08 駆ける雷光
私の目の前で、ナルの体が幾つもの光のカケラになった。
その光は私の体を貫き、ナルと私はひとつになって溶け合った。
たくさん話した。たくさん笑った。それは一瞬のようであり、長かったようにも感じる。
――どちらでもいい。
私は、私が大切にしている人の、そのまた大切にしている人を守りたいと思った。
友達の友達は友達――らしい。
そして友達は、友達を助けるものだ。
じゃあ、あの人は敵だ。
戦おう、ナルと一緒に。ヨーヨーと一緒に。
ナルの光を宿して、私の体が組み変わる。髪は青く輝き、地に付くほどに長く伸びる。全身から、新芽が芽吹くような生命力を感じる。手や足がじんと温かくなる。まるでナルの体温が乗り移ったみたいに心強い。
手にした剣も変貌する。細く長いレイピアは、より力強く、分厚く生まれ変わる。
『私は――』
私は、成る。
『ふふ、あなたも……いや、貴様もシンカクを取り込んだか! ははは! ようこそ同類!』
あの男は癇に障る笑い声を上げる。
そういえば、あの笑いを黙らせろと言われたんだった。
――やらなきゃ。
私は白刃を両手で握り、ゼパルに向けて構える。
ぐん――と、周りの景色が圧縮されて――私は、一足で黒い悪魔の眼前まで間合いを詰めた。反射も反応も、そんなかったるいことはさせない。突進の勢いのまま、ゼパルの胸に、剣を突き刺す。深く、鋭く。
消えろ。お前は邪魔だ。
『ぬ……おおお!』
ゼパルは私の剣から逃れるように後ろへ飛ぶ。
私の嫌いな、そしてナルの嫌いな笑い声は途切れた。
しかし、悪魔になったあの男にとって、それは致命傷に至らなかったようだ。
『ヨーヨー、来て!』
私の隣にヨーヨーが駆け寄る。その背中へと飛び乗り、悪魔を追撃する。
しかしゼパルは漆黒のローブを翼に変え、空へと逃げる。宙に大きなコウモリのようなシルエットが浮かんでいた。
――逃がさない。
ヨーヨーは地を蹴って宙へと浮かぶ。足場は私が作る。光で出来た石畳をヨーヨーは駆ける。私を乗せて、八艘飛びに。風を追い抜き、なおも速く。
駆ける。駆ける。駆ける。
ゼパルは言う。
『ははは、その力も私の物にしよう! 神には、私がなるのだ!』
『――無理!』
天を舞うかのような疾走。
私は、すれ違いざま、悪魔の腕を横薙ぎに払う。彼の右腕が弾けるように飛んだ。
『ははは、その程度!』
私が振り返ると、ゼパルは、残った左手をこちらに向けて振り下ろす。周囲に強い重力が生まれ、私とヨーヨーは耐え切れず、地に落ちる。振り仰ぐと、ゼパルが魔法――禁呪と呼ばれる類の――強大な魔法を唱えていた。
『〈まつろえ我が意は真理なり〉!』
不気味な調べが響く。感じたことのない『重さ』が私の身にのしかかる。『ただの私』であれば、内臓という内臓が潰れてしまうであろう、恐ろしい重さ。肉がたわんで骨が軋む。息が出来ない。血液が回らない。
――だから何だ。
全然痛くはないじゃないか。目の前でナルが崩れ落ちた時より、ちっとも痛くない。
私は重力に逆らって体を起こす。
『ぐ、あああ! こんなもの!』
『ほう、まだ抵抗しますか? ふふ、苦悶の表情もまたよい。地を這う様は滑稽だ。では次は……虫のように足掻いてもらいましょうか!』
そう言ってゼパルはまたも魔法を唱える。
『〈其は我が贄、蒔き散らせ純血を〉!』
私の左右に、円形のゲートが開かれる。それは四つ。ゲートから鎖が飛び出てきて、私の手と足に巻きつき、四方へと引っ張る。ドラゴンを拘束するために造られたような、屈強な鎖。私から四肢をもぎ取ろうと、凶悪な力で引く。
私の漏らす喘ぎ声を、ゼパルは満足そうに聞いている。薄ら笑っている。私の手から青い剣が地面に落ちる。
動けない。
けれども私は――『僕』は知っている。手足は使えなくても、口は開けるんだぜ?
なら今度は僕の番だ。
『聞こえるか! 雪代さん! そんなとこにいちゃ駄目だ。抗え! そんな悪魔に負けるんじゃねぇ!』
僕の叫び声に、ゼパルは意外そうな顔をしたが、
『ふっ、ははははは。何を言い出すかと思えば。あの小娘の自由意志など、もう何処にもありません――』
『うるせえよ! お前には話してねぇんだ――雪代さん! 君は何がしたかった? 今何をしたい? 塔也と会いたいか? 僕を殺したいのか? それとも――』
彼女の本当に大事なものは何なのか。僕には分からないけれど、聞いてあげることくらいは出来るんだ。僕は叫ぶ。魂でもって、魂に向かって叫ぶ。
『――それともリンちゃんに謝りたいのか? 間違っても今みたいな、「そんなこと」じゃないだろう?』
悪魔にいいように操られるなんて、望んでいるはずがない。
『そして知ってるだろ。四人で遊んだあの日、塔也もリンちゃんも、僕を一人にはしなかったんだぜ? 自分たちのデート以上に、僕のことを気にかけてくれたんだ。だから僕も同じことをする。君を一人にはしない。やり直せるなら僕も手伝う。取り返しがつかないなら一緒に背負う。だからもう――もうそんなところで一人でいる必要はないんだよ!』
僕の声は届いたのか――ゼパルの目に一瞬の焦燥が浮かんだ。
が。
『……はは、素晴らしい、素晴らしいですよ? お美しいシンカク! お友達思いなあなたの言葉は、我が主にも届いたらしい。御覧なさい、「ほんの少しだけ」私の動きが鈍りましたよ? ……そうですね、あなたを殺すのに二秒は掛かってしまいそうだ。これは参りました! あははははははは』
悪臭すら漂ってきそうな大口から響く、下劣な笑い声。
『……そっか、良かった。なあアンタ知ってるか? 一人ってのは寂しいもんなんだぜ。それを僕は知ってる。いや……』
知っているのは僕じゃあない。そう――
『「私」は知っている。でも今は一人じゃない。ナルがいる。ヨーヨーがいる。そして、ナルの友達も戦っている』
私はもう独りじゃない。
進んで独りになろうとする悪魔には、負けるはずもない。
『私は青だ! どこにでもいる誰かじゃない。青――〈ナルカミの青〉だ!』
私は叫ぶ。
『あ、あああああああああああ――!』
全身に力を込めて、空に向かって、私は吠える。私の遠吠えは地面を割って、大気を引き裂く。
ビシッ――!
という音を立てて、手足に絡みつく毒蛇のような赤い鎖はひび割れ、砕け散る。
『な、馬鹿な、貴様ごときに私の魔法が!? シンカクの力を上乗せした禁呪だぞ、そんな――』
私はなおも吠える。
『う――おおおおおおおオオオオオォ!』
大気を伝う亀裂が、ゼパルをも飲み込む。青い稲妻のような亀裂から、ゼパルは逃れようと身を捩るが、もう遅い。ゼパルの翼が千切れて舞う。きり揉みながら悪魔は落ちる。
私は青い剣を手に取り、落ちてくる悪魔に刺突の照準を合わせる。
『な……馬鹿な……! 魔法ですらないというのか……ふざけている! なぜ私を貴様ごときが上回る……なぜ、なぜだ!』
『分からない。お前には絶対に――分からない!!』
次の瞬間、私は電光になる。駆け抜けて焼き尽くす刹那の稲妻。地を蹴り、空へと昇る青い雷。
世界が私より遅くなる。
私は――世界を追い越す!
『やめろ――』
そんなゼパルの声が聞こえた気がした。けれども私はその声ごと切り裂いた。
直後、空を覆う暗雲は霧散して、黒い泥は地の底へと還っていった。ゼパルと、ナルの友達――雪代さんの体だけを残して。
頬を撫でる優しい風。
見知らぬ土地のその風が、私に戦いの終わりを教えてくれた。




