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酔っぱらいの落とし物

作者: 月島ソラ

 名古屋市中区、名古屋テレビ塔の近くのバーで男は飲んでいた。会社帰りのサラリーマンである彼は、定時で、パソコンの前に座っているのがほとんどの業務を終了した。二時間、冬に向かう途中である季節の風を浴びて、夕食を食べた。そして、午後八時には店で座っていた。

 自宅に帰っても、待っているのは、ゴミと新聞紙。人間以外しかいないのだ。

 テレビ塔から発せられる電波に誘われるように薄暗い店内に腰を落ち着けた。

 店内は、彼のほかに誰もいない。

 店主はカウンターでグラスを拭いている。透明なグラスに付いた水滴が、汚れを知らない白い布によって拭きとられていく。

 時計は、午後十時を指そうとしていた。窓の外には、都会の喧騒が残っているが、店内は、静かだ。ジャズピアノの音色が、なんの障害もなしに聞こえる。

 入店して二時間が過ぎようとしている。グラスをゆっくりあおり続け、六杯目に口をつけた。

 カウンター席に座りながら彼は、アルコールによる眠気と戦っていた。何回か首がまっすぐになっては、急に傾けたように倒れてしまう。根元が折れた草木のようだ。

「お客さん、大丈夫ですか?」

 カウンターの奥で指先を動かしている店主が心配して声をかけた。何かがこすれあう音が、ピアノの邪魔をしている。

 彼は手をひらひらさせて、

「大丈夫、大丈夫。これくらい、いつものことだって」

 と、揚々とした態度で返事をする。

「お客さん、お酒弱いですか?」

「そんなことない。私強いよ。飲み比べじゃ負けんから」

 ははは、と笑いながら答えた。

 それでも店主は、帰るよう勧める。が、彼は、「うるさいな」と、一蹴した。

 おかめのように頬を染めた彼は六杯目を半分まで飲み干したところで、また店主に帰るように説得された。

 なにか急かすように感じる店主だが、酔いが頭をまわってしまっている彼は気づきもせず、ただ文句を言っていた。

「三千五百六十円になります」

 店主が落ち着いた声で支払金額を言った。

 まだ飲みたい足りない彼は、コンビニで酒でも買っていくか、と、どの商品を買うか考えながら財布をとり出した。

 中を見ると、一万円札が二枚と三枚の千円札がある。小銭入れのほうを見ると、ちょうど五百六十円になるコインたちが待っていた。

 縁起がいいと思い、彼は一人ごちた。

 金銭トレーに札三枚と、小銭三枚を置いて、店を出ようとした。

 その時だった。

 店主が彼の腕をつかんで呼び止めたのである。

「お客さん、お金足りません。ちゃんと払ってください」

 彼はなにを言われたのか、一瞬のうちに理解できなかった。確かにきっちりと支払ったはずだ。

「そんなことはない。俺はちゃんと払ったぞ。金額通りぴったりと」

「でも足りないんですよ。ほら、見てください」

 と言って、店主は、トレーの中を指さして言った。

「どうですか。四十五円足りないんですよ」

「嘘だ」

 彼はすぐに首をまわして置かれた小銭を見た。その瞬間彼の頬はさらに赤くなった。頬にびんたをくらったような衝撃が体中を駆け巡った。

「ご覧の通りです」

 委縮した態度を見せる彼だが、反論があった。

「俺はちゃんと払ったんだ。お前が間違えただけだろう。レジの金と入れ替えたとか」

「それを証明できるんですか? 変な言いがかりはよしてください」

 店主も退かない。

「お客さん、酔ってらっしゃったじゃないですか。五円と、五十円を間違えたのでしょう」

 酔いを出されると弱い。彼は、「でも」と言いながら続けようとしたが、店主が遮った。

「しかし、このままだと警察に来てもらって事情を話すしかありませんね。払うものも払ってもらってないですし。私は本意ではないのですが……」

 次の行動をうかがうような視線を彼に向けた。警察という単語が出てきたからなのか、彼の顔がひきつった。警察にはやっかいになりたくないのだろう、財布から福沢諭吉が描かれた茶色が基調の札を取り出して、支払いをした。

 彼は、不本意な金を払わされたことを隠すことなく、顔中にさらけ出した。額に怒りのマークが浮かんでいるような形相だ。

 しかし、彼がこれ以上ここにとどまっても、払った金は返ってこない。勢いよく開けたドアを勢いよく閉めた。ドアベルの音がピアノに交じって店内に流れた。


 ***


 バーの店内には、先ほどとは打って変わって、汚い笑い声が響いていた。

 売上金額を書きながら、店主はほくそ笑んだ。

「我ながら即興で思いついた策だったが、上手くいった」

 その手には、つい十分ほど前までいた客の五十円玉が握られていた。

「酔っ払い客をカモにするのはいい。酔いを言われると誰も大きく出られない。最後に警察と言えば、たいてい怖気づく」

 店主は、また黒い笑い声を上げた。すでに閉店時間をむかえている。この声を聞くものは、店主以外いなかった。

 書き物を終え、店主はレジスターにある金を確認した。札束と小銭が分けられたそこを見るのが店主の楽しみだ。売り上げがプラスになっている時はなお気分がいい。

 店主は向かって左端にある一万円札をすべて取り出した。片手で数えられる枚数しかないが、札から受ける視線を一身に受ける。日本の最高額紙幣はなんど見ても飽きない。

 その中に、いつもとは違う雰囲気を放つ、福沢諭吉があった。

 店主は、札を見た。

「やられた」

 苦い思いを口にした。


 ***


 男は、ほろ酔い気分を夜風に当たりながら楽しんでいた。自分の作戦が順調にいったことを素直に嬉しがっている。

 完全に店主の上を行った彼は、一万円らしき札を見ながらぽつりとこぼした。

「もっと精巧に作らせないと」

 さっと見るだけではわからないが、よく目を凝らしてみると、本物とは洗い作りの部分がある。改良すべき部分を頭の中でまとめて、スマホを取り出した。

 今日はいい酒が飲めた。彼は電話をかける前、つぶやいた。


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