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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第七部:ガリアの王

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第七章:最後の砦

平原での戦いは、我々の辛勝に終わった。


だが、野営地に熱狂的な勝利を祝う声はなかった。

ガリア最強の機動部隊は退けたものの、ウェルキンゲトリクスの本隊を壊滅させたわけではない。


ゲルゴヴィアの敗北から続く連戦で、兵士たちの疲労は限界に達していた。


得体の知れない魔族の味方への漠然とした戸惑いと共に、ただ静かに、次なる戦いに備えていた。


その夜、カエサルの司令部天幕に、全ての高級将校が召集された。

議題はただ一つ。

敗走したウェルキンゲトリクスを、どうするか。


「斥候からの報告です!」


伝令が駆け込み、地図の上に震える指を置いた。


「ウェルキンゲトリクスは、残存兵力を率いて北へ。天然の要害、アレシアへ向かっている模様!」


アレシア。その名に、天幕の中の空気が凍りついた。誰もが知る、ガリア最強の要塞都市。


「…レビルス副将」


カエサルの静かな声が、俺を現実へと引き戻す。


「計算を聞かせろ。我々が今、奴を追撃した場合の、勝算を」


俺は、数日間眠らずに導き出した、絶望的な数字を告げる覚悟を決めた。


「アレシアは、ゲルゴヴィア以上の天然の要塞です。まともに攻めれば、こちらの損害は計り知れない。そして何より、ウェルキンゲトリクスは我々をそこで釘付けにし、ガリア全土から救援軍を招集するでしょう。その数は、二十五万を超える可能性も。我々は、そこで挟み撃ちにされ、完全に殲滅される計算です」


俺の報告に、指揮官たちの間から、諦めの声が漏れる。


「では、追撃は不可能だと…」


「ここで奴を取り逃がせば、この戦争は永遠に終わらんぞ!」


だが、カエサルは、その絶望を、片手で制した。


「レビルスの計算は正しい。だが、それは一つの変数を見落としている」


彼は、立ち上がると、指揮官たち一人一人の顔を見渡し、静かに、しかし絶対的な権威をもって言った。


「それは、我々には、もはや退く道はない、という変数だ。ここで奴を逃せば、我々の敗北は決定的となる。ならば、行くしかない。たとえ、その先に待つのが地獄であろうとも」


彼の瞳には、狂気と、そしてそれ以上に深い、指導者としての覚悟が宿っていた。


「我々は、ウェルキンゲトリクスを追う。そして、奴が選んだ最後の砦で、この戦争の全てに決着をつける」


それは、論理や計算を超えた、絶対的な意志の表明だった。

誰も、それに異を唱えることはできなかった。


こうして、我々は敗走するウェルキンゲトリクスの後を追い、北へと進軍を続けた。


当初の目的であった戦略的撤退は、今や、ガリアの王の首を獲るための、全面的な追撃戦へと姿を変えていた。


数日後、我々はついに、敵が逃げ込んだ要塞都市、アレシアに到達した。


その光景を前に、歴戦の兵士たちさえもが、思わず足を止めた。


二つの川に挟まれた、巨大な丘。

その頂上に築かれたアレシアの街は、もはや都市というより、大地そのものが要塞と化した、難攻不落の城塞だった。


周囲は急峻な崖に囲まれ、平地から力押しで攻め上れる場所は、どこにも見当たらない。


「…ゲルゴヴィア以上の、天然の要害ですな」


俺の隣で、攻城戦の専門家であるトレボニウス様が、苦々しい声で呟いた。


その夜、カエサルの司令部天幕には、これまでにないほどの重苦しい沈黙が支配していた。


「ウェルキンゲトリクスは、この砦に八万の兵と共に籠城した。そして、ガリア全土に檄を飛ばし、救援軍を招集している。斥候の報告によれば、その数は…二十五万を超えるだろう」


カエサルの静かな報告が、指揮官たちに絶望的な現実を突きつける。


我々は、八万の敵が籠る難攻不落の城塞を攻めながら、同時に、その三倍以上の大軍を、背後から迎え撃たねばならないのだ。


「不可能だ…」


「我々は、ここで挟み撃ちにされて全滅するのか…」


指揮官たちの間から、諦めの声が漏れる。


だが、カエサルは、その絶望を、片手で制した。


彼の視線は、誰にも向けられていなかった。


ただ、天幕の中央に広げられた、アレシア周辺の巨大な地図、その一点だけを、獰猛な肉食獣のような瞳で見つめていた。


やがて、彼は、静かに、俺の名を呼んだ。


「レビルス副将」


「はっ」


「お前に、この戦争の全てを懸ける」


カエサルは、地図の前に俺を呼び寄せると、その上に、常軌を逸した線を、二本、描き加えた。


一本は、アレシアの城壁を囲む、巨大な円。

そしてもう一本は、そのさらに外側を囲む、より巨大な円。


「これより、我々は、この地に、もう一つの城壁を築く」


彼の声は、静かだったが、その言葉には、神の領域に踏み込むかのような、狂気じみた響きがあった。


「内側の壁は、アレシアに籠る八万の敵を封じ込めるためのもの。そして、外側の壁は、救援に来る二十五万の敵から、我々自身を守るためのものだ」


天幕の中が、どよめいた。


二重の、包囲網。


それは、もはや攻城戦ではない。自らが巨大な罠となり、内外の敵を同時に殲滅するという、人間の想像を超えた、壮大な殺戮の設計図だった。


「この、狂気じみた計画を、現実のものとするための、計算を立てろ」


カエサルの視線が、俺を射抜いた。


「必要な資材、人員、そして時間。敵の物量と、奴らが頼みとする精霊術さえも、完全に無力化する、完璧な要塞の設計図を、お前が描くのだ。ゲルゴヴィアでの敗北を、ここで、お前の手で、雪げ」


俺は、言葉を失った。


ゲルゴヴィアで、俺の計算は、兵士の「熱狂」という計算不能な変数の前に、脆くも崩れ去った。


その俺に、この、あまりにも巨大で、あまりにも非現実的な計算を、託すというのか。


だが、俺の心にあったのは、恐怖ではなかった。


そうだ。これこそが、俺がこの戦場で、為すべきことなのだ。


ゲルゴヴィアの敗北は、俺に教えてくれた。計算だけでは、戦争には勝てない。

だが、計算なくして、この絶望的な状況を覆すこともまた、不可能なのだと。


俺は、カエサルの目をまっすぐに見返し、深く、そして力強く、頭を下げた。


「…御意に。このレビルスの、人生の全てを懸けて」


自らの天幕に戻った俺は、巨大な羊皮紙を広げ、その上に、アレシアの地形を寸分の狂いもなく描き写した。


俺の頭脳は、これまでにないほどの速度と、精度で回転を始めていた。


内側の包囲網は、全長約17km。外側の包囲網は、約22km。


二重の塹壕、逆茂木、落とし穴、そして無数の監視塔。


俺の指先から、数字と線が、まるで狂ったように生み出されていく。


それは、もはやただの設計図ではない。ガリアの民が持つ物量と、彼らが頼みとする自然の力を、共和国が誇る工学技術と、俺の計算という名の冷徹な論理で、完全に封じ込めるための、巨大な数式だった。


俺は、眠ることも、食べることも忘れ、ただひたすらに、その数式を解き続けた。


これは、俺の、計算屋としての、最後の戦い。


そして、このガリア全土の運命を決める、血塗られた計算の、始まりだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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