08 青の
夜の明かりは石油ランプだった。心許ないけれど、電灯と違ってどこか温かみを感じた。
青もシャワーを浴び、二人とも湯上がりタマゴ肌になったところで、さて就寝という運びになり、行き当たりばったりな僕はようやく気がついた。
「あ……僕、リビングで寝ればいいかな」
間取りを考えるとその選択肢しかない。バスルームはもちろん睡眠に適しているとは言えないし、キッチンも何だか違う。となると、リビングダイニング一択だ。
「ベッドで寝て」
「いやいや、さすがに家主を置いてそんなことは出来ないって。青が使えよ」
「使う」
「おう。せめて毛布か何かを貸してもらえるとありがたいんだけど」
あちらの季節で言うなら五月くらいだろうか。夜はまだ何か羽織るものが欲しい。
「いや」
「いやって……厳しいな、急に」
しかし家主がそう言うなら仕方ないか。僕はダイニングチェアをくっつけて今晩の寝床を作る。
「何してるの?」
「ん? 椅子もくっつければベッドになるんだよ」
「ナルもこっち」
うん? ベッドルームの奥にまだ部屋があったのか。じゃあ――
「って、ないじゃん、部屋」
「ここ」
ネグリジェ姿(って言うんだろうか、ワンピースタイプのふわふわしたパジャマだ。ちなみに僕も青から借りた同じ格好)の青が、一台しかないベッドを指で差す。
「あん? いやだからこれは青が使えよ」
「使う」
「だから――」
「だからナルも一緒に寝る」
「はい?」
「寝る」
一緒に――と青はじっと僕を見る。
おやおやおや。
これはまた僕が悶え苦しむ姿を衆目に晒せ、ということかな。残念ながらもうそのパターンは僕も飽きたんだよ。僕は生まれ変わったのだ。神様なのだ。
「よーし! 今夜は寝かせないぞ~☆ あんなことやこんなこと……覚悟しろよ! 今夜は秘伝の神プレイを見せてやるぜ!」
「どんと来い」
青は僕の前で仁王立ちになって胸を張る。
……いやいやいや。
「乗るんじゃねぇよ。追い込まれた末の、僕の断末魔のボケを潰すなよ。本気で神プレイを始めたらどうすんだよ」
「その時はその時」
「…………」
ノリだけで生きやがって……まあこれに関しては僕たちは似たもの同士かもしれないが。
「あー分かった。分かったよ、僕もベッド使っていいっていうんだな。了解了解。僕だって自分の欲望を抑える理性くらい持ってるんだ。意識するだけ格好悪いしな。よし本当に寝るぞ」
「うん」
平静を装う僕の中で天使と悪魔がハルマゲドンなのを知ってか知らずか、青は可愛らしく頷く。
「本当にいいのかよ……」
「うん。……友達なら当たり前」
「まあ、女同士ならな。男同士じゃ、まずないシチュエーションだよ」
結局僕は観念して、青の言う事に従った。
もう外ではとっくに夜の帳が下りていて、石油ランプを消すと、室内も暗闇に覆われた。
まず僕がシングルベッドの奥で壁向きに横になった。これは〈魅了〉予防のためだ。背中合わせになるように、青もベッドの中へと入ってくる。シングルというだけあり、女子二人の体でも背中はくっつく。小動物みたいな青の体温を背中で感じながら僕は、壁の一点をずっと見つめていた。
「おやすみ」
「お、おう。おやすみ」
暗闇の寝室にお互いの声がやけに響いた。痛いほど静かだった。
四、五分経ったあたりで――体感的にはそれよりずっと長く感じられたが――僕の緊張は頂点に達し、沈黙に耐え切れず青に話しかけた。
「……まだ起きてるか?」
「うん」
「青は――平気なのか? 僕と寝るの。ほら、塔のシャワー室じゃあんなに怒ってたのに……」
と、緊張のあまりか、蒸し返さなくてもいい話題に触れてしまった。あの時の青の姿が脳裏をよぎる。想像してしまう。
「あれは驚いたから。……でも平気じゃない。どきどきはする」
「そ、そうなのか……ドキドキはするのか」
しまった。
そんなことを聞くと余計に僕の心はざわついてしまう。胸がバクバクと高鳴る。
これは本当に良くない。眠気なんて完全に吹き飛んでしまった。
「でも――」
と青は言う。
「誰かとご飯食べたり、一緒に寝たりするの……夢だった」
ぼそり、ぼそりと。
普段とは違う、どこか不安げな声で青は話す。
「ずっと一人だった。周りにたくさんの仲間――いや、私の分身はいたけれど」
「分身って、人造人間か」
「そう。みんな同じ。みんな私。識別番号もなかった」
「そうなのか? じゃああの長ったらしいのは……塔を出てからか。市民登録って言ってたっけ」
「そう」
危害のない人外、安全な隣人。それを保証し、知らしめるためのものが市民登録であり、あのバーコードであり、識別番号ということなのだろう。
「見た目も同じなのか? 人造人間って」
「違う。少しずつ違う。でもほとんど同じ。見分けづらいから首輪してた。色違い」
していた、ではなく、首輪をされていた、というのが正しいのだろう。被験体である以上、そういう扱いもあり得るんだろうけど――でもそんな姿を想像したくはない。首輪を付けられて『それ』呼ばわりされている青の姿を想像しようもんなら、僕は冷静でいられる自信はない。
「他には所長もいた。たまに助手もいた」
青は続ける。
「みんな友達じゃないし家族でもない。でも……人間には友達がいる。家族がいる。私も欲しかった。自分じゃなく、他人でもない人と……会いたかった」
「そっか」
「……それに。人造人間としての寿命は長くて十年。私にはあと一年しかなかった」
「一年…………」
「そう。棄てられるだけの未来。それが当たり前の将来。でも、私は生きたかった」
人間になりたかった――と彼女は言った。そのか細い声は、夜の闇に飲まれてすぐに消えた。
「今はさ……一年なんてことはないんだよな?」
「そう。今日、所長に調べてもらった」
「青の寿命をか?」
「そう。分からないって」
「それって…………変わってないってことか?」
たった一年しか生きられないのか? 僕の背中で話す彼女は。
「違う。変わった。だから分からない。一年かもしれないし、五十年かもしれない。人間と同じ。いつまで生きて、いつ死ぬか分からない。でもだから友達といたい。家族が欲しい。独りは……いやだ」
独りは寂しいと、彼女は言った。
「ヨーヨーは使い魔で、仲間だけど、食べたり寝たりは別。だから独り。塔にいても、塔を出ても私は独り」
「……そっか」
「そしてシンカクに会った。ナルと出会った」
空から落ちてくる光を追って。
流れ星に願うように。
――友達が欲しい、と。
「そっか。僕は友達か」
「そう。大好き」
青の甘い声に、ばくんと胸が跳ねる。
恋心じゃなくても。彼女にそう言ってもらえたことが、本当に飛び上がる程に嬉しかった。彼女の心に触れられたと感じた。
――そして同時に、無思慮な自分を恥じた。
一度だって想像しただろうか。僕が元の世界に戻っている間に、彼女がどんな気持ちで過ごしていたのかを。戻ってこないかもしれないと……不安にはならなかっただろうか。青を人間にしたのは僕だ。それは勢いだけだったかもしれない。でも、僕は彼女に生きて欲しいと願ったんだ。僕と同じように、人間として。
今も願う。
彼女に幸せであって欲しいと。出来ることならその隣にいたいと。
それなら、青に見捨てられるまで僕は彼女の友であり――神であろう。
決意を持って、覚悟を持とう。
「ねえナル……、ナルの魔力が足りないのは私のせいかも」
「ん? どういうことだ」
「だって私は人間じゃないから。だから足りないのかも……ごめんなさい」
どうやら、あれでもゼパルさんの話を聞いていたらしい。そして、人造人間であった自分のことを気にしていたようだ。
「馬鹿。謝るようなことじゃねえよ。たとえそれが原因でも、青が謝ることじゃない。僕のほうこそ、青の気持ちとか、事情とか。本当の意味で考えてなかったんだろうなって思うよ。ごめんな。向こうに戻ることばかりに必死で、僕は残される青のことを気にしていなかった。これじゃ友達失格かな……」
「ナルにとって、私は友達?」
「ああ。友達だ。大好きな友達だよ。青に会えて良かったって思ってる」
僕は正直に言った。言いながら、自分の背中がとても熱くなるのを感じた。
「僕のために怒ってくれたり、守ってくれたり。青といると楽しいし、青が嬉しいと僕も嬉しい。一緒にいる時間はまだ短いけど、大切な人だよ。青」
背中のほうでゴソゴソと動く気配と、シーツが擦れる音。
僕の脇腹に細い腕が回されて、ぎゅうっと抱き締められた。うなじのあたりに青の吐息がかかる。
「失格なんかじゃない。友達に資格なんていらない。たぶん。あったとしても、ナルなら満点。ナルがやりたい事があれば応援する。ナルの邪魔をするものがあるなら私が取り除いてあげる」
「青……」
彼女が所長に対して憤らなかった理由が、今なら少しだけ分かる気がする。人造人間としての彼女はもういない。過去の自分をどう扱われても、それは彼女にとって終わったことなのだ。
今の彼女は首輪で判別される人造人間ではない。
数字で識別される安全な隣人でもない。
――青は青だ。
それが彼女を形づくっている。だから青は、今の自分を傷つけるものを許さない。自分の大切なものが傷つけられそうになれば、毅然として立ち向かう。義務でも義理でもなく。自分のために。自分が自分であるために。
僕はどうだろうか。
きっと同じじゃないだろうか。
今なら、あの森での決断が絶対に間違っていなかったと言い切れる。
今なら、天秤にかけるまでもなく、迷わず彼女を生かすことを選ぶ。
「ありがとう、ナル。幸せ」
青はとろけそうな声で言って、抱きしめる腕に更に力を込めた。
「うん」
不思議な感情だった。これまで僕が感じたことのない種類のものだ。愛おしくて心地良い。胸が締め付けられるようでいて、温かく包み込まれるようでもある。
瞬間、ふわりと全身が浮くような感覚に見舞われる。僕の手が、そして全身が淡い光を放っていた。
どくどくと脈打つように、熱いものが身中を激しい勢いで流れ出す。これには覚えがある――いや、今思い出した。遊園地で、学校の廊下で感じた、魔力が駆け巡る感覚だ。
そして引き金は――僕の胸の鼓動。高揚する精神。
異世界への路が開く。これから僕は、魔力の渦の中に放り込まれ、世界を跨ぐ。
僕は大きく息を吸う。
これからしばしこの世界と――青とお別れだ。
「ナル……行く?」
「ああ。一緒に寝れなくてごめんな」
「ううん。友達によろしく」
青は上半身だけを起こして優しく笑った。造り物ではない彼女の笑顔だ。けれど、寂しさを湛えた笑顔であることが今なら分かる。僕は気持ちを抑えきれずに――
いや。
気持ちを抑えずに、青を抱きしめる。細くて儚い体を包み込む。
「行ってくる。でも、必ずまた会えるから」
「うん……。うん。待ってる」
僕の体の、青と触れた部分が焼けるように熱い。火傷しそうなほど熱い。
熱くて、痛くて、心地良い。
ずっとこのままでいたいと思った。
――けれども僕は行く。行って必ず帰ってくる。
浮遊感が強くなる。
まるで巨大な手で頭を摘まれるような感覚があった。
そしてそのまま――乱暴に引っ張られる。
僕の意識は、魔力の坩堝へと放り込まれていく。




