じゃないよね」
「……そうです。でも……でも友達からのアドバイスですから。私はそれに――甘えます。それも罪だというのなら私は――」
「猿江さん、もういいじゃないですか」
僕は我慢しきれず会話に割って入る。
「ごめんごめん。私も責めてるつもりじゃないんだよ? 本当だってば。それにさっきも言ったけど、私にも少しは責任がある。ちょびっとね。だからこれからすることは、三人で分けっこするってことでいいかな。罪悪感は、三人で背負おう」
僕らのやり取りを見ていた青が、ずいっと僕の横に並ぶ。
「私も。私も分けっこ」
『ふむ』
ヨーヨーも頷く。
「ありゃま。五等分かな。これなら少しは気が楽じゃない、雪代ちゃん」
「はい……あの――」
「謝るのはよしなよ。そういうのはキリがなくなるからね」
猿江さんは僕に向かって、
「こういうとき、榧本くん的には何ていうのかな」
「そうですね――」
僕はちらりと青の顔を見て、肩を竦めて言った。
「友達なんだから当たり前――ですかね」
こうして僕らは、悪魔のような神様の力を、自分たちのためだけに使った。
何もなかったことにした。
許されないことかもしれない。正義からは、外れているかもしれない。
――でもそんなの知ったことか。
文句があるなら神様に言えってんだ。
僕が聞いてやる。




