【6】訓練
はらっぱで永遠の愛を誓い合ってから、数日が経った。
本来なら、5歳の子供らしく泥遊びでもして過ごすべき時期なのだろう。だが、俺たちの魂はそれを許さない。12歳になれば訪れる「徴募」――それはこの貧しい村において、俺たちの未来を大人たちの都合で切り売りされる宣告に等しい。
「……オーエン。……今日も、これを付けていていいの?」
朝の柔らかな光が差し込む中、カトレアが慈しむように自分の右手を掲げた。
その細い薬指には、あの日俺が道端の石ころを【改造】して作り上げた、紅く輝く指輪が嵌まっている。カトレアはもう片方の手でそれを愛おしそうに撫で、うっとりと目を細めた。
「ああ、もちろんだ。……それが君に一番似合っているからね」
「……ふふ。……嬉しい。……これに触れていると、あなたの指先がずっと、私に触れているみたいで……。……すごく、安心するの」
カトレアは間を置きながら、噛み締めるように言葉を紡ぐ。彼女の頭頂部にある蕾は、俺が視線を向けるたびに小さく震え、白百合の甘い香りを室内に充満させていた。
その様子を眺めながら、俺は内心で冷徹に計算を巡らせる。今の平穏は、俺たちの圧倒的な実力不足の上に成り立つ砂上の楼閣だ。あの村長の孫、ヴァンへの支援は加速している。
俺たちがずっと二人で、誰にも邪魔されずに生きていくためには、今のままでは「詰んで」しまう。
「カトレア。……今日は訓練に行こう。……俺たちの力を、もっと確かなものにするために」
「訓練……。……ええ、オーエンが望むなら。……私、あなたの助けになりたいわ」
カトレアは小さく頷くと、吸い付くように俺の右手に自分の手を重ね、指を絡めた。
俺たちは必要最低限の荷物すら持たず、村の外れにある人気のない開けた場所へと移動した。
この村には、まともな武具など存在しない。貴重な鉄製品はすべて村長の家系に回され、農奴の子である俺が手にできるのは、錆びついたクワか、折れた鎌の先くらいのものだ。
ユニークスキル【改造】は万能だが、無から有を生み出すことはできない。素材が「ただの石」では、強度に限界がある。
「……この村には、素材が足りなすぎるな」
俺は地面の土を掴み、意識を集中させる。
(構造分析……粘土質成分の抽出。再構成……粒子を極限まで圧縮し、仮初めのナイフへ)
淡い光と共に、俺の手の中に土を固めたナイフが形成される。だが、指先で力を込めると、あっけなく崩れ去った。
「……やはり、元が土では話にならないか。……カトレア、やはり俺の考えた通り、魔物を狩るしかない」
「……魔物。……ドロップ品、というものね? ……あなたの言っていた、前世のゲームのような……」
「ああ。この世界の魔物が落とす素材なら、俺の【改造】で最強の武装に作り変えられるはずだ」
俺がそう告げると、カトレアは赤い瞳を細め、静かに、けれど苛烈な殺気をその身に宿した。彼女の周囲の草花が、彼女の魔力に当てられたようにザワザワと不自然に逆立つ。
「……オーエンを傷つける魔物なんて、一匹も残さず、根っこから枯らしてあげる。……あなたの手を汚させたりしないわ」
「頼もしいよ。……だが、俺も君を守りたいんだ。……さあ、始めよう。まずは俺の魔力操作と、君の『植物魔法』の連携を確認しておきたい」
「……うん。……見ていてね、オーエン」
カトレアはゆっくりと俺の手を放すと、前方の枯れ木に向かって手をかざした。
彼女の魔力が大気を震わせ、地面からどす黒い茨が爆発的な勢いで突き出す。
その光景を見ながら、俺は次の工程をシミュレートする。カトレアが捕らえた魔物の死骸を、俺がその場で【改造】し、さらに強力な触媒へと変える。
12歳のその日まで、時間はそう多くない。
俺たちは、5歳児という無垢な皮を被ったまま、誰の手も届かない高みへと登り始める。すべては、この手を二度と離さないために。
★
村の喧騒が届かない、森の入り口近くにある開けた空き地。
朝露に濡れた草の匂いが漂う中、俺とカトレアは数メートルの距離を置いて対峙していた。
12歳の「徴募」まで、残された時間は決して多くない。この貧しい村で大人たちの言いなりにならず、二人で生き抜くための力を蓄える。それが今の俺たちに課せられた、唯一にして絶対の命題だった。
「……オーエン。……準備、いいかしら? ……私、本気でいくわね」
カトレアが静かに告げる。
彼女の細い薬指には、あの日俺が贈った紅い石の指輪が光っている。彼女が魔力を高めるにつれ、頭頂部の蕾が小刻みに震え、外側の白を押し退けるように内側の漆黒が覗き始めた。同時に、周囲には彼女の昂ぶりを示すように、甘く重たい白百合の香りが立ち込める。
「ああ、いつでも来い。……カトレア、君のその魔法で、俺の【改造】を限界まで引き出してくれ」
「……ええ。……いくわよ」
カトレアが小さく、けれど鋭く地を蹴った。
5歳児の歩幅とは思えない速度。彼女は前世のフルダイブゲームで培った高レベルな身のこなしを、この幼い身体で完璧に再現していた。
「――『茨』」
カトレアが手をかざした瞬間、俺の足元の地面が爆発した。
どす黒い、鋼のような硬度を持った茨が、のたうつ蛇のように数本、同時に突き出してくる。
(構造分析――。土壌成分、粘土質および石灰質。結合強度の弱体化!)
俺は右手を地面に叩きつけ、【改造】を発動させる。
茨が俺を貫く寸前、その足場の土を「流体」へと再構築した。ズブズブと沈み込む地面に茨の狙いが逸れ、俺はその反動を利用して後方へ跳ぶ。
「『杭』!」
空中で着地と同時に、今度は攻撃に転じる。
俺の魔力が地面を走り、カトレアの足元の土を瞬時に「分解」し、円錐状の鋭利な突撃槍へと「再構築」して突き上げた。
「……ふふ。……流石ね、オーエン」
カトレアは避けない。
彼女の背後から、さらに巨大な漆黒の蔦が伸び、俺の放った土の杭を正面から叩き潰した。土塊が激しく飛散する中、彼女はその煙幕を突っ切って俺の懐へと飛び込んでくる。
「……捕まえたわ」
「っ――!」
至近距離。カトレアの赤い瞳が、独占欲と悦びにギラリと光った。
彼女の指先から伸びた細い蔓が、俺の腕に絡みつく。それは愛撫するように優しく、けれど骨を砕かんばかりの力強さで締め上げてきた。
(構造分析――。蔦の繊維構造、魔力による強化。……分解不能! ならば、外的な熱による変質を!)
俺は腕に絡みつく蔓の表面温度を、【改造】によって一気に上昇させた。焦げた匂いが立ち込め、一瞬だけ緩んだ隙を見逃さず、俺は彼女の胴を抱きかかえるようにして、二人で草むらの上を転がった。
「はぁ、はぁ……。……カトレア、今の連携は……凄かった。本当に、殺されるかと思ったよ」
俺の下で、カトレアは乱れた息を整えながら、恍惚とした表情で俺を見上げていた。
彼女の蕾からは、先ほどよりも一層濃密な香りが放たれている。
「……殺したりしないわ。……だって、死んじゃったら、私だけのものにできないもの。……でも、……今のオーエン、すごく格好良かった。……私の魔法を、あんな風に防ぐなんて」
彼女は指輪の嵌まった手で、俺の頬をそっとなぞる。
その瞳には、模擬戦の熱狂と、俺に対する病的なまでの愛着が混ざり合い、ドロリとした光を湛えていた。
「……ねぇ、オーエン。……もっと、私を強くして。……どんな魔物も、どんな敵も、私たちの邪魔をできないくらいに。……あなたの【改造】で、私を……世界で一番、あなたに相応しい女にして?」
「ああ。……約束する。君の魔力を受け止める最強の触媒も、その身を守る至高の装備も、すべて俺がこの手で作り上げてみせる」
俺たちは重なり合ったまま、しばらくの間、お互いの鼓動を感じ合っていた。
5歳児の模擬戦。しかしその本質は、互いの魂を削り合い、高め合うための儀式だ。
村の物資不足も、ヴァンの存在も、今はどうでもいい。
このはらっぱの上で、俺たちのスキルと愛は、確実に、そして歪に研ぎ澄まされていった。
「……もう一回、いいかしら? ……次は、……もっと激しく、してほしいの」
カトレアが耳元で囁く。
俺はその要求に応えるべく、再び地面の土を【改造】するために魔力を練り始めた。




