第1話 平凡が崩れ落ちる音
わたしには憧れの人たちがいます。
その人たちはとてもかわいくてかっこよくて、可憐で美しくて、勇敢で強くて。凛としたその姿にわたしは目を奪われました。
いつかその人たちの背中に追いつけることを願うものの、そんな日が来ないことはわかっています。
でも、それでも一日ぐらい。あの人たちの力になってあの人たちみたいに輝きたい。
そんな夢を毎日見ています。
緑野恵麻は惚けた顔で日記帳を閉じた。
ペンを握ったままスマートフォンの画面に目を移す。画面に映るかわいらしい美少女たちの姿を見つめては胸いっぱいに息を大きく吸い込み静かに吐いた。
やっぱりみんな凄い。憧れ。
脳内が興奮にまみれる。心臓が波を打つ。なんでこんなに可愛いんだ。どうしてそんなにかっこいいんだ。疑問形の誉め言葉が心からあふれる。泣きそうになるほど素敵だ。
窓から流れる風に気づき顔を上げる。外には真っ青な空が広がっている。この空の下で、彼女らは今日も頑張っている。
誰もいない放課後の教室の隅。カーテンを仰ぐ風を直接肌で感じながら頬杖をつく。
恵麻は今も談笑できる友達が出来ていない。毎日教室でひとり物思いに耽る日々を送っている。特に誇れることも何もないし情熱もない。ただ唯一あるとすれば、先ほどの美少女たち──魔法少女への応援と憧れの気持ちは誰よりも強いことぐらいか。
魔法少女。
それは古代からいたとされる、不思議な力を持った美少女たち。この十三女町に現れる怪物をやつけてくれる正義の味方だ。
どんな経緯で力が伝承されるかは不明だ。そもそも、怪物の発生原因も魔法少女たちの力に関してもよくわかっていない。怪物の発生も魔法少女の誕生もこの町のみ。
世間で認識されている事実としてあげれば、魔法少女はいつの時代も13人。
1人欠けても誰かが新しく魔法少女として誕生し、それを繰り返す。
現代活躍中の魔法少女もとても可愛らしい少女たち13人で構成されている。個々が高い戦闘能力を持ち、可愛いというのにかっこよく魔法を振りかざす。最後には13人全員で力を合わせて怪物を倒す。
怪物が消滅するときに、魔法少女たち13人が整列している姿を初めて動画で見たときに恵麻は心を奪われた。
同性としての憧れと尊敬。そして何より、その美しさとかっこよさに目が離せなかったのだ。
いつかそんな魔法少女になれたら、なんという馬鹿げた夢は語らない。
今まで何もできなかった人間が、そんなことを語るなど馬鹿げた話だ。それでも、魔法少女への憧れだけは捨てきれなかった。
緑野恵麻は、魔法少女にあこがれている。
その思いを、どこにも言えない思いを、ひたすらに日記に書き連ねる。
ただの、一般人。魔法少女に憧れた、何のとりえのない一般人。
夢なんて物は存在せず、平凡にも平和な日常生活。
──そのはずだった。
何かが割れる音がした、と気づいたときには窓ガラスの破片が宙を舞っていた。
同時に、床に叩きつけられ破片はさらに細かく粉砕される。そこへ、着地した影が一つ。
それは立ち上がると恵麻の方をぎろりと睨んだ。
「な、なにが……」
認識のできない物体に見覚えがあった。よく魔法少女が戦っている不気味な怪物。顔のような丸い突起に大量の歯がついた大きな口。広げられたたこの脚のような無数の触手には数えきれないほどの目玉がついている。
獲物に狙いを定めるかのように、無数の目玉が一斉に恵麻へ向く。
反射的に恵麻は椅子から立ち上がると、怪物から距離を取ろうと駆け出そうと身をかがめる。
しかし、怪物の発した言葉らしきものに足が止まった。
『謌代?螢ー縺ァ縺オ繧九∴荳翫′繧御ココ髢薙h』
判別できない声らしき、不快な音。
耳が高い金切り音に支配され、思わず両手で耳を塞いでしまう。
その一瞬の隙をつかれ、もう目の前には化け物が迫っていた。
膝から崩れ落ちながら、声にならない叫び声とともに目をつむる。
これから来る悪夢に身を備える。そうだ、これは悪夢だ。
だって、わたしはただの一般人でただの学生だから──。
きっと悪い夢を見ているだけに違いない。
『縺阪c縺ッ縺ッ』
はっとして目を開けるものの、目の前に生えた大量の鋭い歯で現実に戻される。
ゆっくりに感じるのは、怪物の思惑か、それとも、自分の錯覚か。
ついに、歯の奥の粘性などろどろの口内が見えても恵麻は恐怖で身動きが取れなかった。
震える体を抱きしめることもできずに、頬には何通もの涙がつたう。
死にたくない。
という言葉と同時に最後まで脳裏に残っているのは魔法少女の姿。怪物相手にでも果敢に立ち向かう少女たち。
憧れはしょせん憧れのまま消えていく。
怪物に無残に殺された少女が魔法少女に憧れていたと知ったら人々は笑うのだろうか。
ひたすら怯え、泣き惑う恵麻の姿を見て怪物は動きを止めた。
これから閉じようとされる口が格段とゆっくりと降りていく。
怪物は知恵を持っていると聞いたことがある。だとすれば、今は恵麻をいたぶって楽しんでいるのか。その疑問に答えるかのように喜んだように怪物は不快な金切り音をあげる。
ゆっくりと歯が音を鳴らして恵麻の首筋に迫る。
死、という現実を受け止められないまま恵麻はひたすらに祈った。
もしかしたら、魔法少女が助けてくれるのではないかなんて。
そんなわけないと笑い飛ばすもう一人の誰か。
そうか。魔法少女だって同じ人間だからね。わたしなんかを助けるわけがない。
ああ──改めて思う。同じ少女が、こんな怪物と戦えるなんて、やっぱり魔法少女は凄い。
憧れだった。
ゆっくりと目を閉じる。思考を放棄して力を抜く。震えは止まっていた。
こんなことになるのなら、何か誇れることでも作っておけばよかったのかな。
後悔。絶望。
そんなものを断ち切るかのように、一閃の光があたりに眩いた。
一瞬動きを止めた怪物の頭部と触手が綺麗に分断される。
そこから鮮血のように黒い霧が吹き出す。
何事かと目を開けた恵麻に映ったのは信じられぬ光景だった。




