09 ナルカミ
「…………ヨーヨー」
『何だ』
「教えてくれ、その契りの、やり方」
『言っておいて何だが……勧めんぞ』
ヨーヨーは小さく首を振る。
彼は彼で、命の天秤を、頭に描いているのかもしれない。
「それでも、お願いだ。僕は二度も命を助けられてんだ。このままになんて出来るかよ」
『自身が消えてもか』
「んなことは分かんねぇよ――」
覚悟なんてない。自分が消えてしまうだなんて、現実感がなさ過ぎて分からない。イメージだって出来ない。
けれど。
彼女が目の前でいなくなる覚悟もまたない。中途半端な僕だ。いつもの、勢いだけの僕かもしれない。もっと不幸になるかもしれない。
それでも――それでもだ。わずかだけど時間を共にした彼女を、助けたいという気持ちは嘘じゃない。彼女を失ってはいけないと、僕の中の何かが叫ぶ。
失いたくはないと、そう思った。
「分からないけど――やるんだ」
『そうか。では血を……シンカクの血を飲ませよ。我が主に』
「血…………」
『そして呼べ、従者の名を』
僕は血に濡れた右手を服で拭い――それでもまだ赤に染まった手のひらを見た。そして地面に落ちた彼女のレイピアを握る。柄の部分ではなく、刃の部分を握る。
両刃が僕の手のひらへ、指へと食い込み、じぐりと強い痛みを与える。更に親指を刃に乗せ、力を込めて、白刃の上を滑らせる。その指を彼女の口元に持っていき、
「ほら、飲めよ、口開けて……」
しかし彼女は反応しない。青い瞳は、まぶたに隠れて半分も見えない。
「なあ、飲めって! お前、従者ってのになるんだろ?」
その声はもう嗚咽に近い。
「……名前つけるって、約束したろ?」
彼女は応えない。その小さな左手が、ぽとりと地面に落ちる。
「…………なあ……」
無表情で頷いて――
くれない。
僕は右手を一旦彼女から離して、自分の口元へと持っていき、舐める。血を啜って口に含む。そして彼女の顔へと口を近づけ、くちづけをする。舌で唇をこじ開け、どろどろした僕の血を送り込む。彼女の口へ、喉へと、無理矢理に押し流す。
長い長いディープキス。
初めてのキスは血の味がした。彼女の。そして僕の。
「――――っはあ」
僕が口を離しても、彼女に変化は見られない。真っ白な肌には、どちらのものともつかない血がこびりついている。
「なあ、おい……目を、目を開けろよ!」
僕は叫ぶ。
名前……そうだ名前だ。名を呼ぶんだ。彼女の名を――
「なあ『青』! 目を開けろ……お前は僕の従者だ。言うことを――聞けよ……」
間に合わなかった。こぼれ落ちた命は戻らない。
いやだ。
……そんなことは信じない。信じてやらない。
「――――――っ?」
彼女の、青の体が柔らかな光に包まれる。初めはぼんやりとした明かりだったが、やがて眩いまでの光を放って、そして消えた。光が収まると、胸の穴は塞がっていた。
ややあって変化。
白から青へ。
彼女の白い髪が、根本から順に青色に染まっていく。塗り替わっていく。
毛先まで色が変わると、青は急にパチっと目を開け、むくりと上半身を起こした。あまりに機敏な動作だったので、僕は驚いて身を引いてしまった。
「――――?」
青は目をパチクリとさせる。
僕とヨーヨーの視線に気づくと、不思議そうに首を傾ける。
「シンカク? ヨーヨー?」
「――青、も、もう大丈夫なのか?」
青は自分の胸元を見て、
「そう。大丈夫――みたい」
穴の塞がったあたりを手でさすっていたが、
「シンカク……『青』って?」
「あ、ああ。僕が考えた君の名前……なんだけど。いやほら、僕、ネーミングセンスないからさ――気に入らなかったら別のにするよ」
「いや、いい。気に入った。……青」
青――と、彼女は何度も口ずさむ。
「これで私も……人間?」
「そうだな……って、よく分かんないけど。まあでも、神様(僕)が言うんだから間違いないよ。青、君は人間だ」
「そう。嬉しい」
言って、青は微笑む。
造りものではない笑顔を見せる。
人造人間から人間に、彼女は成った。
――神様(僕)が言うんだから間違いない。
人造人間が神造人間に――だ。
神が造った人間だ。僕が名づけた人間だ。
「ありがとう。シンカク」
何かに気づいたように青は、
「シンカクの名前は?」
と訊いてきた。
「僕か? 言ってなかったっけ。僕は成馬。榧本成馬だよ」
――せいぴーと呼んでくれ、とは言わなかった。
「セイマ……」
『それは神としての名か?』
ヨーヨーが訊ねる。
「神としての?」
『シンカクはもはや人間ではない。神の核だ。神として、神の名を名乗るべき存在だ』
「…………神として」
そう言われても実感がない。僕にあるのは、知らない世界にやってきて、裏返ったように女になっていて。しかもシンカクだの神様だのになっていて――
そんな感覚だけだ。いや、感覚というほど確かなものでさえない。
神様になった成馬。将棋の駒が敵陣深くで裏返って『成る』ように。僕であって僕じゃない僕を、どう呼ぶか……
でも――まあ、それなら。
「じゃあ『ナル』って呼んでくれ。神様に成った僕のことを。そうだな――神様だから『ナルカミ』って感じかな。……えっと、どうかな?」
言いながら自信がなくなってきて、二人の顔色を窺う。
「ナルカミ……ナル。いいと思う」
青が頷く。
『シンカクが――いやナルが決めたのならば、それでいい』
ヨーヨーも肯定する。
「そっか。じゃあとにかく……改めてよろしくな」
僕は僕の従者と、その使い魔に向けて笑った。女神のような顔をして笑った。
こうして僕は神様に成った。
そして僕の異世界での生活が始まった。
――始まるはず、だった。




