拾い物
用語
連合:内惑星連合。水星・金星・地球・火星を中心とした勢力。軍人・入植者は自らを「内地」と呼び、評議会側を「外道」と呼ぶ。
評議会:外環評議会。木星圏・土星圏以遠のコロニー連合。自らを「辺境」と称し、連合側を「陽だまり」と呼ぶ。
地球連邦:内惑星連合の前身にあたる、数世紀前の政体。当時、木星圏以遠の入植地は、いずれもその行政圏の延長に過ぎなかった。
識別符号:評議会宙軍は出身コロニーの頭文字+番号(J=木星圏、S=土星圏)。曳航船など民間企業籍は、企業ごとの登録符号を用いる(本作ではT=曳航船)。
本編は西暦2985年、外環評議会圏を主な舞台とする。冒頭のみ、西暦2658年、地球連邦時代に遡る。
零 西暦2658年 地球連邦植民船「開拓者」
地球連邦植民船「開拓者」登録符号EFS-07、船長汐見蘭は、警報の鳴り響く艦橋で、状況報告を聞いていた。
目的地は天王星圏、建設が始まったばかりの入植拠点だった。理論上の最短航路——効率を最優先したホーマン遷移軌道——でも片道十七年はかかる行程だ。だが「開拓者」の熱核ロケットは、当時としても旧式に近い性能で、最適な軌道を組めるほどの推進剤の余裕がなかった。実際の航行計画では、出発から目的地到着まで約二十八年を見込んでいた。
木星圏を通過し、木星トロヤ群の外縁をかすめるように航行するのは、木星の重力を利用してわずかでも推進剤を節約するためだった。地球連邦を発ってから、もう七年。目的地までは、まだ二十年以上を残していた。
その通過中、予定外の密集デブリ帯に接触した。
「主機、修復不能です。予備の姿勢制御用推進剤で、これ以上の大きな軌道修正はできません」
機関長の報告に、汐見は目を閉じた。通信用の主アンテナは根元から折れ、船体後部の熱核ロケットエンジンも、噴射ノズル基部に破片を受けて機能を失っていた。同時に推進剤タンクの一部が破損し、貴重な水素の大半が失われつつあった。木星の重力による軌道の乱れも加わり、当初目指していた天王星への航路からは、すでに大きく外れていた。
「通信は」
「主アンテナ喪失、予備は出力不足で救助を期待できる距離までは届きません。救難信号は、事実上発信不能です」
艦橋が静まり返った。誰も助けを呼べない。誰にも見つけてもらえないまま、この船はただ、木星圏付近を漂い続けることになる。
汐見は、乗員名簿を見つめた。移民希望者六十四名、運用要員十二名。
「コールドスリープへの移行を準備する。生存確率を最大化する順に、区画へ移す」
「船長、それは……」
「助けが来る保証はない。それでも、目を覚まさずに衰弱していくよりは、可能性に賭けたい」
汐見は最後に、艦橋の記録端末に向かった。
「主機損傷、修復不能と判断。通信設備、同時に喪失。座標特定手段なし。生存乗員、コールドスリープへの移行を決定する。救助の可能性は低いと認識しているが、他に取り得る手段がない。誰かがこの記録を読むことがあれば、どうか——」
そこまで書いて、汐見は自分自身も最後のポッドに入る準備を始めた。
一 西暦2985年 曳航船「屑拾い」
曳航船「屑拾い」正式登録符号T-88、船長黒瀬亮は、レーダー画面に映る残骸帯を見ながら、今日何度目かの欠伸を噛み殺していた。
「辺境曳航組合」は、外環評議会圏でも中堅規模のサルベージ企業だ。連合との戦争で放棄された軍艦や、航行不能に陥った輸送船の残骸を回収し、使える部材は再生産に、使えない部材は原料として売る。
「船長、機関士の芦名彗です。予定外の反応が一つ。対太陽相対速度、十二キロ毎秒程度。この宙域を漂う戦時残骸なら、通常はもっと速いはずです」
黒瀬の中で、何かが引っかかった。十二キロ毎秒。それは戦闘で撃破された艦の速度ではない。
「接近する。契約範囲外だが、確認だけはしておきたい」
二
分析の結果、対象は三百年以上前の地球連邦植民船だと判明した。船体規格は、外環評議会にも内惑星連合にも登録がない。
「地球連邦、ですか」
芦名が資料を読み上げながら首をかしげた。
「内惑星連合という呼び名すら、まだなかった時代です。当時の金星・火星の入植地は、地球連邦の行政圏の延長に過ぎなかった」
登録記録をたどると、この船の本来の目的地は天王星圏だったことが分かった。木星圏を通過した際の事故で航路を乱され、以後三百年以上、木星圏付近を漂い続けていたらしい。
「接近する」
三
接近そのものが、いつもの仕事とはまったく違う種類の難しさを伴った。屑拾いの側が大幅に減速し、相手のほとんど停止しているに等しい緩慢な軌道に自らを合わせ込む必要があった。
「船体、確認できました。全長、約三百二十メートル。主推進部と主通信アンテナ、共に喪失しています」
黒瀬は目を閉じた。想像はつく。推進を失い、通信も失った船。乗員たちは、自分たちがどこにいるのかも、いつ誰かに見つけてもらえるのかも分からないまま、なす術なく漂流を始めたはずだ。
「生体反応は」
「船体後部、複数の微弱な反応。コールドスリープ区画とみて間違いないかと」
艦橋が静かになった。
四
黒瀬は自ら小型艇に乗り、芦名ともう一人の乗員を連れて船体に取りついた。
船内のログ端末は、旧式ながらまだ読み出せた。黒瀬はそこに残された最後の航海日誌——汐見蘭という名の、当時の船長が残した記録——を確認した。
「誰かがこの記録を読むことがあれば、どうか——」
日誌はそこで途切れていた。
「船長、これは……」
「分かってる」
黒瀬は、コールドスリープ区画に並ぶポッドを見て回った。乗員名簿の記録と照合すれば、艦長のポッドはすぐに特定できた。汐見蘭、当時三十六歳。
「船長、蘇生させますか。それとも目的地のコロニーまで、このまま——」
「艦長だけ、今ここで起こす」
芦名が振り返った。
「他の乗員はまだ寝かせておく。理由は分かるな」
「……三百年経って辿り着く先が、当時の故郷とはまるで違う場所だから、ですか」
「それだけじゃない」
黒瀬は続けた。
「彼らが目指していたのは、地球連邦の統治が及ぶ外惑星植民地だったはずだ。だが今、この宙域を実効支配しているのは評議会で、地球連邦の後継に当たる内惑星連合とは、現在進行形で戦争をしている。何も知らずに目を覚まして、いきなり"故郷はもうお前たちの敵国だ"と告げられるのは、あまりに酷だ」
「だから艦長だけ先に」
「艦長には、判断する責任があった人間だ。三百年前も、これから先も。まず彼女に事情を説明する。残りの乗員をどう起こすか、どこまで伝えるかは、彼女の意見も聞いた上で決めたい」
五
蘇生処置には丸一日を要した。三百年以上稼働し続けた旧式のコールドスリープ機構は、想定よりもずっと慎重な手順を必要とした。
汐見蘭が目を開けたとき、最初に見たのは見慣れない天井と、見知らぬ制服を着た黒瀬の顔だった。
「……ここは」
「曳航船『屑拾い』の医務区画です。あなたの船、『開拓者』を発見し、回収しました」
汐見は身体を起こそうとして、うまく力が入らないことに気づいた。
「乗員は。他の……」
「全員、まだ眠ったままです。あなたにだけ先に、事情を説明したくて」
黒瀬は淡々と、しかし言葉を選びながら続けた。西暦2985年であること。地球連邦を発ってから三百二十七年が経過していること。地球連邦は今、内惑星連合という名前の政体になっていること。そして、この宙域一帯は、外環評議会という、外惑星の入植者たちが独自に築いた勢力の実効支配下にあり、内惑星連合とは戦争状態にあること。
汐見は、しばらく何も言わなかった。
「……三百二十七年」
「はい」
「私たちが目指していたのは、天王星圏の入植拠点でした。今、そこは」
「評議会側の重要な拠点の一つになっています」
「つまり——私たちは、故郷の敵地に、たどり着いたということですか」
黒瀬は少し間を置いてから答えた。
「そう言うこともできます。ですが、こうも言えます。あなたたちが命がけで目指した方角に、あなたたちの子孫にあたる人々が、確かに根を下ろして生きている、と」
汐見は天井を見つめたまま、長いこと黙っていた。
「乗員たちに、これをどう伝えればいいでしょうか」
「それを、あなたと一緒に考えたいと思っています」
六
屑拾いの主機がゆっくりと唸りを上げた。三百二十メートルの旧式船体を牽引しながらの加速は、いつもの回収作業とは比べ物にならないほどΔVを食う。
「最寄りの居住コロニーまで、このペースで四十七日」
黒瀬の報告に、汐見は小さくうなずいた。まだ本調子ではない身体を医務区画の寝台に預けたまま、彼女は窓の外——正確には外部カメラの映像——に映る、自分の船だった残骸を見つめていた。
「四十七日あれば」
汐見はぽつりと言った。
「残りの乗員に、少しずつ話す準備ができるかもしれません」
黒瀬はうなずいた。
「船長、コロニー管制に到着予定を通知しますか」
芦名の声に、黒瀬は答えた。
「頼む。それと——乗員の家系記録が残っていれば、蘇生後に照会してくれ。三百年以上経っていても、この宙域のどこかに、彼らの子孫が暮らしているかもしれない」
屑拾いは、拾った船体を引きながら、ゆっくりと居住コロニーへの針路を取った。船内のポッドの中で、まだ何も知らない乗員たちが、三百二十七年越しの朝を待っていた。そしてそのすぐそばで、たった一人先に目覚めた船長が、彼らに何と告げるべきかを、静かに考え続けていた。
(了)
――本作の時代背景について
「開拓者」の航路について
理論上最も燃料効率の良いホーマン遷移軌道でも、地球圏から木星までは約三年、土星までは約六年、天王星までは約十七年、海王星までは約三十一年を要します。「開拓者」は熱核ロケットという当時としても非力な機関しか持たず、最適な軌道を組む余裕もなかったため、天王星圏の入植拠点までの航行計画は約二十八年を見込んでいました。事故が起きたのは出発から七年目、木星圏を通過する際に木星の重力を利用して推進剤を節約しようとした局面でした。デブリ衝突による損傷に加え、木星の重力による軌道の乱れも重なり、船は天王星への航路から外れ、以後三百年以上にわたって木星圏付近を漂い続けることになります。
ヘリウム3価格の崩壊と戦争の火種
内惑星連合と外環評議会の戦争には、資源経済上の背景があります。地球連邦時代、核融合炉の燃料であるヘリウム3は、主に月面や水星極地で採取される希少資源として高値で取引され、地球連邦の経済基盤の一つになっていました。しかし外惑星への植民が進んだ後、ガス惑星の大気中に大量に存在するヘリウム3を直接採取する技術が確立されると、供給量は一気に増大し、価格は暴落します。
この暴落は地球連邦経済に深刻な打撃を与え、後に「第三次世界恐慌」と呼ばれる長期不況を引き起こしました。地球連邦は財政の立て直しのため、外惑星植民地に対する資源管理と課税を強化しようとしましたが、既にガス惑星からのヘリウム3採取で独自の経済基盤を築きつつあった外惑星植民地側はこれに強く反発します。この対立が、外惑星植民地の自治権確立、そして独立運動へとつながり、最終的に内惑星連合と外環評議会の間の惑星間戦争の直接の火種になりました。
「開拓者」が地球連邦を発った時代は、この対立が表面化するよりもさらに前、地球連邦がまだ外惑星への入植を国家事業として推進していた時期にあたります。皮肉にも、この船が漂流している間に、地球連邦とその植民地の関係は、友好的な開拓事業から、独立戦争、そして今日まで続く恒常的な戦争状態へと、大きく姿を変えていったことになります。




