02 信じられる者は救われる
「あれ、お帰り。兄ちゃん。いつの間に?」
目の前で部屋着姿の穂香が、僕を見て首をかしげている。
「え? あ、ああ。ただいま……」
ここはどう見ても我が家の廊下だ。とぼけた顔をして、間抜けなキャラクターがプリントされたTシャツを着ているのは、間違いなく僕の妹の穂香だ。僕に似てない、ぱっちりした目の、三つ下の妹。
対する僕は制服姿。ということはもう放課後か?
「玄関入ってくる音聞こえなかったよ。忍者にでもなったの?」
「いや、どっちかっていうと神様になったんだけど……」
「へぇ……って、そんなどっちかがありますか? まったく。いつまで経ってもあなたは子どもなんだから」
なんて、母さんの口ぶりを真似て、穂香は困ったような素振りを見せる。
「うっさいよ。……てかお前、また部屋でそんなに食う気か? 太るぞ?」
穂香の手には、台所からかっぱらって来たらしいスナック菓子とチョコの袋があった。甘さと辛さのエンドレス地獄を楽しむ気らしい。よりにもよって夕飯前に。
「レディに向かってデリカシーなさすぎ。育ち盛りは食べ盛り! でしょ?」
「知らんわ、そんなの。ったく、栄養バランスくらいは考えろよ」
青に言えなかった分、穂香に言って気を紛らわす僕。
「兄ちゃんこそ、ちゃんと食べてちゃんと寝なよ? また貧血でぶっ倒れちゃうよ?」
「え? ああ……先週の日曜のことか?」
「当たり前でしょ! お土産買ってきてくれるって血走った目で楽しそうに言ってたのに、貧血で倒れて意識まで飛んじゃうって……ひ弱すぎるよ」
「…………」
僕があの日に倒れ、意識を失ったというのは事実らしい。
少なくとも、穂香を含めた皆の認識の中では。
「悪かったよ、今度はお土産買ってくるからさ」
「そこじゃない」
「ん?」
「謝るとこ、そこじゃない。妹を泣かせるなんて悪い兄だよ? 次にやったらぶん殴るからね」
穂香は僕を睨む。
「そっか。悪かった、ごめん。そうだよな、妹を泣かせちゃ悪いよな」
「うん。分かればよろしい」
「……なあ穂香。友達を泣かせる奴も、悪い奴かな?」
「? 当たり前じゃん。なに、兄ちゃん、塔也くんでも泣かせたの? 私の将来のお婿さんを? ぶん殴るよ?」
「違うよ。つーか、誰が誰の婿だ。兄ちゃんは認めねぇぞ? そんですぐ殴るな」
塔也が弟って……僕は劣等感に苛まれ続けなきゃいけなくなるじゃねぇか。
「それに塔也には彼女がいるんだよ。可愛い彼女がな」
そう――リンちゃんがいるんだ。
今は『違う』のかもしれないけれど。そのはずなんだ。
「いいもん。今は塔也くんを独り占めした気でいればいいわ魔女め! でも塔也くんとゴールインするのは私。前世からそう決まってるから」
穂香の目は、冗談じゃなくごうごうと燃え盛っていた。
――冗談じゃないのかもしれない。
だが取り戻すも何も、塔也が穂香のものだったことなどない。大丈夫か? 僕の妹はストーカーとかやってないだろうな。シンカクに選ばれたのが穂香じゃなくて僕で良かった。こいつに〈魅了〉なんて持たせたら何をしでかすか分かったもんじゃない。
「……穂香、『僕の妹が猪突猛進すぎて怖い』ってラノベ出したら売れるかな?」
「なになに? 私がヒロイン!? じゃあ彼氏役は塔也くんね! その共演がきっかけで秘密の交際がスタートするの……そして映画化と同時に電撃結婚! なんちゃってなんちゃって!」
「猪突猛進な上にブレないのな、お前」
そんで共演ってなんだよ。お前の立場が分かんねぇよ。
しかし、我が妹ながら見習いたい精神力だ。
「えっと……じゃあ穂香、僕またすぐに出るかもだから。留守番よろしくな」
「ん? 珍しく忙しいね。無茶なことはしないようにね。病み上がりなんだから」
「おう、分かってるって。ありがとな」
僕がそう言うと穂香は満足そうに笑って階段へと足を掛ける。そして不思議なリズムで鼻歌まじりに、
「いっもうとを~、泣っかせる~兄~は悪い兄~♪」
なんて歌いながら、楽しそうに自分の部屋へとお菓子と共に消えていった。
そうだな、もう妹を泣かせるようなことはしないようにしなきゃな。
そして――友達のことだって。
スマホを取り出して今日が『いつ』なのかを確認する。金曜日だ。保健室でリンちゃんに会った翌日ということになる。僕が家の廊下に現れた時刻は十六時。
出来ることならダブルデートの日以前に戻りたかったけど、それは叶わなかったみたいだ。たまたまこの日に流れ着いたのか、それとも何か『今日』帰って来たことに意味があるのか。
「ん――」
メール着信のが一件だけあった。知らないアドレスだ。タイトルもない。
開いてみるとそこそこの長文が並んでいた。文面から、送り主を察することができた。僕が廊下で倒れた後にでも、メールアドレスをコピーしたのかもしれない。
『やっほー! このメールを読んでるってことはこっちに帰って来たんだね。おかえり。君に欠けていたものは見つけられたかな。欠けているという表現はちょっと大げさだったかもね。知らなかったこと、と言うべきだったかな。
君の従者は人間じゃない。魂の在り方が違う。だから、ただ契約するだけでは不十分だったんだよ。異世界を行き来するくらいならともかく、「こちら」で君が魔力を行使するにはいささか魂が軽すぎた。
……ああ、怒らないでね、彼女の在り方を否定しているワケじゃないからね。そもそもの魂の「造り」が違うということだよ。彼女の在り方を君がきちんと識ることで、ようやく彼女の魂は君のものになったんだ。
さて、ようやく君の準備が整ったところで本番だよ。君が向こうに行ったことは、遠回りなんかじゃない。むしろ、最短距離で答えに至るピースを拾って来たと言っていい。さすが神様の卵、ツイてるね。
イッツァ・マジックだよ、本当に。
だから後は、答えをたぐり寄せるだけだ。根拠なんて要らない。この場合は直感に従ったほうがいい。おおよそ君が思いつく範囲で最悪な答えを出せばいい。世界にとってではなく、あくまで君にとっての最悪だよ。直接は手伝ってあげられないけど、君なら大丈夫だって信じてるよ。――他人に向かって「信じる」なんて言うヤツは胡散臭いかもしれないけれど。でもこの場合は「神様を信じる」んだから問題ないでしょ。
それじゃ、頑張ってね。
猿江阿奈ことクバリチェリアより、愛を込めて。
追伸 君の唇は美味しかったよ。ごちそうさま』




