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聖なる夜にあいましょう

 玉井裕一〈たまいゆういち〉は真っ白な場所にいた。上を見上げても、青い空や雲は見えなかった。三百六十度、上を向こうが下を向こうが白かった。日の光を浴びた雪のように明るかった。優しく甘い、ミルクのような匂いがする。そして春のように暖かかった。こんな場所は現実に存在しない。裕一はそう感じた。そしてつまり、ここは夢の中だと気付いた。よくよく思い出して見たら、寝る前のことを覚えている。レモネードを飲んで、お風呂に入って、メールを何件か送り、電話をして、ベッドに入ったんだった。夢の中でこれは夢だと気付くことは今までに何度かあったが、こんなに意識がはっきりしているのは初めてのことだった。

 裕一はずっと同じ場所にいるのもなぁと思い、歩いてみることにした。少し歩くと霧のようなものが現れた。霧の中には何があるんだろう、と最初は躊躇したが、どうせ夢の中なのだから、と思って霧の中を進んだ。

 現れたのは立派な教会だった。高い建物では無かったが、装飾が施された外壁は綺麗だった。乳白色の石で作られている。近くには大きなモミの木が生えていた。その木の根のところだけ、土がある。そしてその土のあるところに一つ、りんごが落ちていた。

 教会の茶色い木の扉の前に、人がいた。後ろ姿から、それが女の子だということが分かる。

 「あの……」

 裕一が声をかけるとその女の子がビクリと驚きながら振り向いた。まだ高校生くらいだと思われる若さだった。

 「いや、怖がらないで。何もしないよ」

 裕一は焦ったように両手を挙げて言った。女の子は少し安心したように表情を緩ませた。

 お互いに自己紹介をした。女の子は安藤舞〈あんどうまい〉と名乗った。彼女はクリスマス・イヴには決まって一緒に遊ぶ親友とクリスマスパーティーをして、テレビを見ているうちに眠ってしまって、気が付いたらここにいたらしい。

 裕一は彼女が見たこともない子で、事細かに自分のことを話すので、今見ているこの子は自分が作り出したのか、それとも他人の見ている夢と自分の見ている夢が繋がってしまったのか、と考えた。しかしどれだけ考えても仕方が無いので、ひとまずそれは置いておくことにした。

 裕一はずっと気になっていた教会に入ってみようと提案をした。舞も気になっていたが、一人では勇気が無くて入れなかったらしい。二人は一緒に協会の中に入った。

 協会の中に入ると、並んでいる木の長い椅子、正面の大きな、虹のように彩りあるステンドグラス、十字架とマリア像が見えた。視界の左端に、壁に寄りかかった男を見つけた。男は二十代前半くらいで、何故か傷だらけだった。手やおでこに絆創膏を貼っている。試合直後のボクサーみたいに、顔に青あざが出来ていた。しかしその優しげな目からは危険な雰囲気は感じられなかった。その男は十字架の下をじっと見つめていた。

 協会の中に入ると男のすすり泣く声が聞こえてきた。後ろから舞が付いてきていることを確認して、壁際の男の元へ向かった。

 「あの……こんにちは」

 「やぁ」

 裕一はまず挨拶をした。壁際の男は舞のように驚いたりはしなかった。裕一が名乗り、舞の紹介もした。男も自分の名前を名乗った。その男は自分の名前を波根直樹〈はねなおき〉と言った。

 その男も気が付いたらここにいた、と言った。車に轢かれて病院に入院して、病室のベッドでウトウトしていて、気が付いたらここにいたらしい。

 裕一はさっき直樹が見ていた方を見た。見るとマリア像の足元で、スーツを着た男が丸くなってすすり泣いていた。

 裕一と直樹が顔を合わせ、頷く。二人が先頭に立ち、舞が付いて行く形で男の元へと進んだ。そして裕一が話しかけた。「こんにちは。あの……どうして泣いているんですか?」

 男がゆっくりと顔を上げた。舞がヒッ、と小さな悲鳴を上げる。裕一と直樹も驚きを隠せなかった。黒いスーツで分からなかったが、彼の姿は血で汚れていたのだ。

 「それは……どうしたんだい?」

 「俺たちでよければ、話してみてくれないかい?」

 直樹と裕一が男に話しかけた。男は“告白”を始めた。

 「ぼ、僕の名前はーー戸松優太〈とまつゆうた〉」


 優太の“告白”は衝撃的なものであった。それは人を殺してしまった、というものであった。

 全てを話し終えた優太は言った。「僕は取り返しのつかないことをしてしまった……。怒りに任せて……。分かっていたんだ。こんなことをしたってどうにもならないって。でも僕はもう、自分が抑えられなかったんだ。もう僕は終わりだ。家族に会わす顔がない。やっぱり僕なんて、誰からも必要とされていない存在だったんだ。いままでひたすら真面目に生きてきた、この生き方も間違ってたんだ。もう僕は……生きていけない」

 優太の目は何かが抜け落ちたように真っ黒な光のない目をしていた。その黒い双眸からは溢れるように涙が流れた。

 優太を見下ろしていた裕一が、膝立ちの姿勢をとって、優太の目を見た。

 「いや、誰からも必要とされていないなんて、そんなことは無いです」

 優太が裕一の目を見た。

 「俺も今日、思ってたんです。俺は世界中で一人ぼっちなんじゃないかって。いろいろあって、ずっと淋しい気持ちでいて。でも違いました。バイトの後輩の子が心配してくれたり、友達が励ましてくれたり、家族から連絡があったりして、気付いたんです。俺は一人なんかじゃないって。戸松さん、あなただってきっとそうですよ。あなたにだって家族がいるでしょう。友達がいるでしょう。どこかで誰かが、きっとあなたの事を想ってる。一人ぼっちなんかじゃ無いんですよ」

 優太の瞳に少しだけ、光が戻った。

 「優太くん、君の生き方は間違ってなんかないよ」

 そう言ったのは直樹だった。直樹も裕一のように、優太と視線を合わせた。

 「確かに真面目に生きることは大変だ。ずる賢く生きている人が得をしていたり、そんな場面だってあると思う。僕も優太くんと結構似てるところがあるんだ。よく真面目すぎて、周りに呆れられたりするよ。傷つくことだってある。でも、見ててくれる人は絶対いるんだ。真面目に生きていれば、良い事だってきっとあるさ」

 直樹は優太の肩に手を置いて頷いた。

 「優太さんには、愛している人はいますか?」

 そう言ったのは舞だった。舞も他の二人のように優太に視線を合わせ、優太の血で汚れた両手を包み込むように握った。

 「私には愛している人がいるんです。でもそれは叶わぬ恋、結ばれることは無いんです。でも、その人が生きていてくれるというだけで、私は生きていけます。あなたにもそんな生きる希望の光のような人がいませんか? いればそれだけで幸せです。あなたの事をそこまで愛してくれている人だって、きっといます。だからあなたも生きられるはずです。そして、生きなければいけないんだって、思います」

 優太の瞳は光を完全に取り戻した。それはただ涙に光が反射して光っているのではなかった。

 「僕は取り返しのつかないことをしてしまった。反省して、きちんと罪を償いたい。自首するよ。そして、ぼくは生まれ変わりたい。いや、きっと生まれ変わる。誰かのために生きたいんだ。僕はまだ……生きている。生きているかぎりーー」

 優太はゆっくりと立ち上がった。三人それぞれに、目を見て「ありがとう」と言った。

 そして協会の出口へと歩いて行き、扉を両手で開けて外へと出た。強い光が、優太の身体を包んだ。

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