02 夢の国
「うわあ、来たね、来たって感じがするね」
リンちゃんは目を輝かせて言った。
「だね、来たぞ夢の国!」
両手を広げ体いっぱいで喜びを示すのは、僕の昔っからの友達、市松塔也。
まだ舞浜駅である。
とはいえ、ここまで来れば逸る気持ちも分かるといえば――まあ分かる。
右手に夢の国。左手に夢の海。これから日本一の遊園地で遊ぼうというのだ。周りの人たちも、ごく一部を除いて、だいたい似たようなテンションだ。
はしゃぐ二人は、付き合い始めてまだ一ヶ月の恋人同士。
そして、その背中を眺めるのは僕と雪代さん。
雪代姫花さん――そう彼女を紹介されたのは今朝のことだ。
その彼女が今、暗い目をして僕から距離を取っているのは、何も男子が苦手だとか、極端な人見知りだということではないし、ましてや夢の国が嫌いなんてことはない――と思う。
原因は分かっている。
たぶん。
待ち合わせた駅で、リンちゃんから彼女を引き合わされた僕は、
「やっほー、今日はよろしくねん! 僕は成馬。榧本成馬だよ! 『せいぴー』って呼んでね。好きなアトラクションは……君の隣なら何でも好きかな! よろしくハピネス!」
と。
出来る限りのハイテンションで、ダブルピースをしながら。昨夜寝ずに考えた『つかみ』の挨拶を彼女と交わしたのである。
しかも愚かなことに、僕はぎこちないウインクまで彼女に投げかけたのだ(投げつけて、と言ったほうが彼女の体感としては近いのかもしれない)。
「ふふ、成馬くんって……ううん。せいぴーって面白いね」
――という、僕が想定していたリアクションは、しかしなく。
彼女はその美しく整った顔の、筋肉という筋肉を総動員して、顔筋オールスターズで、
「うわっ、何こいつ」
と言わんばかりの苦悶の表情を見せた。
不格好なウインク姿だった僕が言うのもなんだけど、もはや変顔の域だった。
それからこの舞浜駅まで、彼女は口を利くどころか、目すら合わせてはくれなかった。
……そう、テンションの低い『ごく一部』の人間が、四人中、僕と雪代さんの――二人もいるのだ。初めのうちは気を遣っていた塔也たちも、どうやら電車を降りたあたりからもう気にするのをやめたようだ。
この珍妙なダブルデート。
そもそもは付き合いたての塔也たち――というか、リンちゃんが二人きりだと恥ずかしいと言い出したらしく、じゃあ――ということで男性枠で僕こと榧本成馬と、女性枠で雪代姫花さんに白羽の矢が立ったのだった。
そして実は、僕と雪代さんは「はじめまして」ではない。僕と雪代さん、そして塔也は同じ中学の出身だ。オナチューだ。
とはいえ、彼女と同じクラスになったことはなかったし、学年トップクラスの成績を誇る美少女と、取り立てて長所のない地味な僕に、接点などあるはずがなかった。話したことさえない。片思いをしていても――告白なんてもってのほかだった。そして何の関わりもないまま別々の高校に進学して、今に至るのだ。向こうは覚えてもいないだろう。
リンちゃんが雪代さんを連れて来ることになったのは、ただの偶然だ。同じ塾の友達ということだった。その話を塔也経由で聞いたときの僕は、まるで大好物を目の前にした犬のように、ダラダラとよだれを流して喜んだ。
――たとえが汚いな。
訂正。
飛び上がって喜んだ(よだれは出てた)。
そんな僕の、ここ一週間の睡眠時間は十時間。平均ではない。合計だ。興奮して眠れなかった。中学時代の冴えないイメージを――彼女は覚えていないだろうけれど――がらっと変えてみようと、つかみの挨拶も工夫した。
その結果がこの今だというのだから、神様は残酷だ。
夢も希望もハピネスも――あったもんじゃあない。
「よし、じゃ行こうぜ!」
夢の国を指差して塔也は歩き出す。正直、彼が指差すより手前のショップ(入場ゲートより手前だ)で妹へのお土産を買って、今すぐにでもUターンしたい気持ちで一杯だった。しかし、さすがに二人のデートの雰囲気をこれ以上ぶち壊すわけにもいかず、僕は重い一歩を踏み出した。
ぞろぞろとした人混みに揉まれながら、僕らは何とか夢の国の入口へとたどり着き、チケット購入と手荷物検査を済ませ、園内へと足を踏み入れた。インパした。
「ねえ、みんなで耳つけよ。やっぱり気分って大事だもん」
リンちゃんは無邪気な声でそう言って、躊躇する雪代さんの手を引きながら、グッズショップの入った建物へと進んでいく。ちらっと僕のほうを振り返ると、軽く微笑んだ。
どうやらリンちゃんは、僕のことをフォローしてくれようとしているらしい。
活発さを感じさせるショートカットに人懐っこい笑顔。パッと見、リンちゃんは彼氏との二人きりを恥ずかしがるようなタイプには見えない。まだ数えるほどしか話したことはないけれど、塔也にお似合いの、とってもいい子だ。
――改めてそう思った。
一方の雪代さんは黒髪のロングヘアー。いかにも清純派といった感じ。お嬢様的なオーラも手伝って、まさに高嶺の花と言うに相応しい。キャラクターカチューシャを頭に乗せてはしゃぐタイプには見えないけれど――でもリンちゃんの言うとおり、気分というか、勢いは大事だ。
まあ、勢いをつけすぎるのも駄目だけど――と、僕はまた暗くなる。
そんな僕の顔色を察してか塔也が、
「なあ、気にすんなって。一日は長いんだから、挽回のチャンス、いくらでもあるって」
僕の肩に手を置いて慰めてくれる。
「はは……、だといいけど」
僕より暗い目をした人間がこのランド内にいるだろうか。
いや、いない。
入園拒否されても仕方ないくらいに夢のない目をしている。
「ほら、オレたちも行こうぜ」
結局僕は、塔也とリンちゃんが選んでくれた青色の耳を頭に装備して、こうなったら満喫してやろうと気を取り直し、三人に続いた。