第三幕 ウェストレイス市
ドラグレイス西部ウェストレイス市。
人口十万人を越えるこの都市は、西部最大の都市でもあり、ドラグレイスが誇る五大都市『クルスウェイ』の一つにも数えられる有名な都市だった。
元々、竜に対しての橋頭堡として建設されたこの都市は、多くの竜対策が施されており、それは都市の形状からして見て取ることが出来る。
まず何より目を惹くのが都市を取り囲む城壁だろう。
他の都市では余り見受けられない、八角形の城壁。これは、平地にあるウェストレイスが、どの方向から攻め込まれても対処できるように立てられたものである。
高さ30mにもなるこの城壁は分厚く、使われている石材も大陸で最も加工に適して『いない』と言われる超硬度の鉱石、鬼骨岩を用いており、その堅固さは大陸内の全国家が攻めてきたところで攻め落とすことは出来ないだろうと言われるほどだ。
そんな城壁が二層、都市の周りを囲んでいる。
この時点で守りは鉄壁。では攻めはどうか。
城壁と並ぶウェストレイス市の竜対策の要、それこそが市内の西地区に存在する竜狩人達の集まる狩人特区であった。
この特区内では、竜狩人達は様々な特権や優遇措置を受けることが出来る。
物品の値段の割引から、税務の軽減、住居の優先的な斡旋など、その優遇措置は多岐に渡る。そのことから、ここに住み着く竜狩人は多く、それがそのままウェストレイス市を守る防衛戦力となっていた。
ウェストレイス市に住まう竜狩人の数は、実に都市内全人口の三割近く、二万八千人に及ぶとすら言われている。
その、大多数の竜狩人が集まるウェストレイス市狩人特区に、『竜喰らい』ベルティ・ザーンの姿があった。
ウェストレイス市狩人特区内、酒場『ドラゴンファング』。
「こんにちはー」
「おお、ベルティじゃねぇか」
戸を開けて中に入ると、途端に酒の匂いが鼻に衝いた。
ここに来るようになってそれなりに長いが、このむせかえるような酒の匂いはなかなか慣れることが出来ない。鋭敏すぎる嗅覚が、このときばかりは恨めしいベルティだった。
「ゲルマルク、ミルクちょーだい」
「おう、いつも通りだな。分かったぜ」
カウンター席に腰掛け、ベルティはマスターである禿頭の大男ゲルマルクに注文をする。すると、そのすぐ後でやたら下卑た笑い声が聞こえてきた。
見ると、五人ばかりの適当に武装した男達が卓を囲んで騒いでいた。
「……何、あいつら?」
見たことがない顔だった。
この『ドラゴンファング』は多くの竜狩人が愛用している酒場だが、ベルティはその客の顔をほぼ全て覚えている。その彼女も知らない顔だ。
「ああ、北から流れてきたらしいな。一昨日辺りから来るようになったよ」
「ふーん」
「あいよ、ミルクだ。蜂蜜入れておいたぜ」
「わぉ、ありがとー、ゲルマルク」
ミルクを前にして、ベルティは顔いっぱいに喜びの笑みを浮かべた。もう、騒いでいる連中のことなどはとっくに頭から消えている。
「おぉ、なんだよ。おい、酒場に来てミルク頼んでる嬢ちゃんがいるぜ!」
と、その新顔の一人が、ベルティに目を付けて声を張り上げた。
すると残る四人が揃って彼女を見て、一斉に笑う。
「ここは竜狩人の酒場だぜ、嬢ちゃん。ファミリーレストランなら他にもあるだろー!」
「来る場所間違えてんじゃねぇよ、ガキがよ!」
口汚く罵る新顔達。
きっと、酒が入って気が大きくなっているのだろうが、しかし、それはミルクを貶されたことを見逃す理由にはならない。
「ゲルマルク、あいつらぶっ飛ばしていい?」
「ま、まぁまぁ、落ち着けベルティ。おまえさんがぶっ飛ばしたら、人間なんぞ本当にぶっ飛ぶんだから」
ゲルマルクが慌てて止めに入った。
そして彼は新顔達に向かって、一転して厳しい顔つきで、
「あんたら、他の客に絡むなら別の店行ってくんな!」
「あぁん、親父、テメェそのガキの味方か、オイ!」
しかし新顔の方も気が立っているのか、ゲルマルクに噛み付いてくる。
店の中にいる別の客達は、この時点で「あいつら、終わったな」とか呟いていたりして、我関せずを決め込んでいた。
「俺らァ、北じゃちったぁ知られた竜狩人だぜ!」
「『牙砕き』のアルメドン一家たぁ、俺らのことよ!」
「俺達に逆らって生きてたヤツァ、ほとんどいねぇぞ。あぁ!」
ベルティは後で騒いでるアルメドンなんたらの声を聞きながら、ミルクを一口。
――美味しくない。
とても、ミルクの甘さを堪能できる雰囲気ではなかった。
「おまえさんらなぁ……、どんだけおまえさんらが有名かは知らんが、絡む相手を間違ってるぞ。この子はなぁ……」
「もういいよ、ゲルマルク」
ベルティがコップを置いて、「パシン」と両手を打った。
途端、店の中の空気が変わる。
「ベ、ベルティ……」
ゲルマルクの顔が、一瞬で青ざめていた。他の客も、顔に汗を浮かべたりして、ベルティの方を見ている。皆、何かに圧倒されているような顔で。
「な、なんだぁ……?」
それなりに経験を積んでいるのだろうアルメドン一家が、この空気の変質に気付いた。
そしてその理由が、目の前の少女が手を打ったことだということも。
ベルティが、カウンター席から立って彼らの方を向く。
「来なよ」
「あ、あ……?」
指でチョイチョイ誘うベルティに、一家の頭目らしき男が問い返した。
「来る場所間違えてるのはどっちか教えてあげるってば。来なよ」
「こ、このガキ……!」
頭目は舐められたと思ったのか、顔を真っ赤にしてベルティの方に迫った。
彼から見て、ベルティは隙だらけだ。どう攻めたって、自分が負けるはずがない。
彼と同じく、彼の仲間四人もそう考えていた。
「グッチャグチャにしてやんよ!」
頭目が殴りかかってくる。
その動きは、ベルティから見るとまるでスローモーションだった。
「お、おい、ベルティ! やりすぎるなよ!」
ゲルマルクが叫んだ。
その間にベルティは頭目のパンチを軽くかわし、その懐に無造作に入り込んでいた。
スルリと。
頭目はベルティを侮っていた。しかし、舐めきっていたわけではない。
戦いに携わる者として、彼とて最低限の気構えくらいは持っていた。例えば、相手に攻められぬよう、隙をなるべく少なくするとか。
しかし、そんなことお構いなしに、ベルティは頭目の懐にいた。
このとき、彼はようやく知る。
ベルティが隙だらけだったのは、自分達を相手にして隙を無くす必要などなかったからだ。
彼女と比べれば自分などまるで素人だと、頭目は肌で実感した。
「……あ、あんた、何者だ?」
酔いを吹き飛ばされ、逆に身体の髄まで冷まされた頭目が問う。
ベルティは名乗った。
「『竜喰らい』ベルティ・ザーン。よろしく」
――ああ、自分達は喧嘩を売る相手を間違った。
そう自覚する前に、「ベルティぱーんち」が頭目を遙か店の外まで吹き飛ばしていた。
「お、おぉぉぉぉい!」
「カシラァ!」
仲間達が慌てて店の外へ走って行く。
そのときにはベルティはもう連中から興味を無くしていて、ゲルマルクに新しいミルクを注文していたところだった。
「ミルクはいいが、また店に穴を開けてくれたな……」
「わたしが悪いんじゃないもーん。あ、蜂蜜多めでー」
「はいよ……。全く、怖い娘だぜ……」
頭目が吹き飛ばされたときに壁に出来た穴を見ながら、ゲルマルクは今月も大変そうだ、と内心で軽く嘆くのだった。
「そうそう、また出たんだよね。『騙り部』ヤロー」
「お、またかい。最近アイツァ、よく動いてるな」
今回の仕事のことを聞かれて、話題は『騙り部』ルナークのことへと移っていた。
「こないだは南部の方で『百眼』にタカってたらしいぜ」
「こっちが聞いた話だと、北部の方で『氷装騎士団』のマネージャーを騙ってたらしいが」
「はぁ? 私が聞いた話だと東部で『白骨卿』の側近に取り立てられたと……」
話を聞いていた竜狩人達も、その話題に加わってきた。
彼らが挙げた名は、いずれも超一流の竜狩人の二つ名である。
その全てに、ルナークはコナをかけていたらしい。
「南部に北部に東部って、全部じゃねぇか。あいつのアクティブさだけは、ベルティ以上かもしれねぇなぁ……」
「あと、生命力もね。ホンット、しょうがないヤツ」
甘いミルクを飲みきって、ベルティは代金を置いて席を立った。
「ごちそうさま、ゲルマルク。また来るわ」
「おう、次はウチの壁をブチ破らんでくれよ」
「絡んでくるヤツがいなければ、平和でしょ」
そう言って、軽く手をヒラヒラさせて、ベルティは『ドラゴンファング』を後にした。
「……おまえさんが目立ちすぎるんだよ。ったく」
小さくボヤき、ゲルマルクはコップを片付ける。
「そういえばよぉ」
竜狩人の一人が、ふと思ったことを口にした。
「ベルティの家ってのは、どこなんだろうな。誰か、知ってるか?」
だが、他の客達はその問いに首を横に振るばかりだった。
「あんだけ有名人だったら、住んでる家くらい知られてると思うんだけどな。なぁ、オヤっさん、あんたは知ってるのかい?」
「いや、知らないね」
ゲルマルクはつまんなさげに答えた。
「ふぅん、そうなのかい。まぁ、ベルティだしなぁ、さぞかしデケェ家に住んでるんだろうな。稼ぎもハンパじゃねぇだろうし」
「あのな、人の稼ぎ羨むくらいだったら、仕事こなしてテメェで稼ぎな」
「ハハッ、違いねぇ!」
そしてまた、酒場はいつも通りの賑やかな空気に包まれていく。
一方、話題に上ったベルティは――
「よっ、と」
ひとけのないところまで歩いてから、跳躍して建物の屋根に着地。そこから屋根伝いに跳躍を重ねて家へと向かっていた。
ウェストレイス市の建物は、竜対策が何より優先されているため、いすれも強固な作りになっている。そのため、屋根伝いに進みやすいのだ。
とは言っても、こんな進み方で帰宅するのはベルティくらいなものだが。
「とぉっ!」
自宅付近で、彼女は屋根から地面に落下する。
そこはウェストレイス市狩人特区の最果て、通常の住宅街との狭間にある、下町のような場所だった。
小さな集合住宅が建ち並ぶその一角に、ドラグレイス最強の竜狩人ベルティ・ザーンの自宅はある。
そこは、周りと同じような寂れた集合住宅の一室。
今まで誰にも知られたことのない、彼女の聖域である。
ドアの前まで歩くと、ドアの向こうから何やら鼻歌が聞こえてくる。どうやら、先に帰宅していたらしい。
ドアノブに手を掛けたところで、彼女は気付く。
「おっと、これは忘れちゃいけないね」
そして、腰に帯びていた剣を抜いて――
「“鋼法”――“解”」
施されていた術法が解かれ、材質から変質させられていた金属は、元の形を取り戻してベルティの手の中に収まる。
それは、白金製の指輪であった。
「よしよし、……ただいまー」
ベルティは指輪を左手の薬指にはめ直すと、戸を開けてようやく帰宅した。
「おー、遅かったね、お帰り、ベル」
見慣れた狭い部屋と、キッチンの方から聞こえる声。
ベルティの中に、心地よい安堵感が広がっていく。
「あ、いい匂いー。今日のご飯はなーにー?」
パタパタと小走りでキッチンに赴き、彼女はそこで“彼”に問いかけた。
「帰りにいい豚肉が手に入ったんでなー、今日は豚肉のソテーだぜ」
答える“彼”は、長い黒髪を持ち、肌が浅黒く、その容姿は一見して優男然としている。
その左手の薬指には、ベルティと同じく輝く白金製の指輪。
外で見せるような胡散臭さは微塵もなく、髪を後で縛り上げてエプロン姿で料理しているその姿は、ベルティだけが見ることが出来る姿。
その男の名はルナーク・ザーン。
外では『騙り部』と呼ばれている、ベルティ・ザーンの夫であった。