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emery ball  作者: 蛇丸
2/2

堕落人

 今年も、見事に咲き誇る桜が春の訪れを宣言する。春の風物詩である桜は、その美しさや儚さから長い年月日本人に愛され続けてきた。花は散るからこそ美しいのだという言葉はまさに桜のことだ。桜は散るからこそ美しい。

 では人は? 人が散り去る様は、いったいどの様に形容すればよいのだろうか?

 少なくとも、今の綾峯颯(あやみねはやて)の現状を見れば、無様としか言いようがないだろう……。


「颯! 何時まで寝てんの! もう昼だよ!」

「……ん~。ふぁ~い……」

「春休みだからって、もうちょっとしゃっきりしなさい!」


 母親の声でようやく起床する。少し短めの黒髪、身長は180㎝に満たないが、それでも一般人よりも高い。肩幅もそれに劣らずがっちりしている。

 頭を掻き、欠伸を隠そうともせず、部屋を出て1階のリビングへと階段を下りていく。


「やほー堕落人」

「あ?」


 明らかな侮辱発言がリビングに入った瞬間浴びせられる。少々怒気を含ませながら言葉の主を睨みつける颯。

 声の主は、女の子だった。まだどこかに幼さを残している顔立ちで、肩甲骨辺りまで伸びた黒髪の少女が、ニヤニヤ笑いながらソファに座って紅茶を啜っている。


「失敬な。寝る子は育つとよく言うだろ? だから俺は産んでくれた親のためにも、すくすく育つ必要があるんだよ」

「いや、それ子供のための言葉だし。颯はそれ以上育たなくていいし」

「うっさい。で、今日は何用? 鈴は? 藍だけ?」

 

 少女の名前は、秋雨藍(あきさめあい)。颯と同じ、私立白櫻(はくおう)学園に通う高校2年生で同級生だ。 


「お姉ちゃんは朝から買い物行ってるよ。だから私だけ」


 (りん)は藍の双子の姉で、同じく白櫻の2年生だ。

 ふ~ん、とだけ返し藍の反対側に腰掛ける。 


「で? 何の用? 大体予想はつくけど」

「さっすが! 以心伝心、それができてこそ幼馴染ってもんだよねっ」

「うんうん。だから俺がどう思っているかもわかるだろう?」

「そりゃこんな美少女の頼みだもん! 快く……」

「やだ。母さん、昼飯ー」


 最後まで言わせず、颯はテーブルに置いてあったクッキーをつまむ。色々藍が言ってくるが、もちろん無視を決め込む。中学生のころから毎年毎年同じことの繰り返しだ。春休み、さらには夏休みにも同じようなことが起こるのだから、いい加減飽き飽きしてくるのも頷ける。


「いいじゃんっ。宿題位手伝ってよ!」

「やだよ面倒くさい。鈴に手伝ってもらいなよ」

「お姉ちゃんにはもう断られてるのっ!」


 やっぱりか、とため息をつく。この展開も毎年恒例となっているのでそれほど驚きはない。

 ちらっと窓の外の景色に視線を移す。


「本日も晴天なり、と」

「あ、ねぇ宿題はーっ?」


 立ち上がった颯に非難の声を上げる。そんな藍に背を向けながら、着替えて飯食ってからな、とだけ言い残し部屋へと戻る。


(めんどくせ……)

 

 盛大な溜息をつきながら。




  Ф




「だから、ここにこの式を代入すればいいんだって」

「あ、そっかぁ」


 結局面倒を見てしまうところ、自分はやっぱり甘いのだなと痛感する。ほほ杖をつきながら、要点を教えていきながら、そう思った。いくら面倒くさがっても、やはりどこか放っておけないのだ。昔から元気だけが取り柄であり、かなりおっちょこちょいな性格の持ち主なのだ。少し目を離せば、誰かが静止をかけるまで走り続ける。一言で言うならば、


「馬鹿なんだよなぁお前」

「いきなりなんて失礼な!?」

「おんなじ双子で、なんでこんなにも違うのかねぇ」


 対照的に姉の鈴は冷静沈着というにふさわしい、落ち着いた物腰だ。さらに藍とは違い宿題を後回しにすることなどありえず、成績も優秀だ。まさに鈴と藍は、対極の存在と言える。


「しかも、俺より成績悪いと来たからなぁ」

「わ、私は部活で忙しいの! 帰宅部の颯なんかと一緒にしないで!」


 はいはい、と適当に流して背伸びをする。ちょっと休憩するか、とテレビの電源を入れる。そして、運悪く(・・・)その光景を見てしまう。


「おーセンバツやってるじゃん。きょう決勝だっけ?」

「そーなんじゃね? 興味ないけどね」


 睨みつけてくる藍の視線を無視してテレビの映像を消す。


「ちょっとー私見たいんだけど?」

「残念俺は見たくないんでね」

「もう……またそんなこと言ってぇ」

「あ、ちょっこらっ」

 

 颯からテレビのリモコンを強引に奪い、電源を付ける。

 非難の目線も飄々と受け流す。


「いい加減吹っ切れなって。ほら、もう8裏だしあとちょっとじゃない」

「……っち。はいはい、分かったよ」

 

 颯にとって1秒たりとも目にしたくはないのだが、仕方なく画面に向き合う。そんな颯によし、とだけ言い自分も画面を見る。


「やっぱ今年は黒椿(くろつばき)が抜けてたね」


 8回の裏、その黒椿が守備に就いている。スコアは3対1で、黒椿が2点リードの展開だ。


「それに比べてわが校は何故強くないのでしょうか? まったく姉妹校とは思えないぜ」


 まるで鈴と藍だな、と言って笑う颯をリモコンで叩く。 


「しょうがないでしょ? うちは学問に力を入れてるのに対して、向こうはスポーツの方に力を入れてるんだから」

「スポーツ特待生か……気に入らんね」


 大阪のスポーツ名門校、私立黒椿学園。白櫻とは姉妹校であるが、特徴は全く異なっている。白櫻が都内有数の新学校なのに対して、黒椿はスポーツによってその名を全国に知らしめている。サッカー、テニス、バスケなどなどどれも全国区の力を持つ。その中でも最も力を入れているのが野球である。野球人気の低下が嘆かれている現在においても、高校野球の人気は今も維持し続けており、メディアの扱いも他の高校スポーツとは比べ物にならないほど大きい。その野球を強くすることによって、学校の知名度をさらに上げようとしているのだ。強豪ひしめく大阪地区において、甲子園出場は夏だけでも5回にのぼり、今年はセンバツ2回目の出場であり、初優勝も目前である。


「もう、またそんなこと言って……。でもうちももうちょっと強くなって欲しいんだけどね」

「確か春大会も3回戦で負けたんだっけ? まぁ頑張ってる方じゃね?」

「誰かさんが入ってくれれば、いいんだけどね」


 そう言いながら、その誰かさんを横目で示す藍。


「入らないって言ってるだろ?」

「もう……」


 そんな颯をため息をつきながら、しかし寂しそうな目で眺める。と、その時だった。テレビの実況が激しくなったのは。


『入ったぁー!! 今日2本目のホームランだぁ!!』


 テレビ画面には悠々と、そして堂々とダイヤモンドを回る選手。黒椿のベンチはお祭り騒ぎ。反対に相手ベンチは沈黙していた。9回にダメ押しの得点だ。相手の戦意を削ぐには十分すぎる1点となった。 


「んだよ、クソ甘いカーブなんか投げたらそりゃ打たれるっての」

「お? じゃあ颯ならどうリードする?」

「相手は4番なんだし、シングルならOKって攻めが普通だろ。最悪歩かしてもいいから、厳しく攻めるな。そうだな……俺だったらまず振ってくれたら儲けものの外のボール球から……」


 言って、途中でうんうんと頷いている藍に、そして糞真面目に持論を展開する自分に気付き、馬鹿馬鹿しくなり、ソファに深く座りなおす。


「ねぇ?続きはー?」

「うっさい」


 そう言ってテレビを消す。


「あ、ちょっと! もう! まだ終わってないよ?」

「もう終わったよ。このまま逃げ切って、黒椿のセンバツ初優勝だ」

「颯君? 勝負は最後まで分からないものなのだよ?」

「藍さん? 勝負というものはね、流れが全てなのですよ。黒椿から流れはもう傾かない……決まりだよ」


 そういうものかね、と呟き藍もまた深く座りなおす。 

  

「ねぇ颯……」

「ん?」

「また、野球する気……ない?」

「ない」

「もうちょい悩もうよ!?」


 藍のつっこみもなんのその、と言ったように豪快な欠伸をかます。


「だいたい、もう野球をする理由なんてねぇよ」

「ねぇ颯……私もわかるよ、颯の気持ち。でもさ、さっき配球考えているときの颯すごく真剣だった。楽しそうだった」


 分かっている。颯自身、ちゃんと理解できているのだ。自分の未練は、思った以上に深く、強いものだと。けれど、だからと言ってそれだけが野球を再開する理由になることはないのだ。


「そりゃさ、悔しいとは思うよ? でもそれって自分のための野球じゃないじゃん。全部……全部迅のための……」


 最後まで言えなかった。響き渡る低い音、怖いくらい震える振動。颯がテーブルを思いっきり叩きつけたのだと理解するまで数秒かかった。


「もう……今日は帰れ」

「颯……」


 立ち上がり、自分の視線から消えていく颯に、藍は何も声をかけれなかった。




  Ф




 部屋に入るや否や、ベッドに飛び込む。


(だせぇ……)


 単なる八つ当たりだった。そして理解していた。だからこそ聞きたくなかった。

 いままでやってきた野球が、ぜんぶ自分のためではなかったことくらい、痛いほど理解していた。だからこそ、目標を失ったと同時に、全てを失ったのだ。

 あの日以降、颯は野球を辞めた。全てがどうでもよくなった。夢も目標も理想も何もかも、ガラクタに変わってしまった。


「……迅……」


 その名を口に出すことさえ久しぶりのことだった。

 颯の全てであり、颯の全てを奪い去った男。

 颯の前から忽然と姿を消し、今もその消息を絶っている男。

 天才と馬鹿は紙一重だとよく言うけれど、今ならはっきり言える。


「お前は、馬鹿だよ……」


 そして俺も馬鹿だ。

 声には出さずとも、悔しさはにじみ出ていた。

 

 結局、その後颯の言うとおり、黒椿学園が4対1でセンバツ初優勝を決めた。


 

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