第八幕 竜騎士
サラマンデル島ベルセデン家邸宅。
その、地下三階。
広大な敷地を持つ邸宅の中でも、ここは特に最深部とも呼べる場所である。
普通に中を歩けば、地下二階までしか行けない邸宅だが、地上二階のとある一室から専用の隠しエレベーターを使えば、この地下三階へと降りてくることが出来る。
言ってみれば地下三階は、その階層自体が隠し金庫のようなものであり、同時に有事の際にアルガが逃げ込むことの出来る簡易シェルターとしての役割も持った階層だった。
この場所を知っているのは当主であるアルガだけである。
警備隊長のソルドルムにすら、アルガは地下三階の存在を教えてはいなかった。
何故ならばそこには、ベルセデン家が金に物を言わせて集めた財宝の数々が、非常用の生活用品と共に置かれているからだ。
そんな、ベルセデン家邸宅の最重要機密区画に、ルナークの姿があった。
「暗いな……」
ほぼ真っ暗な空間に、彼の声が響く。
しかし残響はほとんどない。ここが地面の下だからだろう。空気も少し重く感じられた。
「…………ふぅん。なるほどね」
用意しておいた明かりを灯そうとしたルナークだが、そこで何かを察し、灯すのをやめる。代わりに、その目を閉じて呟いた。
「――“理眼”、解」
直後、瞼の裏にハッキリと、地下三階の様子が浮かび上がる。
すると見えてくる、そこかしこに設置された数々の罠。
明かりを灯していれば、その全てがルナークへと殺到し、そしてその事実は直ちに地上のアルガへと伝達されることだろう。
「……さすがに、厳重だなこりゃ」
目の前の床に、小さな魔法陣が見える。その中に描かれた魔法式を軽く読み解き、ルナークは「エゲツねぇな」と笑った。
「煉獄炎召喚儀の方陣かよ。踏んだら命ねぇぞ」
笑ったままその横を通り抜けて、彼はその奥の部屋へと向かう。
ジルコニアから得た情報では目的のものはこの先にあるはずだ。
途中、ドアが開いていた部屋にあった高そうな壷を見て、ルナークが噴き出した。
「うわぁ、分かりやすい贋作だな、アレ。もの見る目もねぇのかよ、ベルセデンの大将は」
クックと押し殺した笑いを漏らし、彼はさらに奥へと進んでいく。
ジルコニアの情報が正しければ、求めるものは地下三階の最も奥の部屋にあるはずだった。そしてほどなく、ルナークは地下三階の最果てに行き着く。
「……あっちゃ~」
しかし到達したその場所を見て、ルナークは額に手を当てた。
そこにあったのは大金庫。壁一面にはめ込まれた巨大な金属の円は、実際にものを見ていないルナークでもそれと分かるほど重苦しかった。
「おまけにこりゃあ……」
と、周りに目をやると、そこには先程の魔法陣のようなものが床にも壁にも、天井にまで描かれて、しかもそれが全て繋げられていた。
「連結作動式の守護域方陣か。一個に触れればドカンだな。骨も残らねぇ……」
そこまでして守りたいものが、この大金庫の向こう側にあるのだろう。
「……ま」
と、ルナークは軽く肩をすくめる。
「そんなもん張り巡らせたって、俺には関係ないけどな」
彼は首をコキコキと鳴らすと、大金庫に向かって閉じていた瞼を開けた。
「じゃ、行きますか。――“転駆”」
そして、ルナークの姿が刹那の内に掻き消えた。
数時間後、ベルセデン邸宅内。
アルガ・ベルセデンが、憤怒の形相で廊下をズカズカ歩いていた。
「ソルドルム! ソルドルムはどこにある!」
歩くたびに、彼のたるんだ腹の肉が波を打つ。邸宅の中はある程度魔法で通気はよくしてあるが、それでもアルガの身体は汗にまみれていた。
歩き回る彼の足音と、ついでに怒声が邸宅内に鳴り響く。
ソルドルムはその声を耳にして、すぐにアルガの元へと参じた。
「どうか、なさいましたか?」
「ソルドルム、いたか。オイ、あのレイナックとかいうのはどこにいる!」
レイナック。
【騙り部】ルナークの偽名である。
「レイナック氏でしたら、庭の方に」
数秒も考えず、ソルドルムは即答した。あの男の正体に気付いて以降、彼はルナークがこの邸宅に入った時点からマークを続けていた。
「庭か。フン、逃がさんぞ!」
「……旦那様、どうなさったのですか?」
あまりに激しいアルガの剣幕に、普段はあまりそのようなことを尋ねないソルドルムが、気になって尋ねてみた。
「どうもこうもないわ! あのレイナックとかいう男、とんだペテン師だったわ。聞けばあの男、ドラグレイス全土で詐欺を働いているというではないか!」
――バレた、か。
言われてみれば、それしかないだろうということをソルドルムはすぐに理解した。
しかし、大陸最高の詐欺師【騙り部】と呼ばれる男にしては随分とお粗末なことだ、というのが、彼の見解だった。
こんな、欲以外に何も中身がないような男に正体を見破られるとは。
「分かりました。見つけ次第、捕縛しましょう」
「フン、当然だ! ソルドルム、ワシはおまえを手放すつもりはないぞ!」
主の言葉を聞きつつ、ソルドルムは背を向けた。一瞬。ほんの一瞬だけ抑え込んでいた怒りが烈火の如く盛りかけたが、彼はそれを表情に出すことなく、歩き始める。
今はとにかく、ルナークを捕らえることにしよう。
あの男が何を考えて自分に狙いを定めたかは分からないが、アルガ如き俗物に正体を悟られるような小物である。考えるには値しまい。
捕らえよう。そして、また仕事に戻ろう。
契約を果たすその日まで。
ソルドルムは、ルナークがいる庭へと向かって歩を早めたのだった。
その庭は、先代当主の頃には色とりどりの花が咲き乱れる一大庭園であったという。
しかしアルガが家督を継いで以降は、特に花を愛でる趣味もない彼は一切の花を刈り取って、出来た空間に自分の趣味に任せた悪趣味な石像などを置いた。
石像は年を負うごとにその数を増やしていき、今では石像の森と呼ぶに相応しい、なんとも奇怪な場所として、島の住民にも知られるようになっていた。
その石像の一つに、アルガ自身を象った像がある。
庭の主を主張するかの如く、ど真ん中に置かれたソレは、あろうことか黄金像だった。
使用人の手によって一時間に一度磨かれているその像の頭の上に、ルナークはいた。
器用なことに丸い頭頂に右足だけで立っている。
「うーん、いい眺め」
感じる風も実に心地よい。
この風の気持ちよさは、いくら金を積んでも得られぬものではないだろうか。
そんなことを考えていると、背後に気配を感じた。
「おっと、そっちが先に来たかい」
「……何を見ている」
来たのはソルドルムだった。
アルガか、ソルドルムか、どっちが先に来るか軽く心の中で賭けていたルナークは、黄金像の頭上に立ったままクルリと身体を翻して、肩をすくめた。
「ダメだな、俺は賭け事にゃ向いてないみたいだわ」
「ふん」
ソルドルムは吐き捨てるように言うと、ルナークを睨み付ける。
「アルガに素性がバレたようだな。詐欺師として名が知られている時点で、その間抜けさ加減も当然と言ったところか」
「ああ、どうせバラしたのはルビィとかってあの豚野郎のワイフだろ。まぁ、そういう手はずになってたからな」
「……手はず、だと」
ソルドルムが意外そうに聞き返してくるが、ルナークはニヒヒと笑うだけで答えなかった。そこに、顔を真っ赤にしたアルガが現れた。
「き、貴様! レイナック! どこに立っている、貴様ァ!」
汗にまみれた肉の塊は、真っ赤な顔をさらに怒りで赤黒く変えて、その様子はまるで茹で上がった蛸のようであった。
「ああ、レイナックね。そういえば、そんな名前名乗ってたっけか」
ルナークは余裕を崩さずに黄金像から飛び降りて軽く着地をする。
「なんだその口の利き方は! わしはベルセデン家当主、アルガ・ベルセデンだぞ!」
「ああ、知ってるよ。じゃあ俺も名乗ろうか」
軽く誇りをはたきつつ、ルナークが慇懃無礼にお辞儀をした。
「ドラグレイスにその人ありと言われた詐欺師、【騙り部】ルナークとは、この俺のことだぜ!」
「フン、知っておるわ!」
ルナークが大見得を切ると、アルガはつばをその辺りに吐き捨てて忌々しげに顔を歪めた。
「この屑が。よりにもよってわしから金を巻き上げようなどとしおって!」
「ああ、はいはい、不満苦情の受付はこっちじゃないんで、よろしく」
アルガのだみ声をサラリと受け流したルナークが、ソルドルムを見た。
「さて、ソルドルムさんよ、あんたはどうする?」
「……何を言っている?」
ソルドルムには、ルナークの言葉の意味はすぐには分からなかった。
「そのまんまの意味さ。これからどうするのか、ってこと」
「知れたこと! ソルドルム! そいつを引っ捕らえろ! 言っておくが官憲には渡さんぞ! このわしをコケにした罪を、その身に叩き込むまでは!」
アルガがルナークを指差して、そのたるんだ肉を震わせた。
ルナークはそれを無視した。
「あんたは、どうする?」
「今、旦那様が言った通りだ。貴様を捕らえる」
「何故?」
「仕事だからだ」
「仕事ねぇ。高い給金もらってるからかい?」
「貴様には関係ない」
「自分の矜持を曲げてでもしなきゃいけない仕事かい?」
「貴様には関係ない」
「そこの豚野郎に従い続ける理由が、金の他にあるんじゃないのかい?」
「貴様には関係ない!」
ソルドルムがその鉄面皮に明確な怒りを宿し、ルナークへと迫る。
しかしそれよりも早く、ルナークは懐から何かを取り出した。
「これ、なーんだ」
彼が右手に掲げたのは、小さな卵のような、金属の塊。
「……それ、は!?」
ソルドルムの動きが止まった。
「き、貴様……! そっ、そっ、それは……!」
アルガまでもが、仰天して目を見開いている。
「【竜騎士】アーロス。その名はこのサラマンデルでもよく知られているよなぁ。知ってるぜ、数多いる竜狩人の中でも特異な、竜と共に竜を狩る竜狩人。その実力は高く、何よりも相棒の竜との間に結ばれた絆は、肉親の絆よりも濃いって言われてるな」
「馬鹿な、そんな……。何故、それを貴様が……」
さっきまで真っ赤だったアルガの顔が、みるみるうちに青ざめていった。
「こいつは、封獄の卵。まだ幼い竜を封印する魔法の品だが、どうやら、中に何かが封印されてるらしいなぁ。え、アルガさんよ」
言って、ルナークがニコリと笑った。
「それは、大金庫に置いてあったはずだ。あれは、わし以外の誰にも……!」
「しかし、ここにあるぜ。言っておくが、正真正銘の本物。それは見れば分かるよな、あんたなら」
ルナークは笑ったまま、ソルドルムにそれを投げ渡した。
「……ああ、そうだ。これは確かに我が竜、メィヒルンを封じたものだ」
そして彼は、アルガの方を向く。
「ひ、ひぃ……!」
「旦那様」
「な、なんだ! 何をしている、き、貴様は、その詐欺師を捕らえろ!」
叫びながらも、ソルドルムの眼力に気圧されて、アルガはその場に尻餅をついた。
「旦那様、あなたは魔術師にメィヒルンを封じさせ、私に十年間働けとおっしゃられましたね。それから三年。どうやら、仕事はここまでのようです」
「ま、待て! ソルドルム、待て! ま――」
そのとき、後から誰かがアルガの肩を叩いた。
「あ、ひ……?」
振り向くと、そこには右目を晒したジルコニアがいて、
「フフ、やっとあなたを骨抜きに出来ますわ」
「は、ぁ……、ふぁ……
発動した魅了の魔眼が、アルガの心に染み渡って、彼はそのまま力を失った。
「これで、契約は完了だぜ」
「ええ、よくってよ。おかげで、旦那様を私だけの旦那様にすることができたから」
ジルコニアはそこでルナークの方を向いて、最高の笑顔を見せた。
「何が私だけの旦那様だっつーの。これが欲しいだけだろ」
ルナークがイヤそうな顔をして、指で丸を作る。
「フフ、そうよ。全て絞り尽くすまでは、この人は私の愛しい旦那様なの。じゃあ、行きましょう、旦那様」
「あ、は、はひぃ……」
腰を振って歩くジルコニアの後を、すっかり骨抜きにされたアルガがついていった。
そして場には、ソルドルムとルナークだけが残された。
「……どういうことだ、【騙り部】」
「あ? 何がよ?」
「貴様の目的は、金ではなかったのか。今の話、貴様には何の利もないように聞こえたが」
言われて、ルナークが小さく笑う。
「んなこたぁ、ねぇさ」
そして彼は、また懐をまさぐって、そこから一枚の封筒を取り出した。
「こいつが、俺の目的さ」
「……?」
ソルドルムが渡された封筒を開き中を見てみる。
そして、彼は二度目の驚愕に目を丸くした。
「これは……!」
「俺の身分は、前に言ったろ?」
「馬鹿な……。竜の頭骨に三日月の印。【白骨卿】ラルフランデの紋章!」
それは、竜狩人ならば誰もが知っていて、しかし、それ以外の人間は誰も知らない、竜狩人だけに通用する符丁であった。
そしてその印を使えるのは、本人にまつわる者でしかあり得ない。
「ラルフランデが、あんたを待ってるぜ。【竜騎士】殿」
「……【騙り部】よ、おまえは一体、何者なのだ?」
そう問われて、ルナークは答えた。
「ただのチンケな詐欺師だよ」
こうして、ルナークのサラマンデルでの仕事が、やっとのことで終わったのだった。