純愛
クリスマス・イヴに光と過ごすのは今年で十五回目。って言っても最初の方なんて全然覚えてない。だって三才とかだったから。
午前中はずっと掃除をしてて、終わった後に大事なものを出すことを忘れていた。
押し入れからクリスマスツリーを出し、部屋に飾る。コンセントを刺すと、電飾の明かりが灯った。LEDのような眩い光も好きだけど、白熱球のぼんやりと暖かな光も好き。
少し離れて、ツリーの飾り付けられた部屋全体を見渡す。うん、一気にそれっぽくなった。部屋の掃除も終わったし、あとは待つだけ。
そんなことを考えていると、チャイムが鳴った。私は姿見の前で少し立ち止まって髪を整え、部屋を出る。
玄関の扉を開けると光が寒そうに立っていた。今日は雪が降るかも、なんてニュースで言ってたな。
「よっ」
光の顔はマフラーで半分は隠れていた。
「いらっしゃい」
私は光を招き入れる。光は座ってブーツを脱ぎ、立ち上がるとニット帽を脱いだ。くしゃくしゃになったショートカットの金髪を乱暴に撫で付ける。私は光の髪を手で丁寧に直してあげた。光は素直に「ありがと」と私に礼を言った。そして手に持っていた紙袋を私に差し出す。中にはラッピングされた箱が入っていた。たぶんお菓子だ。
「いいのに」
「お母さんが持ってけって」
「台所にいるから。渡してあげて」
光はうん、と頷いた。台所ではお母さんが料理を作ってくれていた。この後私の部屋で光と食べる夜ご飯だ。お母さんはお父さんと一緒に外に食べに行くらしい。
「おじゃまします」
光が言うと、お母さんは「あら! いらっしゃい。光またかっこよくなっちゃてぇ」とご機嫌な様子で言った。光はいやぁ、と照れて頭を掻いた。もう。からかわれてる。
お土産をお母さんに渡し終え、私の部屋へ行く。光は部屋に入るとマフラーを外し、コートを脱いで、私に渡した。私がハンガーに掛けてやっていると、「寒い寒い」と呟きながら勝手に暖房を付け、ピピピとリモコンを操作していた。設定温度を上げてる。いつもの事だから、私もいちいち指摘したりはしない。
私たちはその後いつものように他愛も無い世間話をして、夜ご飯を食べた。デザートにケーキを出すと光は「おいしい」と言って食べた。私が「それは私が作ったの。一人で」と言うと「おいしいよ。本当に。嫁にほしい」と言った。私は笑って答えた。本当にそうしてほしい。無理なことは、分かっているけど。
夜ご飯を食べ終え、テレビを見ていると、私のベッドに寝そべっていた光が「眠い」と呟いた。
「寝てもいいよ」
「明石家サンタが始まったら起こして」
光はそう言うと本当に寝始めてしまった。
私は光にタオルケットを掛けてやり、ベッドのそばに座って光の寝顔を眺めた。
私が光に初めて出会ったのは幼稚園の時だった。家も近くて親同士も仲が良く、私達は毎日のようにお互いの家を行き来して遊んだ。特に私はおままごとが好きだった。いつも私は子ども役。当時から光に懐いていた私は堂々と光に甘えることができた。
私は小さい時はよく泣く子だった。小学校に上がったばかりの頃、私は学校のジャングルジムから落ちてしまったことがあった。落ちて行く時に見た映像はスローモーションに見えて、今でもよく覚えてる。近づいてくる地面と、駆けて来る光。地面に落ちる寸前で光は身を挺して私を助けた。私が起き上がると、光は地面に頭をぶつけて意識を失っていた。
幼かった私は光が死んでしまったと思って、それはもう泣いた。近くにいた子が保健室の先生を呼んできてくれて、その後病院に運ばれた。私が次に光に会えたのは三日後のことだった。光の怪我は大事には至らなかったが、念の為に検査入院をしていた。その三日間はもう泣き通しだった。光のことが心配だったのと、罪悪感のようなものが消えてくれなかったからだ。病室で光に泣きながら謝ると、光は笑った。「ぜんぜんだいじょうぶだよ」って。病室の中の清潔そうな白いベッドやカーテンは、窓から差す太陽の光を受けてさらに輝いて、部屋全体が眩しかった。私はそこで初めて、光のことが好きだということに気付いた。
あぁ、このおでこの傷はあの時に出来た傷だ。私は手を伸ばして傷に触れようとして、やめた。
ごめんね。
私はあの一件で涙を出し尽くしたのか、あれからぱったりと泣かなくなった。次に泣いたのはーーあれか。光が告白されて、付き合い出した時。
中学生の時だった。学校帰りに家に寄った光が「ラブレターもらった」と言い出した。本当にどうしていいのかわからなかったみたいで、光は私にそのラブレターを見せた。私はそのラブレターを受け取る時、手が震えていることに気付いた。いけない、と思いながら、私はそれを読まずにはいられなかった。読み終えて、光の方を向く時どういう表情をすればいいのか分からなかった。一生懸命、笑顔を思い出して、光の方を向く。「どうすればいいんだろう」と言う光に私は「付き合ってみたら」と言った。心の中の私の思いとは真逆のことを。ラブレターを出した子は人気のある子だった。光は「うん」と頷いた。
その日の夜、寝る前に光のことが頭に浮かんで離れなかった。光は別に私のものではないけど、誰かのものになってしまう気がした。こんなに私は光のことが好きだったのか、と改めて突きつけられた気がした。光がいないと、もう私は生きてゆけない。そう思ってしまった。私は一人で、我慢せずに泣いた。
光は付き合いはしたものの、二週間で別れた。光は「舞と遊んでる時の方が楽しいよ」と言ってくれた。言われた時は全身が熱くなってしまった。
そのまま一緒の高校に進んだ私たちは、平凡で幸せな高校生活を過ごした。そして、違う大学を受けた。光と違う大学に行こうと決めたのは私自身だった。私はもう光と会わない方がいい。そう思った。
私の光への思いはもう、我慢することが難しく、辛くなっていた。光とずっと一緒にいたい。話していたい。手をつないで歩きたいし、キスもしたい。それ以上のことも。でも、光はきっとそれを望んでいない。光を困らせたくない。今までずっと友達としてやってきたのに、この関係性を壊してしまうことが怖い。
そして私は来年の春以降、光に会わないことを決めた。毎年一緒に過ごしてきたクリスマスパーティーも、今日で最後。
私が光に近づきすぎてしまえば、そこに生まれるのは存在の許されない影。手を伸ばして触れようとしてはいけない。その存在が救い。いてくれるだけでいい。光は私にとっての、生きる希望の光。
ふと窓を見ると、雪の結晶が一つ、舞い落ちていた。その雪の結晶がフレームから姿を消した時、私の顔の輪郭をなぞるように流れた涙が一滴、落ちた。
「どうしたの?」
光がいつの間に起きていて私を見つめていた。右手の人差し指で、私の涙を拭う。
「なんでもない」
うまく笑えた。と、思う。