第七章(裏):最後の砦、最後の賭け
平原での敗北の後、ウェルキンゲトリクスは残存兵力を率いて、北の要害アレシアへと向かっていた。その退却行のさなか、彼は残存する高速機動部隊の指揮官たちを集め、密命を下した。
「カエサルは、必ず我らを追ってくる。だが、奴の軍団も疲弊している。その進軍速度を、さらに削ぐのだ」
王の瞳には、敗北の色はなく、ただ冷徹な計算の光だけが宿っていた。
「正面から戦うな。奴らの補給路を狙え。ローマ軍がアレシアに到着する、その最後の一瞬まで、ゲリラ戦で奴らの神経を削り、時間を稼げ。我々の命運は、お前たちが稼ぐ時間にかかっている」
その頃、ガリア各地では、ウェルキンゲトリクスが放った使者たちが、それぞれの部族の王や長老たちの前にひざまずいていた。
**月光のエルフ氏族(ハエドゥイ族)**の都、ビブラクテ。
一度はローマに背いたものの、ラビエヌスの武勇の前に再び日和見を決め込んでいた族長たちの会議は、ウェルキンゲトリクスの檄文によって揺れていた。
「…王は、アレシアに籠城される。我らに、救援を求めておられる…!」
「だが、 今ここで動けば、我らの都が火の海になるぞ!」
恐怖と打算が渦巻く中、一人の若いエルフの族長が立ち上がった。
「我らは、いつまでローマの奴隷であり続けるのだ! ゲルゴヴィアで、我らは一度勝ったではないか! ガリアの未来は、我らの双肩にかかっている! 今こそ、真の王の下に、一つになる時だ!」
彼の言葉が、他の族長たちの心に眠っていた誇りを呼び覚ます。
長い議論の末、月光のエルフ氏族は、ついに全軍をアレシアへ送ることを決断した。
北方の森では、熊の民や狼の民の生き残りが、ドルイド僧から檄文を受け取っていた。
彼らは、部族の存亡を懸けて、南へと向かうことを決意する。
大西洋岸では、鉄鎖海岸のドワーフたちが、ローマへの憎しみを胸に、その屈強な歩兵部隊を東へと進ませ始めた。
恐怖、誇り、憎悪、そして打算。理由は違えど、ガリアの全ての部族が、一つの目的のために、アレシアという一点を目指して動き始めたのだ。
アレシアの城門が、背後で重い音を立てて閉ざされた。
ガリア全土が動いたという確報を得た夜、ウェルキンゲトリクスは、アレシアの中央広場に全軍を集めた。
松明の明かりが、不安げな兵士たちの顔を揺らめかせている。
「聞け、ガリアの戦士たちよ!」
王の声が、夜のしじまに響き渡った。
「我々は、このアレシアに逃げ込んできたのではない! カエサルを、この地に誘い込むために来たのだ!」
彼は、兵士たちの心に直接語りかけるように、言葉を続けた。
「奴らの強さは、平原での戦いにある。ならば、我々はこの難攻不落の城壁を盾とし、奴らの強みを完全に封じ込める! 我々がここで耐えれば耐えるほど、奴らは飢え、焦り、そして弱っていく。そして、我々が稼いだ時間の先に、真の勝利がある!」
彼の声に、兵士たちの顔に宿っていた不安が、かすかな希望へと変わっていく。
「今、この瞬間にも、ガリア全土から、我らを救うための数十万の同胞たちが、このアレシアへと向かっている! 我らがこの城壁でローマ軍を食い止める『金床』となり、救援軍が奴らの背後を突く『鉄槌』となるのだ! この挟撃の前に、いかなる軍団も粉砕されるだろう! 我らの勝利は、必然だ!」
彼の言葉は、敗戦に沈んでいた兵士たちの心に、再び誇りと、絶対的な勝利への確信を灯していった。
軍議の席で、彼は族長たちに具体的な戦術方針を告げた。
「これより、徹底的な籠城戦に入る。食料は厳格に管理し、全ての兵士に平等に分配せよ。城壁の守りは、部族ごとではなく、完全に混成部隊とする。互いの背中を守り、部族の垣根を越えて、一つの『ガリア軍』として戦うのだ」
数日後、アレシアの城壁の上で、ウェルキンゲトリクスは、眼下で着々と進むローマ軍の包囲網建設を、静かに見下ろしていた。
兵士たちの顔には、もはや恐怖の色はない。
王が示した、絶対的な勝利への道筋を信じ、その目には静かな覚悟が宿っていた。
(…来たか、カエサル。お前は、俺が仕掛けた最後の罠に、自ら飛び込んできた)
彼は、これから始まる、地獄のような攻防戦を思った。
飢え、渇き、そして絶望。その全てが、この城壁の内と外で、渦を巻くことになるだろう。
だが、彼の計算では、勝利は揺ぎない。
ガリア全土から集結しつつある、数十万の同胞たちの姿が、彼の脳裏には、はっきりと見えていた。
ガリアの王は、静かに、そして冷徹に、自らが作り出した最後の砦で、獲物が罠にかかるのを待っていた。
それは、敗走ではなく、次なる勝利のための、ガリア全土の総意に基づいた、最後の、そして最も危険な賭けの始まりだった。
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