プロローグ~ほしのもりびと~
少女は夜空に流れる光を見た。
赤く、まっすぐの軌跡を描きながら進むそれは、流れ星のような心踊る様な物ではない事を少女、天野音姫は知っていた。
あの光の正体は荷電粒子砲……所謂ビ-ム兵器の光だ。
「はあ……はあ……っくうっ!」
音姫は息を切らし、街道をひた走っていた。
薄暗く染まりつつある町。辺りに人影は無く、音姫の周りには無数に上がる煙や、ただ無残に破壊された建物の瓦礫が見えるだけだった。
音姫は尚も走った。
息が苦しかった。喉もからからで今にもへたり込みそうだ。
だが、そんな甘いことをいっていられる状況ではなかった。
「はあ……はあ……」
音姫は走りながら空を見上げる。
赤から紫色に変わりつつある夜空。そこには見慣れないものが浮かんでいた。
宵闇の空。
そこに浮かんでいたのは巨大な虫だった。だが、その表面は白金の金属で覆われており、背中に生えた羽からは炎が噴射され、その巨大を宙に留めんとしている。
機星獣……そう呼ばれるこの巨大な虫のロボットは、生物を象った謎の機械生命体という触れ込みで数年前から悪い意味で巷を賑わせていた。
その正体や目的は不明。ただ、時折このように市街地に姿を現しては破壊の限りを尽くし去っていく……ひとつの災害のような物として扱われていた。
「もう……どうして……」
こんなことに。と、音姫は己の不運を呪った。
今日はたまたま学校をサボって廃ビルの地下……音姫の秘密基地に行った。
外の喧騒も殆ど聞こえないその部屋は音姫のお気に入りで、嫌な事があったりしたときはそこで過ごすのが音姫の常だった。
今日も買ってきた漫画を読んで、i-Podで音楽を聴きながら昼寝をして……そして起きたらこの有様だ。
元々地下では聞こえづらい警報のサイレンも、イヤホンから流れる音楽で完全にかき消されてしまったらしい。
すでに機星獣が徘徊を始めたこの町を、音姫はただ一人で脱出する羽目になったのだ。
「はあっ……はあっ……」
息も切れ切れにただひたすらに走る。
幸い今のところ見つかってはいない。後はこの大通りをぬければ……
ドゴアッ!!
「!?」
爆音と同時に音姫の目の前で巨大な火柱が上がった。
あたりに撒き散らされる爆風と熱を受け、思わず音姫はその場に立ち竦んだ。
目の前では大きくえぐられた地面から、黙々と煙が昇っていた。
「まさか……」
音姫は振り返る。そして見上げた。
空。
そこに浮遊する機械の化け物。
「あ……」
巨大なクワガタのような姿をしたその化け物はぎちぎちと鋭い顎を鳴らし、辺りを見渡していた。赤い目が右へ、左へと忙しなく動いていたが、やがてその視線は一点へと定められた。
まっすぐに……音姫のほうへと。
音姫は、標的にされたのだ。
「や……いやああああっ!」
音姫は無我夢中に駆け出した。
同時にブワアッ、と背後で一際大きくバーナーの噴射音が聞こえた。
来る。
振り返らずとも分かる。化け物が自分を殺す為に迫ってきている。
音姫は全力で走った。
相手は一種の戦闘機のようなな物だ。人間の足で到底逃げ切れるような相手でない。
そうなるとあの巨体が入って来られないような狭い場所へと逃げ込むしかない。
どこか、地下室や裏路地のような……
「あった!」
思わず歓喜の声を挙げ、音姫はすぐ右手にあった建物の間の裏路地に逃げ込んだ。
「ここなら……っ!」
そのまま暫く走り背後を振り返ると、音姫の思惑通り音姫を追ってきた機星獣はガンッ、と大きな音を立て路地裏の入り口に激突。その巨体をひっかけ身動きが取れなくなっていた。
「やった……」
思わず音姫の顔に安堵の笑みが浮かんだ。
ここならあの大きな体では入って来られないだろう。あとはうまい事狭い道だけを通って安全な場所にいければ……
ガコン
「え?」
安堵の息をつきかけていた音姫は、振り返った先の光景を見て愕然とした。
裏路地の入り口。そこでその巨大な体が引っかかっていたはずだった化け物の体が変形しようとしていた。
ガチン……ガチン……
クワガタのようだったその姿は、やがて細長いムカデのようなそれへと変化していく。
細長くなった体は、容易にこの狭い路地を通過する事を化け物に許していた。
「そんな……」
それを見た音姫はその場にへたり込んだ。
何処へ逃げても無駄だと言う現実が、音姫から逃げる気力を奪っていた。
最早敵が逃げる気力を失ったのを察知したのだろうか、やがて化け物がゆっくりと音姫に向かって路地を進んできた。
そして、その歪な口を開け、音姫を食い殺そうと迫ってくる。
「や……」
ぎちり……ぎちりと顎を鳴らし、ゆっくりゆっくりと音姫に這いよってくる。
「いや……誰か……」
助けて、と音姫は最早天に祈るしかなかった。
目を閉じ縮こまる音姫。そんな音姫を機星獣の大きな口が覆って……
バキンッ
金属と金属が勢いよく重なり合う音がした。
一瞬あの鋭い顎で噛み千切られたのか? と思ったが違う。
音姫は痛みも、何も感じていない。
「……え?」
不思議に思い、恐る恐る目を開くと眼前には依然として化け物の巨体があった。だが、その化け物の頭部から顎にかけてを深々と一本の剣が貫いていたのだ。
「な……にが……」
おきたの? と思うより先に背後から凛とした声が響いた。
≪断ち切れっ!≫
同時に音姫の横を何かが凄まじい速度で走りぬけ
バキンッ! バキバキンッ!
音姫の横を凄まじい速度で駆け抜けた剣が次々と化け物の鋼鉄の体を切り裂くと同時に、その体を吹き飛ばした。
「ギ……ギギッ……」
剣の衝撃を受け、宙に舞った機星獣の巨体がばらばらと地面に崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
そして、呆然とその光景を見ていた音姫の後ろから先ほどと同じ声がする。
「大丈夫だった?」
「あ……」
音姫が振り返り、見上げた先にいたのは一人の少女だった。
自分より少し年上だろうか? 銀色の長い髪、きりっとした目、雪のように白い肌に、薄い桃色の唇。
背もモデルみたいに高く、凛とした態度は女でさえ惚れてしまいそうだった。
少し違和感があるとすらればその格好だろうか。
白いインナースーツを基準に、頭には白い花の髪飾り、胸には紅い宝石のはめ込まれたブローチ、肩にはシースルーの布、腰からは桃色の長いリボンが伸びており、他にもいたるところに様々な装飾が散りばめられている。
まるでファンタジー物のアニメや漫画の世界から飛び出してきたような……そんな不思議な衣装だった。
そんな浮世離れした少女はゆっくりと音姫の方へ歩いてくると、その手を差し伸べた。
「もう大丈夫よ。怖かったわよね」
「あ……あなたは?」
音姫は少女の手を取り立ち上がる。
「私は西欧学院1年六道月菜。AS名は≪死喰い鳥 ≫。あなたを助けに来ました。」
「あ……」
その言葉を聞いた音姫の目から涙が溢れた。
安堵で全身のちからがぬけ、崩れ落ちそうになった音姫を受け止めると、そのままぎゅっと抱きしめた。
音姫はそのまま月菜の胸で泣きじゃくっていた。
月菜は音姫の頭を優しく撫で、仲間へと連絡を取ろうとした瞬間。
「ギ……ガアッ!」
突如としての異音。
「えっ!?」
「しまった、まだ動けたの!?」
月菜によって倒されたと思われた機星獣が再び動き始めたのだ。
だが、襲ってくる様子ではない。機星獣はくるりと向きを変えると半身を失ったぼろぼろの体で一目散に路地から出ようと動き出していた。
「逃げる気ね! 追わないとっ……」
それを見た月菜は
≪召喚っ!≫
唱えると同時に何も無かったはずの空間に剣を作り出した。
それを月菜に抱かれながら驚きの表情で見つめる音姫の前で、月菜は右手でその剣を握りしめる。が、
『心配ないですよ、月菜ちゃん。』
焦って月菜が剣を投げつけようとすると、それを何処からともなく聞こえてきた声が制止させた。
『丁度良い位置ですね。日向くん、そのまま飛び降りてください!』
瞬間、何かが空から降ってきた。それは一直線に機星獣の頭部へと向かっていき……
「っらああああああっ!」
ドゴアアッ! と破砕音が響く。
機星獣は突然空から降ってきた少年の、ひとまわりもふたまわりも巨大な腕によってその頭を粉砕されたのだ。
少年の放った拳は機星獣の頭部を砕くだけに留まらず、そのまま地面をもめり込ませた。
衝撃で砂埃が舞い、音姫と月菜は思わず目を瞑ってしまう。そして
「お前っていちいち詰めが甘いよな。なあ月菜」
そう言い放ちながら、機星獣の頭を砕いた少年が立ち上がった。
巨大な機械の腕を持った、月菜と同じ銀色の髪の少年。
こちらも月菜と同じように何処となく浮世離れした衣装を身に纏っていた。
そんな少年に対し、月菜は先ほどまでの凛々しい態度は何処へやら。抱いていた音姫をその腕から解放すると、顔を高潮させながら
「う……日向はいちいちうるさいっ! ってそもそもレイン! あなたも 機星獣がまだ生きてたのに気付かなかったの!?」
『いやーすいませんねー。月菜ちゃんとそこの美少女さんとの絡みを見ていたらトリップしちゃってまして。美少女同士の絡みはやはり至高ですよねぇ。あ、美少年同士だったらもっと素晴らしいですが!』
「あんたの趣味至高なんて今どうでも良いでしょ!?」
目の前の少年と、月菜の腕に巻かれている腕時計のようなものに向かって怒鳴っていた。
どうやら通信機らしい。
「まあそうレインに当たるなよ。お前がしっかりしてれば良かっただけのことだろ?」
「うぐ……」
と月菜は言葉に詰まってたじろいだ。
「ひ……日向だって「相手は空を飛んでるんだから、ビルの屋上とか高いところを走った方が戦い易い!」っていってわざわざ建物の上を進んでたから来るの遅れたんじゃない!」
「ぐ……」
今度は少年の方がたじろいだ。
「べ……別に間に合ったから良いじゃねーか!」
「あんな駆け込み乗車みたいなタイミングで間に合ったって言われてもねー。日向っていつもそうよね。間にあえばいいやっていう適当な感じ。毎朝教室に遅刻寸前で駆け込むのは心臓に悪いもん!」
「なんだよ、いつも家を出るのがぎりぎりになるのはお前の身支度が遅いからだろ!? あんな鏡の前で何分も……」
「女の子は時間がかかるの! 日向はデリカシーがない!」
「お前だって勝手に人が寝てる間に部屋に入ってきたりとか、デリカシーの欠片もねえよ!」
「何よ!」
「何だよ!」
ギャーギャーと二人して騒ぎ始める。
音姫はただただポカンとした表情でそれを見つめていた。
あれ、なんだろう? なんか全然関係ない話になってきてる?
会話内容を聞いた感じ一緒に住んでるっぽいし……付き合ってるのかな? ってことはこれって……
「……痴話げんか?」
「「違うっ!!」」
「ひっ!?」
ものすごい顔で睨まれた音姫は再び尻餅をついてしまった。
『あー、犬も食べないようなやり取りはそろそろ置いておいて……』
「レインまで! 違うって言ってるじゃない」
真っ赤な顔で通信機に怒鳴る月菜。
『へいへい、りょーかいです。まあとにかく、もうそろそろ自衛隊の皆さんがそちらにつくので、救助者を引き渡したらそのまま幸平くんと美羽ちゃんのところへ向かってください。』
「あいよ。まあ幸平たちならそんな心配はいらねえとは思うけど……」
「そうやって油断しないの。ここは戦場なんだから……あ、来たわ」
大通りの方から数人の武装した人がやって来た。どうやら自衛隊のようだ。
「報告は受けております。少女一人を保護すればよいのですね」
「はい、大きな怪我は特にはないと思うので、このまま避難所に……」
日向が自衛隊員と話をし始めると月菜は音姫の方に向き直り、バツの悪そうな顔をして
「あはは……ごめんね、なんか騒がしくしちゃって」
「あ……いえ、そんな」
気にしないでください。と言うと少し恥ずかしがりながら月菜は音姫の手を取ると
「とりあえずはもう大丈夫、あとはこの人たちが安全な場所に連れて行ってくれるから」
地面にへたり込んでいた音姫をゆっくりと立ち上がらせた。
「歩ける?」
「あ、はい……」
そのまま二人は日向に手招きされて自衛隊員のほうへと歩いていく。
「それでは、後のことはお任せください」
「はい、よろしくお願いします。……月菜」
「うん。さ、後はこの人たちについていって」
そして、音姫を自衛隊へと引き渡した。
『日向くん、月菜ちゃん。そこから南西に300メートル地点へ向かってください。幸平くんと美羽ちゃんが機星獣2体と交戦中です』
「ありゃ、ちょっと急ぐか」
「うん、早く合流しないとね」
「あの……っ!」
通信を受けるなり走り出そうとしていた日向と月菜を音姫の声が引きとめた。
その声に日向と月菜は振り返る。
音姫はそんな二人に向かって叫ぶ。精一杯の感謝を込めて。
「ありがとうございます!」
音姫の言葉に対し日向はグッと親指を立て、月菜はにっこりと笑って少女に手を振った。
そして、次なる戦いの場へと駆けていった。
音姫はそれを見送ると、自衛隊の隊員に連れられてその場を後にする。
「思い出した……」
それは、先ほど自分を救ってくれた二人についての事。
何度かテレビで見たことがあった。
数年前から現れた機星獣という名の脅威。そしてそれと同時に現れた機星獣に対抗する為の力。
対機星獣用特殊兵装『Astral Saver』、通称ASをその身に宿し、平和を脅かす侵略者からこの星の秩序を守る者。
そんな彼らを、確か世間ではこう呼んでいた。
「星の守人……」