Last episode. 旅立ちは、
004旅路
結局教授の言うとおりだ。思索をどう巡らそうと、何が正しいかなんて分かりゃしない。善悪の二元論では語れない。ったく、何が悲しくて世界で物議を醸すような議題なんぞに悩まさなければならないのか。
私は雪が降り積もる庭を家の中からただ呆然と見詰める。窓に肘をつけ、不恰好になりながらも頬杖をつく。
この庭には今も犬小屋がある。二年前をもって主はもういなくなってしまったけれど。
私にどうしろと言うのだ。
一体あいつが私にどうして欲しかったのか。それはもう分からない。
どれが正しいのかなんて分からない。分かる筈がない。もしそれが気休めでなく真に分かるという奴がいるならここに来て、教えてくれ。
一体何が正解で、何が曲解なのか。
《必ずしも事実や結果は、正誤の二元論では片付けられないという事です》
ふと、誰かの言葉が、心の底から石を投げられたかのように浮かんできた。
私は、手から顔を離す。
もしかすると、本当は正しいかどうかなんて知る必要はないのかもしれない。
きっと大切なのはそこじゃない筈なんだ。
傷を舐めることが嫌いな誰かは勝手な憶測を始める。
私のしたことが正しかったのかは分からない。私がしたことが間違っていたのかは分からない。そして駄犬の人生が楽しかったのかも分からない。
だけど一つでも、分かることがあるとすれば――愛犬と一緒に過ごした時間は確かに楽しかった、それだけは分かっている。
誰とも分からない《教授の助手》という肩書だけの彼は両手を束ね、その上に沈ませるように顎を乗せる。
それで良いじゃないか。結局は自分がどう思うか、それが大事な筈なのだから。
そう、安楽死をさせるか、延命治療を続けるかなんて事は結局、自分の都合で決めた事。そこに駄犬の意志なく、私一人の自己満足だ。
だったら、あいつが本当はどう思っていたかを不安に思い、駄犬の都合を探る振りをして逃げてはいけないんだ。押しつけてちゃいけなかたったんだ。結局は私があいつと少しでも長く一緒にいたかった。ただそれだけの事なんだろうが。
さて、喜べ駄犬。お前は愛犬に二階級特進だ。気の利いた犬の最後っ屁というか、置き土産をありがとう。お陰で色々と昔の事を素直に、正直に思い出せたよ、本当に。
勝手に夢想した言葉で愉悦を浮かべるのが悪だと言うのなら、それでも私は構わない。
自己解決するのは大人の特権だ。それが卑下されることだとしても。
ずっと昔、楽しげに旅に熱を入れていた時代。苦しげに愛犬の後を追いかける日常。
降り続け、途絶える事を知らない雪を見る。きっと冬が来るたび思い出すのだろう。愛犬の逝去と教授との死別を。この季節が奪っていた旧知。だが悲しむ必要はないのだろう。
「私も、もう大人だからね」
人生を変える邂逅の数々。今なら、素直に彼らに会えて良かったとそう思える。
本人の前で言葉にしないのは卑怯かもしれないけれど、それは許してほしい。
さあ――昔みたいに旅は出来ないけれど、気分転換にでも町の中を放浪しよう。
私は昔とある知人に編んでもらったセーターに身を包む。これは私のお気に入りで結構年季が入っているが、墓場まで持っていくと決めているのだ。
未練たらたらと手首にはブレスレット代わりに首輪をした私は玄関のドアを開く。
日が水平線の彼方へと身を下ろし、暗くなる中、電灯が淡く照らす雪道をさくさくと歩いていく。振り返ると、積もった雪に確かに私の足跡が残る。
今思えば、何だかんだで、こんな人生も悪くなかったな。そう断言してみせる。
一七歳まで続いた教授との放浪。十二年間も続いた愛犬との生活。どちらも優劣をつける事なんて到底叶わない程。とてもとても大事で大切な思い出というやつだ。
そういえば、こんな風に前を向いて歩くのは、愛犬が死んでからでは初めてではなかろうか。
ふと顔を上げる。何にも縛られずに空を見る。
ちらほら、ぺたりと何かが顔に付着する。
明日もまた、積もりそうだ。
私は目的地もなく歩き続ける。
まるで教授と放浪するように。
まるで愛犬と散歩するように。
「あはは」
さて、私は一体どこへ辿り着くのだろうか。それは分からない。だって人が分かる事など、きっとそう多くはないのだから。
楽しげに雪道をスタンプよろしく、足跡を残しながら当てもなくどこかへと向かう。
目的地ならきっと、通行人の誰かが教えてくれるだろう。
こういう形で、短編小説をぽんぽんと書いていくつもりです。
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やっぱりモチベ上がりますから。